2023年のジョン・フォード没後50年に合わせ、ジョン・フォード関連の話題が多くなってきています。『ジョン・フォードを知らないなんて』(2010年、風人社)の著者、熱海鋼一さんにその魅力を語っていただきました。

今回は、その第9回目です。
※赤字「」は映画作品名

熱海鋼一 ジョン・ウェイン

ジョン・フォード復活9 「捜索者・The Searchers 」2 映画史を飾る

「捜索者」(1956)は、前項(8)で述べたように、封切り当時、誰にもほとんど気づかれなかったが、その後の映画に大きな影響を与えるポストモダンの先駆的映画だった。

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「捜索者」の背景となった西部開拓のフロンティアは、もともとインディアンが住んでいた大地を略奪し領土を広げるアメリカ騎兵隊と、土地を奪われ家族を虐殺された生き残りのインディアンとの、戦場であった。そこに住むパイオニアの開拓民にとって、インディアンは野蛮な敵、いつ襲ってくるのか分からない恐怖の異人種でしかなく、襲われればまず自衛で戦うしかなかった。

テキサスに住むマーサが家の玄関のドアを開けると、荒野が広がり映画が始まる。そこに暴力の偶像であるイーサン(ジョン・ウエイン)が現れる。マーサはコマンチ族に虐殺されるが、イーサンはコマンチ族に拉致されたマーサの娘デビーを助け出すため、異文明のインディアンテリトリーに分け入り、捜索を続ける。

そしてラスト、イーサンは拉致されたデビー(ナタリー・ウッド)を救い出し、迎えたジョギンソン夫婦は彼女を自分の家のドアの中へと抱えて入る。イーサンと捜索を共にしたマーティン(ジェフリー・ハンター)も婚約者ローリー(ヴェラ・マイルズ)とドアをくぐり家に入るが、イーサンは入らずに荒野へと去ってゆく。その孤独な姿を捉えドアが閉じられると、画面は暗闇になり映画は終わる。

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この映画の肝となるポイントの一つ目は、前回述べたように、デビーを拉致したコマンチを追うイーサンも、拉致したスカー酋長も、家族を、片やインディアンに、片や騎兵隊(白人)に虐殺され、その復讐に燃え、憎悪を募らせ、暴力に生きる同類の人間であることだ。報復においては、敵も味方も表裏一体。正義も悪も立場が変われば入れかわることを示し、作品に複雑な奥行を作った。

二つ目のポイントは、この映画に出て来る白人は殆ど、恐怖の対象であるインディアンへの敵意が根底にあり、今で言う差別主義者だということだ。イーサンを筆頭に、ローリーはデビー救出にむかうインディアンとの混血のマーティンに“インディアンと交わったデビーは殺すべきだ”と言い放つ。この日常的なシチュエーションが、作品に当時のフロンティアの現実を蘇らせた。

そして第三のポイントは、ミセス・ジョギンソンが抱く普遍的な希望、「いつか」「いつの日か」争いがなくなり平和な生活が出来る日が必ず来るという信念。それが、開拓民たちが協力し合いながら、様々な苦難を乗り越える支えとなっていることだ。これにより、作品に自由の国・アメリカの夢を縫い込んだ。
「いつの日か」と未来へ託す思いは、フォードがアメリカに抱くオプティミズムだろう。

こうした三つのポイントが絡み合い、矛盾に満ちたアメリカの姿を浮かびあがらせ、「捜索者」は、アメリカそのものの原風景を暗喩することになったと思う。
ファーストカットとエンドカットが連関することで、映画の含みが豊かになった。閉じたドアが再び開くと、イーサンという暴力の偶像が現われ、敵と闘い、自由が守られ、希望を目指す。この繰り返しが強いアメリカそのものなのだ。

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前回紹介したフランクルの著作『捜索者』に、この映画の元となった実話が詳しく書かれている。シンシア・アン・パーカー(1827~1865)は、コマンチに家族が目の前で惨殺され、9歳で拉致された。何度かの叔父たちによる奪還は失敗し、その間、彼女は戦士の妻となり子供を三人生んだ。24年後に助け出され、白人の住む郷里へ戻るが、偏見にさらされて惨めな人生を送った、と記されている。

