このページでは、弊社からの連絡や情報提供、また、会員の方からいただいたお便りや情報から、整理して(若干の修正も)転載させていただきます。
ぜひ、旅のお便り、ご意見や近況、情報提供など、お寄せください。(下記ボタン)
※画像が添付できるようになりました。街道歩きのときのお写真など、臨場感が伝わりますのでぜひお送り下さい(3点まで、jpeg形式、1点の上限1メガバイト)。
240 東海道の通行止めに関する最近の話 薩埵峠と菊川(2023年5月現在)
またまた、東海道の通行止めに関する最近の話です。
1枚目は薩?峠。撮影日2023年5月1日。
2枚目は薩?峠からの富士山です。
通行止め情報2件目。菊川の間の宿。
バイパス道工事にて、本来の階段の道を進めず。う回路を指示されていました。
何れも2023年5月5日です。
1枚目が最初に出た迂回指示。この通りにここの路地へ入ればそのまま進めます。
が、敢えて正しい東海道を進むと……。写真
2枚目。菊川会館があり、ここは菊川宿の様々が書いてあります。
これらの他にも、迂回すると見れない「シャッターに書かれた浮世絵 槍鍛冶」や「四郡境碑」等。
ちょっと回り道をして、見て戻るのも?写真
3枚目は、地図通り行ける限界点。ここから工事現場。
階段を上って進めませんが、戻る形で舗装道を左へ下ると、元の迂回路に合流出来ます。写真
今回は7日連続で、第7集(MAP27)掛川まで。地図に助けられました。(東海道だけで120Km以上、助かります)
1点、これは諸般の事情によるところかと思いますが、草薙駅前の1号線と東海道の分岐箇所が、Google MAPと別の人のデジタル東海道図、市が示す松の絵タイル表示、そして御社の地図と食い違いがあるので、その点を付記しておきます。
下記URLはGoogle MAP Street Viewで歩道の松(緑のブロック)をアップにしましたが、図柄は見えませんね。(写真を撮ってないのです、すみません)
図は江戸から歩いてくると、矢印が左折を指示しています。(草薙駅前交差点)
239 東海道の通行止めに関する最近の話1(薩埵峠)
またまた、東海道の通行止めに関する最近の話です。
1枚目は薩?峠。撮影日2023年5月1日。
2枚目は薩?峠からの富士山です。もう一点、菊川のバイパス道工事に伴う通行止めがありますが、画像の都合でもう一通別にします。(№240へ)
あっこ 0506
238 老眼鏡でしっかり地図読み
旧東海道を歩いています。昨年秋に日本橋スタートして、土曜日、日曜日、祭日の晴れた日に20キロくらいずつ歩きました。先月は小田原から芦ノ湖まで歩き、次は芦ノ湖から三島を目指します。
ホントに歩く東海道を片手に歩いていますが、文字が小さくて重要ポイント見逃してしまうことがあります。老眼鏡を首からかける紐を買ったので、次回の旅はしっかりと情報逃さないように歩きます。マコト 23.5.1
(FuOH)晴れた日に、景色や季節を楽しみながら歩いてください。まだこれから先は長いので、いろんな場面に遭遇する楽しみがありますね。
字が小さくて、ご苦労をおかけします。ここはというところは、強力ツールの首掛け老眼鏡で、興味薄いところは端折って飛ばすアクセントをつけられるのも方法です。時には、寄り道もお楽しみください。
237「ホントに歩く東海道」、ようやく15集に「ホントに歩く東海道」、ようやく15集に来ました。
退職を機に何かやり続けていくことはと思い、夫婦で2016年6月から日本橋をスタート。いよいよ京都が見えてきました。今月草津宿/本陣に入りました。「ホントに歩く東海道」には、ホンとに助かっています。ありがとうございます。
途中、箱根を目指していたところ、富士山の姿に感激し、富士山一周歩き(≒170km)を始めてしまい、他にも事情があり、約2年は東海道を休んでいましたが、2018年から再び東海道歩きはじめ、駿河、遠江、三河、尾張を過ぎ、伊勢(関宿)から鈴鹿峠を越えて、近江の国に入りました。すべて日帰りです。茅ケ崎に住んでいますが、自宅から三島から浜松/新居までの区間は車で往復、三河の国からは新幹線を使い、豊橋・名古屋そして京都と往復してきました。
来月、京都を目指し53次を完歩です。完歩したらまた報告します。蓬莱橋 23.4.26
(FuOH)完歩目の前、おめでとうございます。まもなく、ほんとうの拍手、おめでとうですね。2016年からですから、感慨ひとしおでしょう。途中の富士山一周歩きもよかったですね。
「すべて日帰りも」もすごい。途中、厳しい行程もあったでしょう。ご報告を楽しみにお待ちしております。ご健脚、いいゴールをお祈り申し上げております。
236 娘との東海道、大坂までの五十七次も
娘との東海道五十三次を長年の街道歩きの集大成と考えていたのですが、折角ならと、大坂までの東海道も歩くことにしました。この区間は一度歩いてますが、娘と歩くと新鮮ですね。子供の視点には毎度驚くことばかりで楽しい道中になりました。
写真はスタート地点の髭茶屋追分。道標があるのですが、2年前に東海道を歩いた時の写真を見ると、前は蓮如の如の文字の場所が頭だったのに、今は道標の背丈と同じぐらいで、思いがけず道標を物差しに娘の成長を実感した次第です。 いつかまたここを通った時も写真を撮ってみようと思います。〜旅と街道歩きブログ〜 https://borabora.seesaa.net/
にゃおすけ 23.3.15
(FuOH)いつもお便り、ありがとうございます。ブログでのご活躍の記録、多くの方の参考になっていることでしょう。情報の交換も多くあることでしょうね。 娘さんとの旅やイベントを楽しまれていることも、楽しい記録ですね。これからもますます、新しい体験に挑戦していってください。お便り、また、お待ちしています。
235 箱根越え、通行止めなど現況報告(2023年2月)
この土日で箱根峠を越えました。
無事達者だったのも貴社の地図のお陰です。
土曜に峠まで、日曜に峠からと、登り下りましたが、その時現地のガイドさんに教わったので地図情報になるか?と。現在、箱根峠より接待茶屋までの区間が、先の悪天候により崩落通行止めでした。
また、地図ではその先のいくつかが、以前の悪天候による通行止めになっていますが、これらは全て開通してました。
それと、土曜午後は霙(みぞれ)となり、箱根峠迄にしましたが、天候によらず、石畳はゴム底の現代の靴と相性が悪いと知りました。
草鞋のような吸い込む物は良いのかも知れませんが、運動靴は帰って苔や濡れた石で足を取られるのですね。歩かないとなかなかわからない事でした。箱根峠越えの時、通行止め情報がもう一つ。
極力、旧東海道(古ではなく旧を選んでいます)を歩く事にしてまして、箱根湯本から芦ノ湖湖畔に向けて、湖畔手前「権現坂の赤い鳥居からケンペル&バーニー記念碑手前の坂道位まで」が工事中で通行止め、国道1号線への迂回指示でした。P.S.
三月は主人の出張が四日市なので、桑名付近を少し飛ばして歩いておこうという事に…。
早速12・13集を手配しました。この地図があって本当にありがたい事です。あっこ 23.2.28
(こ)箱根越え、お疲れさまでした。また、弊社のマップで歩いてくださり、感謝申し上げます。
箱根峠はだいぶ以前から、茨ヶ平からの兜石坂(「ホントに歩く東海道」第3集 №13mapA)が通行止めになっていると読者から教えていただいており、また昨年秋に、私自身も確認に行きました。ラウンジにアップしなくてはと思いつつ、まだできておらず申し訳ないと思っておりました。
このたびは貴重な情報をありがとうございました。2月にお便り頂いておりましたが、アップが遅くなりました。
お写真に雪も見えて、少し大変な箱根峠でしたね。
この先の東海道も、どうぞお気を付けて道中お楽しみください。お便りもお待ちしております!
234 レポート「街道を行く 中山道・東海道 上りあげて」
「ホントに歩くフォーラム」ラウンジページを更新しました。ひいちゃんさん(ラウンジ№232「東海道53次の完歩とその事情」)が、完歩された東海道と中山道の一人旅の記録をお寄せくださいました。東海道は、弊社のマップ「ホントに歩く東海道」で歩いてくださっています。渋川地名研究会で報告発表されたレポートで、最後の行程表が圧巻です。2001から2016年までの記録、たいへん感慨深く拝見いたしました。
東海道、中山道を歩かれる方に役立つと思います。ありがとうございました。「街道を行く 中山道・東海道 上りあげて」
https://www.fujinsha.co.jp/lg-234-hi/
233 「謎解き」柏尾通り大山道を歩きました
冬の好天の下、柏尾通り大山道を歩きました。戸塚区柏尾〜伊勢原市下糟屋の約25キロ、2日間です。
3年前、旧東海道を歩いた際、戸塚宿手前にある大山道への入口案内が気になりました。どうしてこんなに遠くから大山を目指したのだろうか、と。現代のご先導師、貴社書籍『キャーッ! 大山街道!!(中平龍二郎著)』のお陰で少し謎解きできました。
東海道の戸塚から分岐して伊勢原の大山道(青山道)に合流する道、自分は横浜・川崎に40年住んでいるのに、初めて訪ねる場所ばかりでした。旧道は石造物(道標、庚申塔、道祖神等)が多く残り、歴史を感じさせます。
県央部の相模原台地を、河川によりつくられた河岸段丘を何回も越えながら西へ進む。東から順に、JR東海道線、阿久和川、和泉川、相鉄いずみ野線、境川、小田急江ノ島線、引地川、東海道新幹線、目久尻川、JR相模線、相模川、渋田川、小田急小田原線を越える。
旧道沿いの丘陵地は生産緑地が多いため空が広く、とてもゆったりとした気分で歩くことができました。江戸時代に大山参詣者で賑わったと言うのが頷ける道でした。次は平塚、藤沢からの謎解きに向かいます。
あつお 23.1.27
(FuOH)弊社の書籍・マップで、東海道から分岐する大山道を歩いていただいて、とても嬉しいです。『ホントに歩く大山街道』を出したときは、「赤坂道だけが大山街道」と思っていたとんでもない無知から、まず、東海道からいくつも分岐する大山道の本を作ろうと、現地調査を続けました。
『ホントに歩く大山街道』は、予想を超えた売れ行きになったのですが、『キャーッ! 大山街道!!』は、どうしたの? といぶかるほどの売れ行き不振です。
しかし、歩くと実感されたと思いますが、いい道ですよね。距離も、それほど長くなく、大山や富士山も、道中望めます。
ぜひ、お楽しみくださり、またのお便りをお待ちしています。(こ)送っていただいた用田橋近くの写真(藤沢と海老名市境付近)が、石造物は見覚えがあるものの、どこなのかわからずお聞きしたところ、あつおさんが別の写真を送ってくれました。寿閑寺の坂の下だとわかりました。
『キャーッ! 大山街道!!』の48頁の写真の場所です(2010年当時)。著者の中平龍二郎さんと弊社社長がのぞき込んでいる馬頭観音道標は住宅の間にありましたが、今は本郷ふれあい公園になっています。道標以外の石造物もあつめられているようです。だいぶ変わりましたね。
232 「東海道53次」完歩とその事情
20年前、退職を機に中山道(江戸→京都)、東海道(江戸→京都)をすこしずつ日程をきざみながらの完歩しました。まだ、貴社のシリーズが発刊される前でしたので、児玉幸多先生が監修した講談社本を頼りに、ひとり旅をしました。地域の郷土史仲間にも発表し、報告できました。
後日、「ホントに歩くシリーズ」が刊行していることを知り、購入した次第です。時々紐解いて思い出しています。昨年は 佐屋街道をあるくことができました。
健康であれば、また、「ホントに歩くシリーズ」を活用して街道歩きを楽しみ、見聞を広めていきたいと思っています。このたび、東海道53次の完歩証を申込みます。
1.自治会の役員や高齢者施設のボランティアをしていたので、旅程を調節した。そのため期間が長くなってしまった。
2.ひとり旅を原則としたが、箱根峠と大津〜京・三条は仲間が同伴した。
3.鉄道を利用して、自家用車・バスには乗らないことにした。宿間でも、駅・宿泊施設の位置により戻ったこともある。
4.宮〜桑名の「七里の渡し」は船便がないので、未踏破だった。ただし、昨年、佐屋街道を完歩した。いつかは船で渡ってみたいと思っている。(情報があれば教えてほしい)
5.中山道は2001年5月〜2009年3月、仕事の合間を縫って完歩している。
6.2016年11月13日に渋川地名研究会の仲間に報告した。「街道を行く」〜中山道・東海道を上りあげて〜を表題とした。必要があれば発表史料・プレゼンテーションは公開できる。ひいちゃん 23.1.10
(FuOH)完歩証のお申込、ありがとうございます。完歩、おめでとうございます。
そして、「街道を行く」報告発表もなされてよかったですね。佐屋街道も踏破とのこと、こだわりがありますね。
弊社でも、2015年におおぜきさんという、桑名市の釣り船屋さんの渡し船をチャーターして七里の渡しを渡るイベントを開催したのですが、強風で直前に中止とし、大変残念でした。
実現されたましたら、またお便りください。※補足(風人社編集部)
4.宮〜桑名の「七里の渡し」について
「堀川まちネット」さんという団体が渡し船(クルーズ船)を運航しています。https://horikawamachi.net/tokaido.html
2023年の予定はまだ出ていないようですが、こちらは利用されている方が多いです。
桑名市の釣り船屋おおぜきさん
HPがありますので、問いあわせてみてください。
http://www.oozeki.co.jp/index.php?c=1-5上記2件については、「ホントに歩く東海道」第11集№44で、七里の渡しのルートも含め、ご紹介しております。
6.「街道を行く」〜中山道・東海道を上りあげて〜 について
当ページ(ホントに歩くラウンジ等)で、pdfなどの形で公開させていただければありがたいです歩いている方、歩こうと思っている方の参考になると思いますので、ご検討ください。
231 長崎県からは現地までが大変
長崎県在住なので現地に赴くまでが大変です。
東海道も中山道も、ごく一部またはバスツアーで行った程度です。齢75歳、何とか元気なうちに東海道や中山道、姫街道、歩き通したいと願望しております。ヒロさん 23.1.7
(FuOH)長崎からとは、すごいですね! 時間も費用も大変。それほどの意欲、モチベーションに尊敬の念を抱きます。応援したいです。無理はなさらずに、挑戦してください。ご健脚をお祈りしております。
230 今年、中山道を!
