ホントに歩く東海道 別冊 美濃路 ホントに歩く東海道 別冊 美濃路(垂井~宮)

美濃路については→こちら

 

 

美濃路7宿(大垣・墨俣・起・萩原・稲葉・清須・名古屋)約63キロを写真で紹介します。別冊 美濃路の8つのマップの区分で分けました。

③大垣〜羽島

豊臣秀吉の出世城、墨俣一夜城。稲葉城(今の岐阜城の場所にあった)攻略の足場となった。現在の建物は平成3年に建てられたもの。

豊臣秀吉の出世城、墨俣一夜城。稲葉城(今の岐阜城の場所にあった)攻略の足場となった。現在の建物は平成3年に建てられたもの。

河川改修された犀川(さいかわ)から見る墨俣一夜城。墨俣宿は川に囲まれています。

河川改修された犀川(さいかわ)から見る墨俣一夜城。墨俣宿は川に囲まれています。

墨俣一夜城。秀吉の馬印だった千成瓢箪をモチーフとした絵馬のような、「願かけ出世ひょうたん」がぶら下がる。

墨俣一夜城。秀吉の馬印だった千成瓢箪をモチーフとした絵馬のような、「願かけ出世ひょうたん」がぶら下がる。

墨俣宿にあるレトロな建物は元さくら湯さんの建物。

墨俣宿にあるレトロな建物は元さくら湯さんの建物。

入り口もすてきです

入り口もすてきです

墨俣宿脇本陣跡。当時の建物ではない

墨俣宿脇本陣跡。当時の建物ではない

脇本陣の建物は濃尾地震(1891年)で倒壊し、再建された建物が跡地に建つ。旅立ち立ち寄り処が週末に開かれています。つり雛が賑やか

脇本陣の建物は濃尾地震(1891年)で倒壊し、再建された建物が跡地に建つ。旅立ち立ち寄り処が週末に開かれています。つり雛が賑やか

墨俣宿本陣は、昭和初期の河川改修工事でなくなり、今、常夜灯のところに説明板があります。このあたりが渡船場もあり、町の中心でした。

墨俣宿本陣は、昭和初期の河川改修工事でなくなり、今、常夜灯のところに説明板があります。このあたりが渡船場もあり、町の中心でした。

墨俣神社にある火の用心看板。お母さんのしっかり&力強さは、料理中の不注意は震えている子供またはお父さんなのだろうと想像してしまいます。

墨俣神社にある火の用心看板。お母さんのしっかり&力強さは、料理中の不注意は震えている子供またはお父さんなのだろうと想像してしまいます。

墨俣宿の寺町。6つのお寺があります。

墨俣宿の寺町。6つのお寺があります。

寺町の本正寺には、墨俣宿脇本陣の門が移築されています。

寺町の本正寺には、墨俣宿脇本陣の門が移築されています。