フォードは、当時すでに西部開拓の神話となっていたシンシア・アンの物語にある、人種差別による悲劇を暗示するために、ドアのこちら側、家族の住む家を闇で閉じたのではないかと思う。救出されたデビーが帰還後、偏見の目で見られる不安を残す、ハッピーエンドではないニュアンスがその闇にあるからだ。

フォードが後に作る「馬上の二人」(1961)では、拉致された女性を助けだすが、騎兵隊に預けられてあからさまな偏見を受ける。彼女はついに感情をあらわにする。“インディアンの方が優しく受け入れてくれた”と。シンシア・アンも新聞記者にそう語ったが全く無視され、彼女はますます孤独になったという。

フォードはまた「シャイアン」(1964)で、インディアンが野蛮な敵だと喧伝し、全国に差別を煽ったのは新聞であったと描いている。

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「捜索者」は現在、欧米での評価は高いが、日本はそれほどでもない。多分、この作品がフォードがよく描いてきたフロンティア賛歌ではなく、拉致という重いテーマを扱い、全体が張り詰めた語り口で、いわゆる西部劇の痛快な面白さに欠けているからだろうか。フォード作品にいつも期待していた優しさに欠け、戸惑う評論家が多かった。近頃では、インディアンを悪者にして白人優位を描いた、差別主義の映画だと見る人もいる。しかし、これは短絡的な見方だ。

今となれば、インディアンが優れた文明を持っていた民族と分かっているのだから、この映画を今作るなら、ケビン・コスナーの「ダンス・ウイズ・ウルブス」(1990)のように、彼らの高度な文化を描くシーンが挿入されるだろう。ナバホ族を信頼していたフォードも、そうするだろう。

でも、誤解してはいけないのは、西部開拓を担う白人たちにとって、“ようやく手に入れた自分の土地を侵害し、自分たちを殺害するインディアンは獰猛な敵だ”という意識を持ち、それを人種差別とは思っていなかったことだ。かつ、背景には、植民地支配や奴隷制を正当化する為に作られた、“有色人種は白人より劣等”という思想が強烈にはびこっていた。今尚、人々はその差別意識に惑わされているが、インディアンを閉じ込めた居留地には、キリスト教会が建てられ、彼らの文化を否定していった。

今ならインディアン迫害を偏見、差別と弾劾できるし、彼らの大地を略奪したのは白人だと断言できる。しかし、映画が作られた年代も含め、その時代の認識やモラルが、現在と違っていたことを理解しないと、その時代の人々の生き方や考え方の真実、即ち人の歴史を見誤ることになると思う。
「捜索者」は、フロンティアの現実を見つめアメリカの暗部を炙り出した。

ちなみに、インディアンの復権は黒人の公民権運動を追うように、1960年代になってから始まった。彼らこそネイティブアメリカン。インディアン(インド人)と言われたのは、北アメリカ大陸を発見した当時、そこを新大陸と思わずアジア大陸のインドと勘違いしたからだ。この稿では、現在の慣例に従い“インディアン”を選択し、記しています。

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「捜索者」が製作・封切りされた1955~56年のアメリカは、キング牧師が公民権の声を上げ、ロックンローラー、エルヴィス・プレスリーが“ハートブレイクホテル”“ハウンドドッグ”をヒットさせていた。彼の人生を爽快かつ重層的に描いたバズ・ラーマンの「エルヴィス」(2022)によれば、白人団体が“プレスリーの音楽のリズムも、身を振るわす歌い方も、黒人の物真似だ”と排斥する運動も盛んだったという。黒人と白人が結婚すると犯罪者となる“異人種間結婚禁止法”が16州でまだ残っていて、その支持者も多い時代でもあった。

まさに60~70年代の公民権運動やベトナム反戦運動やヒッピー文化の革新の息吹が疼き始めた頃だった。アメリカの歴史に関心があったフォードは60歳前後、当時でいえば老齢に属したが、その社会をどう受け止めていたのだろう。