今年、中山道を歩いてみたいと思っています。
しば 23.1.2
(FuOH) お便り、ありがとうございます。中山道、歩き始めると、なかなか面白いです。順に通しても、アトランダムに好きな個所を歩いてつなぐのも面白いと思います。
とにかく、楽しんでください。お便り、お待ちしています。
229 保土ケ谷通り大山道を歩きました
こんにちは。
注文させて頂いた「キャーッ! 大山街道!!(中平龍二郎著)」が先日届きました。ワクワクしながら頁を開き、自分にとって未踏に近い神奈川県央、県南部の街道情報が満載であることに感動しました。読み進めば文献・現地調査が入念に行われ、また丁寧に編集されていることがよくわかります。汗と涙の結晶である本書がこの価格で手に入ると言うのは申し訳ないことにさえ思えます。偉大な仕事を残された中平様を偲びながら、旧東海道からの大山道を歩いてまいります。師走の青空の下、早速、大山道(保土ヶ谷道)を歩きました。
保土ヶ谷区にある東海道・八王子道追分を起点として海老名・国分寺跡までの約25キロを二日かけて歩きました。並行する相鉄線は帷子(かたびら)川沿いに緩やかに西進しますが、旧八王子道は真っ直ぐ西を目指し丘陵地を上り下りするので、ダイナミックな景観を楽しみました。三ツ境、大和と進むにつれて大山に近づくのを実感しました。富士山の位置も変わります。海老名では、前回青山道を歩いた時に拝めなかったお銀様の墓にお参りすることができました。互いの街道、宿場はこういう関係だったのかと新たに学んだ二日間でした。
あつお 22.12.28
(FuOH)ありがとうございます。このように、弊社本で歩いてくださり、そしてお便りをいただけるのは、版元としましてはこれほど嬉しいことはありません。
本書は、発行当時から売れ行きが芳しくありませんが、青山道以外の東海道から分岐する大山道の現地調査資料としては貴重なものと自負しておりますので、感謝の念はひとしおです。本書の増刷はたぶん無理ですので、歩かれなくても、もしご関心ある方がおられましたら、お求めおいてくだされば幸いです。おかげさまで、在庫が少なくなってきました。
『キャーッ! 大山街道!!』それぞれの大山道の関係ですが、目次の後の概念図のほかに、くるみカバー表紙を外して広げると大きな地図がありますので、こちらも参考にしていただければ幸いです。
海老名のお銀様も立ち寄られてよかったですね。また、別の道のご報告もお待ちしております。
228 東海道を歩いています
現在、愛知県安城市辺りを京都に向かって歩いています。
「ホントに歩く東海道53次」は、大変重宝しています。ますます 22.12.20
(FuOH)弊社マップがどんな方にどのようにお役に立っているのかは、いつも気がかりで心配しております。それで、マップを重宝していただいているというお便りは、本当に嬉しく、励みになります。ありがとうございます。道中半ば、先は長いですが、どうか新鮮な発見のある、楽しい旅をお続けください。ご健脚をお祈りしております。
227 西国三十三所巡礼のマップがほしい
いつから東海道を歩くようになったか定かではありませんが、歩きはじめた頃にはよい案内本が見当たらず、勘をたよりにすることも多々ありました。そうこうしているうちに、2001年の街道制定400周年を記念してウォーキング本が数多く出版されました。なかでも「東海道五十三次を歩く」(全5巻、1999年8月~12月、講談社SophiaBooks)は、2万5千分の1地形図を用いた有用な本で、週末になるとそれを片手に出かける日々がつづきました。 自宅から日帰りか一泊で行けるところをずいぶんと歩いた頃に、今度は同様のコンセプトで「中山道の歩き方」(全6巻、2000年11月~2001年5月、学研)が刊行され、当時は自宅が旧中山道から近かったことも相まって、そちらにシフトをするようになりました。
やがて仕事が忙しくなり、また引っ越しをしたこともあって、街道歩きからは次第に遠ざかってゆきました。 ずいぶんと経ったころ、新聞だったと記憶していますが、貴社の「ホントに歩く東海道」の広告を見て開眼。さっそく池袋のジュンク堂に赴いて第1集を買い求めました。街道歩きには必携ともいえる、しかも厚みのある本のページを開きながらでなくてもよい、そのうえ地図は1万分の1という、題名からしてまさにそのものズバリの「ホントに歩く」が刊行されはじめたのです。「ああ、あのときにこれがあればなあ」そんな気持ちを抱いたことが思い出されます(2012年の12月か、2013年の1月頃だったのではないでしょうか)。そうして再スタートを目論みながら興味のあるところを何冊か入手しましたが、相も変わらずの忙しさゆえに見たり読んだりして楽しむだけで、いまもって充分に活用(実践)できているとはいえません。
貴社のHPを拝見し、街道歩きの案内本の使いよさの裏には、それを編む方々の綿密なる調査と、並々ならぬ労力と、そして決して低廉では済まされない費用とが必須であって、そうしてはじめて「ホントに歩く」の看板に偽りのないものができあがるのだということを、あらためまして知らされた思いです。
いまは「西国三十三所(観音)」の徒歩巡礼が目標ですが、もしも満願できた折りには、その次として、いまだ完歩できていない東海道(往路)と中山道(復路)をゆきかえりに歩いて、いにしえの旅人よろしく西国をお参りしたいなどと、そんな大それた妄想も抱いています。そこでリクエストなのですが、同じようなコンセプトで「西国三十三所」を徒歩巡礼するための手引き書をご企画いただけませんでしょうか。「西国三十三所札所会」には、先達制度というものがあり、巡拝を重ねることで昇補が可能になります。昔の人たちがしたように、私も死ぬまでに一度は1000キロの道のりを踏破してみたく、そのためのよき案内書を切に求めております。
蟻の如くに歩まん 22.12.1
(FuOH)とても嬉しくありがたいお便りをいただきまして、身に余る光栄に存じます。ありがとうございました。「ホントに歩く」シリーズをご利用いただいた上で、励みになるお言葉をいただき、感謝感激でございます。
「西国三十三所(観音)」徒歩巡礼のマップ発行のリクエストをいただき、その返信に対するご返信のご丁寧なお便りをいただき、それを、上記に転載させていただきました。もともとのリクエストのお便りも、文末に転載させていただきました。 「西国三十三所巡り」をめざされるとのこと、頭がさがります。ぜひとも、満願成就されますよう、お祈り申し上げます。お申し越しの巡礼地図を弊社でこれから作成することは、正直なところ、今のところはとても困難で、せっかくの企画ご提案ながら、お応えできないのが残念です。お許しください。
1万分の1地形図で、たかが30kmの1集を作るのに、何度も複数回の現地調査を続けて3カ月以上を要しています。西国三十三所巡りの道は大変魅力的ではありますが、西国1000キロは、いまのところ、弊社のキャパシティを超えており、申し訳ありません。
ご出発なさったおりには、ぜひ、お便りください。読者の方で、ご関心ある方も大勢いらっしゃることと思います。 今後ともどうかよろしくお願い申し上げます。満願成就を心よりお祈り申し上げております。
226 日本橋で歓喜!6歳娘との東海道歩き無事に完歩!
まだまだ先と思っていた日本橋。もうこれで東海道を歩くのも最後とセンチな気分の私に対して、娘は、「ディズニー!ディズニー!」と終始ご機嫌のままゴールへ。
街道仲間の出迎えに感激したようで飛び切りの笑顔を見せておりました。その後は「ちゃらぽこ」で踏破のプレートを掲げて記念写真。ここで改めて完歩したことを実感します。思えば途中の岡崎付近の頃は「行きたくない」を連発して、一時は中止を考えたほどでしたが、自前で作った”とうかいどうスタンプラリー”でなんとか切り抜けることができました。
そのご褒美で翌日はディズニーへ。こうして娘は普通の女の子に戻ったのでした。つづく?
https://borabora.seesaa.netにゃおすけ 22.11.30
(FuOH)東海道踏破、おめでとうございます。ひとしおのご感激のことと拝察します。
記録をきちんと残されてきたことも、貴重な財産となりましたね。すばらしいと思います。多く方の応援もありましたね。そのこともよかったと思います。
完歩への拍手を惜しみなくお送りしたく思います。娘さんの大きな体験は、これからの人生にとってもかけがえのない力となって活きることでしょう。私たちも多くの勇気をいただきました。
これからも、ますます、新しいことに挑戦し続けてください!
225 大山街道再度、成瀬別道(江戸道)と豆腐坂
風人社様 お世話になっております。
ホントに歩く大山街道(中平龍二郎著)が届きました。本書はホントに名著だと思います。地理学への深い造詣、丹念な準備と現地調査、洞察力、愛情等いっぱい詰まっていて、一字一句に感動を得ながら読んでいます。自分は一度通歩いてから読むので感慨もひとしおです。どの頁でも歩いたときの情景が目に浮かびます。本書を読んだ後、再び各所を訪ねることにより、二度美味しいを狙って参ります。さて、愛甲石田から成瀬別道(江戸道)、忘れた豆腐坂を歩くツアー(^^)をして参りました。11月の快晴日は里を歩くのに最も適した季節だと思います。小学生の夏休み研究みたいで恐縮ですが、下記報告いたします。長文になりますがご容赦ください。
①愛甲石田~JAいせはら成瀬支所
前回気になっていた割地坂(日本ロジシステム)の方を歩いてみようと思いました。246の北側迂回路はある程度近い道を歩け、塚越公園から望む大山は絶景でした。ところが246を渡った南側の尾折越は商業施設、工場、宅地に阻まれ、ほとんど歩くことは不可能でした。それでも何かの痕跡ないかと、しつこく坂を上り下りしてずいぶんと時間を使いました。貴社の方々は日頃こうして作業を積み重ねていらっしゃるのいるのだろうなと思い頭が下がります。
写真のフォークリフトの所で八十歳前後の奥さんが落ち葉掃除されていたので、お稲荷様から向こうは通り抜けできますか? と尋ねたらできないとのことでした。ちょっと奥を覗かせてもらったら看板の裏にお稲荷さんがあり、フォークリフトの向こうは崖斜面、小さな歩行階段がありました。(ちょっと歩いてみたかったけど、そこまで図々しくも言えず…)ご婦人は昭和28年にこの地へ嫁入りされたらしく、この辺りの古い地理にお詳しかったです。確かに旧道はあったようですが、宅地開発等で通れなくなった。この場所に茶屋もあった。自宅に古い図面も残っていると仰っておられました。大山道の旧道探しているんです、と話したら、ずいぶん熱心ですねと感心されてしまいました(^^)②JAいせはら成瀬支所~寿経寺~不動尊道標~東海大附属病院裏~咳止め地蔵
Mapに二つ道が示されていれば、両方歩いてみたくなる性分です。(その意味では世田谷の市町・行善寺線をまだ歩いていません)心残りを埋めたく今回は江戸道の方を歩きました。途中の庚申塔道標に写真の地図があり大いに参考になりました。帰宅後アド・おおやまみちさんを調べたら、御社と深いお付き合いがあったのですね。東海大病院、新東名ができる前は本当にのどかな田舎道だったのでしょう。ただし糟屋宿から合流する前の道は両側から丘陵地が迫り、少し鬱蒼としていたんじゃなかろうかと思わせる道でした。東側斜面だから日の暮れも早いだろうし。楽しみにしていた道でしたが、あっと言う間に歩いてしまいました。
③咳止め地蔵~豆腐坂~こま参道
前半だいぶ時間使ったし、二回目なので、わき目をふらずさっさと歩きました。前回7月は這子坂でばてましたが、今日はすいすいと歩けました(^^)
豆腐坂、これか、ここにあったのかと思いながらさっと過ぎ、大山まんぢうと1,000円の金剛杖を土産に買って、神奈中バスで帰宅しました。いつ来ても外人さんが多いのですが、厚木基地が近いせいでしょうか?よい文化財はきっと彼らにもわかるのですね。長文たいへん失礼しました。
また便りいたします。あつお 22.11.21
(FuKO)お便り、ありがとうございます。またリベンジの落ち穂拾い歩きもお疲れ様でした。豆腐坂、よかったでですね。金剛杖のお土産というのも新鮮です。
大変丁寧なご検証にこちらこそ、頭の下がる思いです。成瀬別街道ほか、伊勢原の各地に説明看板を立てられているアド・おおやまみちさんは、弊社で『相州大山今昔史跡めぐり』を出された宮崎武雄さんが活動されている団体です。丁寧な説明や手作りの案内板は、大変ありがたいですね。
また、このたびは『ホントに歩く大山街道』のご購入、ありがとうございました。著者の故中平龍二郎さんに、この感想をお見せしたかったです。本書は、何度も、季節を変えながら、東、西両方向から、大山街道を歩きつめた中平さんの思いが詰まった一冊です。それをあつおさんが感じてくださり、嬉しく存じます。
またのお便り、お待ちしております。
224 中山道新町宿を歩きました
先日、中山道の新町宿をブラブラ散策してきました。 新町宿は、江戸寄りの笛木新町と高崎寄りの落合新町とからなるそうです。両町は、慶安4(1651)年に伝馬役を命ぜられたそうですが、笛木新町の場合は、街並みを整備するのに時間がかかって、承応2(1653)年から、伝馬役を務めるようになったそうです。
天保14(1843)年の書上帳によると、本陣は、小林甚左衛門家(建坪は、凡135坪:約446.31㎡)で、門構と玄関付き、並びに久保五左衛門家(建坪は、凡42坪:約138.85㎡)の玄関のみの2軒、脇本陣は、三俣武兵衛家で、建坪は、凡126坪:約416.56㎡でやはり玄関のみ、いずれも落合新町にあったそうです。江戸方面から歩いて行くと、向かって右側に小林家、左側に久保家、三俣家の跡地がありました。 問屋場は、笛木新町・落合新町それぞれにあり、笛木新町の問屋役は、内田源左衛門、千木良武太夫、三俣七郎衛門らが、落合新町の問屋役は、富沢忠右衛門、高橋重太夫が務めていたそうです。両町は、毎月15日交替で問屋役を務め、非番の問屋が民間の荷物を担当したそうです。落合新町の問屋場が、久保家の向かいにあったのは分かったのですが、笛木新町の問屋場の位置は、よくわかりませんでした。
人馬継ぎ立てについてですが、次宿倉賀野までの距離は1里半、正徳元(1711)年の段階で、荷物一駄・乗掛荷人共60文、軽尻馬一疋40文、人足一人30文です。さらに、『大概帳』が成立した天保14年の段階では、荷物一駄・乗掛荷人共87文、軽尻馬一疋58文、人足一人44文とのこと。現在の貨幣価値に換算できれば、料金のイメージがつかめるのですが、不勉強なため、私には、高いのか?安いのか?見当がつきません。笛木新町と落合新町のちょうど境界に当たるところに、高札場の説明板があるのですが、賃銭についての記述はありませんでした。駄賃札を復元しろとまでは言いませんが、せめて、説明文の中で駄賃に触れて頂けたらと思いました。
助郷は、享保9(1724)年の段階で22ヶ村、嘉永5年(1852)の段階で32ヶ村が指定されていたそうです。 最後に、六斎市なのですが、新町宿の場合、成立当初は、3・8の日に定期市が立っていたそうですが、いつのころからか、この市は消滅して、毎年12月の23日と28日のみ、小規模な市が立つだけになったそうです。『分間延絵図』を見てみると、薬師堂の入口のところに、市神が描かれているので、桶川宿や本庄宿のように、周辺の神社に小祠が合祀されていれば良いなと思っていろいろ探してみたのですが、見つけることはできませんでした。
PS そういえば、『ホントに歩く中山道』の第14集が発行されたんですよね。第14集を入手したら、今度は、そのマップを片手に、新町宿を再び歩いてみたいと思います。
みちがたり 22.11.10
(FuOH)すごくお詳しいですね! 新町に特にご関心がおありなのでしょうか? 弊社の取材、学習では、こんなに詳細にはできていません。今後とも、いろいろご教示賜りたく、お願い申し上げます。また、みちがたりさんのお便りが、読者の方にも参考資料になれば、ありがたいと思います。ちょうど発行した『ホントに歩く中山道』の第14集の宿場で、タイムリーでした。どうもありがとうございました。
ぜひ、第14集で新町宿を歩いてみてください。
223 大山登頂! 大山街道を完歩。
ご無沙汰をしております。 のべ六日間で無事に大山道を歩き終えました。
御社地図のお導きにより、江戸文化を体験することができました。厚く御礼申し上げます。2022/4/25(1日目): 青山~溝の口、17キロ(17/69キロ)
5/5(2日目): 溝の口~市が尾、10キロ(27/69)
5/28(3日目): 市が尾~鶴間、12キロ(39/69)
6/26(4日目): 鶴間~厚木、12キロ(51/69) 以上、以前ご報告。7/24(5日目):厚木~糟屋宿~菊屋前バス停、13キロ(64/69)
厚木から相模川沿いの平塚街道を南進、前職でお世話になったソニーさんの事務棟が並ぶ。このまま平塚まで下ってみたくなるが、やがて三差路を右折して大山に向かって西進となる。 街道沿いは寺社が多く、また夏の農村風景に癒される。愛甲石田駅を過ぎた長龍寺の回り道も楽しい。 JAいせはら成瀬支所の分岐点、どちらの道も捨て難く悩んだ挙句、左の糟屋宿方面へ進む。太田道灌ゆかりの史跡を訪ねているうちにどんどん山に近づいて行く。 新東名をくぐった辺りから軽い熱中症の気配。這子坂なんて大げさな名前だなと思いながら上った途端まったく足が進まなくなった。大山の宿坊街まであと少しであったが、倒れ込むように神奈中バスに乗り伊勢原駅へ退散した。11/3(6日目):菊屋前バス停~女坂~阿夫利神社下社~大山山頂、6キロ(69/69)
御社のご助言により、量販店で軽登山靴を買い求め、夏の間に足ならしを行った。(余談ですが、今夏横浜スタジアムに何度か野球観戦に出かけたのですが、保土ヶ谷駅からこの靴で丘越えをして、関内で持参のサンダルに履き替えて球場入りしてました) 雨乞い信仰の山へ登るのに、夕立の多い夏を避けて、秋の快晴日を待って挑戦したけど、よかったのでしょうか? 標高1252m、あの吉田類さんが飄々と登っていたぐらいだから何とかなると思っていたら大間違いでした。序盤早々女坂で足をつり、息があがっては何度も休み、こま参道から頂上までかかること3時間半(標準は2時間半程度らしい)。石段続きの登山道では若者、子供たちにどんどん抜かされ、己の60代の体力を思い知らされました(T_T) でも、軽登山靴は本当に正解でした。石段では滑りにくいし、疲れの残る下りも足を痛めず無事に下りることができました。 最後に一言、江戸赤坂から山頂まで続く道を先人の思いを推し量りながら歩いたことは大いにこころの財産になりました!※旧東海道歩きも先月一年ぶりに東海地方を訪れ、念願の七里の渡しに到達、佐屋路を万場宿まで歩きました。追ってご報告いたします。
あつお 22.11.5
(FuOH)いつもお便りいただき、ありがとうございます。大山街道完歩、おめでとうございます!
