ウォークマップ
ホントに歩く中山道 第11集
和田峠<男女倉>〜八幡(27.7km)
+初期中山道(桜沢〜下諏訪)(22.7㎞)
企画編集・制作・発行:風人社
仕様:4分冊 両面2色刷印刷 折りたたみ式
全コース縮尺1万分の1地形図と多くの現地写真で詳細案内
コース・史跡などの解説はマップごとに裏面掲載で、計40ページです。
価格:本体1180円+税
2021年6月6日発行
ISBN9784938643966 C0326
和田峠は中山道随一の交通難所だ。男女倉口からの計画も、しっかりと。信州佐久に入った茂田井は、白壁と土蔵造りの町並みが人気だ。
本集に、木曽と下諏訪を結ぶ近道ルートの初期中山道も収載。
ホントに歩く中山道 第10集(洗馬〜和田峠<男女倉>)は、こちら
全巻ご予約受付中です。割引有り。お問い合わせください。
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2021年6月9日「東京新聞」「中日新聞」朝刊サンヤツに広告を掲載しました。
写真でたどる「ホントに歩く中山道」第11集→こちら
追加・訂正→こちら
ホントに歩く中山道 第11集の目次
No.41 和田峠(男女倉)〜和田(9.1㎞)
No.42 和田〜芦田(9.5㎞)
No.43 下諏訪〜樋橋(9.4㎞)
No.44 初期中山道(桜沢〜小野〜下諏訪)(22.7㎞)【コラム41】和田宿本陣の焼失と復元
【コラム42A】小野が二つで、両小野が残る(初期中山道・小野)
【コラム42B】蚕と岡谷と地図記号(初期中山道・岡谷)
【コラム43】書の里・望月 比田井天来生誕の地【資料】初期中山道概略図
★マップ№41,42(長和町部分)は、1万分の1地形図がないため、2万5千分の1地形図を拡大しています。
★マップ№44初期中山道は、11764分の1(1万分の1地形図を85%縮小)で収載しました。
☆第11集のケース地図
江戸から25番目の宿場、望月宿です。
「戌の満水」という寛保2(1742)年の洪水で宿場が流され、
中之橋で鹿曲川を渡っていた中山道は長坂橋を渡るようになった。
崖上の望月城跡は展望がよく、宿場や立科町方面まで見渡せる。
☆第11集のかんたん内容
本シリーズ「ホントに歩く中山道」は、京都三条大橋を起点に、終点・東京日本橋までの中山道69次の詳細マップとコースガイド・解説書です。
第11集は、和田峠を東に越えた男女倉から、笠取峠の松並木を経て、八幡宿の手前までです。
本集は4つのマップで構成されていますが、№44は、初期中山道を11764分の1(1万分の1地形図を85%縮小)で収載しました。1㎝が85mという計算になります。
初期中山道は、桜沢(塩尻市)と下諏訪をつなぐ約23㎞の旧街道です。これは塩尻峠を越える中山道の前のルートで、大久保長安が計画・整備しました。伊那街道との交点、小野宿を通るので小野道ともいいます(第10集コラム38参照)。
和田峠越えの際に、ぜひ前後に組み合わせて歩いてみてください。
11集で通過する宿場は、和田、長久保、芦田、望月の4つです。
前集の第10集は、2つだけでした。
10集で和田峠を越えて一息ついたところですが、峠を下りてから最寄り駅に着くまで、実はあまり気を抜くことが出来ません。
男女倉からの最寄り駅は、距離的には中央本線下諏訪駅ですが、和田峠を越える公共交通機関はありません。(タクシーは可。新和田トンネルが来年(2022年)4月から無料化予定だそうで、朗報です)長久保宿からバスで上田駅に出るか、さらに東へ進み、芦田宿の立科町役場からのバスで佐久平駅、岩村田駅(小海線)に出る必要があります。本数が限られているので、調べてからお出かけください。
広重が「あし田」で描いた笠取峠の松並木や、間の宿茂田井、また四つの宿場には、出桁造りなど、古い町並みが残り街道風情を楽しめます。
また、蓼科山と浅間山を見ながらの道中も、なかなかいいものです。
現在の行政区分としては、小県(ちいさがた)郡長和町、北佐久郡立科町、佐久市を通ります。
和田宿
文久元年(1861)の皇女和宮降嫁の年の3月、大火で宿場のほとんどが焼失。幕府からの再建貸し付け金が出て、急ピッチで復興が進み、11月の宿泊に間に合った。その当時の建物が多く残る。当時の図面に忠実に復元再建された本陣は、資料館となり見学ができる。
宿場に平行して通っている国道沿いに「和田宿ステーション」という道の駅的な施設がある。
江戸時代の古民家を再利用したカフェや蕎麦屋などもある。
長久保宿
善光寺へ続く北国街道が分岐し、和田宿よりも旅籠が多かった。L字型の珍しい宿場。
ここも袖卯建のある釜鳴屋など、江戸時代の建物が多く残る。広重の絵は、宿場の南の落合橋。和田峠から中山道に平行して流れていた依田川と白樺湖からの大門川が落ち合う。
芦田宿
広重の絵は、宿場の西の笠取峠の松並木。芦田は旅籠が6軒と、和田や長久保に比べ旅籠が少ない(中山道の中でもすごく少ない)。江戸に向かって下り坂の宿場は、江戸時代の建物もあり、落ち着いた町並みだ。ふるさと交流館芦田宿という施設に宿場の紹介展示や休憩スペースがある。津金寺は、武田信玄が川中島合戦の戦勝祈願で寄ったと伝わる天台宗の古刹。
望月宿
望月は、朝廷の牧があり、古くから「駒の里」と呼ばれた。鹿曲川沿いの低地に宿場はあり、高台を通る国道から外れ、宿場の雰囲気は残しつつ、バスも通り、商店街もある町だ。国の重要文化財に指定された真山家住宅が残る。望月町時代に建てられた望月歴史民俗資料館は建物も展示も立派。地元でつくる「雁ぐい味噌」を使った「駒月みそかつ丼」が近隣の食堂で食べられる。
写真でたどる「ホントに歩く中山道」第11集
スライドショーで自動的に画像が変わりますが、右下の◁▷で手動操作できます。
№41和田峠<男女倉>〜和田宿〜和田
№42和田〜長久保〜笠取峠〜芦田
№43芦田〜茂田井〜望月〜八幡入口
№44初期中山道