こういう時期に作られた「捜索者」は、なぜかその時代に疼く息吹を感じ取ったかのように、時代を超え、未来を先取りすることになる。

ジョン・フォードは、前作のヘンリー・フォンダ主演の「ミスター・ロバーツ」で痛恨のミスを犯した。「怒りの葡萄」「荒野の決闘」等で、アメリカの精神的理想像を象徴する役者に育て上げたフォンダと、作品解釈で揉めた。フォードはフォンダを殴り、途中で身体を壊し、監督を降りた屈辱を抱えてほぼ1年、テレビ番組を二本作るだけだった。

ハリウッドで4回もアカデミー監督賞を得た巨匠としてのプライドを賭け、次回作は起死回生を狙ったに相違ない。「駅馬車」「騎兵隊三部作」等で、強いアメリカの偶像に育て上げたジョン・ウエインと組んで、得意とする西部劇、「捜索者」に決めた。しかも、自分がこれまで描いてきたフロンティア賛歌を否定するような、ハードなテーマに挑んだ。ハリー・ケリー・ジュニアの『ジョン・フォードの旗の下に』によると、現場は近寄りがたい緊張感に包まれていたという。

無声映画時代のハリー・ケリーの西部劇に始まり、リンカーンや世界恐慌など様々なアメリカの姿を描いてきたフォードのことだ。拉致されたシンシア・アンの実話にイマジネーションを膨らませ、トップとラストのドアのシーンを新たに撮影したように、シナリオを現場で変えながら、アメリカの深部へと分け入ることになったのだろう。
フォードは、そんな大それたことを思ったことはないと言うだろうが・・・。

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封切り後、「捜索者」をいち早く認めたジャン=リュック・ゴダールは、後に彼の作品の中でも最も過激に文明破壊する「ウイークエンド」(1967)で、ゲリラ集団の1つに“捜索者”という名を設定、彼らが交信する相手がなんと“戦艦ポチョムキン”というゲリラ。この二作を選ぶゴダールのセンス、「捜索者」は映像美学の白眉で、片やエイゼン・シュタインの「戦艦ポチョムキン」(1925)は映像編集モンタージュの白眉、この捉え方は「ゴダールの映画史」(1998)を予見していると思う。

デヴィッド・リーンは「アラビアのロレンス」(1962)を作るにあたり、「捜索者」を参考に見たという。あの壮大な砂漠の描写や大砂埃のモチーフは、モニュメント・ヴァレーの描写にインスピレイションを得ただろう。

「捜索者」のモニュメント・ヴァレーはフォードの5回目のロケだが、とりわけ美しく陰影に富んでいる。撮影はウイントン・C・ホック、フォードと組んだ「黄色いリボン」「静かなる男」でアカデミー撮影賞を得ている。

当時は全くの辺境の地だったが、今やCMでも盛んに目にして、まさにアメリカの西部開拓の原風景を行くような観光地となっている。モニュメント・ヴァレーのフォードにまつわる話は次回に廻すことにしよう。

ここで、この項1( ジョン・フォード復活8)の冒頭に戻ろう。「捜索者」を観た10代の少年たちが、20年後に映画史を飾る傑作群をつくることになる。

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マーティン・スコセッシは、「タクシードライバー」(1976)を作る。まさに「捜索者」の申し子のような映画だ。シナリオを書いたポール・シュレイダーは「捜索者」を意識したと語っている。日常の中の異文化であるギャングに拉致された少女を、命を賭して救い出すタクシードライバー。ここに描かれた暴力の信義は、「捜索者」同様アメリカの姿を映している。

スティーブン・スピルバーグは、「未知との遭遇」(1977)を作る。謎に導かれ捜索した先にはUFOの宇宙基地がある。まさに異文明との遭遇である。拉致された行方不明の兵士や子供らが、宇宙船から降りて来る。ここでは衝突は避けられ、融合が図られる。