登山靴でよかったですね。おっしゃるとおり、特に下山時には。それから、真夏では夕立よりも山中の直射日光による猛暑に苦しみます。到達感は格別ではありますが。秋は、やはり大山の紅葉ですね。
佐屋路のご報告も楽しみにしております。
222 旧東海道を三島まで。ブログに記録もしています
御社のウォークマップで楽しく歩いています。 昨年から始め、ブログにも挑戦し、写真をアップしています。
三島まで歩きました。この先ものんびり行きます!https://burakkuma.com/category/toukaidou
ぶらっくま 22.11.1
(FuOH)弊社マップのご利用、ありがとうございます。ブログにも弊社マップに触れていただき、嬉しく存じます。 詳しいブログで、新しい情報が記されていて、これから歩かれる方に役立つと思います。ありがとうございました。 今後ともよろしくお願い申し上げます。また、お便り、お待ちしています。
221 中山道:岩村田から横川まで
約1年半ぶりのお便りです(前回0168)。
その後、中山道ウォークを再開し、雪の降る前に碓氷峠を通過すべく、このほど1泊2日で岩村田から横川まで歩いてきました。初日(10月19日)は、新宿から高速バスで佐久平まで、そこから追分のあさぎり荘まで。運よく全国旅行支援の対象となり、元来リーズナブルな宿泊料金がさらにお安くなりました。
2日目(10月20日)、宿を出発し、いざ碓氷峠へ。天気に恵まれ、旧軽銀座は平日にもかかわらず結構な人出。見晴台までのバスにも乗客多数ですが、当方は歩いて、ウォークマップ(注「ホントに歩く中山道」第12集№48)の案内どおりに43番のカーブミラーから斜面を下りました。 そこは獣道で、何とか渡渉場所まで行きましたが、ろくな飛び石もなく、片足を水没させながら何とか対岸へ。しかしながら、その先の道がまったく判別できず、やむなく斜面を登って県道へ脱出。そこから44番の変則十字路で再び中山道に合流。
13:00頃、見晴台に到着し、周辺の茶屋で昼食をと考えていたのに、すべての茶屋が臨時休業。当てが外れ、仕方なく旧軽銀座で買ったお土産用の栗羊羹を食べて、横川へ。ヤマビルを見ることもなく、横川駅までたどり着いたものの、ぎりぎり16:30発の電車に間に合わず、その次は17:21発。昼食を食べ損ねたので、おぎのやで釜めしを食べようと思ったら、本店・ドライブイン店いずれも16:00で閉店。駅周辺の唯一の食堂も休業中で、コンビニ等も一切なし。再び栗羊羹で飢えを凌ぎ、高崎駅まで食事なしの行程となりました。 飲食店等がないと想定される場合は事前にコンビニでオニギリ等を調達しますが、今回は事前想定が外れました。信州割クーポンでお土産を買っていたことが不幸中の幸いでした。PRD1 22.10.24
(FuOH)いやあ、反省至極です。申し訳ありません。私の現調とまったく同じ苦難に遭わせてしまいました。これから歩く人のために、何らかの注意喚起を追加したいと思います。この区間(軽井沢〜碓氷峠〜横川)は、非常食を携帯してください。
私が現調をしたときは、自分でルートファインディングをしました。先行ガイド本の「カーブミラーより下降」に従いました。その方向のまま徒渉するとトレースが消え、斜面を県道に向かって登ることになりますが、これはバリエーション藪漕ぎで、おかしい。それで元に戻って、徒渉個所を見ると、川に下りて振り向けば、安全な飛び石徒渉と、対岸に「中山道」の標識があります。とても歩きやすい広い斜面で、50mくらいで遊歩道に出ます。
ここは注意喚起のために、マップの赤線は、徒渉後、Uターン気味を強調しました。その方向を見れば、この区間は問題なかったと思います。説明をもう少し詳しくすべきでした。申し訳ありませんでした。ただ、その後、旧道を踏破されたのはよかった。それが、私には救いのご報告です。ここも初めてだと難所ですね。45番の馬頭観音の後、右の林道に下りるのがトレースがなく、数メートルですが、気をつけて、下りられるところを見つけます。このあたりは道を外すと、イノシシ狩りの罠が仕掛けてあるので、危険です。
次に、茶屋の臨時休業ですが、私もまったく同じ目に遭っています。それも数度。店は休業が多く、しかも全店一斉に休業します。なぜ、別々に休業してくれないのかと思いました。朝早くて開店前の時もありました。1度目は、非常食もなく、昼飯抜きでした。2回目からは、この区間は、必ず非常食を携帯し、それが役立ちました。
さらに、横川のおぎのやは、私も午後4時10分に到着し、閉店直後でした。ただ、酒屋さん(旧道沿い「伊丹屋酒店」)は開いていて、毎回、ここでワンカップを買って、ご主人と顔なじみになりました。その手前にラーメン店(関所食堂)がありますが、営業時間に注意です。横川からは電車があるので、もう安心です。
お土産の栗羊羹、よかったですね。私は、それもなかったので。しかも、ヒル被害にもばっちりあっております。私よりはましだったことが、救いでしょうか。
ご報告、ありがとうございました。今後ともよろしくお願い申し上げます。
220 中山道、和田峠・木曽路の準備のために
東京在住の2020年春より街道歩きを始めて、昨年中に、日光街道の全てと中山道の高崎宿までを歩き、今春に信州に拠点を移したのち、高崎から芦田まで来ましたが、難所の和田峠とその後の木曽路の事前準備のため、今般、貴誌『10集/11集』を購入した次第です。
本願釣画坊 22.10.18
(FuOH)フォーラムへようこそ! 新規ご購入とお便り、ありがとうございます。
和田峠、木曽路のお役に立てれば、嬉しく存じます。和田峠は難所ですが、木曽路は発見も多く、楽しい旅になることでしょう。ご健脚をお祈り申し上げます。
やはり難所の碓氷峠は、第12・13集でしたが、本願釣画坊さんの旅に弊社の『ホントに歩く中山道』が間に合わなくて残念でした。この区間の中山道は現地調査がとても充実していて楽しく、情報の多い区間になりました。弊社の西からの中山道は、このたびの新刊の第14集で、群馬・埼玉県境を越えました。ここは関東平野の地形的出入り口です。
今後とも、よろしくお願い申し上げます。
0219 美濃中山道、一里塚めぐりの旅
10月8日、出かけた。相棒は、中央線等で瑞浪駅へ。私は東名、中央道で、瑞浪で落ち合う。
さて、瑞浪市で頂いたA4×4枚の特大中山道地図の凡例だが、茶色で塗られているのが中山道、青色で塗られているのが国史跡中山道指定区間。青の上に茶の破線は通行不能区間区間である。
まずは、江戸へ93里の一里へ。平岩の辻を左折、小高い坂道の途中、県道をまた左折。小高い砂利道を上る。通行不能区間だが、駐車によい道幅で、難なく通れそう。しかし、通行不能とあるので車を置き、歩く。
ほどなく、突然に大きな土饅頭が目前に現れた。「鴨之巣一里塚」だ。この一里塚は、貧弱な棒杭に「一里塚」と記してあるだけのものではない。堂々と存在を示している。五年前に通過した記憶がよみがえった。保存状態は良く、草は短く刈られ、雑木は生えていない。地元行政の努力が見て取れた。
次の「奥之田一里塚」は、県道65号の両脇に鎮座、存在を示していた。江戸へ91里の琵琶峠の「八瀬沢の一里塚」も、石畳みの道を10分上った所の両脇にたたずんでいた。一里塚見学を目標にと来たので、これらの存在感がヒシヒシと感じられた。一里塚間の移動は自動車なので、細久手宿、大湫宿の見学は十分に行えた。
昼食は、土地のうまい物紹介がされている地元小冊子の「すき焼きうどん定食」の大盤振る舞い。瑞浪市に戻り、見終えた三基の一里塚を讃えた。残る一基の「権現山一里塚」は、遠くに望んだ。祝いのような気分であった。
今後、消滅の危機のないよう、地元の皆さん、地元の行政の努力をいただきたいと思います。
のりさん 22.10.10
(FuOH)いつもご報告、ありがとうございます。お元気で街道歩きと調査、すごいですね。一里塚の存在確認、そして存在感の確認。充実した一日の様子が伝わってきます。
また、ぜひ、お便りお待ちしています。ますますお元気で。
0218 たくさん寄り道して、夫婦で東海道ゴール!
日本橋から夫婦2人で歩き始めたのが、2018年1月のことです。始めた時の目指すゴールは名古屋で、2020年12月に宮に着きました。
が、歩き始めると歩く魅力を感じ、もっと歩きたくなってしまい……。宮から桑名まで佐屋街道を歩き、その後、日永の追分から寄り道して伊勢街道や二見道を歩き、伊勢神宮や夫婦岩へ。途中、たくさん寄り道して、三条大橋に着いたのが、2022年5月です。この8月に高麗橋まで踏破した際は、ホントに歩くで紹介されている、京街道、奈良街道、大和大路のいろいろなルートを行ったり来たりして街道歩きを堪能しました。
街道歩きの魅力にどんどんハマってしまい、今度は、中山道に挑戦しようと思っています。
くろさんしろさん 22.9.18
(FuOH)名古屋までの予定から、どんどん足が楽しさを覚えて、延長、寄り道、完歩の達成感も得られていく、そのプロセスがお便りから想像できます。楽しいですね。中山道の挑戦も嬉しいです。こちらも、与川道、初期中山道、碓氷峠バリエーションなど、興味深い寄り道を収載しました。そのせいもあって、発行予定が大幅に遅れておりますが、いよいよ関東平野に入り、ゴールも間近になりました。東からも歩けますので、ぜひ、中山道をお楽しみいただき、またお便りください。ご健脚をお祈り申し上げております。
0217 東海道53次、長女に続き次女とも完歩!
お世話になっております。こちらのフォーラムへはすっかりご無沙汰いたしておりました。武藏野狐勇あらため武藏野狐太良です。
2018年に当時小学校3年生だった長女と完歩したのに続き、先月(2022年8月)、小学1年生の次女とも日本橋から三条大橋までの東海道を完歩しました。足掛け2年1カ月、延べ19日の行程でした。写真は2020年6月に当時住んでいた日本橋浜町の自宅前を出発した際のものと、今回完歩した際のものです。東海道以外の街道もちょこちょこ歩いていることもあって、次女もすっかりたくましい街道ウォーカーになりました。
次は三条大橋から日本橋まで、中山道を歩く予定です。京街道や美濃路、佐屋街道、姫街道なども、いずれ御社のマップを頼りに歩きたいと考えています。
これからもよろしくお願いいたします!武藏野狐太良 22.9.16
(FuOH)こちらこそ、よろしくお願い申し上げます。完歩、おめでとうございます!
いつも弊社マップをご利用いただき、とても嬉しくありがたく存じております。 娘さんお二人、たくましい街道ウォーカーになられて、すばらしい。歩いた経験が、これからの人生に広がりを与えてくれることでしょう。 復路の中山道も、どうかお気をつけて、たくさんの経験をお楽しみください。
0216 6歳娘との東海道歩き。ゴールへ向け再開!
夏場は無理をせず、涼しい秋まで待っていると、娘は誕生日を迎え6歳に。4か月ぶりとなる東海道を箱根峠→小田原宿で歩きました。 ブランクを感じさせない快調な歩きに感心でしたが、箱根峠の挾石坂では藪化が進んでいて「行きたくない!」の言葉には少々焦りました。これは時期的なものでしょうが、娘にとっては初藪漕ぎ。半泣きになりながらも大好物の石畳が現れると、アトラクション感覚で楽しんでいて安心しました。甘酒茶屋での餅が格別でした! 残り3回の遠征(計6日)で日本橋。最後まで楽しんでまいります。
にゃおすけさんのブログのリンク↓
https://borabora.seesaa.netにゃおすけ 22.9.14
(FuOH)いつもお便り、ありがとうございます。Twitterでのレポートも、たくさんのフォロワーさんに応援されていますね。6歳になられた娘さん、お誕生日おめでとうございます。記念の5歳・6歳になりますね。初藪漕ぎもいい体験になるでしょう。私は、しょっちゅうしていた藪漕ぎは、すっかりしなくなりましたが、たまたま、先日、思いがけない中山道現調での川岸下降に、久しぶりに激ヤブに突入しました。
残り3回ですか。お気をつけて、おっしゃる通り、最後まで十分にお楽しみください。
0215 ホントに歩く中山道14集、現調報告
ウォークマップ『ホントに歩く中山道』第14集(安中〜本庄)は、取材は最終盤、編集作業を進めております。
先週末、風人社は3人とも現調に行ったので、簡単な報告というか、お便りをさせていただきます。(し)
9月1,2日に高崎から新町までの中山道を歩き、ついでに前橋文学館の大手拓次展を見ました。
(磯部出身の詩人。「ホントに歩く中山道 第13集」№51コラム、カワラ版14)
この展示は愛読者の方に教えていただいたものですが、コピーライターの草分けでもある拓次の作品も見られて面白かったです。
9月19日で終わってしまうのですが、ご興味のある方はぜひ。(こ)
「ホントに歩く中山道 第14集」の現調で9月3日に本庄宿、4日は高崎を歩きました。
台風予報でしたが、幸いにも大丈夫でした。
9月はお祭りのシーズンなのか、両日とも遭遇しました。
本庄では、阿夫利天神社の例祭、高崎では「高崎まつり」(市民の祭り。元は頼政神社の例祭)。
コロナで2年ぐらい中止の後のやっとのお祭りで、地元の方の楽しい感じが伝わってきました。(お)
9月3日・4日は、『ホントに歩く中山道』第14集の私の最終回になるかも知れない現地調査に行きました。
14集全行程の一通りの調査を終えて、見落とし個所のピンポイント調査や、街道から寄り道の離れた場所の取材でした。高崎の佐野の渡し、佐野橋、常世神社、定家神社に行ったついでに、近くに「烏川の三石」の一つ、赤石があるので、行ってみたら、大変でした。季節が悪かったか、ヤブ漕ぎが深すぎて途中断念しました。悔しくて残念。風人社編集部 22.9.4
0214 7年がかりの東海道、もうすぐゴール!
現在、東海道7年がかり、地酒巡りの旅7年がかりで、夫婦で旧東海道を気ままに歩いています。
2022年8月現在、50番目の宿・水口まで来ました。何とか年内に三条大橋に到着したいと思います。
私の場合は、この歩き旅は地酒巡りの旅です。土地の料理と酒を楽しんでいます。湘南オールドボーイ 22.8.19
(FuOH)7年がかり。夫婦で土地の料理と酒を楽しむ。いい旅ですね。各宿場で飲んだ地酒リストができたらいいですね。その場合は、ぜひ、教えてください。またもし、特に印象に残ったその土地の銘酒がありましたら、それも教えていただく機会があればよろしくお願いします。
0213 女性3人、楽しく地図を見ながらの街道歩き
2018年より、友人二人と女性計3人でぽちぽちと歩いています。
資料館があればのぞき、石碑や説明板があれば読み、ちっとも前に進まないわねぇ(笑)と言いながら毎回楽しく歩いています。
このペースだと京都にはいつ? 次は中山道よね、生きている間に五街道大丈夫? なんて、それはそれは楽しく地図を見ながらの街道歩き。
これからも頼りにしています。一里塚のりこ 22.8.17
(FuOH)「ちっともすすまないわねぇ(笑)」と言いながらの女性3人の旅。ゆっくりと楽しんでください。駆け足の完歩も達成感があるでしょうけれど、のんびり、ゆっくり、やっと到着の完歩もまたひとしおでしょう。ゴール目指して、ますますのご健脚を!
0212 地図を開いてワクワク止まらず
本日、可愛い缶バッチと共に届きました!
しばらく母の介護やらコロナやらで街道歩きから遠ざかっていましたが、最近少しずつ時間がとれるようになってきたので、また歩き始めようと思い立ち購入。
地図を開いてワクワクが止まらず、もう気持ちは歩き出してます。
素敵な地図をありがとうございます。noah 22.7.22
(FuOH)こちらこそ、ありがとうございます! 缶バッチは「七里の渡し」。東海道の別冊3冊、「地図を開いてワクワク」なんて、ホントに励まされ、嬉しくなるお便りに感謝です。そんなふうに地図を手にしていただくなんて、地図を作成し、発行している者としては、これ以上にない報酬だと思います。
どうか、めいっぱい楽しんでお歩きください。猛暑、コロナ、交通事故……くれぐれもお気をつけて、ご健脚をお祈り申し上げております。
0211 東海道17日間。マイルールは週一回、日帰りで、その日行けるところまで
風人社さま。完歩証、昨日受領いたしました。
「完歩証、そんなに喜んでいただいて、届いて「!」となったら申し訳ないのですが」に、意外(失礼!)に、いいじゃんが正直な感想です。日本人には、蒐集癖があります。最近では、御朱印帳、御城印などがそうです。また、ウォーキングをする者にとっては、ウォーキングに参加した後、主催者からいただけるIVVという印刷物もたかが小さな紙きれですが、完歩した証として、大切なものです。
私は、これまで、各地で開催されていたウォーキング大会に参加していましたが、コロナで軒並み中止となり、歩く機会を失ってしまいました。ならば、自ら企画しちゃえ~、そして、日本経済にカンフル剤を打ち込め~とばかりに、旧東海道を歩いてみることにしました。
いつかは歩きたいと思っていましたから、旧東海道の地図、本、もちろん風人社の「ホントに歩く東海道」も購入してありました。コロナが一時的に収まっていた令和2年10月14日なんと鉄道記念日に、日本橋を出発しました。マイルールは、週一回、日帰りで、その日行けるところまで。雨の日なんか歩きたくないので、天気予報を事前にチェックし、晴れの日を狙っての定年失業家だからできるスケジュールで。
江戸時代の旅人は、東海道を15日間で歩いたとか。また、幕末の医師シーボルトは、一部駕籠を使いましたが、12日間で東海道を踏破したという記録もあるそうです。ウォーキングシューズもなく、草鞋でです。その健脚ぶりには脱帽です。
当然、私は江戸時代の旅人にならい、目標は15日間でした。
しかしながら、第1日目。江戸時代の旅人が最初に宿泊したとされる程ヶ谷(現:保土ヶ谷)にたどり着けず、あえなく挫折。その原因は、悠長に昼飯を食っていたからと、以後はガムシャラに、ただ、ひたすら歩くことにしました。替わりの昼食は、街道沿いにある和菓子屋さんです。やはり伝統のある街道ですから、結構、和菓子屋さんがありました。
ところが、令和2年の暮れになり、コロナの感染者数が日に日に増加し、これはやばいと一時中断となりました。緊急事態宣言、まん延防止措置が終了した令和3年10月から再び、歩き始めました。
そして、12月14日赤穂浪士の討ち入りの日(何の関係もありませんが)に京都三条大橋に到着しました。江戸時代の旅人に遅れること2日の17日間での完歩でした。
総歩数767,235歩、歩いた距離536.28km、1日平均45,131歩、31.55kmでした。各地で開催されるウォーキング大会では地図が記念として残りますが今回のように勝手に歩いているのでは、何も記念、記録が残りません。歩いた証拠は何も残りません。
そこで、街道沿いにある郵便局で片っ端から貯金をし、郵便局の名前入りのゴム印を押印してもらうことにしました。郵便局の方には、「頑張って!」と声援を受けました。中には、キャンディーもいただきました。おや~。日本経済を支えるため、地域にお金を落とすのが目的だったウォーキングなのに、逆に貯金が増えちゃいました~! でも、考えてもみれば、貯金が増えたんじゃなくて、私の財布の中で、銀行から郵便局の通帳にお金が入れ替わっただけでした~!(笑)
もちろん、地元名物を食べて来ましたよ。浜松餃子、とんかつ、名古屋のひつまぶし、味噌カツ、味噌煮込みうどん、
近江牛、丹波産モンブランなど。こうなったら、五街道全部歩いてみようかなと思っています。余談になりますが、私は、旧東海道は箱根峠以外は、平坦な道ばかりと思っていましたが、そんなことはありませんでした。途中、薩埵峠(さったとうげ)、宇津ノ谷峠、小夜の中山峠、鈴鹿峠などなど、結構、山坂があり、いい勉強になりました。その中でも、薩埵峠からの眺めは、下に東海道本線、東名高速道路、由比の街、太平洋、上を見上げれば富士山で、最高でした。
次は、旧東海道の三重県四日市から分かれて、伊勢神宮に向かう伊勢街道を歩こうかなと、資料を調べています。残念ながら、風人社さん発行の本に、伊勢街道はありませんでした。他社のを探そうと思ったところ、三重県庁(文化振興課)発行の伊勢街道(地図)を見つけ、入手しました。
また、コロナ感染者が増えてきたので、それが落ち着いた9月ころかな。添付のファイルは、完歩の記録です。
郵便局踏破記録pdfファイル ←こちら
定年失業家 す~さん 22.7.17
(FuOH)定年失業家って、すごい実行力で、圧倒されました。各種のウォーキング大会の常連者だったからですね。
記録はとても貴重で、すばらしい。踏破郵便局もすごい。読者の方も、私同様に驚かれるでしょう。しかし、一日に歩いた距離は、普通のウォーカーには、驚くけど、「参考になる」かどうかは?ですね。真似は無理でも、これから歩く人の気持ちを奮い起こさせるかもしれません。
弊社にとりましては、こんな素晴らしい記録をお寄せいただいて、光栄至極です。ありがとうございました! 今後もまた、新たな記録を取られましたら、ぜひお知らせください。お待ちしております。それから、伊勢参宮街道のマップ、ずいぶん以前から、複数、出版希望の声が届いており、ごく最近も「出版されたら」という地元ガイドのからのご提案もありました。
今回の完歩証は、す~さんの踏破には見合わない(申し訳ない)簡素なものでしたが、記録に見合った「ゴールド完歩証」を考えなければなりませんね。
0210 「ホントに歩くフォーラム」へようこそ!
