風人社について
風人社は、版元出版社であり、また編集制作下請けプロダクション業務も行っています。自費出版本の制作・発行もお引き受けします。
2019年2月、世田谷区から狛江市に本社を移転しました。
ごあいさつ
創立~初期のころ(1989~1994年)
風人社の創立は、1989(平成元)年でした。創刊の書は、『耳は何のためにあるか』でした。出版社創立の最初の一冊がとても重要なのは言うまでもありません。なぜ出版社を創立したかが、最初の一冊に語られています。
風人社は、特定の著者陣があっての創立ではありません。今までの勤務先出版社の著者との関係を引き継いでの独立ではありませんでした。一からの出発でした。最初から著者陣があってではなく、テーマからの本作りを考えました。
何かを知る「知識」というのは、それ自体が人を興奮させるものです。知ること自体が感動なのですが、生きる上で問わずにはおられない「知識」というものもあります。そういう「問い」の本を考えました。
私の息子が生まれつきの高度難聴であることを知らされた時、この子が成長していく過程で、いつかきっと自分の障害についてきちんと知りたいと思うときが来るに違いないと思いました。
耳の仕組みはどうなっているのか、聞こえるとはどういうことか、障害とはどんなことか……。そういう問いに答える、参考になる本はあるでしょうか。不思議でした。そんな耳の本は、探しても見つかりませんでした。耳鼻科の医学書はあっても、一般向きの耳の本はありませんでした。
それで、「何のための知識!シリーズ」と称して、医学・工学・文学・芸術・スポーツ、問えるところには、どこにでも問いたい。それから「障害を通した視点」を設け、聾・盲・盲聾・四肢障害・失語症等など……、重度障害を持つ人自身にも執筆をお願いしました。
各ジャンルの一流専門家が無名の小出版社の寄稿に応じてもらえたのは、分担執筆だったからだと思います。充実したメンバー構成でした。手紙での依頼で、ほとんどの執筆者から断られることはありませんでした。愛読していた詩人の茨木のり子さんからも、巻頭に「聴く力」の転載許諾のご返信をすぐにいただけました。
当時は、出版社をつくって最初の本は、「ご祝儀」といって、書店さんは応援してくれて、店頭展示がなされ、書評にも取り上げられ、販売成績も好調でした。
本には、「幸運な本」というものがあります。「知識シリーズ」第1冊目の『耳は何のためにあるか』は、とても運のいい本でした。書評、推薦図書による販売での早い増刷が叶い、増刷時には、消防庁の一括大量購入で増刷冊数の大半がさばけ、また、次の増刷では、同じく増刷部数に迫る補聴器会社の大量購入で迎えられました。それで、本書は4刷まで続きました。
シリーズは、耳に続き、眼、手、痛み、足、口、くびの全7巻で終了しました。これらの本については、「何のための知識!シリーズ」をご覧ください。これが、風人社の初期のころの事業内容でした。
第2期は大きな変革(1994~2005年)
前記の通り、風人社創立は1989(平成元)年でした。1980年代に続いた日本経済のバブルの絶頂期の最終年で、翌1990年からバブルが崩壊し始めました。出版界も衰退が始まり、弊社でも、藤田恒夫著『鍋のなかの解剖学』のようなヒット本もありましたが、一般単行本の販売は厳しいものになりました。
「知識シリーズ」の巻頭執筆者だった、哲学者の山田宗睦さんの大著『日本書紀史注』の全30巻の長期発行計画が、1996年ごろにありました。これの発刊が可能になったのは、1990年代の出版界の大きな出来事と関係しています。
1994年発売のPower Macintoshの登場が画期的な出来事でした。この年、弊社はPowerMac7100を思い切って購入しました。『日本書紀史注』の書紀の原文への返り点打ち、JIS外の難字の作字、複雑な表組みや系図、地図の作成など、従来の写植組版では印刷代の高コストで実現不可能だったことを、PowerMacによるDTPの導入で、自社で組版を始めることができたのです。
時代も印刷・出版業界のDTP移行の年となりました。弊社は先頭を切って、DTPの最先端の技術を取得しました。それにより、町工場の印刷所の組版の下請けで、収入を得ました。町工場の下請けから、大手出版社編集部のDTP作業委託を受け、さらに編集が本業であることから、しだいに出版社の編集・制作委託にまで発展しました。