ジョージ・ルーカスは、「スター・ウォーズ4・新たな希望」(1977)を作る。最初につくられたスター・ウォーズだが、隠れ住んでいた伝説のジェダイ、オビ・ワン・ケノービに遭遇した青年のルーク・スカイウォーカーが、家に戻ると育ての親の叔父も叔母も惨殺され、農場ごと焼かれ、居場所を失ってしまう。彼がジェダイとなる壮大な旅に出る決意をする重大なシーンは、「捜索者」でマーサの家が焼かれ、家族が惨殺され、イーサンが復讐を誓うシーンのオマージュとして描かれた。

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マイケル・チミノは「ディア・ハンター」(1978)、フランシス・フォード・コッポラは「地獄の黙示禄」(1979)を作る。両作はベトナム戦争を題材として、主人公はコンラッドの『闇の奥』のように、彼らにとってアジアという不可解な未知の世界に迷い込み、片やロシアンルーレットの迷宮へ、片やジャングルに独立国を作った狂気のカーツ大佐を探り当てる。「捜索者」と同様に、異文明と衝突する暴力の残酷な恐怖を描き出している。

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これらの監督の中で一人だけが、ジョン・フォードと会っている。スピルバーグだ。

自身の映画愛に満ちた青春と苦悩する家族を描いた自伝的作品、「フェイブルマンズ」(2022)のラスト前のシーンに、ジョン・フォードとの出会いが描かれている。

緊張して巨匠の部屋に案内された青年(スピルバーグ)、部屋を見渡すとフォードの名作のポスターの数々が貼られている。カメラはそれらをゆっくりとパンニングすると、同時に「捜索者」の音楽“イーサンの帰還”が流れる。

突然ドアが激しく開くと、フォードが入って来る。多分「シャイアン」を企画中の頃だ。余りにそっくりな姿に本人かと見まちがうほどだ。演じているのは、「イレーザー・ヘッド」「ブルーベルベット」などでカルトの帝王と呼ばれたデビッド・リンチだ。椅子に座ると大好きな葉巻に火をつける。

“あの写真を見ろ”と、突然青年に言う。その写真は「捜索者」のワンカットだ。青年はオドオドして写真の説明を始める。“違う!どこに地平線があるか?”・・・フォードは画作りの基本として、画面のどこに地平を置くかの重要性を、映画監督を目指す青年に示唆する。

フォードファンならずともワクワクするシーンだ。スピルバーグが、やがて巨匠と言われるスタートラインが引かれたシーンだからだ。

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「捜索者」についてフォードは、フォード研究の第一人者ピーター・ボグドノヴィッチのインタビュ―に、“孤独な男の悲劇”を描いたと答えている。その孤独の深淵にアメリカの原風景が映っていたのだ。しかも、なんとも圧倒的に美しい映像で語られる。まさしくジョン・フォードだ。

「捜索者」が描いたアメリカは現代のアメリカをも暗喩し、時代を経て稀有な存在の映画と評価されていった。

熱海鋼一記 

熱海鋼一(あつみ・こういち)

1939年生まれ。慶応義塾大学経済学部卒。映画・テレビのドキュメンタリー編集・フリー。 「The Art of Killing 永遠なる武道」(マイアミ国際映画祭最優秀編集賞)、「矢沢永吉RUN & RUN」「E. YAZAWA ROCK」、「奈緒ちゃん」(文化庁優秀映画賞・毎日映画コンクール賞)、「浩は碧い空を見た」(国際赤十字賞)また「開高健モンゴル・巨大魚シリーズ」(郵政大臣賞、ギャラクシー賞)、「くじらびと」(日本映画批評家大賞)、ネイチャリング、ノンフィクション、BS・HD特集など、民放各局とNHKで数多くの受賞作品を手がける。

twitter(熱海 鋼一) @QxOVOr1ASOynX8n

熱海鋼一著『ジョン・フォードを知らないなんて シネマとアメリカと20世紀』(2010年、風人社、3000円+税)

もくじ
https://www.fujinsha.co.jp/hontoni/wp-content/uploads/2017/07/fordmokuji.pdf

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