2023年のジョン・フォード没後50年に合わせ、ジョン・フォード関連の話題が多くなってきています。『ジョン・フォードを知らないなんて』(2010年、風人社)の著者、熱海鋼一さんにその魅力を語っていただきました。
今回は、その第5回目です。
※赤字「」は映画作品名
ジョン・フォード復活5 「太陽は光り輝く」「幌馬車」、赤狩り
ジョン・フォードは、西部劇、アクション映画が得意と言われがちだが、一方で社会派の「男の敵」や「怒りの葡萄」を作り、しかもこれがハリウッドで作れるのかというほど、静かな佇まいの映画を作るから面白い。
「太陽は光り輝く」はミシシッピー河の辺、まだ南北戦争の余韻が残るある町を舞台に、情と義に篤い酒好きの老判事の物語だ。とある日、重い病いの女性が蒸気船から降りて来る。死ぬ間際に一人娘に会いたいためだ。実は、この町の南軍の将軍の子として不自由なく育てられたその一人娘は、小学校の先生。しかし、彼女は自分の出生の秘密に悩んでいた。そして彼女の母が死ぬ。
一方、老判事。選挙中なのに黒人を暴徒から守るなどして疲労困憊のときに、とんでもない相談事が娼婦の館から来る。亡くなったその母、娼婦の葬儀を公的にやりたいというのだ。引き受けたら、自分は街の信用を失い、失墜するだろう。
棺と娼婦たちを乗せた馬車の葬儀の列の先頭を老判事が歩いている。離れて見ていた街の男たちが次々と列に加わる。勇気ある主婦も、娘も、その恋人も。行列はどんどん長くなる。なんとこの7分に及ぶシーンの音は、馬車の車輪と判事らの歩く足音だけだ。まさに「駅馬車」のインディアン襲撃の6分はアクションの白眉、その真逆、この葬儀の7分もまた、映画でしか表現できない静謐極まる白眉と言える。こんなに静かに浸透するシーンが、世界のどこにあるだろう。アキ・カウリスマキ監督(「過去のない男」)にはあるのだろうか。
老判事の名前はプリースト。この20年前に、「プリースト判事」という映画をフォードは作っている。主役はウイル・ロジャースというラジオや舞台の売れっ子芸人で、アメリカ大統領候補に担ぎあげられるほどの人気を誇っていた。方やフォードと言えば、会社のお仕着せ企画を次々こなす職人監督。しかし、二人は意気投合したようだ。ユニークな3本の映画が生まれた。
「ドクターブル」「プリースト判事」は、物語の起伏がほとんどないようなゆるい展開なのだが、ロジャースの独特なお喋りを聞いているうちにほっこりしてきて不思議なぬくもりに包まれ、権威主義や差別意識を痛快にひっくり返してくれる。彼は、良い意味での意地っぱりの南部気質丸出しなのだが、アイリッシュのフォードは、気に入ったらしい。
三作目の「周遊する蒸気船」は破天荒な展開となる。正当防衛なのに、冤罪で死刑にされそうな甥を助けるため、ロジャース演じるおんぼろ船の船長は蒸気船競争に挑む。必死に走るが貧乏船のこと、燃料が切れてしまうと、船の積み荷の蝋人形などを次々と燃やし、無くなれば船の床や壁まで剥がして燃やし、遂に燃やすものも尽きて万事休す。すると、思い出したのが船長が売りさばいていた健康飲料“ポカホンタス”、実はアルコール度の超高い酒だ! 次々と放り込むと釜は火を噴き、船のスピードは最高潮に達する。このシーンの体を揺する心底からの笑いの痛快。まさに、フォードとロジャースでないと出来ないアナーキーな歓喜と言える。
ロジャースはこの後、飛行機事故で亡くなるが、フォードはもう一度、彼と映画を作りたかったに相違ない。年を経て、その思いが「太陽は光り輝く」として蘇った。
フォードはインタビューで、自分の想いに一番近づけた映画として、「太陽は光り輝く」や「幌馬車」等を上げている。
「幌馬車」は西部劇だが、アクションはほとんど無い。モルモン教徒の西部への移動を題材にしているが、宗教色はなく、名も無き人々の西部開拓への夢と希望と勇気が滲みでる。「太陽は光り輝く」と同様に、有名な役者は一切出ていない。
幌馬車隊の喧嘩早いが義に篤い隊長を演ずるのは、フォード映画の名脇役、ワード・ボンド。「静かなる男」の釣り好きの神父、「アパッチ砦」名軍曹、「荒鷲の翼」ではフォード自身を演じて印象的だ。隊を道案内する若い二人、弟分はハリー・ケリー・ジュニア、若きフォードの映画を導いたハリー・ケリーの息子だ。フォードが父の死に捧げた心温まる西部劇「3人の名付け親」の主役に、ほぼ素人なのに抜擢された。この辺の経緯は、彼が書いた「ジョン・フォードの旗の下に」に詳しい。
