荏田宿の次となる長津田宿へ
みなさん、こんにちは。
あっという間に、朝晩の冷え込みが増してきましたが対応できていますか?!
一日のなかでの寒暖差がくせものですから、充分に気をつけてくださいね。
では、スケッチ紀行 今回からは7日目のその1。
7日目は「田奈駅」から「町田市辻」までの行程で、今回は「長津田宿」まで。
前回寄れなかったところを経由してから進みます。
*因みに、各スケッチはクリックすると拡大で見られますよ。
*ウォークマップ大山街道/田奈駅ー萬福寺ー田園風景ー田奈橋ー道祖神ー宝篋印塔ー寿光院跡ー二又の分岐点ー神鳥前川神社ー恩田大橋ー片町交差点ー片町地蔵堂ー長津田の石造物群ー長津田宿ー随流院
田園風景からR246に沿って
「田奈駅」は田園地帯にある小さな駅です。
訪れたときは既に稲刈りも終わった頃でしたが、稲穂が揺れる頃なら金色に輝く田園の光景に心癒されることでしょう。
今日は「田奈駅」からほど近いところにある「萬福寺」から。
創建年代は明らかではないそうですが、安政年間に立てられた地神塔ほか鐘楼、庚申塔などがあります。境内には花の木がたくさんあって、その開花時には良い香りが立ちこめそうです。
駅を降りて最初のスポットがお寺というのも、なかなか珍しいこと。
朝から、心落ち着くスタートとなりました。
「萬福寺」を出て、田園の中を進みます。
しばしのんびりと、この光景を楽しみましょう。空も大きく感じますよ。
露地販売も見えてきました。柿やさつまいもなど秋の味覚が並んでいます。
私の住む世田谷も、まだ都市農家が残り所々に露地販売があります。近隣の販売所を一回りするといろいろな採れたて新鮮野菜がゲットできます。
胸深く深呼吸をして、気持ちよく先へと足を進めましょう。
暫く行くと恩田川に架かる「田奈橋」が見えてきます。
恩田川は町田市や横浜市を流れる一級河川で、鶴見川水系の大きな支流です。町田市を流れるところは桜の名所にもなっていて、毎年多くの方々が川沿いの桜を楽しみます。
ここで、前回立ち寄れなかった所へ回ります。コースとしては少々後戻りするようなカタチですが、少し高架になっているR246方面へ向かいます。
そのR246を逆行して直ぐ左に入る露地の際に供養塔道標でもある「道祖神」があります。
ブロックに囲まれながら立派に立っていますが、刻まれた字は判読が難しい状態でした。
「道祖神」の先、坂をあがってほぼ真向かいにあるのが「宝篋印塔」と「寿光院跡」です。
新しく環境を整え直したようで、きれいに並んでいますが、1573年(元亀4)に在銘され2基は完全な形で保存されているのだそうです。
この前の坂(旧大山街道)は当時“石塔坂”と呼ばれていたのも、たくさんの宝篋印塔に因んでということでしょう。
また、「寿光院跡」には歴代僧侶の名を記したお墓があります。その先にある「二又の分岐点」を行けば、「田奈駅」へと向かいます。
さぁ、もうひとつ寄れなかった「神鳥前川神社」(しとどまえかわじんじゃ)へ行くとしましょう。
前回ご案内した「榎田橋」は“しらとり川”に架かる橋。 本書「ホントに歩く大山街道」にありますが、このしらとりが「神鳥前川神社」に由来するのだそうです。
読み方が難しいことから、昔から神鳥とされてきた白鳥に変えた・・・とか、祭神が日本武尊のため白鳥伝説に因んで名付けた・・・とか言われているとあります。
確かにこの読み方は難しいですよねぇ。
「神鳥前川神社」へ行くには、R246を越えなければなりません。先ほどの「道祖神」へR246を上がる手前、バス停“下恩田”の先にR246を越える“下恩田の歩道トンネル”があるので、そこを通りましょう。
結構薄暗いトンネルはゾクッとしますが、大丈夫大丈夫!