50代男性です。品川区の旧東海道沿いに住んでおります。品川の歴史を調べているうちに、東海道の魅力にのめり込んでしまいました。楽しく歩ける仲間を作りたく申し込みいたしました。よろしくお願いします。
マコトさん 22.7.13
(FuOH)お便り、ありがとうございます。品川区の旧東海道沿いにお住まいなら、東海道へのご関心はごく当然で、少しでも調べて、歩きたくもなりますよね。ずーっと道はつながっていて、沿線の人々との楽しい出会いもあるでしょう。楽しく歩ける仲間がつくれますように。フォーラムも、ときどきぜひ覗いてください。
0209 大山街道2回目、3回目、4回目。溝の口〜厚木。
ご無沙汰をしております。 その後、大山道歩きを続けております。
2022/4/25(1日目) 青山〜渋谷〜三軒茶屋〜世田谷〜二子玉川〜溝の口、約17キロ(17/69)、前回ご報告。
2022/5/5(2日目) 溝の口〜宮前平〜鷺沼〜荏田〜市が尾、約10キロ(27/69)
40年前に就職で神奈川へ来て以来縁の深い、東急田園都市線沿線の歴史散策。東急田園都市線、国道246号とついたり離れたりしながら丘陵地の上り下りを繰り返す。鷺沼〜荏田間では、こんな道があったのかと大いに感心、また荏田宿は江田駅付近にあると思いこんでいたので、意外な場所から始まり、246と直交していることに驚く。2022/5/28(3日目) 市が尾〜青葉台〜長津田〜鶴間、約12キロ(39/69)
初夏の陽ざしの下、横浜、町田の丘陵地を上り下りしながら南西へと進む。自分は、都市開発された後、川崎に来て、246とその周辺を往来しており、土地勘はクルマ目線。そのため旧道の織りなす思わぬ紆余曲折は興味深い。足下の道が多摩丘陵地を里から里へ進む山道だったろうことを改めて実感する。途中いくつかの八王子道と交差、偶然その日のブラタモリが八王子だったので興味倍増。下鶴間宿〜鶴間駅(小田急江ノ島線)の坂道では旧街道の雰囲気を感じた。2022/6/26(4日目) 鶴間〜さがみ野〜海老名〜厚木、約12キロ(51/69)
梅雨の晴れ間、街道に沿って相模野台地〜相模平野を西へ進む。お銀さまの道〜旧東海古道を歩く。距離は短いが、雨を含んだ土の道で歩きにくかった。海老名の相模国分寺跡は規模の大きさに驚く。相模川で一気に視界が開ける。大山に一段と近づき山頂の構造物も見える距離まで来た。大山まであと18キロで二日分程度ではあるが、最後の登山は特別編なのと、道中見所もいろいろありそうなので焦らずゆっくり進めて行こうと思う。あつお 22.6.27
(FuOH)いつもありがとうございます。大山街道、とても楽しげに歩いておられる様子が伝わります。発見も多いですね。次は、厚木からですね。海老名あたり(国分寺跡など)で、相当寄り道したことを思い出します。これからもお気をつけて、いい旅をお続けください。
0208 初期中山道、和田峠、碓氷峠−中山道4日間の旅
ご無沙汰しております。昨年はコロナの影響で自粛しておりましたが、5月25日から再開しました。日出塩駅から初期中山道を歩き、26日は和田峠を越えました。 27日は長久保から御代田まで、28日は軽井沢、碓氷峠を経て横川駅まで行きました。 続きは秋以降にする予定です。
5月24日の夜行バスで新宿を出発し、中津川駅で降りました(なんと、乗客は私一人のみ)。中津川駅より中央線に乗車し、日出塩駅で下車し、いよいよ初期中山道歩きの開始です。 8時に初期中山道案内板に到着、9時に牛首峠に着きましたが、周辺は鶯の大合唱で時が経つのも忘れるくらい、しばらくその美しい鳴き声に耳を傾けてしまいました。スマホで録音することもできました。 この後は小野駅を目指し、コンビニで昼食を済ませ、小野峠のしだれ栗展望台に登り360度のパノラマを堪能しました。あとはひたすら下諏訪の宿を目指すのですが、夜行バスでの疲れが出てきたのか、脚が重かったです。 宿に到着後、ビールを飲み、温泉で汗を流してさっぱりしたところで、予め調べてあった飲み屋で今日の疲れを癒すべく刺身や日本酒を堪能し、明日の準備を済ませ、就寝しました。
26日は6時に宿を出発。御柱の木落し坂から見下ろす坂はテレビで見ているのとは別物という感じで、よくこの坂を木に跨いで降りる(落ちる?)よなァ~と感心しました。 ここで、情報提供です。バス終点の樋橋ですが、綺麗なトイレが設置されていました(洋式1名)。 142号をひたすら歩き、西餅屋茶屋跡で休憩。ここで、熊が出没したので気を付けるようにとの注意書きが…、あれ、鈴なんか持っていないし、ヤバいなァ~と思いながら進みました。そして、笹の葉が多くなったところで、いきなり熊が出てくると危険と思い、大声を出すことに、思いついた掛け声は、なぜか「ファイトー、いっ~ぱ~つ」、これで熊が逃げてくれれば誰も苦労しないかな? そうこうするうちに上部で人の声が聞こえてきて、一安心。その方たちは中山道を守る会で登山道を整備している最中でした。しばし、談笑し、先を行かせてもらいましたが、このような方たちのおかげで足元が安定して歩けているんだと感謝しました。 そして、中山道最高地点の和田峠に到着。なんかここに来ただけでもう、中山道は達成したような気分になってしまいました。でもまだまだ先は長いです。
フォーラムにも投稿があったように、和田峠茶屋はしまっており、コルゲート管も通行不可となっていました。 142号を下り、「杉の屋」で昼食を思っていたら、なんと臨時休業、駐車場に車が1台も無いので、嫌な予感がしたのですが(泣)。気を取り直して、「そば処黒耀」でそばとアイスクリームを食べ、満足。外はだんだん雲が厚くなり今にも降ってきそうな気配です。今日の宿まであと5㎞手前で雨が降り出しました。まあ、いつも降られるので仕方ないのですが、やっぱりめげますね。 ちなみに、「たまご屋キッチン」ですが、木曜が定休でした(つまり今日)。本日の宿は「濱田屋旅館」です。宿泊者は私一人みたいでした。27日は前日からの雨が止みませんでしたが、7時30分に出発。 それでも笠取峠を越えてしばらくするとだんだん、小雨になり9時頃には雨が上がりました。予報では昼頃まで降るとなっていたので、得した気分です。ふるさと交流館で中山道のしおりを頂戴し、館内を見物。 どんどん歩いて瓜生坂へ、望月城跡に寄ろうと思いましたが、ちょっと疲れが出てきたようで先のことを考え、パスしました。今となっては後悔しています。「くまさん食堂」で昼食をとり、千曲川の中津橋に到着。橋から新幹線の写真を撮ろうと思い30分ほどしても1編成も通過することなく、断念。ちょっと油を売りすぎた感が…。ここから宿までは日差しが強く、暑かったです。 16時すぎに御代田駅近くの明治屋旅館に到着し、コンビニで仕入れたビールで乾杯。
28日は5時30分に出発し、まずは軽井沢を目指します。4日目になると脚は重いし、豆はできるし、いい歳こいてよくやるなァ~と一人で感心するやら、あきれるやら、複雑です。そんなことで、離山登山は棄権しました。 旧軽銀座は時間が早かったのかまだ開店している店が少なく、ちょっと残念でした。碓氷峠では、見晴台では、長野県と群馬県の境や妙義山を撮影し、熊野神社ではお参りしました。 そして、「しげのや」では、ちからもち(きなこ)と抹茶のアイスクリームを堪能しました。 近くにいた親子連れの兄弟の弟(3歳位)が私のほうを見て、親に「アイスクリーム食べたい」とねだっていましたが、残念ながら却下されていました。なんか、悪いことしたなァ~とおじいちゃんの気分でした(還暦すぎているので)。
碓氷峠から先は登山道です。登ってくる方が多く、人気のコースなのかと思いました。 18号に出て旧中山道を進んだのですが、坂本浄水場の所で動物除けの電線に行く手を阻まれ、止む無く回り道をする羽目になりました。無理してくぐるなんてことをして感電したらアホですからね。 峠の湯で汗を流し、横川駅に向かい今回の中山道歩きは無事終了しました。次回は横川駅から毎回、日帰りで日本橋を目指します。ちょっとまったーほるん 22.6.18
(FuOH)お世話になっております。長文のお便り、ありがとうございました。街道歩きの再開のご報告、嬉しく存じます。それにしても、いきなり日出塩から横川まで到達されたことに、びっくりしてしまいました。すごいですね。
道中の出来事、情景が思い浮かびます。同じように歩かれた方も、自分の道中を思い出して読まれることでしょう。
碓氷峠の東坂は、まだ弊社の第13集の発行前でしたね。間に合わなくて、申し訳ありませんでした。お書きのとおり、これからは日帰りで十分歩けますね。お気をつけて、ゴールを目指して下さい。今度は、私どもが後を追います。
0207 中山道、完結したら歩いてみよう。
「ホントに歩く中山道」定期購読中です。次の発行は?と時々HPをチェックしています。コロナ禍で、ご苦労の多い取材でしょうけど、早く完結して欲しいなと願う私です。
完結したら、歩いてみようと思っています。(中山道は、高崎→日本橋はすでに歩いております。)定年失業家 す〜さん 22.6.12
(FuOH)定期購読、ありがとうございます。3カ月インターバルもなかなか守れず、みなさまには御迷惑をおかけしています。次集第14集は高崎到達予定ですので、京都へ向けて、いよいよ弊社マップがお役に立つようでしたら、とても嬉しく存じます。今後とも、よろしくお願い申し上げます。
0206 京都から「ホントに」歩く中山道!
以前より宿場町を巡っていましたが、この5月より、京都から「ホントに」歩き始めました。マップを手に、明日は石山から瀬田橋を行く予定です。
えりこ 22.6.4
(FuOH)「ホントに」歩き始められたましたこと、応援します。出発、おめでとうございます。宿場めぐりと宿場間を歩くのとは、少し趣が違います。途中の街道風景、村々の集落、いろんな発見や出会いがあって、楽しいと思います。宿場から次の宿場に辿り着くと、その宿場の見方がまた違ってくるかもしれません。以前に訪れた宿場が新しく楽しめると思います。いい旅をお祈りしています。
0205 中山道歩きを再開!
ご無沙汰しております。昨年はコロナの影響で自粛しておりましたが、5月25日から再開しました。日出塩駅から初期中山道を歩き、26日は和田峠を越えました。
27日は長久保から御代田まで、28日は軽井沢、碓氷峠を経て横川駅まで行きました。
続きは秋以降にする予定です。もっと詳しく書きたかったのですが、途中で振り出しに戻ってしまったので、別の機会にお知らせしたいと思います。
ちょっとまったーほるん 22.5.30
(FuOH)ありがとうございます。横川まで行ってしまわれたのですね。追い越されました。初期中山道、和田峠、碓氷峠、お疲れ様でした。二つの峠、楽しいですよね。
今、『ホントに歩く中山道』第13集の碓氷峠越えを制作していて、この峠越えをめいっぱい楽しんでいます。できあがりましたら、ぜひ、13集もご覧下さい。今後ともよろしくお願い申し上げます。
0204 大山街道、東海道とは違う達成感
ご無沙汰しております。 陽気のよいうちにと思い立ち、先日、愛甲石田から下社までを歩いてまいりました。 (所要時間3時間35分)
最終部分は、これが「女坂」なのか! と驚きつつなんとかたどりつくことができました。 地元の川崎から歩き始めたこともあり、東海道とはまた違う達成感を味わいました。腰の具合も考慮して山頂までは足を進めることなく、今回の下社を終点としたいと思います。
道中は中平氏の元本と新版のマップが心強い味方となり、道はこのようにつながっているのかと納得することが多くありました。良き導きをありがとうございました。
赤坂御門から川崎までの道もいつか歩いてみようと思っています。 みなさまのご健康、ご発展をお祈りします。naha 22.5.30
(FuOH)ありがとうございます。大山街道、下社まで、お疲れ様でした。確かに、東海道とは違いますね。矢倉沢往還でもありますが、ローカルな地方道の感じがあります。いろんな面で、楽しんでお歩きください。弊社本もご利用いただき、とても嬉しく、感謝申し上げます。
昨日、京街道を淀から牧野まで歩きました。この区間、ずっと変化のない土手沿いを歩くイメージでいたのですが、古い建築物など意外と見どころがあって楽しめました。
行程の呟きはトゥゲッターにツイートをまとめましたので、よろしければご笑覧ください。旧京街道を歩きました(淀-牧野)
https://togetter.com/li/1893241ちなみに橋本の先でマップに「ここから先は路面が黄色」と書かれている路面はすでに黄色ではなくなっていました。ご参考まで。
osawagase 22.5.29
(FuOH)いつもお便りをありがとうございます。京街道の後、京都市内の散策のツイートも拝見しました。懐かしい地名でした。
京街道は,京都までの東海道と趣が違いますね。大阪城への秀吉の道と、四国・九州へのつながりも感じます。私には、京阪電車との重なりも興味深いものがありました。
ご報告、ありがとうございました。今後ともよろしくお願い申し上げます。
ホントに歩く中山道第10集 MAP40で気づいた事と最新情報です。
連休に和田峠を越えてきました。第10集を片手に歩いたのですが、このMAP40の記述で気が付いたことがありました。mapC の接待茶屋のところの地図ですが、中山道の赤い線が国道142号の近くを通っているように記述されていますが、ここは実際は国道142号上を歩きます。本文はそう書かれているのですが、現場では本文を読むことはめったになく、地図を頼りにしています。訂正された方が良いかと思いますがいかがでしょうか。
もう一つ、これは情報ですが、和田峠下の22の和田峠茶屋は入り口に板張りがされており閉鎖されていました。また、この近くのコルゲート管をくぐるところは昨年の豪雨で通行しないようにと張り紙がしてありました。う回路は県道194号でこの道はまさにコルゲート管の上を通っている道です。強引にコルゲート管を通った人の話によると、自分は無理に通ったけれどもあまり通らない方が良いとのことでした。
えむころ 22.5.17
(FuOH)和田峠越え、お疲れ様でした。また、最新情報も感謝申し上げます。
『ホントに歩く中山道』第10集マップNo40 mapCの赤線、ご指摘の通りです。申し訳ありませんでした。
この区間、行政の1万分の1地形図が制作されておらず、国土地理院2万5千分の1地形図を拡大して使用しました。その登山道の破線通りになぞったのが、現実的に間違いになりました。編集中も歩いているときも、地図に違和感を感じずに国道を通って、破線も国道も同様に通過していると思っていました。関連地図を添付します。もう一つ、コルゲート管をくぐるところが、昨年の豪雨で通行しないようにと張り紙がしてあったとの情報もありがとうございます。
上記の接待茶屋の点と、コルゲート管の点、HPの訂正/追加に情報をアップさせていただきたいと思います。どうもありがとうございました。
0201 5歳娘との東海道歩き、残り130キロ
