2023年のジョン・フォード没後50年に合わせ、ジョン・フォード関連の話題が多くなってきています。『ジョン・フォードを知らないなんて』(2010年、風人社)の著者、熱海鋼一さんにその魅力を語っていただきました。

今回は、その第10回目です。
※赤字「」は映画作品名

熱海鋼一 ジョン・ウェイン

ジョン・フォード復活10 モニュメント・バレー アメリカの原風景

僕はその日、モニュメント・バレー近くのカエンタという町で目を覚ました。
ここは、アリゾナ州とユタ州にかけて広がるナバホ族の居留地、ナバホ・ネイションの一角だ。インディアン研究をしている在米のカメラマン平福貞文に連れられ、ナバホのガイド、レッド・シャーツさんを待っていた。まだ肌寒いが、乾燥した空気がさわやかな、1994年4月のことだった。

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モニュメント・バレーはもともとナバホの聖地。今は世界中から観光客が集まる、アメリカの西部を象徴する場所として知られている。しかし、半世紀少し前までは、白人にとって、ほとんど無縁な辺境の地だった。なぜ、そこがコマーシャルに出るほど有名なところになったのか。なんと、その答えはジョン・フォードなのだ。

モーテルのドアを開けると、目の前に「駅馬車」でジョン・ウエインが颯爽と現れる後ろに映る、衝立のような岩峰(ビュート)が見えた。1939年に封切られた「駅馬車」が、初めてモニュメント・バレーを映し出した映画だ。

モーテルを出て163号線に入る。しばらくゆくと右手に「荒野の決闘」の有名なラストシーン、ヘンリー・フォンダ演じる保安官ワイアット・アープが、秘めた恋を抱いた女性に“クレメンタイン、素敵な名前です“と言って、一本道を馬に乗って去るその先に、岩のピーク(アガスラ峰)がそびえている。得も言われぬ名カットだ。

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さらに163号線を進むと、左手遠くに「アパッチ砦」のインディアンと騎兵隊の交渉場面とインディアンに追われて逃げる、移動撮影のバックに見える岩山がある。それらは、その岩山の表と裏側だ。「捜索者」のインディアンが登場する美しい岩山でもある。モニュメント・バレーロケでの移動撮影は、大体この辺りで行われたと思う。

暫く進んで左折すると、ジョン・フォードにこの地を紹介したといわれる、ナバホとの交易者グルーディング氏がつくったロッジがある。「アパッチ砦」では、インディアンを見くびった傲慢な司令官のせいで、騎兵一連隊があっという間に全滅するシーンが撮られところだ。めくるめく、僕の中にフォードが描いた映像が浮かんできた。

ホテルの入り口には、「黄色いリボン」の騎兵隊のオフィスがあった(今は博物館に改築)。近年、ホテルの庭には映画館が新設され、ジョン・フォードのドキュメンタリーとフォードがこの地で撮影した西部劇が、上映されているそうだ。
ホテルの坂を下り163号線を横切ってまっすぐ進むと、その道を“駅馬車”が疾走し、左側には「荒野の決闘」のトム・ストーンの街が作られた場所がある。ここは冬には雪が降るが、映画ではメキシコに近い酷暑の現地に似せて、サボテンが生えている。

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その道が突きあたるビューポイントの眼下には、岩峰がいくつも屹立して、壮観な風景が広がる。「駅馬車」で、インディアンが待ち伏せしている場面は、ここで撮られた。
そして断崖を下る。ここら辺りに来ると、「捜索者」「黄色いリボン」「バッファロー大隊」などで撮影されただろう、いくつもの風景に出くわす。
中でも「捜索者」で撮影されたジョン・フォード・ポイントは、観光名所の一つだ。さらに進むと、インディアンテントのあった砂丘が連なる地へ出る。
僕はしばし岩峰に見とれ、大地の砂に身を任せて横になり、目を閉じると、岩肌を抜ける風の音が聴こえ、フォードの心情が辺りに漂うのを感じた。まるで、モニュメント・バレーという巨大なスクリーンの中にいるようだった。
まさに、モニュメント・バレーの風景が、西部開拓の希望と辛苦を映しているのだ。