こういったトンネル道にはたいてい壁画があるのですが、ここもその例外にあらず。
谷本中学校の生徒たちが描いた作品が壁面を覆います。
このトンネルを出て右側にかつては「恩田茶屋」があったそうですが、今はなにも残っていません。けれど、渡辺崋山の「游相日記」にも登場しますので確かに存在していたことになります。
見てみたかったぁ!
そのまま140号線を進むと、お目当ての「神鳥前川神社」が見えてきます。
田奈・青葉台の総鎮守の「神鳥前川神社」。武蔵国桝杉城主・稲毛三郎重成によって1187年(文治3)創建されました。由緒には、重成は敬神の念が篤く、所領稲毛に稲荷社を建立するとともに霊的な夢のお告げを受け武神日本武尊やその妃弟橘比売命(オトタチバナヒメノミコト)をご祭神として祠を建て白
鳥前川神社と名付けたと言い伝えられているとあります。
白鳥は日本武尊が神霊化され白鳥になったこと、前川は神城の真下を鶴見川支流の恩田川が流れ弟橘比売命入水の故事に重ねて名付けられたものが、いつの頃よりか白鳥が転じて神鳥と書くようになり「しとど」または「しととり」と読むようになって今日に至る・・・そうです。
あまりにも変わった名前の神社でしたので由緒を深く読んでしまいました。
さて、また元の街道へ戻るとしましょう。
恩田川を越える「恩田大橋」を渡り、R246をそのまま先へと行きます。
やはりこの道は歩くには考えものですね。街道というイメージはまずありませんが、少し行くと右斜めに入る「片町交差点」に着きます。
ここからまた街道らしい道になり「長津田宿」ももう直ぐ。
いよいよ「長津田宿」へ
ここの斜め道(旧道)を行き、JR横浜線のガード・・・これが実に古い感じの石積みで、今回スケッチには描きませんでしたが、なかなか味わい深いものでした!・・・をくぐって進むと、ちょっと楽しい建物が見えてきます。
「beatnik」とかわいいロゴとお洒落なラインアート・・・ニューヨークの街でしょうか・・・が目を惹きます。ここはMUSIC LABOで相当な腕前の講師も揃ってレッスンをしているようです。
大人のためのハイ・ソサエティなLABとあるので、なんだかカッコイイですね!
ちょうどY字路のところに二体のお地蔵さんに出会いますが、これが「片町地蔵堂」。
台石には“向テ右かな川 みぞノ口” “南かな川 東江戸道”とあります。
こういったお地蔵さんは、たいていまちの人たちによって守られキレイにお掃除も行き届き、お花が供えてあったりします。よだれかけも、何年か毎に換えているのでしょうね。
そして更に歩みを進めると“長津田十景”にもなっている長津田宿常夜灯を含む「石造物群」。
「常夜灯」は暗い夜道を照らすために大山講中が建てたとされています。
インパクトのある「石造物群」は地神塔や庚申塔、馬頭観音など、ひとつひとつよく見ていくとなかなかのものが揃っています。
「長津田宿」は「荏田宿」とともに江戸時代初期に宿駅に指定されました。
戦国時代から江戸末期まで旗本・岡野家の知行が続き、江戸時代末には旅籠や飯屋、かご屋などが軒を並べる賑やかな宿場町でした。
また大山街道と東海道神奈川宿、甲州道中八王子宿を結ぶ「神奈川道」が交差する要衝の地でもありました。継立場の役割をもち、かつては養蚕が盛んで栄えていたそうですが 、1953年(昭和28)の大火と現代の2002年(平成14)から開始された道路整備によって宿場町の面影は殆ど消えてしまったようです。
少し歩けば、まだ古い感じの家屋が残っていたりしていますが、ここにも音楽に関する建物をみつけました。
「音楽館セレレム」といって、ピアノをかたどったかわいい看板が楽しげです。
こちらは、世代を超えて楽しめる文化活動を発信する場として、音楽スタジオはもちろんのことコンサートサロンやリサイタルほか結婚式、ヨガ、演劇の稽古など多目的スペースとして利用できます。
せっかくですから、「大山街道・長津田宿」なんて講演をどなたかやりませんか?!