三条大橋から始めた5歳娘との東海道歩きは、30日目にして沼津に到達することができました。歩きが嫌になりかけたこともありましたが、今ではすっかり街道歩きを楽しんでいる様子です。先日のさった峠では、「本と一緒!本と一緒!」と富士山を見て大喜びしておりました。学校では教えてくれないことを東海道を通じて感じてくれたらと思っています。同行登録書をお守りに、残り130キロも楽しんできます。
にゃおすけ 22.5.12
(FuOH)いつもありがとうございます。Twitterで拝見しております。たくさんのフォロワーさんもご覧になって応援されていて、娘さんもよく頑張りましたね。すごい体験で、未来につながります。残り130キロも、いよいよゴールを目指して、楽しんでください。お気をつけて。
このページでは、弊社からの連絡や情報提供、また、会員の方からいただいたお便りや情報から、整理して(若干の修正も)転載させていただきます。
ぜひ、旅のお便り、ご意見や近況、情報提供など、お寄せください。(下記ボタン)
※画像が添付できるようになりました。街道歩きのときのお写真など、臨場感が伝わりますのでぜひお送り下さい(3点まで、jpeg形式、1点の上限1メガバイト)。
240 東海道の通行止めに関する最近の話 薩埵峠と菊川(2023年5月現在)
またまた、東海道の通行止めに関する最近の話です。
1枚目は薩?峠。撮影日2023年5月1日。
2枚目は薩?峠からの富士山です。
通行止め情報2件目。菊川の間の宿。
バイパス道工事にて、本来の階段の道を進めず。う回路を指示されていました。
何れも2023年5月5日です。
1枚目が最初に出た迂回指示。この通りにここの路地へ入ればそのまま進めます。
が、敢えて正しい東海道を進むと……。写真
2枚目。菊川会館があり、ここは菊川宿の様々が書いてあります。
これらの他にも、迂回すると見れない「シャッターに書かれた浮世絵 槍鍛冶」や「四郡境碑」等。
ちょっと回り道をして、見て戻るのも?写真
3枚目は、地図通り行ける限界点。ここから工事現場。
階段を上って進めませんが、戻る形で舗装道を左へ下ると、元の迂回路に合流出来ます。写真
今回は7日連続で、第7集(MAP27)掛川まで。地図に助けられました。(東海道だけで120Km以上、助かります)
1点、これは諸般の事情によるところかと思いますが、草薙駅前の1号線と東海道の分岐箇所が、Google MAPと別の人のデジタル東海道図、市が示す松の絵タイル表示、そして御社の地図と食い違いがあるので、その点を付記しておきます。
下記URLはGoogle MAP Street Viewで歩道の松(緑のブロック)をアップにしましたが、図柄は見えませんね。(写真を撮ってないのです、すみません)
図は江戸から歩いてくると、矢印が左折を指示しています。(草薙駅前交差点)
239 東海道の通行止めに関する最近の話1(薩埵峠)
またまた、東海道の通行止めに関する最近の話です。
1枚目は薩?峠。撮影日2023年5月1日。
2枚目は薩?峠からの富士山です。もう一点、菊川のバイパス道工事に伴う通行止めがありますが、画像の都合でもう一通別にします。(№240へ)
あっこ 0506
238 老眼鏡でしっかり地図読み
旧東海道を歩いています。昨年秋に日本橋スタートして、土曜日、日曜日、祭日の晴れた日に20キロくらいずつ歩きました。先月は小田原から芦ノ湖まで歩き、次は芦ノ湖から三島を目指します。
ホントに歩く東海道を片手に歩いていますが、文字が小さくて重要ポイント見逃してしまうことがあります。老眼鏡を首からかける紐を買ったので、次回の旅はしっかりと情報逃さないように歩きます。マコト 23.5.1
(FuOH)晴れた日に、景色や季節を楽しみながら歩いてください。まだこれから先は長いので、いろんな場面に遭遇する楽しみがありますね。
字が小さくて、ご苦労をおかけします。ここはというところは、強力ツールの首掛け老眼鏡で、興味薄いところは端折って飛ばすアクセントをつけられるのも方法です。時には、寄り道もお楽しみください。
237「ホントに歩く東海道」、ようやく15集に「ホントに歩く東海道」、ようやく15集に来ました。
退職を機に何かやり続けていくことはと思い、夫婦で2016年6月から日本橋をスタート。いよいよ京都が見えてきました。今月草津宿/本陣に入りました。「ホントに歩く東海道」には、ホンとに助かっています。ありがとうございます。
途中、箱根を目指していたところ、富士山の姿に感激し、富士山一周歩き(≒170km)を始めてしまい、他にも事情があり、約2年は東海道を休んでいましたが、2018年から再び東海道歩きはじめ、駿河、遠江、三河、尾張を過ぎ、伊勢(関宿)から鈴鹿峠を越えて、近江の国に入りました。すべて日帰りです。茅ケ崎に住んでいますが、自宅から三島から浜松/新居までの区間は車で往復、三河の国からは新幹線を使い、豊橋・名古屋そして京都と往復してきました。
来月、京都を目指し53次を完歩です。完歩したらまた報告します。蓬莱橋 23.4.26
(FuOH)完歩目の前、おめでとうございます。まもなく、ほんとうの拍手、おめでとうですね。2016年からですから、感慨ひとしおでしょう。途中の富士山一周歩きもよかったですね。
「すべて日帰りも」もすごい。途中、厳しい行程もあったでしょう。ご報告を楽しみにお待ちしております。ご健脚、いいゴールをお祈り申し上げております。
236 娘との東海道、大坂までの五十七次も
娘との東海道五十三次を長年の街道歩きの集大成と考えていたのですが、折角ならと、大坂までの東海道も歩くことにしました。この区間は一度歩いてますが、娘と歩くと新鮮ですね。子供の視点には毎度驚くことばかりで楽しい道中になりました。
写真はスタート地点の髭茶屋追分。道標があるのですが、2年前に東海道を歩いた時の写真を見ると、前は蓮如の如の文字の場所が頭だったのに、今は道標の背丈と同じぐらいで、思いがけず道標を物差しに娘の成長を実感した次第です。 いつかまたここを通った時も写真を撮ってみようと思います。〜旅と街道歩きブログ〜 https://borabora.seesaa.net/
にゃおすけ 23.3.15
(FuOH)いつもお便り、ありがとうございます。ブログでのご活躍の記録、多くの方の参考になっていることでしょう。情報の交換も多くあることでしょうね。 娘さんとの旅やイベントを楽しまれていることも、楽しい記録ですね。これからもますます、新しい体験に挑戦していってください。お便り、また、お待ちしています。
235 箱根越え、通行止めなど現況報告(2023年2月)
この土日で箱根峠を越えました。
無事達者だったのも貴社の地図のお陰です。
土曜に峠まで、日曜に峠からと、登り下りましたが、その時現地のガイドさんに教わったので地図情報になるか?と。現在、箱根峠より接待茶屋までの区間が、先の悪天候により崩落通行止めでした。
また、地図ではその先のいくつかが、以前の悪天候による通行止めになっていますが、これらは全て開通してました。
それと、土曜午後は霙(みぞれ)となり、箱根峠迄にしましたが、天候によらず、石畳はゴム底の現代の靴と相性が悪いと知りました。
草鞋のような吸い込む物は良いのかも知れませんが、運動靴は帰って苔や濡れた石で足を取られるのですね。歩かないとなかなかわからない事でした。箱根峠越えの時、通行止め情報がもう一つ。
極力、旧東海道(古ではなく旧を選んでいます)を歩く事にしてまして、箱根湯本から芦ノ湖湖畔に向けて、湖畔手前「権現坂の赤い鳥居からケンペル&バーニー記念碑手前の坂道位まで」が工事中で通行止め、国道1号線への迂回指示でした。P.S.
三月は主人の出張が四日市なので、桑名付近を少し飛ばして歩いておこうという事に…。
早速12・13集を手配しました。この地図があって本当にありがたい事です。あっこ 23.2.28
(こ)箱根越え、お疲れさまでした。また、弊社のマップで歩いてくださり、感謝申し上げます。
箱根峠はだいぶ以前から、茨ヶ平からの兜石坂(「ホントに歩く東海道」第3集 №13mapA)が通行止めになっていると読者から教えていただいており、また昨年秋に、私自身も確認に行きました。ラウンジにアップしなくてはと思いつつ、まだできておらず申し訳ないと思っておりました。
このたびは貴重な情報をありがとうございました。2月にお便り頂いておりましたが、アップが遅くなりました。
お写真に雪も見えて、少し大変な箱根峠でしたね。
この先の東海道も、どうぞお気を付けて道中お楽しみください。お便りもお待ちしております!
234 レポート「街道を行く 中山道・東海道 上りあげて」
「ホントに歩くフォーラム」ラウンジページを更新しました。ひいちゃんさん(ラウンジ№232「東海道53次の完歩とその事情」)が、完歩された東海道と中山道の一人旅の記録をお寄せくださいました。東海道は、弊社のマップ「ホントに歩く東海道」で歩いてくださっています。渋川地名研究会で報告発表されたレポートで、最後の行程表が圧巻です。2001から2016年までの記録、たいへん感慨深く拝見いたしました。
東海道、中山道を歩かれる方に役立つと思います。ありがとうございました。「街道を行く 中山道・東海道 上りあげて」
https://www.fujinsha.co.jp/lg-234-hi/
233 「謎解き」柏尾通り大山道を歩きました
冬の好天の下、柏尾通り大山道を歩きました。戸塚区柏尾〜伊勢原市下糟屋の約25キロ、2日間です。
3年前、旧東海道を歩いた際、戸塚宿手前にある大山道への入口案内が気になりました。どうしてこんなに遠くから大山を目指したのだろうか、と。現代のご先導師、貴社書籍『キャーッ! 大山街道!!(中平龍二郎著)』のお陰で少し謎解きできました。
東海道の戸塚から分岐して伊勢原の大山道(青山道)に合流する道、自分は横浜・川崎に40年住んでいるのに、初めて訪ねる場所ばかりでした。旧道は石造物(道標、庚申塔、道祖神等)が多く残り、歴史を感じさせます。
県央部の相模原台地を、河川によりつくられた河岸段丘を何回も越えながら西へ進む。東から順に、JR東海道線、阿久和川、和泉川、相鉄いずみ野線、境川、小田急江ノ島線、引地川、東海道新幹線、目久尻川、JR相模線、相模川、渋田川、小田急小田原線を越える。
旧道沿いの丘陵地は生産緑地が多いため空が広く、とてもゆったりとした気分で歩くことができました。江戸時代に大山参詣者で賑わったと言うのが頷ける道でした。次は平塚、藤沢からの謎解きに向かいます。
あつお 23.1.27
(FuOH)弊社の書籍・マップで、東海道から分岐する大山道を歩いていただいて、とても嬉しいです。『ホントに歩く大山街道』を出したときは、「赤坂道だけが大山街道」と思っていたとんでもない無知から、まず、東海道からいくつも分岐する大山道の本を作ろうと、現地調査を続けました。
『ホントに歩く大山街道』は、予想を超えた売れ行きになったのですが、『キャーッ! 大山街道!!』は、どうしたの? といぶかるほどの売れ行き不振です。
しかし、歩くと実感されたと思いますが、いい道ですよね。距離も、それほど長くなく、大山や富士山も、道中望めます。
ぜひ、お楽しみくださり、またのお便りをお待ちしています。(こ)送っていただいた用田橋近くの写真(藤沢と海老名市境付近)が、石造物は見覚えがあるものの、どこなのかわからずお聞きしたところ、あつおさんが別の写真を送ってくれました。寿閑寺の坂の下だとわかりました。
『キャーッ! 大山街道!!』の48頁の写真の場所です(2010年当時)。著者の中平龍二郎さんと弊社社長がのぞき込んでいる馬頭観音道標は住宅の間にありましたが、今は本郷ふれあい公園になっています。道標以外の石造物もあつめられているようです。だいぶ変わりましたね。
232 「東海道53次」完歩とその事情
20年前、退職を機に中山道(江戸→京都)、東海道(江戸→京都)をすこしずつ日程をきざみながらの完歩しました。まだ、貴社のシリーズが発刊される前でしたので、児玉幸多先生が監修した講談社本を頼りに、ひとり旅をしました。地域の郷土史仲間にも発表し、報告できました。
後日、「ホントに歩くシリーズ」が刊行していることを知り、購入した次第です。時々紐解いて思い出しています。昨年は 佐屋街道をあるくことができました。
健康であれば、また、「ホントに歩くシリーズ」を活用して街道歩きを楽しみ、見聞を広めていきたいと思っています。このたび、東海道53次の完歩証を申込みます。
1.自治会の役員や高齢者施設のボランティアをしていたので、旅程を調節した。そのため期間が長くなってしまった。
2.ひとり旅を原則としたが、箱根峠と大津〜京・三条は仲間が同伴した。
3.鉄道を利用して、自家用車・バスには乗らないことにした。宿間でも、駅・宿泊施設の位置により戻ったこともある。
4.宮〜桑名の「七里の渡し」は船便がないので、未踏破だった。ただし、昨年、佐屋街道を完歩した。いつかは船で渡ってみたいと思っている。(情報があれば教えてほしい)
5.中山道は2001年5月〜2009年3月、仕事の合間を縫って完歩している。
6.2016年11月13日に渋川地名研究会の仲間に報告した。「街道を行く」〜中山道・東海道を上りあげて〜を表題とした。必要があれば発表史料・プレゼンテーションは公開できる。ひいちゃん 23.1.10
(FuOH)完歩証のお申込、ありがとうございます。完歩、おめでとうございます。
そして、「街道を行く」報告発表もなされてよかったですね。佐屋街道も踏破とのこと、こだわりがありますね。
弊社でも、2015年におおぜきさんという、桑名市の釣り船屋さんの渡し船をチャーターして七里の渡しを渡るイベントを開催したのですが、強風で直前に中止とし、大変残念でした。
実現されたましたら、またお便りください。※補足(風人社編集部)
4.宮〜桑名の「七里の渡し」について
「堀川まちネット」さんという団体が渡し船(クルーズ船)を運航しています。https://horikawamachi.net/tokaido.html
2023年の予定はまだ出ていないようですが、こちらは利用されている方が多いです。
桑名市の釣り船屋おおぜきさん
HPがありますので、問いあわせてみてください。
http://www.oozeki.co.jp/index.php?c=1-5上記2件については、「ホントに歩く東海道」第11集№44で、七里の渡しのルートも含め、ご紹介しております。
6.「街道を行く」〜中山道・東海道を上りあげて〜 について
当ページ(ホントに歩くラウンジ等)で、pdfなどの形で公開させていただければありがたいです歩いている方、歩こうと思っている方の参考になると思いますので、ご検討ください。
231 長崎県からは現地までが大変
長崎県在住なので現地に赴くまでが大変です。
東海道も中山道も、ごく一部またはバスツアーで行った程度です。齢75歳、何とか元気なうちに東海道や中山道、姫街道、歩き通したいと願望しております。ヒロさん 23.1.7
(FuOH)長崎からとは、すごいですね! 時間も費用も大変。それほどの意欲、モチベーションに尊敬の念を抱きます。応援したいです。無理はなさらずに、挑戦してください。ご健脚をお祈りしております。
230 今年、中山道を!