映画ではアパッチ族、コマンチ族といろいろ出て来るが、演じたのは地元のナバホ族の人々。寒冷が続き食料不足のおり、フォードは食料や衣服を彼らに送った。
最後のロケは、映画でインディアン差別に加担したフォードが、自らの過ちを吐露し、謝罪した「シャイアン」(1964)だった。

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モニュメント・バレーは、ジョン・フォードの西部劇で世に知られ、いつしかフロンティアを象徴する、アメリカの原風景というイメージが定着した。ロケ当時は全くの辺境の地、ハリウッドではフォード・テリトリーと神格化され、ロケするには近づき難かったようだ。フォードが撮ったモニュメント・バレーのような象徴性を超えて描くのは、至難の技だろう。

ここで、モニュメント・バレーをロケした映画を見て行こう。

「西部開拓史」(1962)の監督は3人(ヘンリー・ハサウエイ、ジョージ・マーシャル、ジョン・フォード)。3台のカメラを並べて同時に撮影し、巨大なワンスクリーンに3台の映写機で画像を映し出す、シネラマ大作だ。

フォードはその中の南北戦争25分余を担当し、戦闘より哀切に満ちた家族に心情を注いだ。他のコーナーでモニュメント・バレーが出て来る。ここはもともとナバホが住んでいた大地だ。1868年以降はナバホの居留地となるが、開拓期に白人がここを通ることは、ほとんどなかった。しかし、映画として西部を開拓する戦い(原題・How the West was won)を語るには、フロンティアの象徴の場として、モニュメント・バレーは欠かせなかったのだと思う。
それほどこのフォード・テリトリーは、アメリカフロンティアの原風景として、多くの人に焼き付いていたのだ。

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「ウエスターン:ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ザ・ウェスト」(1968)は、マカロニウエスタンの巨匠セルジオ・レオーネの傑作だ。一世を風靡したマカロニウエスタンの監督たちの憧れは、ジョン・フォードでありモニュメント・バレーであった。彼らは通常スペインでロケをしていて、渡米ロケは資金も必要でなかなかできる事ではない。

しかし、レオーネはやってのけた。しかも、あの岩峰(ビュート)を背景に、フォードの無声映画の大作「アイアンホース」、アメリカ横断鉄道の建設にならい、なんと線路が築かれている。しかも、全編残虐非道な悪党が入り乱れ、鉄道利権が絡む緊迫した展開の中で、実にのびやかに、モニュメント・バレーに馬車を走らせる。なんというフォードへのオマージュだろう。

この映画の主役の一人ヘンリー・フォンダは、「ミスターロバーツ」で育ての親のフォードと決別した後も、「12人の怒れる男たち」などで良心的アメリカ人を演じていた。このマカロニウエスタンで、子供まで殺す冷徹な殺し屋の役を演じて、イメージチェンジを図った。しかし、レオーネ監督は、「アパッチ砦」の騎兵隊をミスリードする傲慢な司令官、フォンダの演技を見て、この役をオファーしたと語っている。

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アメリカンニューシネマの傑作二本も、モニュメント・バレーの洗礼を求めた。作り手は、フォードがそこに刻み込んだ、アメリカのフロンティア精神の原風景と、対峙する必要を感じたからだろうと思う。
「イージーライダー」(1969)では、オートバイで旅する自由人二人が、アメリカの変わりゆく深部に入るには、モニュメント・バレーで一夜を過ごすことが必要だった。フロンティアの洗礼を受けたかのように、次に自由を標榜するヒッピーコミューンへ向かうのだ。
自由を語ることは許されるが、自由に行動することは許されない。二人は保守が根深い南部へ入ると、毛が長いという理由だけで銃で撃たれ、あっけなく命を落とす。無残なラストだ。これが今なお根強く残る、アメリカに潜む分断の闇だ。デニス・ホッパー監督、製作ピーター・フォンダ、脚本にも名を連ねた二人の渾身の作だ。

