2023年のジョン・フォード没後50年に合わせ、ジョン・フォード関連の話題が多くなってきています。『ジョン・フォードを知らないなんて』(2010年、風人社)の著者、熱海鋼一さんにその魅力を語っていただきました。
今回は、その第12回目です。
※赤字「」は映画作品名
ジョン・フォード復活12 ディキシー好み
「リオグランデの砦」(1950)で、ディキシー(南北戦争での南軍のマーチ)が北軍の騎兵隊の行進で演奏されて驚いたと前項で記したが、フォードはディキシーが好きらしく、多くの映画に登場させていた。
ディキシーは南部地域を総称することもあるが、この項では音楽を指します。
最初にディキシーが使われたのは「プリースト判事」(1931)。1980年代のケンタッキーの、のどかな片田舎を舞台に、南北戦争(1861~65年)の影を残す人間模様が語られる。当時ユニークなコメディアンで知られた南部出身のウイル・ロジャースが主役。
判事が裁判に勝つと、待ってましたとディキシーが演奏される。南北戦争に敗北しても、この音楽は南部人の確かな支えになっているようだ。
フォードは、ロジャースの良き南部気質に共感したと思われる。南部というと奴隷制を思い起こさせ、今でも右翼の傾向が強いと言われるが、南部気質はディキシーの歌詞にあるように、広大な綿畑に培われた風土が生んだと言えるだろう。
気が強く、活きがよく、親切で思いやりが深く、家族の連帯と親戚を大切にし、保守的で反国家的で、自立心が強く頑固。このいかにも田舎風を思わせる気質にフォードが共鳴したのは、自身の誇るアイリッシュ気質に似ていたからと思う。アイリッシュも、アメリカ移民の田舎者扱いをされてきた。フォードはアイルランド移民二世だ。
フォードはこのシチュエイションを気に入り、22年後にリメーク「太陽は光り輝く」(1953・「フォード復活5」参照)を作っている。
保守系が強い南部の地で人種差別、娼婦への偏見などへ抵抗する勇気、年老いてゆく人生の悲哀などを描いた。この映画は、フォード作品に潜む魅力的な特徴、弱者に寄り添う反骨精神が率直に現れた、フォードを代表する心に沁みる一作と言える。
黒人少年が白人女子を襲ったと村人からリンチを受けそうになり、判事に無実を訴えた。当時、南部でその相談を受けることは絶対的と言えるほど不利で勇気がいることだったが、判事は黒人少年の訴えを引き受けた。
すると、なんと法廷内で、みんなで溌剌とディキシーを演奏する。実に奔放なシーンだ。南部の魂ここにあり、悪には易々とは屈しない、自分たちの誇りが込められている。また、判事が選挙に勝つと祝福パレードは当然ディキシーだ。フォードは思いきり、自分が共感する古き良き南部気質へオマージュした。
「イージーライダー」(1969・「フォード復活10」参照)に出てくるような保守的で、敵意丸出しの人種差別者は出てくるが、黒人少年を守るため、判事は勇気を出して対峙し、やんわりと包容し説得してゆく。表現は甘いかもしれないが、人はこうありたいと思わせるのだ。
「騎兵隊」(1959)は南北戦争を描いた大作である。北軍が南部敵地を縦断して攪乱する実話をもとにしている。
市民戦争の苦さをほのめかす中で、最も美しく印象に残るシーンが、16歳以下の士官幼年学校の生徒たちの出兵である。北軍へ突進する子供兵のバックにディキシーが流れる。北軍のリーダー(ジョン・ウエイン)は、彼らに手を振って軍ごと退散する。
史実はほぼ戦死という悲惨な結果なのだが、フォードは少年たちの勇気を称え、彼らを鎮魂するかのように、まるで子供たちの名誉を詠う夢のようなシーンを作り上げた。ディキシーはまさに彼らを誇るように高らかと響いている。
南北戦争を終焉させ奴隷解放したのが、エブラハム・リンカーンだ。そのリンカーンはなんとディキシーが大好きなのだ。
「虎鮫島脱獄(とらさめじまだつごく)」(1936)の最初のシーン、リンカーン大統領がワシントンの住いのベランダに登場、眼下の広場には演説を待つ聴衆がいる。リンカーンは「今日は演説をしないが、私の好きな音楽を聴いて欲しい」と呼びかける。すると、楽隊はディキシーを演奏するのだ。えっ、なんで? と思うが、その曲に、本人がのりのりなのだ。奴隷制を守ろうとした敵軍のマーチなのに・・・。彼が暗殺される5日前のことだ。
そもそもディキシーは、南北戦争が始まる3年前の1859年に作られたディキシーランド(南部の総称)を称える歌として誕生した。リンカーンは、南部のケンタッキー生まれ。敵軍のマーチになったとはいえ、ディキシーは故郷の賛歌であったのだ。それとも南部との融和を思い、「この曲、いいだろう」と、北の住民に聞かせたのかもしれない。