取材、原稿起こし、編集、制作、DTPまで、全て引き受けた主な仕事は、「ようこそ先輩」、「わたしはあきらめない」、「にんげんドキュメント」などのNHKテレビ放送番組の本でした。テレビ画像から印刷画像データへの変換技術も開発しました。これらの本についても、リンクをご覧ください。
全30巻予定の『日本書紀史注』は第4巻で頓挫しましたが、今でも組版・制作請負が続いているのは「東京造形大学研究報」で、2000年の創刊以来、実に25年25冊、現在も継続中です。そのほか、企業や団体からの印刷物も請け負っています。
第3期とこれから(2005年~ )
1990年代のバブル崩壊以後、紙媒体からデジタル媒体への急速な移行が進み、出版、広告、印刷、書店業も、著しい衰退を迎えます。弊社でも、第2期にあった大きな請負はなくなりました。風人社は、2000年代に入って、バブルの崩壊となりました。
そこで、逆に出版の原点に返り、自社企画の出版に戻ることにしました。「未知の道」シリーズと題して、バリエーション山行の本『誰も知らない丹沢』を第1作に、続いて、街道ウォーク本『ホントに歩く大山街道』を刊行しました。両書とも、弊社のヒット本になりました。街道歩きは人気が高く、読者も多いことから、「ホントに歩く」シリーズとして、1万分の1地形図を基にしたウォークマップを発行し続けて、今日に至ります。東海道53・57次の全17集、中山道69次の全17集を刊行完結しました。
ルートファインディングも歴史街道歩きも、人生の歩きと重ねて思うこともあります。ウォーキングと地図の本には、深いものがあると思っています。
2010・20年代と、ますます出版界の衰退は止まりません。『2028年 街から書店が消える日』という本まで出版されています。弊社の収入も、第2期バブルの3分の1を下回っています。
そのなかで、紙媒体の自費出版が、以前とは違った存在意義・価値を持つようになったと思います。風人社創立の1989年ごろに、「いずれ、出版社が著者にお金を支払う時代から、著者が出版社に支払う時代になる」との当時の出版界著名の大御所の予言に、目を白黒させるほど驚いた記憶がありますが、まさに半分は現実になっています。
それは、自費出版の意義が変わってきたからだと思います。従来通り、一級の専門家に印税をお支払いして、読者が必要とするかけがえのない本を出版していくことが出版社の使命であることに変わりはありません。
大手出版社の自費出版部門の創設・拡大には、めざましいものがあります。これが生き延びる一つの方法かもしれません。しかし、風人社が考える「自費出版の重み」みたいなものは、これとは少し違うように思います。
ブログに軽い小文「自費出版っていいなあ」を書きました。本を出して有名になるのでもなく、お金が稼げるのでもなく、肩書きや格が上がってハクがつくわけでもありません。いや、そうなる場合もありえますが、そうなったら、それは結果としての僥倖で、それが最初の目的ではありません。そのような自費出版の形が、以前よりももっと意義を持ってきたように思います。
著者がお金を出して本を出版するというのは、紙媒体の本に記録し、人に伝えたいという出版の原点に立っています。自分の人生の表現でもあります。本を出して、自分のなにかが救われる。生きるために知りたかった「問い」を考える。ああ、そうですね。風人社の最初の「何のための知識!」に戻ってきたとも思えるのです。『耳は何のためにあるか』の知識シリーズも、風人社の自費出版とも言えるかもしれません。
次の第4期が可能なら、この原点をしっかりと踏まえた出版活動ができるように健闘したく念じております。尊敬するプロの著者の専門家先生方と、新しい著者のみなさまがた、そして多くの弊社愛読者のみなさまがたのお力添えを賜ることが叶いますよう、切に祈念しております。どうか、よろしくお願い申し上げます。
風人社代表 大森誠
会社概要
名 称
株式会社 風人社(ふうじんしゃ)
創 立
1989(平成元)年4月4日
所在地
〒201-0005
東京都狛江市岩戸南1-2-6-704
(旧 〒155-0033 東京都世田谷区代田4-1-13-3A)
電 話
03-5761-7941(旧 03-3325-3699)
ファクス
03-5761-7942(旧 03-3325-3601)
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