「グライド イン ブルー」(1973・ゴア・バービンスキー)の白バイ警官たちにのしかかる絶望的な運命、ベトナム戦争への厭戦、ヒッピーコミューンへの嫉妬、彼らの挫折や孤独は、フロンティアの魂が刻まれたモニュメント・バレーで虚しく追い詰められる。なんとも言えない切ない虚無感を、岩峰が冷ややかに写し、ベトナム戦争末期の行き場のないアメリカの現実が、胸を突いた。
フォードを尊敬してやまないクリント・イーストウッドは、「アイガー・サンクション」(1975)で、本舞台はスイスのアイガー北壁で起こる、スパイアクション物にもかかわらず、わざわざモニュメント・バレーの岩峰に登ってみせた。身体を張ってオマージュしたのだろう。

大当たりした「バック・トゥ・ザ・フューチャー」(1990・ロバート・ゼネキス)の3作目は、フロンティア時代に車はワープするのだが、なんと、そこはモニュメント・バレー!居合わせたインディアンに追われて物語が進展する。モニュメント・バレー、これだけで観客は、開拓時代へのワープを躊躇なく受け入れる。

次の二作は興味深いテーマのポストモダンの映画。

「テルマ&ルイーズ」(1991)は、ちょっとだけ自由を得ようと旅に出た女性二人が、ひょんなことから、殺人というトンデモナイ運命に巻き込まれてしまう逃走劇。辛い話だが痛快なのだ。女として抑圧されていた日常から、二人が解放されるからだ。リドリー・スコット監督の快作だろう。
逃走する二人がモニュメント・バレーを経て、近くのモアブの岩稜の風景の中で、警察隊に追い詰められてゆく。荒涼とした岩の峰々が、その心情を反映し、ついには行き場を塞いでしまう。ラストに取った二人の行動は、まさに息を飲む。

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「フォレスト・ガンプ/一期一会」(1994)は、少々知恵遅れだが、人並以上に足が速く純粋な心を持つ男が、アメリカの現代史を走り抜けるファンタジー。ベトナム戦争に参戦しても俊足を生かし活躍、ジョン・レノンに会い、ニクソン大統領に会い、さらに平和を願う男として、アメリカを横断して走るガンプ(トム・ハンクス)が、モニュメント・バレーを経て、ようやく走るのをやめ、家に帰る。モニュメント・バレーはアメリカの原風景、ここで洗礼を受け、ガンプは解放されたと言える。監督ロバート・ゼメキスの最高作だろう。
この作品の撮影個所は、フォレスト・ガンプ・ポイントとして、有名な観光名所の一つになっている。一直線の163号線、そのかなたに、岩峰・ビュートが見事な造形を作っている。

今世紀に入ると、その扱いは変化してくる。フロンティアのイメージでなく、すでに知られた有名な土地として出て来る。

「ウインド・トーカーズ」(2002)は、第二次世界大戦でナバホの兵隊が、戦場の伝令として活躍した実話だ。サイパンで、彼らは軍の指令を各部隊へ告げた。ナバホ語は傍受されても、日本軍には解読できないからだ。トップとラストは、モニュメント・バレーで主役のナバホが、戦場への悲しい思いを祈るシーンだった。そこは、彼らの故郷だ。ジョン・ウー監督のことだから、ジョン・フォード・ポイントを選んだのだと思う。

「ザ・サーチャズ2.0」(2007)は、監督アレックス・コックスの風変りなロードムービー。モニュメント・バレーの原野で「捜索者」の上映会がある。その会場に向かう仇同士が争う。どちらかというと、フォード色よりマカロニウエスタン「続・夕陽のガンマン」へのオマージュ色が強い。モニュメント・バレーの中で、かの映画史に残るくせ者、悪党三人の決闘を再現したかったのだろう。でも尊敬する映画「ザ・サーチャズ」(「捜索者」の原題)のタイトルは、頂きたかった。

