2023年のジョン・フォード没後50年に合わせ、ジョン・フォード関連の話題が多くなってきています。『ジョン・フォードを知らないなんて』(2010年、風人社)の著者、熱海鋼一さんにその魅力を語っていただきました。

今回は、その第13回目です。
※赤字「」は映画作品名

熱海鋼一 ジョン・ウェイン

ジョン・フォード復活13 作家たちのフォード評価1 小津・黒澤・・・

それは1943年6月のこと。太平洋戦争が始まり1年半が経ち、ガダルカナル島撤退、アッツ島守備隊全滅などと日本軍に陰りが見え始めた頃、国民にはその事実は知らされていなかったが、「父ありき」(1942)を作った小津安二郎は、インド戦線の映画「デリーへ デリーへ」を撮るため、シンガポールへ軍報道部映画班員として派遣された。
ロケを始めたものの、日本軍の戦況悪化で撮影は中止。小津はシンガポールに待機し、あり余る時間を日本軍が接収したアメリカ映画100本余を見て過ごしたという。1937年に始まった日中戦争に従軍した時、盟友で天才監督と呼ばれた28歳の山中貞雄(「人情紙風船」1937)を失うなどの苦い体験で、戦争には嫌悪感があったろう小津にとって、映画に接していられる貴重な時間だったと言える。蓮実重彦は幸せな時間と評している。小津41歳、次回作は5年後である。

ジョン・フォード復活13 小津・フォード 戦争

その頃、ジョン・フォードと言えば、「我が谷は緑なりき」(1941)を仕上げた後、第二次世界大戦に向け、自ら進んで立ち上げた野戦撮影隊としてOSS(CIAの前身)に所属、真珠湾が日本に奇襲攻撃された記録、そしてアメリカが優位に立つミッドウェイ海戦の記録を撮影した。因みに、両作ともアカデミー・ドキュメンタリー賞を受賞。その後、アフリカ戦線を追った。
1943年8月には、OSSの指令でインド、ビルマ、中国に向かう。日本軍を追い詰めてゆく戦線の記録に派遣された。フォードは、ドラマを撮るより戦いを撮ることの方がよっぽど有意義な生き方と自負し、ハリウッドオファーに背を向け、ノルマンディ上陸作戦では、尊敬するジョン・バルクリー海軍大将と共に戦場に立ち会った。フォード50歳、次回作は2年後である。

小津がシンガポールで観た映画が凄い。

ジョン・フォード復活13 市民ケーン
小津がシンガポールで観た映画

当時日本では見ることが出来なかった敵性映画になるが、ハリウッド黄金期の名作ぞろいだ。セルズニック製作の歴史的大作「風と共に去りぬ」(1939)、ウイリアム・ワイラーの「嵐が丘」(1939)、ディズニーの「ファンタジア」(1940)、アルフレッド・ヒッチコックの「レベッカ」(1940)、オーソン・ウェルズの「市民ケーン」(1940)。
そしてフォードの名作に出会う。「若き日のリーンカン」(1939)「怒りの葡萄」(1940)「駅馬車」(1939)「果てなき航路」(1940)「我が谷は緑なりき」(1941)などで、特に最初に挙げた二本が気に入ったようだ。
「ファンタジア」を見て、“こいつはいけない。相手が悪い。大変な相手とけんかした”と思ったそうだ。(Note ブログより)相手とはアメリカのことだ。この戦時に、こんなに凄い映画を作ってしまうアメリカの余裕に、日本は勝てないと感じたのだろう。 

蓮実重彦によれば、小津はこの中で「市民ケーン」に最も衝撃を受けたという。オーソン・ウェルズと小津とは作風が違い過ぎて、まさか感があるが、無声映画時代、ハリウッド映画を手本とした小津のこと、映像で何が表現できるかを大胆に探求した手法に驚き、映像表現の限りない可能性を感知したのだと思う。
オーソン・ウェルズは映画史を飾る「市民ケーン」(1940)を作るに際し、「駅馬車」ジョン・フォード復活4参照>を40回も見ている。言うべきことをどのように映像表現するかを学んだのは有名な話だが、どこかで優れた作家たちが微妙に絡み合い、新たな映画が生まれているのが分かる。
小津はフォードに関して、「おさえにおさえて、性格を表現するか――監督の仕事はここにあると思うんだ。「荒野の決闘」(1946)のヘンリー・フォンダが、床屋で香水をつけて来て、ヌーツと立っている――あれだな、ジョン・フォードのえらいのは」(日本名随筆40小津安二郎の言葉)と言っている。

ジョン・フォード復活13 麦秋・東京物語

映像表現を抑えに抑え、遂にはカメラ移動もなくしたローアングルの固定カメラに至る境地・小津ワールドは、稀有な表現で世界を魅了している。「東京物語」(1953)は、2012年の“サイト・アンド・サウンド”の世界史上最高映画ベスト100で、監督投票のトップに輝いた。しかし、小津が活躍していた当時、小津映画は日本以外では理解されないだろうと思われていて、海外での上映は遅れ、今のように高い評価を得たのは、小津(1963年逝去・享年60歳)の死後であった。
「麦秋」(1951)などのもつ静謐な諦観は、「太陽は光り輝く」(1953<フォード復活512参照>)など、晩年のフォードが時折みせる心情と重なって、作家の資質の共通性として興味深い。
正当な古典派ゆえのフォードの先進性と、映像表現を意識した監督として<フォード復活8「捜索者」参照>、デヴィッド・リーン「アラビアのロレンス」(1962)、ゴダール「ウイークエンド」(1967)、スコセッシ「タクシードライバー」(1976)、スピルバーグ「フェイブルマンズ」(2022)などに触れてきたが、他の名監督との呼応も小津同様に興味深い。