「音楽館セレレム」を過ぎて路地を入った奥に曹洞宗「随流院」があります。ちょっとわかりにくく、実は建物もなにやらモダンに改装されて、ん?これでしょうか・・・と悩んでしまいます。
人もいないので尚更ですが、ちゃんとお参りはできますので訪ねてみてください。
3階に本動観音堂があります。現代はお寺も様変わり?!ですねぇ。
「随流院」に入る路地の先には「駅南口入口」の交差点で、右へ曲がれば「長津田駅」になります。
さて、今日ご案内終点の「長津田宿」に入ったところで、旅籠について少々寄り道してみましょう。
旅籠には朝晩の食事付きの宿屋(店によっては昼食の弁当を出す)と、もう一つ 薪を買って自炊をする木賃宿というのもありました(米持参)。
宿泊費は上等の旅籠ですと最高で300文(約3000円)くらいから一番安いところで100文(約1000円)。
木賃宿は薪代を別として50〜60文(約500〜600円)くらいだったようです。いわゆる素泊まり価格ですね。
旅人は宿場以外での宿泊が禁止されていたらしいので、早立ちをして明るいうちに宿場へ到着することが必須だったとか。いやいや旅も大変なものです。
そして、夕飯はだいたい一汁三菜で飯・汁・香の物のほか焼魚か煮魚・野菜類の煮物というのが標準的な献立だったそうで、これが私たちの日常的食事の原型となっています!!
今の旅館での夕食は、あれもこれもと盛りだくさん過ぎる相当なご馳走三昧ですが、質素とはいえ貴重な夕ご飯を楽しく味わったのではないでしょうか。
先にも書いたように、昼食の弁当を出す旅籠もあったそうですが、持参の弁当箱ににぎりめしなどを詰めて貰うことも。弁当がなければ、街道沿いにある茶屋を利用していました。
弁当には昔から柳行李が重宝されました。私が使う弁当箱もこれ。蒸れずにいいんですよねぇ。
また塗の輪っぱも使いますけれど、どちらも保存にはなかなかよい素材です。
道中弁当には、籠弁当とも呼ばれた本体が三段に分かれる漆塗りのブリキ製弁当箱もあったようです。
これは、なかなかのボリューム!ブリキ製だからか名前が“ぶりぶり”とは、
なんだか可愛いです!
また、携帯食として乾飯と呼ばれる“糒”(ほしい)を袋にいれて持ち歩くこともしたそうです。これは水や湯でふやかしていただくのだそうです!
それから、旅籠では遊女的な行為をする「飯盛女」がいる飯盛旅籠と、いない平旅籠の2種類あったそうで、飯盛女は客引きも行っていたのだそうです。このような行為を嫌がったり、そこまで金銭に余裕がないなどの旅人が安心して泊まれる宿を求め、それに応えたのが旅籠組合・浪花講でした。
後にこういうシステムが多くの人に受け入れられ、他の旅籠組合ができて良心的な営業をしたことから、江戸時代空前の旅ブームを呼んだらしいですよ。
次回スケッチ紀行は7日目のその2。
またアップダウンもありますが、いよいよ町田市へと入っていきます。お楽しみに!
みなさんのご意見・ご感想もお待ちしています。
岡本和泉/Izumi Okamoto
さまざまな「デザイン」を通して、社会や地域、環境、食、観光、ものづくり、文化などをつなぎ 新たな展開をするプロデューサー&クリエイター。 2015年からは”暮らしのデザイン”の一部として、地域に密着し日々の楽しさを広げる 地域独自のイベントや企画、地域活動も手掛け、長年住む世田谷の文化や知的資源、 自然を活かした地域ツーリズムなども多く開催している。
http://www.imincosmos.com https://www.facebook.com/Setayui/
2022年8月、新たに合同会社Produce any Colour TaIZを設立。従来の企画デザインやプロデュース業などに加え、画像技術による画像処理分野に手を広げ、文化財や古い写真の修復・保存、天文写真再現、画像技術開発、講座なども展開する。
https://taiz.jp
【参考図書】
中平龍二郎著『ホントに歩く大山街道』(2007年、風人社)
改訂新版ウォークマップ『ホントに歩く大山街道』(2021年、風人社)
中平龍二郎+編集部著『キャーッ! 大山街道!!』(2011年、風人社)