兄貴分はベン・ジョンソン。なんといっても乗馬のプロ、「黄色いリボン」でインディアンに追われて崖を飛び越えた。「リオ・グランデの砦」では、疾走する馬を倒し、その馬の背を銃の台代わりに、追って来るインディアンを撃ち落とす早業を軽やかに見せる。カウボーイ好きのフォードのお気に入りだった。後に、フォードを尊敬するサム・ペキンパーの「ワイルドバンチ」等に出演、フォードのインタビュー本を書いたピーター・ボクドナヴィッチの「ラストショウ」では、アカデミー男優助演賞を得ている。
幌馬車隊は川を渡り、砂漠を一歩一歩すすむ。その詩的味わいは、フォードのフロンティアへの熱い想いを感じる。隊には旅芸人が加わり、インディアンと共に踊る交流もあるが、銀行強盗一味が入り込むと様相は一変する。彼らに支配されても幌馬車隊の絆は固く、ラストでは断崖に道を切り開き、新天地を目指す幌馬車隊の奮起と勇気が静かな感動を呼ぶ。強盗たちが、最初は彼らの無謀な試みをあざ笑うが、失敗を重ねても次々と進む幌馬車を見て顔が青ざめてくる。自分たちの方が、人生の敗北者であることを知るのだ。市井の人たちが新天地を切り開く。この思いこそフォードそのもの、ヒーローはいらないのだ。
この映画が作られた1950年ハリウッドはレッドパージ、赤狩りで揺れていた。
ロバート・パリッシュの『わがハリウッド年代記』に、監督協会での出来事が記されている。リベラル派の会長ジョセフ・L・マンキウイッツ監督(「イブの総べて」)を降ろすべく攻撃したのが、極右のセシル・B・デミル監督(「十戒」)だ。デミルは、ハリウッドの超大作を作り続けている巨匠で、業界に君臨していた。会議はデミルの方向で進んでいたが、そんな時、黙していたジョン・フォードが挙手する。「私は西部劇を作っている」と口火を切るとデミルを見据え、「あなたの映画への貢献は尊敬するが、考え方は大嫌いで間違っている。みんな明日は早く起きて仕事がある。さっさとマンキウイッツを支持して帰ろう」。この一言で場は逆転した。まさにフォードがいかにリベラルな生き方をしているか、赤狩りを苦々しく思っていたかがここに見える。晩年、「シャイアンの秋」のロケ中にケネディ大統領が暗殺され、悲しみのあまり撮影を中止し、部屋から出てこなかったという。
「最後の歓呼」も自身を投影した映画だ。ハリウッド史に残る名優スペンサー・トレッシーが主役、長年市長を務めたベテラン政治家の威厳を見事に演じた。老年になり、最後となるだろう市長選に自信満々に打って出た。相手はテレビなどで軽薄な姿をみせる若手。しかし開けてみれば、なんと敗北、時代は変わっていたのだ。若い新人の勝利パレードを横目に、自宅へ歩いて向かう姿の哀切極まりない情景は、まさにボクドナヴィッチがフォード映画の特性として言う“敗北の中の栄光”だろう。選挙に敗れ心臓病で倒れるが、死に際に「また生まれてきたら、政治家になる」と言い放つ。映画しかないフォードもそう言うだろう。老境に差し掛かるフォードの心境を映してか、映画は感傷的だが慈愛に溢れている。
熱海鋼一記
熱海鋼一(あつみ・こういち)
1939年生まれ。慶応義塾大学経済学部卒。映画・テレビのドキュメンタリー編集・フリー。 「The Art of Killing 永遠なる武道」(マイアミ国際映画祭最優秀編集賞)、「矢沢永吉RUN & RUN」「E. YAZAWA ROCK」、「奈緒ちゃん」(文化庁優秀映画賞・毎日映画コンクール賞)、「浩は碧い空を見た」(国際赤十字賞)また「開高健モンゴル・巨大魚シリーズ」(郵政大臣賞、ギャラクシー賞)、「くじらびと」(日本映画批評家大賞)、ネイチャリング、ノンフィクション、BS・HD特集など、民放各局とNHKで数多くの受賞作品を手がける。
twitter(熱海 鋼一) @QxOVOr1ASOynX8n
今回のお話は、『ジョン・フォードを知らないなんて』第9章 心の故郷「静かなる男」「太陽は光り輝く」、第8章 ピュア「三人の名付親」「幌馬車」、第4章 職人ー「駅馬車」に至る長い道のり、などに詳しい記述があります。
熱海鋼一著『ジョン・フォードを知らないなんて シネマとアメリカと20世紀』(2010年、風人社、3000円+税)
もくじ
https://www.fujinsha.co.jp/hontoni/wp-content/uploads/2017/07/fordmokuji.pdf
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