今年、中山道を歩いてみたいと思っています。
しば 23.1.2
(FuOH) お便り、ありがとうございます。中山道、歩き始めると、なかなか面白いです。順に通しても、アトランダムに好きな個所を歩いてつなぐのも面白いと思います。
とにかく、楽しんでください。お便り、お待ちしています。
229 保土ケ谷通り大山道を歩きました
こんにちは。
注文させて頂いた「キャーッ! 大山街道!!(中平龍二郎著)」が先日届きました。ワクワクしながら頁を開き、自分にとって未踏に近い神奈川県央、県南部の街道情報が満載であることに感動しました。読み進めば文献・現地調査が入念に行われ、また丁寧に編集されていることがよくわかります。汗と涙の結晶である本書がこの価格で手に入ると言うのは申し訳ないことにさえ思えます。偉大な仕事を残された中平様を偲びながら、旧東海道からの大山道を歩いてまいります。師走の青空の下、早速、大山道(保土ヶ谷道)を歩きました。
保土ヶ谷区にある東海道・八王子道追分を起点として海老名・国分寺跡までの約25キロを二日かけて歩きました。並行する相鉄線は帷子(かたびら)川沿いに緩やかに西進しますが、旧八王子道は真っ直ぐ西を目指し丘陵地を上り下りするので、ダイナミックな景観を楽しみました。三ツ境、大和と進むにつれて大山に近づくのを実感しました。富士山の位置も変わります。海老名では、前回青山道を歩いた時に拝めなかったお銀様の墓にお参りすることができました。互いの街道、宿場はこういう関係だったのかと新たに学んだ二日間でした。
あつお 22.12.28
(FuOH)ありがとうございます。このように、弊社本で歩いてくださり、そしてお便りをいただけるのは、版元としましてはこれほど嬉しいことはありません。
本書は、発行当時から売れ行きが芳しくありませんが、青山道以外の東海道から分岐する大山道の現地調査資料としては貴重なものと自負しておりますので、感謝の念はひとしおです。本書の増刷はたぶん無理ですので、歩かれなくても、もしご関心ある方がおられましたら、お求めおいてくだされば幸いです。おかげさまで、在庫が少なくなってきました。
『キャーッ! 大山街道!!』それぞれの大山道の関係ですが、目次の後の概念図のほかに、くるみカバー表紙を外して広げると大きな地図がありますので、こちらも参考にしていただければ幸いです。
海老名のお銀様も立ち寄られてよかったですね。また、別の道のご報告もお待ちしております。
228 東海道を歩いています
現在、愛知県安城市辺りを京都に向かって歩いています。
「ホントに歩く東海道53次」は、大変重宝しています。ますます 22.12.20
(FuOH)弊社マップがどんな方にどのようにお役に立っているのかは、いつも気がかりで心配しております。それで、マップを重宝していただいているというお便りは、本当に嬉しく、励みになります。ありがとうございます。道中半ば、先は長いですが、どうか新鮮な発見のある、楽しい旅をお続けください。ご健脚をお祈りしております。
227 西国三十三所巡礼のマップがほしい
いつから東海道を歩くようになったか定かではありませんが、歩きはじめた頃にはよい案内本が見当たらず、勘をたよりにすることも多々ありました。そうこうしているうちに、2001年の街道制定400周年を記念してウォーキング本が数多く出版されました。なかでも「東海道五十三次を歩く」(全5巻、1999年8月~12月、講談社SophiaBooks)は、2万5千分の1地形図を用いた有用な本で、週末になるとそれを片手に出かける日々がつづきました。 自宅から日帰りか一泊で行けるところをずいぶんと歩いた頃に、今度は同様のコンセプトで「中山道の歩き方」(全6巻、2000年11月~2001年5月、学研)が刊行され、当時は自宅が旧中山道から近かったことも相まって、そちらにシフトをするようになりました。
やがて仕事が忙しくなり、また引っ越しをしたこともあって、街道歩きからは次第に遠ざかってゆきました。 ずいぶんと経ったころ、新聞だったと記憶していますが、貴社の「ホントに歩く東海道」の広告を見て開眼。さっそく池袋のジュンク堂に赴いて第1集を買い求めました。街道歩きには必携ともいえる、しかも厚みのある本のページを開きながらでなくてもよい、そのうえ地図は1万分の1という、題名からしてまさにそのものズバリの「ホントに歩く」が刊行されはじめたのです。「ああ、あのときにこれがあればなあ」そんな気持ちを抱いたことが思い出されます(2012年の12月か、2013年の1月頃だったのではないでしょうか)。そうして再スタートを目論みながら興味のあるところを何冊か入手しましたが、相も変わらずの忙しさゆえに見たり読んだりして楽しむだけで、いまもって充分に活用(実践)できているとはいえません。
貴社のHPを拝見し、街道歩きの案内本の使いよさの裏には、それを編む方々の綿密なる調査と、並々ならぬ労力と、そして決して低廉では済まされない費用とが必須であって、そうしてはじめて「ホントに歩く」の看板に偽りのないものができあがるのだということを、あらためまして知らされた思いです。
いまは「西国三十三所(観音)」の徒歩巡礼が目標ですが、もしも満願できた折りには、その次として、いまだ完歩できていない東海道(往路)と中山道(復路)をゆきかえりに歩いて、いにしえの旅人よろしく西国をお参りしたいなどと、そんな大それた妄想も抱いています。そこでリクエストなのですが、同じようなコンセプトで「西国三十三所」を徒歩巡礼するための手引き書をご企画いただけませんでしょうか。「西国三十三所札所会」には、先達制度というものがあり、巡拝を重ねることで昇補が可能になります。昔の人たちがしたように、私も死ぬまでに一度は1000キロの道のりを踏破してみたく、そのためのよき案内書を切に求めております。
蟻の如くに歩まん 22.12.1
(FuOH)とても嬉しくありがたいお便りをいただきまして、身に余る光栄に存じます。ありがとうございました。「ホントに歩く」シリーズをご利用いただいた上で、励みになるお言葉をいただき、感謝感激でございます。
「西国三十三所(観音)」徒歩巡礼のマップ発行のリクエストをいただき、その返信に対するご返信のご丁寧なお便りをいただき、それを、上記に転載させていただきました。もともとのリクエストのお便りも、文末に転載させていただきました。 「西国三十三所巡り」をめざされるとのこと、頭がさがります。ぜひとも、満願成就されますよう、お祈り申し上げます。お申し越しの巡礼地図を弊社でこれから作成することは、正直なところ、今のところはとても困難で、せっかくの企画ご提案ながら、お応えできないのが残念です。お許しください。
1万分の1地形図で、たかが30kmの1集を作るのに、何度も複数回の現地調査を続けて3カ月以上を要しています。西国三十三所巡りの道は大変魅力的ではありますが、西国1000キロは、いまのところ、弊社のキャパシティを超えており、申し訳ありません。
ご出発なさったおりには、ぜひ、お便りください。読者の方で、ご関心ある方も大勢いらっしゃることと思います。 今後ともどうかよろしくお願い申し上げます。満願成就を心よりお祈り申し上げております。
226 日本橋で歓喜!6歳娘との東海道歩き無事に完歩!
まだまだ先と思っていた日本橋。もうこれで東海道を歩くのも最後とセンチな気分の私に対して、娘は、「ディズニー!ディズニー!」と終始ご機嫌のままゴールへ。
街道仲間の出迎えに感激したようで飛び切りの笑顔を見せておりました。その後は「ちゃらぽこ」で踏破のプレートを掲げて記念写真。ここで改めて完歩したことを実感します。思えば途中の岡崎付近の頃は「行きたくない」を連発して、一時は中止を考えたほどでしたが、自前で作った”とうかいどうスタンプラリー”でなんとか切り抜けることができました。
そのご褒美で翌日はディズニーへ。こうして娘は普通の女の子に戻ったのでした。つづく?
https://borabora.seesaa.netにゃおすけ 22.11.30
(FuOH)東海道踏破、おめでとうございます。ひとしおのご感激のことと拝察します。
記録をきちんと残されてきたことも、貴重な財産となりましたね。すばらしいと思います。多く方の応援もありましたね。そのこともよかったと思います。
完歩への拍手を惜しみなくお送りしたく思います。娘さんの大きな体験は、これからの人生にとってもかけがえのない力となって活きることでしょう。私たちも多くの勇気をいただきました。
これからも、ますます、新しいことに挑戦し続けてください!
225 大山街道再度、成瀬別道(江戸道)と豆腐坂
風人社様 お世話になっております。
ホントに歩く大山街道(中平龍二郎著)が届きました。本書はホントに名著だと思います。地理学への深い造詣、丹念な準備と現地調査、洞察力、愛情等いっぱい詰まっていて、一字一句に感動を得ながら読んでいます。自分は一度通歩いてから読むので感慨もひとしおです。どの頁でも歩いたときの情景が目に浮かびます。本書を読んだ後、再び各所を訪ねることにより、二度美味しいを狙って参ります。さて、愛甲石田から成瀬別道(江戸道)、忘れた豆腐坂を歩くツアー(^^)をして参りました。11月の快晴日は里を歩くのに最も適した季節だと思います。小学生の夏休み研究みたいで恐縮ですが、下記報告いたします。長文になりますがご容赦ください。
①愛甲石田~JAいせはら成瀬支所
前回気になっていた割地坂(日本ロジシステム)の方を歩いてみようと思いました。246の北側迂回路はある程度近い道を歩け、塚越公園から望む大山は絶景でした。ところが246を渡った南側の尾折越は商業施設、工場、宅地に阻まれ、ほとんど歩くことは不可能でした。それでも何かの痕跡ないかと、しつこく坂を上り下りしてずいぶんと時間を使いました。貴社の方々は日頃こうして作業を積み重ねていらっしゃるのいるのだろうなと思い頭が下がります。
写真のフォークリフトの所で八十歳前後の奥さんが落ち葉掃除されていたので、お稲荷様から向こうは通り抜けできますか? と尋ねたらできないとのことでした。ちょっと奥を覗かせてもらったら看板の裏にお稲荷さんがあり、フォークリフトの向こうは崖斜面、小さな歩行階段がありました。(ちょっと歩いてみたかったけど、そこまで図々しくも言えず…)ご婦人は昭和28年にこの地へ嫁入りされたらしく、この辺りの古い地理にお詳しかったです。確かに旧道はあったようですが、宅地開発等で通れなくなった。この場所に茶屋もあった。自宅に古い図面も残っていると仰っておられました。大山道の旧道探しているんです、と話したら、ずいぶん熱心ですねと感心されてしまいました(^^)②JAいせはら成瀬支所~寿経寺~不動尊道標~東海大附属病院裏~咳止め地蔵
Mapに二つ道が示されていれば、両方歩いてみたくなる性分です。(その意味では世田谷の市町・行善寺線をまだ歩いていません)心残りを埋めたく今回は江戸道の方を歩きました。途中の庚申塔道標に写真の地図があり大いに参考になりました。帰宅後アド・おおやまみちさんを調べたら、御社と深いお付き合いがあったのですね。東海大病院、新東名ができる前は本当にのどかな田舎道だったのでしょう。ただし糟屋宿から合流する前の道は両側から丘陵地が迫り、少し鬱蒼としていたんじゃなかろうかと思わせる道でした。東側斜面だから日の暮れも早いだろうし。楽しみにしていた道でしたが、あっと言う間に歩いてしまいました。
③咳止め地蔵~豆腐坂~こま参道
前半だいぶ時間使ったし、二回目なので、わき目をふらずさっさと歩きました。前回7月は這子坂でばてましたが、今日はすいすいと歩けました(^^)
豆腐坂、これか、ここにあったのかと思いながらさっと過ぎ、大山まんぢうと1,000円の金剛杖を土産に買って、神奈中バスで帰宅しました。いつ来ても外人さんが多いのですが、厚木基地が近いせいでしょうか?よい文化財はきっと彼らにもわかるのですね。長文たいへん失礼しました。
また便りいたします。あつお 22.11.21
(FuKO)お便り、ありがとうございます。またリベンジの落ち穂拾い歩きもお疲れ様でした。豆腐坂、よかったでですね。金剛杖のお土産というのも新鮮です。
大変丁寧なご検証にこちらこそ、頭の下がる思いです。成瀬別街道ほか、伊勢原の各地に説明看板を立てられているアド・おおやまみちさんは、弊社で『相州大山今昔史跡めぐり』を出された宮崎武雄さんが活動されている団体です。丁寧な説明や手作りの案内板は、大変ありがたいですね。
また、このたびは『ホントに歩く大山街道』のご購入、ありがとうございました。著者の故中平龍二郎さんに、この感想をお見せしたかったです。本書は、何度も、季節を変えながら、東、西両方向から、大山街道を歩きつめた中平さんの思いが詰まった一冊です。それをあつおさんが感じてくださり、嬉しく存じます。
またのお便り、お待ちしております。
224 中山道新町宿を歩きました
先日、中山道の新町宿をブラブラ散策してきました。 新町宿は、江戸寄りの笛木新町と高崎寄りの落合新町とからなるそうです。両町は、慶安4(1651)年に伝馬役を命ぜられたそうですが、笛木新町の場合は、街並みを整備するのに時間がかかって、承応2(1653)年から、伝馬役を務めるようになったそうです。
天保14(1843)年の書上帳によると、本陣は、小林甚左衛門家(建坪は、凡135坪:約446.31㎡)で、門構と玄関付き、並びに久保五左衛門家(建坪は、凡42坪:約138.85㎡)の玄関のみの2軒、脇本陣は、三俣武兵衛家で、建坪は、凡126坪:約416.56㎡でやはり玄関のみ、いずれも落合新町にあったそうです。江戸方面から歩いて行くと、向かって右側に小林家、左側に久保家、三俣家の跡地がありました。 問屋場は、笛木新町・落合新町それぞれにあり、笛木新町の問屋役は、内田源左衛門、千木良武太夫、三俣七郎衛門らが、落合新町の問屋役は、富沢忠右衛門、高橋重太夫が務めていたそうです。両町は、毎月15日交替で問屋役を務め、非番の問屋が民間の荷物を担当したそうです。落合新町の問屋場が、久保家の向かいにあったのは分かったのですが、笛木新町の問屋場の位置は、よくわかりませんでした。
人馬継ぎ立てについてですが、次宿倉賀野までの距離は1里半、正徳元(1711)年の段階で、荷物一駄・乗掛荷人共60文、軽尻馬一疋40文、人足一人30文です。さらに、『大概帳』が成立した天保14年の段階では、荷物一駄・乗掛荷人共87文、軽尻馬一疋58文、人足一人44文とのこと。現在の貨幣価値に換算できれば、料金のイメージがつかめるのですが、不勉強なため、私には、高いのか?安いのか?見当がつきません。笛木新町と落合新町のちょうど境界に当たるところに、高札場の説明板があるのですが、賃銭についての記述はありませんでした。駄賃札を復元しろとまでは言いませんが、せめて、説明文の中で駄賃に触れて頂けたらと思いました。
助郷は、享保9(1724)年の段階で22ヶ村、嘉永5年(1852)の段階で32ヶ村が指定されていたそうです。 最後に、六斎市なのですが、新町宿の場合、成立当初は、3・8の日に定期市が立っていたそうですが、いつのころからか、この市は消滅して、毎年12月の23日と28日のみ、小規模な市が立つだけになったそうです。『分間延絵図』を見てみると、薬師堂の入口のところに、市神が描かれているので、桶川宿や本庄宿のように、周辺の神社に小祠が合祀されていれば良いなと思っていろいろ探してみたのですが、見つけることはできませんでした。
PS そういえば、『ホントに歩く中山道』の第14集が発行されたんですよね。第14集を入手したら、今度は、そのマップを片手に、新町宿を再び歩いてみたいと思います。
みちがたり 22.11.10
(FuOH)すごくお詳しいですね! 新町に特にご関心がおありなのでしょうか? 弊社の取材、学習では、こんなに詳細にはできていません。今後とも、いろいろご教示賜りたく、お願い申し上げます。また、みちがたりさんのお便りが、読者の方にも参考資料になれば、ありがたいと思います。ちょうど発行した『ホントに歩く中山道』の第14集の宿場で、タイムリーでした。どうもありがとうございました。
ぜひ、第14集で新町宿を歩いてみてください。
223 大山登頂! 大山街道を完歩。
ご無沙汰をしております。 のべ六日間で無事に大山道を歩き終えました。
御社地図のお導きにより、江戸文化を体験することができました。厚く御礼申し上げます。2022/4/25(1日目): 青山~溝の口、17キロ(17/69キロ)
5/5(2日目): 溝の口~市が尾、10キロ(27/69)
5/28(3日目): 市が尾~鶴間、12キロ(39/69)
6/26(4日目): 鶴間~厚木、12キロ(51/69) 以上、以前ご報告。7/24(5日目):厚木~糟屋宿~菊屋前バス停、13キロ(64/69)
厚木から相模川沿いの平塚街道を南進、前職でお世話になったソニーさんの事務棟が並ぶ。このまま平塚まで下ってみたくなるが、やがて三差路を右折して大山に向かって西進となる。 街道沿いは寺社が多く、また夏の農村風景に癒される。愛甲石田駅を過ぎた長龍寺の回り道も楽しい。 JAいせはら成瀬支所の分岐点、どちらの道も捨て難く悩んだ挙句、左の糟屋宿方面へ進む。太田道灌ゆかりの史跡を訪ねているうちにどんどん山に近づいて行く。 新東名をくぐった辺りから軽い熱中症の気配。這子坂なんて大げさな名前だなと思いながら上った途端まったく足が進まなくなった。大山の宿坊街まであと少しであったが、倒れ込むように神奈中バスに乗り伊勢原駅へ退散した。11/3(6日目):菊屋前バス停~女坂~阿夫利神社下社~大山山頂、6キロ(69/69)
御社のご助言により、量販店で軽登山靴を買い求め、夏の間に足ならしを行った。(余談ですが、今夏横浜スタジアムに何度か野球観戦に出かけたのですが、保土ヶ谷駅からこの靴で丘越えをして、関内で持参のサンダルに履き替えて球場入りしてました) 雨乞い信仰の山へ登るのに、夕立の多い夏を避けて、秋の快晴日を待って挑戦したけど、よかったのでしょうか? 標高1252m、あの吉田類さんが飄々と登っていたぐらいだから何とかなると思っていたら大間違いでした。序盤早々女坂で足をつり、息があがっては何度も休み、こま参道から頂上までかかること3時間半(標準は2時間半程度らしい)。石段続きの登山道では若者、子供たちにどんどん抜かされ、己の60代の体力を思い知らされました(T_T) でも、軽登山靴は本当に正解でした。石段では滑りにくいし、疲れの残る下りも足を痛めず無事に下りることができました。 最後に一言、江戸赤坂から山頂まで続く道を先人の思いを推し量りながら歩いたことは大いにこころの財産になりました!※旧東海道歩きも先月一年ぶりに東海地方を訪れ、念願の七里の渡しに到達、佐屋路を万場宿まで歩きました。追ってご報告いたします。
あつお 22.11.5
(FuOH)いつもお便りいただき、ありがとうございます。大山街道完歩、おめでとうございます!