「ローン・レンジャー」(2013・ゴア・バービンスキー)、「トランスフォーマー・ロストエイジ」(2014)となると、背景に観光地として有名なモニュメント・バレーを選び、そこがすでに、アメリカの原風景のイメージとなっているのを利用した。アメコミの西部劇ヒーローの登場とトランスフォーマー巨大ロボットの集結、フォードはますます遠くなる。
正義の味方ローン・レンジャーとインディアンの友トント、トント役のジョニー・デップが活躍する。白い馬の登場など数カットを除けば、モニュメント・バレーは、導入の鉄道シークエンスの背景に使われているが、誰もがよく知る西部を象徴する風景の場を、拝借しているにすぎない。それだけで、充分ウエスタンなのだ。

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一方、悪人に追い込まれた、トランスフォーマーの巨大ロボットたちが、集結し反撃を誓う場がモニュメント・バレーだ。そこがフロンティアの大地と象徴されているから、それなりに理由はあるが、フォードは拒絶反応を起こすだろう。
監督のマイケル・ベイらしくカメラは動き廻り、終始急展開で、3時間近い長さを飽きさせないが、あの岩峰の前で巨大ロボットが、語り合うなんて!

モニュメント・バレーは、単に“記念碑の谷”のように見えるからと命名されたが、フォードは、その岩峰(ビュート)の屹立する姿を、直感的にフロンティアの記念碑の象徴として捉え、数々の映画で、そこにアメリカの原風景となる命を吹き込んだ。まさに、映画詩人と言われるフォードが生んだわざだろう。

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日本アカデミー最優秀女優賞を得た岸井ゆきのが “映画が好きで、昔の映画からずっと観てきて、たとえばジョン・フォードの作品だったら、80年以上前のものじゃないですか。フィルムにおさめられた当時の光をいま見ているわけで、『あ、これに私出会いたかったんだ』って思う瞬間があるんですよ”と、語っている。この感想が、古典も愛する映画好きの若者の概ねの感じだろうか。

2023年の今から見れば、「アイアンホース」は99年前で、「男の敵」は88年前、「駅馬車」「怒りの葡萄」「我が谷は緑なりき」は83~5年前で、「荒野の決闘」「アパッチ砦」は77~79年前、「静かなる男」が71年前、「捜索者」は67年前、「リバティ・バランスを撃った男」は61年前、遺作「荒野の女たち」は57年前。そんな映画知らないよって、多くの若者は言うだろう。

今の若者がモニュメント・バレーを旅に選ぶのは、そこにアメリカという荒々しい風土の郷愁を感じるからではないかと思う。その種を撒いたのは、ジョン・フォードの西部劇だ。フロンティアとして創り出された原風景のイメージは、フォードを知らなくても、受け継がれているのだと思う。
古典映画も同様に、生き、受け継がれ、時を繋ぎ、世代を超え、豊かな映像世界を創出しているのだと思う。

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これまでの稿で登場した映画は、無声映画も含めてほとんど、日本アマゾンや楽天でDVDとして手に入ります。あるいはアマゾンのプライムビデオや、渋谷などのツタヤの大きな店で借りることが出来ます。ジョン・フォードという古典を味わってほしいと思います。

次回は、ジョン・フォードのデキシー大好きな反骨ぶりなどについて、想いを巡らせたいと思います。                   

熱海鋼一記

熱海鋼一(あつみ・こういち)

1939年生まれ。慶応義塾大学経済学部卒。映画・テレビのドキュメンタリー編集・フリー。 「The Art of Killing 永遠なる武道」(マイアミ国際映画祭最優秀編集賞)、「矢沢永吉RUN & RUN」「E. YAZAWA ROCK」、「奈緒ちゃん」(文化庁優秀映画賞・毎日映画コンクール賞)、「浩は碧い空を見た」(国際赤十字賞)また「開高健モンゴル・巨大魚シリーズ」(郵政大臣賞、ギャラクシー賞)、「くじらびと」(日本映画批評家大賞)、ネイチャリング、ノンフィクション、BS・HD特集など、民放各局とNHKで数多くの受賞作品を手がける。

twitter(熱海 鋼一) @QxOVOr1ASOynX8n

熱海鋼一著『ジョン・フォードを知らないなんて シネマとアメリカと20世紀』(2010年、風人社、3000円+税)

もくじ
https://www.fujinsha.co.jp/hontoni/wp-content/uploads/2017/07/fordmokuji.pdf

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