国内では不評だった黒澤明の「羅生門」(1950)が、監督自身や永田プロデューサーやマスコミにも知らされず、こっそりと、イタリアフィルム社の社長によってヴェネツィア映画祭に出品され、なんとグランプリを得てしまう。まさに、アメリカ占領下の敗戦国日本にとって青天の霹靂だった。
人間の偽善により闇に葬られる真実を大胆な手法で描いた「羅生門」に刺激を受け、「去年マリエンバード」(アラン・レネ1961)「処女の泉」(イングマル・ベルイマン1960)などの前衛的作品が生まれ、黒澤は世界の黒澤となった。

ジョン・フォード復活13 黒澤明 ロンドン
黒澤 ロンドン

ジョン・フォードを尊敬する黒澤明は、武満徹との対談で「どこをぶった切っても活動写真って感じになるだろう、ジョン・フォードは特に。それが西部劇の時にとても良く出ていると思うな。それもある種の余裕を持って撮っているところがとても素敵だと思いますね」と語っている。
小津はフォードの抑えた静かな佇まいに、黒澤はフォードのダイナミックで余裕のあるアクションに、惹かれた。二人の資質の違う巨匠を取り込んでしまうのが、フォードの演出の妙だろう。

1957年、黒澤は第1回ロンドン映画祭の開会式に招待された。マクベスを土台とした「蜘蛛巣城」(1957)がオープニング上映され、王室から表彰された。その時、フォードは「スコットランドヤードのギデオン」(封切りは1959)をロンドンで撮影中だった。
黒澤はセットにフォードを訪ねた。フォードは「アキラ」と叫び、サケを飲もうと大歓迎したとある。疾走する馬をとる場合、映画は普通1秒24コマだが、20コマ程に駒を落とせと伝えたそうだ。黒澤はフォードを“優しく包容力がある大きな人間”と語っている。(黒澤京都賞受賞スピーチより)

代表作「七人の侍」(1954)は、西部劇の影響を受けて作られたと言われるが、その圧倒的なアクションと人間ドラマは世界を魅了し、ハリウッドが逆輸入、「荒野の7人」(1960)としてリメイクした。

ジョン・フォード復活13 駅馬車・七人の侍

西部の乾いた大地とどこまでも広がる空間に対し、「七人の侍」は狭い村と森と土砂降りを決戦の場とした。農民の訓練にはフォードの「アパッチ砦」(1948)の新兵訓練のギャグシーンを、馬の疾走感は「駅馬車」などから取り入れた。
フォードにはジョン・ウエイン、黒澤には三船敏郎、それぞれの体現者がいるのも共通点だ。 

不思議な符号がある。1939年フォード「駅馬車」44歳、1954年黒澤「七人の侍」44歳、そしてまたフォードを敬愛するサム・ペキンパー1969年「ワイルドバンチ」44歳。3人とも44歳の時、代表作と言われる作品を創作しているのだ。
ペキンパーは、フォードで好きなのは「荒野の決闘」「駅馬車」でも「捜索者」でもなく、黒澤では「羅生門」「七人の侍」とは言っていないが、「ワイルドバンチ」の代名詞となるスローモーションが乱舞する映像美学は、「七人の侍」の決闘や泥棒シーンで斬られた相手が倒れるスロー描写からヒントを得ただろうと思うと嬉しい。

ジョン・フォード復活13 ワイルドバンチ

またペキンパーがここで描いた敗者の美学は、フォードとの共通点がある。フィリピン戦線のアメリカ軍の敗走を描いた「コレヒドール戦記:原題 彼らは消耗品だった」(1945)、ベテランの自信満々の政治家が新米の若者に選挙で敗退し人生を失う「最後の歓呼」(1958)などの“敗北の中の栄光”(ジョン・フォードインタビューより)の心情を反映している。
さらに「捜索者」(1956)の持つ内面的暗さのポストモダン的暗示は、「ワイルドバンチ」に引き継がれていると思う。

ストレートなアクションと馬車に乗る群像の魅力「駅馬車」は世界を走り抜け、貧しい村の人間ドラマと熱く激しいアクション「七人の侍」は世界を凌駕し、敗残者たちの仁義的壮絶アクション「ワイルドバンチ」もまた時代を先取りした。
3本に共通する底流は、「駅馬車」が内包するアナーキーな反骨精神だと思う。

次回は溝口健二やアルフレッド・ヒッチコックらを訪ねてみたい。

熱海鋼一(あつみ・こういち)

1939年生まれ。慶応義塾大学経済学部卒。映画・テレビのドキュメンタリー編集・フリー。 「The Art of Killing 永遠なる武道」(マイアミ国際映画祭最優秀編集賞)、「矢沢永吉RUN & RUN」「E. YAZAWA ROCK」、「奈緒ちゃん」(文化庁優秀映画賞・毎日映画コンクール賞)、「浩は碧い空を見た」(国際赤十字賞)また「開高健モンゴル・巨大魚シリーズ」(郵政大臣賞、ギャラクシー賞)、「くじらびと」(日本映画批評家大賞)、ネイチャリング、ノンフィクション、BS・HD特集など、民放各局とNHKで数多くの受賞作品を手がける。

twitter(熱海 鋼一) @QxOVOr1ASOynX8n

熱海鋼一著『ジョン・フォードを知らないなんて シネマとアメリカと20世紀』(2010年、風人社、3000円+税)

もくじ
https://www.fujinsha.co.jp/hontoni/wp-content/uploads/2017/07/fordmokuji.pdf

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