登山靴でよかったですね。おっしゃるとおり、特に下山時には。それから、真夏では夕立よりも山中の直射日光による猛暑に苦しみます。到達感は格別ではありますが。秋は、やはり大山の紅葉ですね。
佐屋路のご報告も楽しみにしております。
222 旧東海道を三島まで。ブログに記録もしています
御社のウォークマップで楽しく歩いています。 昨年から始め、ブログにも挑戦し、写真をアップしています。
三島まで歩きました。この先ものんびり行きます!https://burakkuma.com/category/toukaidou
ぶらっくま 22.11.1
(FuOH)弊社マップのご利用、ありがとうございます。ブログにも弊社マップに触れていただき、嬉しく存じます。 詳しいブログで、新しい情報が記されていて、これから歩かれる方に役立つと思います。ありがとうございました。 今後ともよろしくお願い申し上げます。また、お便り、お待ちしています。
221 中山道:岩村田から横川まで
約1年半ぶりのお便りです(前回0168)。
その後、中山道ウォークを再開し、雪の降る前に碓氷峠を通過すべく、このほど1泊2日で岩村田から横川まで歩いてきました。初日(10月19日)は、新宿から高速バスで佐久平まで、そこから追分のあさぎり荘まで。運よく全国旅行支援の対象となり、元来リーズナブルな宿泊料金がさらにお安くなりました。
2日目(10月20日)、宿を出発し、いざ碓氷峠へ。天気に恵まれ、旧軽銀座は平日にもかかわらず結構な人出。見晴台までのバスにも乗客多数ですが、当方は歩いて、ウォークマップ(注「ホントに歩く中山道」第12集№48)の案内どおりに43番のカーブミラーから斜面を下りました。 そこは獣道で、何とか渡渉場所まで行きましたが、ろくな飛び石もなく、片足を水没させながら何とか対岸へ。しかしながら、その先の道がまったく判別できず、やむなく斜面を登って県道へ脱出。そこから44番の変則十字路で再び中山道に合流。
13:00頃、見晴台に到着し、周辺の茶屋で昼食をと考えていたのに、すべての茶屋が臨時休業。当てが外れ、仕方なく旧軽銀座で買ったお土産用の栗羊羹を食べて、横川へ。ヤマビルを見ることもなく、横川駅までたどり着いたものの、ぎりぎり16:30発の電車に間に合わず、その次は17:21発。昼食を食べ損ねたので、おぎのやで釜めしを食べようと思ったら、本店・ドライブイン店いずれも16:00で閉店。駅周辺の唯一の食堂も休業中で、コンビニ等も一切なし。再び栗羊羹で飢えを凌ぎ、高崎駅まで食事なしの行程となりました。 飲食店等がないと想定される場合は事前にコンビニでオニギリ等を調達しますが、今回は事前想定が外れました。信州割クーポンでお土産を買っていたことが不幸中の幸いでした。PRD1 22.10.24
(FuOH)いやあ、反省至極です。申し訳ありません。私の現調とまったく同じ苦難に遭わせてしまいました。これから歩く人のために、何らかの注意喚起を追加したいと思います。この区間(軽井沢〜碓氷峠〜横川)は、非常食を携帯してください。
私が現調をしたときは、自分でルートファインディングをしました。先行ガイド本の「カーブミラーより下降」に従いました。その方向のまま徒渉するとトレースが消え、斜面を県道に向かって登ることになりますが、これはバリエーション藪漕ぎで、おかしい。それで元に戻って、徒渉個所を見ると、川に下りて振り向けば、安全な飛び石徒渉と、対岸に「中山道」の標識があります。とても歩きやすい広い斜面で、50mくらいで遊歩道に出ます。
ここは注意喚起のために、マップの赤線は、徒渉後、Uターン気味を強調しました。その方向を見れば、この区間は問題なかったと思います。説明をもう少し詳しくすべきでした。申し訳ありませんでした。ただ、その後、旧道を踏破されたのはよかった。それが、私には救いのご報告です。ここも初めてだと難所ですね。45番の馬頭観音の後、右の林道に下りるのがトレースがなく、数メートルですが、気をつけて、下りられるところを見つけます。このあたりは道を外すと、イノシシ狩りの罠が仕掛けてあるので、危険です。
次に、茶屋の臨時休業ですが、私もまったく同じ目に遭っています。それも数度。店は休業が多く、しかも全店一斉に休業します。なぜ、別々に休業してくれないのかと思いました。朝早くて開店前の時もありました。1度目は、非常食もなく、昼飯抜きでした。2回目からは、この区間は、必ず非常食を携帯し、それが役立ちました。
さらに、横川のおぎのやは、私も午後4時10分に到着し、閉店直後でした。ただ、酒屋さん(旧道沿い「伊丹屋酒店」)は開いていて、毎回、ここでワンカップを買って、ご主人と顔なじみになりました。その手前にラーメン店(関所食堂)がありますが、営業時間に注意です。横川からは電車があるので、もう安心です。
お土産の栗羊羹、よかったですね。私は、それもなかったので。しかも、ヒル被害にもばっちりあっております。私よりはましだったことが、救いでしょうか。
ご報告、ありがとうございました。今後ともよろしくお願い申し上げます。
220 中山道、和田峠・木曽路の準備のために
東京在住の2020年春より街道歩きを始めて、昨年中に、日光街道の全てと中山道の高崎宿までを歩き、今春に信州に拠点を移したのち、高崎から芦田まで来ましたが、難所の和田峠とその後の木曽路の事前準備のため、今般、貴誌『10集/11集』を購入した次第です。
本願釣画坊 22.10.18
(FuOH)フォーラムへようこそ! 新規ご購入とお便り、ありがとうございます。
和田峠、木曽路のお役に立てれば、嬉しく存じます。和田峠は難所ですが、木曽路は発見も多く、楽しい旅になることでしょう。ご健脚をお祈り申し上げます。
やはり難所の碓氷峠は、第12・13集でしたが、本願釣画坊さんの旅に弊社の『ホントに歩く中山道』が間に合わなくて残念でした。この区間の中山道は現地調査がとても充実していて楽しく、情報の多い区間になりました。弊社の西からの中山道は、このたびの新刊の第14集で、群馬・埼玉県境を越えました。ここは関東平野の地形的出入り口です。
今後とも、よろしくお願い申し上げます。
0219 美濃中山道、一里塚めぐりの旅
10月8日、出かけた。相棒は、中央線等で瑞浪駅へ。私は東名、中央道で、瑞浪で落ち合う。
さて、瑞浪市で頂いたA4×4枚の特大中山道地図の凡例だが、茶色で塗られているのが中山道、青色で塗られているのが国史跡中山道指定区間。青の上に茶の破線は通行不能区間区間である。
まずは、江戸へ93里の一里へ。平岩の辻を左折、小高い坂道の途中、県道をまた左折。小高い砂利道を上る。通行不能区間だが、駐車によい道幅で、難なく通れそう。しかし、通行不能とあるので車を置き、歩く。
ほどなく、突然に大きな土饅頭が目前に現れた。「鴨之巣一里塚」だ。この一里塚は、貧弱な棒杭に「一里塚」と記してあるだけのものではない。堂々と存在を示している。五年前に通過した記憶がよみがえった。保存状態は良く、草は短く刈られ、雑木は生えていない。地元行政の努力が見て取れた。
次の「奥之田一里塚」は、県道65号の両脇に鎮座、存在を示していた。江戸へ91里の琵琶峠の「八瀬沢の一里塚」も、石畳みの道を10分上った所の両脇にたたずんでいた。一里塚見学を目標にと来たので、これらの存在感がヒシヒシと感じられた。一里塚間の移動は自動車なので、細久手宿、大湫宿の見学は十分に行えた。
昼食は、土地のうまい物紹介がされている地元小冊子の「すき焼きうどん定食」の大盤振る舞い。瑞浪市に戻り、見終えた三基の一里塚を讃えた。残る一基の「権現山一里塚」は、遠くに望んだ。祝いのような気分であった。
今後、消滅の危機のないよう、地元の皆さん、地元の行政の努力をいただきたいと思います。
のりさん 22.10.10
(FuOH)いつもご報告、ありがとうございます。お元気で街道歩きと調査、すごいですね。一里塚の存在確認、そして存在感の確認。充実した一日の様子が伝わってきます。
また、ぜひ、お便りお待ちしています。ますますお元気で。
0218 たくさん寄り道して、夫婦で東海道ゴール!
日本橋から夫婦2人で歩き始めたのが、2018年1月のことです。始めた時の目指すゴールは名古屋で、2020年12月に宮に着きました。
が、歩き始めると歩く魅力を感じ、もっと歩きたくなってしまい……。宮から桑名まで佐屋街道を歩き、その後、日永の追分から寄り道して伊勢街道や二見道を歩き、伊勢神宮や夫婦岩へ。途中、たくさん寄り道して、三条大橋に着いたのが、2022年5月です。この8月に高麗橋まで踏破した際は、ホントに歩くで紹介されている、京街道、奈良街道、大和大路のいろいろなルートを行ったり来たりして街道歩きを堪能しました。
街道歩きの魅力にどんどんハマってしまい、今度は、中山道に挑戦しようと思っています。
くろさんしろさん 22.9.18
(FuOH)名古屋までの予定から、どんどん足が楽しさを覚えて、延長、寄り道、完歩の達成感も得られていく、そのプロセスがお便りから想像できます。楽しいですね。中山道の挑戦も嬉しいです。こちらも、与川道、初期中山道、碓氷峠バリエーションなど、興味深い寄り道を収載しました。そのせいもあって、発行予定が大幅に遅れておりますが、いよいよ関東平野に入り、ゴールも間近になりました。東からも歩けますので、ぜひ、中山道をお楽しみいただき、またお便りください。ご健脚をお祈り申し上げております。
0217 東海道53次、長女に続き次女とも完歩!
お世話になっております。こちらのフォーラムへはすっかりご無沙汰いたしておりました。武藏野狐勇あらため武藏野狐太良です。
2018年に当時小学校3年生だった長女と完歩したのに続き、先月(2022年8月)、小学1年生の次女とも日本橋から三条大橋までの東海道を完歩しました。足掛け2年1カ月、延べ19日の行程でした。写真は2020年6月に当時住んでいた日本橋浜町の自宅前を出発した際のものと、今回完歩した際のものです。東海道以外の街道もちょこちょこ歩いていることもあって、次女もすっかりたくましい街道ウォーカーになりました。
次は三条大橋から日本橋まで、中山道を歩く予定です。京街道や美濃路、佐屋街道、姫街道なども、いずれ御社のマップを頼りに歩きたいと考えています。
これからもよろしくお願いいたします!武藏野狐太良 22.9.16
(FuOH)こちらこそ、よろしくお願い申し上げます。完歩、おめでとうございます!
いつも弊社マップをご利用いただき、とても嬉しくありがたく存じております。 娘さんお二人、たくましい街道ウォーカーになられて、すばらしい。歩いた経験が、これからの人生に広がりを与えてくれることでしょう。 復路の中山道も、どうかお気をつけて、たくさんの経験をお楽しみください。
0216 6歳娘との東海道歩き。ゴールへ向け再開!
夏場は無理をせず、涼しい秋まで待っていると、娘は誕生日を迎え6歳に。4か月ぶりとなる東海道を箱根峠→小田原宿で歩きました。 ブランクを感じさせない快調な歩きに感心でしたが、箱根峠の挾石坂では藪化が進んでいて「行きたくない!」の言葉には少々焦りました。これは時期的なものでしょうが、娘にとっては初藪漕ぎ。半泣きになりながらも大好物の石畳が現れると、アトラクション感覚で楽しんでいて安心しました。甘酒茶屋での餅が格別でした! 残り3回の遠征(計6日)で日本橋。最後まで楽しんでまいります。
にゃおすけさんのブログのリンク↓
https://borabora.seesaa.netにゃおすけ 22.9.14
(FuOH)いつもお便り、ありがとうございます。Twitterでのレポートも、たくさんのフォロワーさんに応援されていますね。6歳になられた娘さん、お誕生日おめでとうございます。記念の5歳・6歳になりますね。初藪漕ぎもいい体験になるでしょう。私は、しょっちゅうしていた藪漕ぎは、すっかりしなくなりましたが、たまたま、先日、思いがけない中山道現調での川岸下降に、久しぶりに激ヤブに突入しました。
残り3回ですか。お気をつけて、おっしゃる通り、最後まで十分にお楽しみください。
0215 ホントに歩く中山道14集、現調報告
ウォークマップ『ホントに歩く中山道』第14集(安中〜本庄)は、取材は最終盤、編集作業を進めております。
先週末、風人社は3人とも現調に行ったので、簡単な報告というか、お便りをさせていただきます。(し)
9月1,2日に高崎から新町までの中山道を歩き、ついでに前橋文学館の大手拓次展を見ました。
(磯部出身の詩人。「ホントに歩く中山道 第13集」№51コラム、カワラ版14)
この展示は愛読者の方に教えていただいたものですが、コピーライターの草分けでもある拓次の作品も見られて面白かったです。
9月19日で終わってしまうのですが、ご興味のある方はぜひ。(こ)
「ホントに歩く中山道 第14集」の現調で9月3日に本庄宿、4日は高崎を歩きました。
台風予報でしたが、幸いにも大丈夫でした。
9月はお祭りのシーズンなのか、両日とも遭遇しました。
本庄では、阿夫利天神社の例祭、高崎では「高崎まつり」(市民の祭り。元は頼政神社の例祭)。
コロナで2年ぐらい中止の後のやっとのお祭りで、地元の方の楽しい感じが伝わってきました。(お)
9月3日・4日は、『ホントに歩く中山道』第14集の私の最終回になるかも知れない現地調査に行きました。
14集全行程の一通りの調査を終えて、見落とし個所のピンポイント調査や、街道から寄り道の離れた場所の取材でした。高崎の佐野の渡し、佐野橋、常世神社、定家神社に行ったついでに、近くに「烏川の三石」の一つ、赤石があるので、行ってみたら、大変でした。季節が悪かったか、ヤブ漕ぎが深すぎて途中断念しました。悔しくて残念。風人社編集部 22.9.4
0214 7年がかりの東海道、もうすぐゴール!
現在、東海道7年がかり、地酒巡りの旅7年がかりで、夫婦で旧東海道を気ままに歩いています。
2022年8月現在、50番目の宿・水口まで来ました。何とか年内に三条大橋に到着したいと思います。
私の場合は、この歩き旅は地酒巡りの旅です。土地の料理と酒を楽しんでいます。湘南オールドボーイ 22.8.19
(FuOH)7年がかり。夫婦で土地の料理と酒を楽しむ。いい旅ですね。各宿場で飲んだ地酒リストができたらいいですね。その場合は、ぜひ、教えてください。またもし、特に印象に残ったその土地の銘酒がありましたら、それも教えていただく機会があればよろしくお願いします。
0213 女性3人、楽しく地図を見ながらの街道歩き
2018年より、友人二人と女性計3人でぽちぽちと歩いています。
資料館があればのぞき、石碑や説明板があれば読み、ちっとも前に進まないわねぇ(笑)と言いながら毎回楽しく歩いています。
このペースだと京都にはいつ? 次は中山道よね、生きている間に五街道大丈夫? なんて、それはそれは楽しく地図を見ながらの街道歩き。
これからも頼りにしています。一里塚のりこ 22.8.17
(FuOH)「ちっともすすまないわねぇ(笑)」と言いながらの女性3人の旅。ゆっくりと楽しんでください。駆け足の完歩も達成感があるでしょうけれど、のんびり、ゆっくり、やっと到着の完歩もまたひとしおでしょう。ゴール目指して、ますますのご健脚を!
0212 地図を開いてワクワク止まらず
本日、可愛い缶バッチと共に届きました!
しばらく母の介護やらコロナやらで街道歩きから遠ざかっていましたが、最近少しずつ時間がとれるようになってきたので、また歩き始めようと思い立ち購入。
地図を開いてワクワクが止まらず、もう気持ちは歩き出してます。
素敵な地図をありがとうございます。noah 22.7.22
(FuOH)こちらこそ、ありがとうございます! 缶バッチは「七里の渡し」。東海道の別冊3冊、「地図を開いてワクワク」なんて、ホントに励まされ、嬉しくなるお便りに感謝です。そんなふうに地図を手にしていただくなんて、地図を作成し、発行している者としては、これ以上にない報酬だと思います。
どうか、めいっぱい楽しんでお歩きください。猛暑、コロナ、交通事故……くれぐれもお気をつけて、ご健脚をお祈り申し上げております。
0211 東海道17日間。マイルールは週一回、日帰りで、その日行けるところまで
風人社さま。完歩証、昨日受領いたしました。
「完歩証、そんなに喜んでいただいて、届いて「!」となったら申し訳ないのですが」に、意外(失礼!)に、いいじゃんが正直な感想です。日本人には、蒐集癖があります。最近では、御朱印帳、御城印などがそうです。また、ウォーキングをする者にとっては、ウォーキングに参加した後、主催者からいただけるIVVという印刷物もたかが小さな紙きれですが、完歩した証として、大切なものです。
私は、これまで、各地で開催されていたウォーキング大会に参加していましたが、コロナで軒並み中止となり、歩く機会を失ってしまいました。ならば、自ら企画しちゃえ~、そして、日本経済にカンフル剤を打ち込め~とばかりに、旧東海道を歩いてみることにしました。
いつかは歩きたいと思っていましたから、旧東海道の地図、本、もちろん風人社の「ホントに歩く東海道」も購入してありました。コロナが一時的に収まっていた令和2年10月14日なんと鉄道記念日に、日本橋を出発しました。マイルールは、週一回、日帰りで、その日行けるところまで。雨の日なんか歩きたくないので、天気予報を事前にチェックし、晴れの日を狙っての定年失業家だからできるスケジュールで。
江戸時代の旅人は、東海道を15日間で歩いたとか。また、幕末の医師シーボルトは、一部駕籠を使いましたが、12日間で東海道を踏破したという記録もあるそうです。ウォーキングシューズもなく、草鞋でです。その健脚ぶりには脱帽です。
当然、私は江戸時代の旅人にならい、目標は15日間でした。
しかしながら、第1日目。江戸時代の旅人が最初に宿泊したとされる程ヶ谷(現:保土ヶ谷)にたどり着けず、あえなく挫折。その原因は、悠長に昼飯を食っていたからと、以後はガムシャラに、ただ、ひたすら歩くことにしました。替わりの昼食は、街道沿いにある和菓子屋さんです。やはり伝統のある街道ですから、結構、和菓子屋さんがありました。
ところが、令和2年の暮れになり、コロナの感染者数が日に日に増加し、これはやばいと一時中断となりました。緊急事態宣言、まん延防止措置が終了した令和3年10月から再び、歩き始めました。
そして、12月14日赤穂浪士の討ち入りの日(何の関係もありませんが)に京都三条大橋に到着しました。江戸時代の旅人に遅れること2日の17日間での完歩でした。
総歩数767,235歩、歩いた距離536.28km、1日平均45,131歩、31.55kmでした。各地で開催されるウォーキング大会では地図が記念として残りますが今回のように勝手に歩いているのでは、何も記念、記録が残りません。歩いた証拠は何も残りません。
そこで、街道沿いにある郵便局で片っ端から貯金をし、郵便局の名前入りのゴム印を押印してもらうことにしました。郵便局の方には、「頑張って!」と声援を受けました。中には、キャンディーもいただきました。おや~。日本経済を支えるため、地域にお金を落とすのが目的だったウォーキングなのに、逆に貯金が増えちゃいました~! でも、考えてもみれば、貯金が増えたんじゃなくて、私の財布の中で、銀行から郵便局の通帳にお金が入れ替わっただけでした~!(笑)
もちろん、地元名物を食べて来ましたよ。浜松餃子、とんかつ、名古屋のひつまぶし、味噌カツ、味噌煮込みうどん、
近江牛、丹波産モンブランなど。こうなったら、五街道全部歩いてみようかなと思っています。余談になりますが、私は、旧東海道は箱根峠以外は、平坦な道ばかりと思っていましたが、そんなことはありませんでした。途中、薩埵峠(さったとうげ)、宇津ノ谷峠、小夜の中山峠、鈴鹿峠などなど、結構、山坂があり、いい勉強になりました。その中でも、薩埵峠からの眺めは、下に東海道本線、東名高速道路、由比の街、太平洋、上を見上げれば富士山で、最高でした。
次は、旧東海道の三重県四日市から分かれて、伊勢神宮に向かう伊勢街道を歩こうかなと、資料を調べています。残念ながら、風人社さん発行の本に、伊勢街道はありませんでした。他社のを探そうと思ったところ、三重県庁(文化振興課)発行の伊勢街道(地図)を見つけ、入手しました。
また、コロナ感染者が増えてきたので、それが落ち着いた9月ころかな。添付のファイルは、完歩の記録です。
郵便局踏破記録pdfファイル ←こちら
定年失業家 す~さん 22.7.17
(FuOH)定年失業家って、すごい実行力で、圧倒されました。各種のウォーキング大会の常連者だったからですね。
記録はとても貴重で、すばらしい。踏破郵便局もすごい。読者の方も、私同様に驚かれるでしょう。しかし、一日に歩いた距離は、普通のウォーカーには、驚くけど、「参考になる」かどうかは?ですね。真似は無理でも、これから歩く人の気持ちを奮い起こさせるかもしれません。
弊社にとりましては、こんな素晴らしい記録をお寄せいただいて、光栄至極です。ありがとうございました! 今後もまた、新たな記録を取られましたら、ぜひお知らせください。お待ちしております。それから、伊勢参宮街道のマップ、ずいぶん以前から、複数、出版希望の声が届いており、ごく最近も「出版されたら」という地元ガイドのからのご提案もありました。
今回の完歩証は、す~さんの踏破には見合わない(申し訳ない)簡素なものでしたが、記録に見合った「ゴールド完歩証」を考えなければなりませんね。
0210 「ホントに歩くフォーラム」へようこそ!