この映画、リンカーン大統領が観劇中に暗殺され、その犯人を逃したと誤解されて、終身刑を受けた医者マッドの実話。その冤罪を描くのではなく、虎鮫島の刑務所での不撓不屈に生き抜く姿が描かれるのだが、私が好きなのはラストカットだ。無茶、感動するのだ。無罪を得て、マッドは妻と娘の待つ家へ帰る。これで当然エンドマークと思うと、違うのだ。
続くカットは、同様に囚われた近所に住む黒人も釈放され我家へと向かうと、10人を超える子供たちがキャッキャッと喜んで迎える10数秒のカット。ディキシーが高まり、フェイドアウトして映画が終わる。この唐突な感動はどこからくるのか? フォードが一瞬にして、ここで奴隷解放を讃えたかのように、実に爽快なのだ。映像で語る映画だけが持つカタルシスだと思う。
フォードがリンカーンを尊敬している証しでもある「若き日のリンカーン」(1939)は、南軍のディキシーと北軍のリパブリック讃歌を巧みに織り込み、リンカーンをアメリカの理想像に描きあげた。
リンカーンの初恋のアン・ラットレッジとの描写に、詩的情緒が漂い、滔々と流れる大河に映像詩人と呼ばれるフォードを感じる。彼はやがて弁護士となり正義感を貫き通し、大いなる未来へ向かう。
ある殺人を巡る裁判が始まる前、家にロバに乗って帰る時、リンカーン自身が口琴でディキシーを演奏するのだ。この時彼は28歳、1837年のこと。でも待てよ! ディキシーは南北戦争の始まる3年前、1859年に作曲されて広まった。この曲を、若きリンカーンが知るはずもないのに奏でてしまう、まさに虚構なのだ。
権威を嫌うフォードは、演ずることに尻込みする主役のヘンリー・フォンダに「偉大なリンカーンを演じる? とんでもない、金が無くてロバで町に来る弁護士希望の田舎者を演じるだけだ」(ダン・フォード著『ジョン・フォード伝』)と言い、単なる事実を追うより描きたいリンカーン、自らが信じる真実を描こうとした。そのため、時代的にはありえないシーンを作った。
同じくヘンリー・フォンダ主役の「荒野の決闘」(1946)も、史実のOK牧場の決闘の年代を1年ずらしている。その上で、理想的な人格者ワイアット・アープ保安官像をフォードは創出し、アメリカの神話を構築した。
そして、「若き日のリンカーン」のラストは、暗雲漂う丘をリンカーンは歩いて行く。暗殺されることを暗示する名シーンだ。ここで誉れ高く北軍を象徴するマーチ“リパブリック賛歌”が流れる。もともとが奴隷解放を志したブラウンを詠う“ジョン・ブラウンの亡霊”、替え歌が“ごんべさんの赤ちゃん”で、ヨドバシカメラのCMソングとして耳慣れている曲だが、これらは南北戦争時に生まれた。
事実と音楽の虚構で、リンカーンの全人生を暗喩してしまうフォードは、素敵だ。
リンカーンの初恋のアン・ラットレッジのテーマ音楽(アルフレッド・ニューマン作曲)は、晩年の傑作「リバティ・バランスを撃った男」(1962)で、フォードのたっての願いで再度使われ、悲恋の哀切がこめられたシーンを作り上げた。
フォードは民謡が好きで多くの映画に使っているが、ディキシーにも愛をこめ大切に反復し、得意分野の西部劇「リオグランデの砦」にも起用したのだった。
熱海鋼一記
熱海鋼一(あつみ・こういち)
1939年生まれ。慶応義塾大学経済学部卒。映画・テレビのドキュメンタリー編集・フリー。 「The Art of Killing 永遠なる武道」(マイアミ国際映画祭最優秀編集賞)、「矢沢永吉RUN & RUN」「E. YAZAWA ROCK」、「奈緒ちゃん」(文化庁優秀映画賞・毎日映画コンクール賞)、「浩は碧い空を見た」(国際赤十字賞)また「開高健モンゴル・巨大魚シリーズ」(郵政大臣賞、ギャラクシー賞)、「くじらびと」(日本映画批評家大賞)、ネイチャリング、ノンフィクション、BS・HD特集など、民放各局とNHKで数多くの受賞作品を手がける。
twitter(熱海 鋼一) @QxOVOr1ASOynX8n
熱海鋼一著『ジョン・フォードを知らないなんて シネマとアメリカと20世紀』(2010年、風人社、3000円+税)
もくじ
https://www.fujinsha.co.jp/hontoni/wp-content/uploads/2017/07/fordmokuji.pdf
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