50代男性です。品川区の旧東海道沿いに住んでおります。品川の歴史を調べているうちに、東海道の魅力にのめり込んでしまいました。楽しく歩ける仲間を作りたく申し込みいたしました。よろしくお願いします。
マコトさん 22.7.13
(FuOH)お便り、ありがとうございます。品川区の旧東海道沿いにお住まいなら、東海道へのご関心はごく当然で、少しでも調べて、歩きたくもなりますよね。ずーっと道はつながっていて、沿線の人々との楽しい出会いもあるでしょう。楽しく歩ける仲間がつくれますように。フォーラムも、ときどきぜひ覗いてください。
0209 大山街道2回目、3回目、4回目。溝の口〜厚木。
ご無沙汰をしております。 その後、大山道歩きを続けております。
2022/4/25(1日目) 青山〜渋谷〜三軒茶屋〜世田谷〜二子玉川〜溝の口、約17キロ(17/69)、前回ご報告。
2022/5/5(2日目) 溝の口〜宮前平〜鷺沼〜荏田〜市が尾、約10キロ(27/69)
40年前に就職で神奈川へ来て以来縁の深い、東急田園都市線沿線の歴史散策。東急田園都市線、国道246号とついたり離れたりしながら丘陵地の上り下りを繰り返す。鷺沼〜荏田間では、こんな道があったのかと大いに感心、また荏田宿は江田駅付近にあると思いこんでいたので、意外な場所から始まり、246と直交していることに驚く。2022/5/28(3日目) 市が尾〜青葉台〜長津田〜鶴間、約12キロ(39/69)
初夏の陽ざしの下、横浜、町田の丘陵地を上り下りしながら南西へと進む。自分は、都市開発された後、川崎に来て、246とその周辺を往来しており、土地勘はクルマ目線。そのため旧道の織りなす思わぬ紆余曲折は興味深い。足下の道が多摩丘陵地を里から里へ進む山道だったろうことを改めて実感する。途中いくつかの八王子道と交差、偶然その日のブラタモリが八王子だったので興味倍増。下鶴間宿〜鶴間駅(小田急江ノ島線)の坂道では旧街道の雰囲気を感じた。2022/6/26(4日目) 鶴間〜さがみ野〜海老名〜厚木、約12キロ(51/69)
梅雨の晴れ間、街道に沿って相模野台地〜相模平野を西へ進む。お銀さまの道〜旧東海古道を歩く。距離は短いが、雨を含んだ土の道で歩きにくかった。海老名の相模国分寺跡は規模の大きさに驚く。相模川で一気に視界が開ける。大山に一段と近づき山頂の構造物も見える距離まで来た。大山まであと18キロで二日分程度ではあるが、最後の登山は特別編なのと、道中見所もいろいろありそうなので焦らずゆっくり進めて行こうと思う。あつお 22.6.27
(FuOH)いつもありがとうございます。大山街道、とても楽しげに歩いておられる様子が伝わります。発見も多いですね。次は、厚木からですね。海老名あたり(国分寺跡など)で、相当寄り道したことを思い出します。これからもお気をつけて、いい旅をお続けください。
0208 初期中山道、和田峠、碓氷峠−中山道4日間の旅
ご無沙汰しております。昨年はコロナの影響で自粛しておりましたが、5月25日から再開しました。日出塩駅から初期中山道を歩き、26日は和田峠を越えました。 27日は長久保から御代田まで、28日は軽井沢、碓氷峠を経て横川駅まで行きました。 続きは秋以降にする予定です。
5月24日の夜行バスで新宿を出発し、中津川駅で降りました(なんと、乗客は私一人のみ)。中津川駅より中央線に乗車し、日出塩駅で下車し、いよいよ初期中山道歩きの開始です。 8時に初期中山道案内板に到着、9時に牛首峠に着きましたが、周辺は鶯の大合唱で時が経つのも忘れるくらい、しばらくその美しい鳴き声に耳を傾けてしまいました。スマホで録音することもできました。 この後は小野駅を目指し、コンビニで昼食を済ませ、小野峠のしだれ栗展望台に登り360度のパノラマを堪能しました。あとはひたすら下諏訪の宿を目指すのですが、夜行バスでの疲れが出てきたのか、脚が重かったです。 宿に到着後、ビールを飲み、温泉で汗を流してさっぱりしたところで、予め調べてあった飲み屋で今日の疲れを癒すべく刺身や日本酒を堪能し、明日の準備を済ませ、就寝しました。
26日は6時に宿を出発。御柱の木落し坂から見下ろす坂はテレビで見ているのとは別物という感じで、よくこの坂を木に跨いで降りる(落ちる?)よなァ~と感心しました。 ここで、情報提供です。バス終点の樋橋ですが、綺麗なトイレが設置されていました(洋式1名)。 142号をひたすら歩き、西餅屋茶屋跡で休憩。ここで、熊が出没したので気を付けるようにとの注意書きが…、あれ、鈴なんか持っていないし、ヤバいなァ~と思いながら進みました。そして、笹の葉が多くなったところで、いきなり熊が出てくると危険と思い、大声を出すことに、思いついた掛け声は、なぜか「ファイトー、いっ~ぱ~つ」、これで熊が逃げてくれれば誰も苦労しないかな? そうこうするうちに上部で人の声が聞こえてきて、一安心。その方たちは中山道を守る会で登山道を整備している最中でした。しばし、談笑し、先を行かせてもらいましたが、このような方たちのおかげで足元が安定して歩けているんだと感謝しました。 そして、中山道最高地点の和田峠に到着。なんかここに来ただけでもう、中山道は達成したような気分になってしまいました。でもまだまだ先は長いです。
フォーラムにも投稿があったように、和田峠茶屋はしまっており、コルゲート管も通行不可となっていました。 142号を下り、「杉の屋」で昼食を思っていたら、なんと臨時休業、駐車場に車が1台も無いので、嫌な予感がしたのですが(泣)。気を取り直して、「そば処黒耀」でそばとアイスクリームを食べ、満足。外はだんだん雲が厚くなり今にも降ってきそうな気配です。今日の宿まであと5㎞手前で雨が降り出しました。まあ、いつも降られるので仕方ないのですが、やっぱりめげますね。 ちなみに、「たまご屋キッチン」ですが、木曜が定休でした(つまり今日)。本日の宿は「濱田屋旅館」です。宿泊者は私一人みたいでした。27日は前日からの雨が止みませんでしたが、7時30分に出発。 それでも笠取峠を越えてしばらくするとだんだん、小雨になり9時頃には雨が上がりました。予報では昼頃まで降るとなっていたので、得した気分です。ふるさと交流館で中山道のしおりを頂戴し、館内を見物。 どんどん歩いて瓜生坂へ、望月城跡に寄ろうと思いましたが、ちょっと疲れが出てきたようで先のことを考え、パスしました。今となっては後悔しています。「くまさん食堂」で昼食をとり、千曲川の中津橋に到着。橋から新幹線の写真を撮ろうと思い30分ほどしても1編成も通過することなく、断念。ちょっと油を売りすぎた感が…。ここから宿までは日差しが強く、暑かったです。 16時すぎに御代田駅近くの明治屋旅館に到着し、コンビニで仕入れたビールで乾杯。
28日は5時30分に出発し、まずは軽井沢を目指します。4日目になると脚は重いし、豆はできるし、いい歳こいてよくやるなァ~と一人で感心するやら、あきれるやら、複雑です。そんなことで、離山登山は棄権しました。 旧軽銀座は時間が早かったのかまだ開店している店が少なく、ちょっと残念でした。碓氷峠では、見晴台では、長野県と群馬県の境や妙義山を撮影し、熊野神社ではお参りしました。 そして、「しげのや」では、ちからもち(きなこ)と抹茶のアイスクリームを堪能しました。 近くにいた親子連れの兄弟の弟(3歳位)が私のほうを見て、親に「アイスクリーム食べたい」とねだっていましたが、残念ながら却下されていました。なんか、悪いことしたなァ~とおじいちゃんの気分でした(還暦すぎているので)。
碓氷峠から先は登山道です。登ってくる方が多く、人気のコースなのかと思いました。 18号に出て旧中山道を進んだのですが、坂本浄水場の所で動物除けの電線に行く手を阻まれ、止む無く回り道をする羽目になりました。無理してくぐるなんてことをして感電したらアホですからね。 峠の湯で汗を流し、横川駅に向かい今回の中山道歩きは無事終了しました。次回は横川駅から毎回、日帰りで日本橋を目指します。ちょっとまったーほるん 22.6.18
(FuOH)お世話になっております。長文のお便り、ありがとうございました。街道歩きの再開のご報告、嬉しく存じます。それにしても、いきなり日出塩から横川まで到達されたことに、びっくりしてしまいました。すごいですね。
道中の出来事、情景が思い浮かびます。同じように歩かれた方も、自分の道中を思い出して読まれることでしょう。
碓氷峠の東坂は、まだ弊社の第13集の発行前でしたね。間に合わなくて、申し訳ありませんでした。お書きのとおり、これからは日帰りで十分歩けますね。お気をつけて、ゴールを目指して下さい。今度は、私どもが後を追います。
0207 中山道、完結したら歩いてみよう。
「ホントに歩く中山道」定期購読中です。次の発行は?と時々HPをチェックしています。コロナ禍で、ご苦労の多い取材でしょうけど、早く完結して欲しいなと願う私です。
完結したら、歩いてみようと思っています。(中山道は、高崎→日本橋はすでに歩いております。)定年失業家 す〜さん 22.6.12
(FuOH)定期購読、ありがとうございます。3カ月インターバルもなかなか守れず、みなさまには御迷惑をおかけしています。次集第14集は高崎到達予定ですので、京都へ向けて、いよいよ弊社マップがお役に立つようでしたら、とても嬉しく存じます。今後とも、よろしくお願い申し上げます。
0206 京都から「ホントに」歩く中山道!
以前より宿場町を巡っていましたが、この5月より、京都から「ホントに」歩き始めました。マップを手に、明日は石山から瀬田橋を行く予定です。
えりこ 22.6.4
(FuOH)「ホントに」歩き始められたましたこと、応援します。出発、おめでとうございます。宿場めぐりと宿場間を歩くのとは、少し趣が違います。途中の街道風景、村々の集落、いろんな発見や出会いがあって、楽しいと思います。宿場から次の宿場に辿り着くと、その宿場の見方がまた違ってくるかもしれません。以前に訪れた宿場が新しく楽しめると思います。いい旅をお祈りしています。
0205 中山道歩きを再開!
ご無沙汰しております。昨年はコロナの影響で自粛しておりましたが、5月25日から再開しました。日出塩駅から初期中山道を歩き、26日は和田峠を越えました。
27日は長久保から御代田まで、28日は軽井沢、碓氷峠を経て横川駅まで行きました。
続きは秋以降にする予定です。もっと詳しく書きたかったのですが、途中で振り出しに戻ってしまったので、別の機会にお知らせしたいと思います。
ちょっとまったーほるん 22.5.30
(FuOH)ありがとうございます。横川まで行ってしまわれたのですね。追い越されました。初期中山道、和田峠、碓氷峠、お疲れ様でした。二つの峠、楽しいですよね。
今、『ホントに歩く中山道』第13集の碓氷峠越えを制作していて、この峠越えをめいっぱい楽しんでいます。できあがりましたら、ぜひ、13集もご覧下さい。今後ともよろしくお願い申し上げます。
0204 大山街道、東海道とは違う達成感
ご無沙汰しております。 陽気のよいうちにと思い立ち、先日、愛甲石田から下社までを歩いてまいりました。 (所要時間3時間35分)
最終部分は、これが「女坂」なのか! と驚きつつなんとかたどりつくことができました。 地元の川崎から歩き始めたこともあり、東海道とはまた違う達成感を味わいました。腰の具合も考慮して山頂までは足を進めることなく、今回の下社を終点としたいと思います。
道中は中平氏の元本と新版のマップが心強い味方となり、道はこのようにつながっているのかと納得することが多くありました。良き導きをありがとうございました。
赤坂御門から川崎までの道もいつか歩いてみようと思っています。 みなさまのご健康、ご発展をお祈りします。naha 22.5.30
(FuOH)ありがとうございます。大山街道、下社まで、お疲れ様でした。確かに、東海道とは違いますね。矢倉沢往還でもありますが、ローカルな地方道の感じがあります。いろんな面で、楽しんでお歩きください。弊社本もご利用いただき、とても嬉しく、感謝申し上げます。
昨日、京街道を淀から牧野まで歩きました。この区間、ずっと変化のない土手沿いを歩くイメージでいたのですが、古い建築物など意外と見どころがあって楽しめました。
行程の呟きはトゥゲッターにツイートをまとめましたので、よろしければご笑覧ください。旧京街道を歩きました(淀-牧野)
https://togetter.com/li/1893241ちなみに橋本の先でマップに「ここから先は路面が黄色」と書かれている路面はすでに黄色ではなくなっていました。ご参考まで。
osawagase 22.5.29
(FuOH)いつもお便りをありがとうございます。京街道の後、京都市内の散策のツイートも拝見しました。懐かしい地名でした。
京街道は,京都までの東海道と趣が違いますね。大阪城への秀吉の道と、四国・九州へのつながりも感じます。私には、京阪電車との重なりも興味深いものがありました。
ご報告、ありがとうございました。今後ともよろしくお願い申し上げます。
ホントに歩く中山道第10集 MAP40で気づいた事と最新情報です。
連休に和田峠を越えてきました。第10集を片手に歩いたのですが、このMAP40の記述で気が付いたことがありました。mapC の接待茶屋のところの地図ですが、中山道の赤い線が国道142号の近くを通っているように記述されていますが、ここは実際は国道142号上を歩きます。本文はそう書かれているのですが、現場では本文を読むことはめったになく、地図を頼りにしています。訂正された方が良いかと思いますがいかがでしょうか。
もう一つ、これは情報ですが、和田峠下の22の和田峠茶屋は入り口に板張りがされており閉鎖されていました。また、この近くのコルゲート管をくぐるところは昨年の豪雨で通行しないようにと張り紙がしてありました。う回路は県道194号でこの道はまさにコルゲート管の上を通っている道です。強引にコルゲート管を通った人の話によると、自分は無理に通ったけれどもあまり通らない方が良いとのことでした。
えむころ 22.5.17
(FuOH)和田峠越え、お疲れ様でした。また、最新情報も感謝申し上げます。
『ホントに歩く中山道』第10集マップNo40 mapCの赤線、ご指摘の通りです。申し訳ありませんでした。
この区間、行政の1万分の1地形図が制作されておらず、国土地理院2万5千分の1地形図を拡大して使用しました。その登山道の破線通りになぞったのが、現実的に間違いになりました。編集中も歩いているときも、地図に違和感を感じずに国道を通って、破線も国道も同様に通過していると思っていました。関連地図を添付します。もう一つ、コルゲート管をくぐるところが、昨年の豪雨で通行しないようにと張り紙がしてあったとの情報もありがとうございます。
上記の接待茶屋の点と、コルゲート管の点、HPの訂正/追加に情報をアップさせていただきたいと思います。どうもありがとうございました。
0201 5歳娘との東海道歩き、残り130キロ
三条大橋から始めた5歳娘との東海道歩きは、30日目にして沼津に到達することができました。歩きが嫌になりかけたこともありましたが、今ではすっかり街道歩きを楽しんでいる様子です。先日のさった峠では、「本と一緒!本と一緒!」と富士山を見て大喜びしておりました。学校では教えてくれないことを東海道を通じて感じてくれたらと思っています。同行登録書をお守りに、残り130キロも楽しんできます。
にゃおすけ 22.5.12
(FuOH)いつもありがとうございます。Twitterで拝見しております。たくさんのフォロワーさんもご覧になって応援されていて、娘さんもよく頑張りましたね。すごい体験で、未来につながります。残り130キロも、いよいよゴールを目指して、楽しんでください。お気をつけて。