「トンネルを抜けると雪だった」。
1994年の12月でした。そのとき初めて、上越新幹線に乗りました。大清水トンネルを抜けるまで、新潟に着くまでにやらねばならない原稿整理などに没頭して、上野からたぶん一度も頭を上げて窓の外を見てはいませんでした。トンネルを抜けたそのとき、窓の外の銀世界にハッと頭を上げ、目を見張ったことを今でもよく覚えています。

新潟大学医学部に初めて藤田恒夫先生をお訪ねしたときのことでした。この日から今年(2012)1月に、突如ご逝去されるまで、「なんでこの私のことを」と思うほど、私によくしていただきました。

いつかお聞きしなければと思いながらも、ついに聞かずじまいになってしまいました。『鍋のなかの解剖学』と題した、藤田先生の科学エッセー集の単行本を、なぜ、それまで藤田先生とは何のつながりもなかった風人社から出版させていただくことになったのでしょうか。

『鍋のなかの解剖学』1995年3月

その年の11月頃、以前の先生の文集や先生のエッセイ掲載紙誌が雑然といっぱいまとまって、「これで本を作ってほしい」との手紙が添えられて、突然、送られてきました。本当に驚いたものでした。 青天の霹靂。
藤田先生が、国内はもとより国際的にも「解剖学」(つまり基礎医学)の世界で著名で偉大な学者であることについて、ここで私が記せるものではありません。

著書の岩波新書の『腸は考える』がベストセラーでしたし、医学書院、南江堂で発行されている重厚な教科書の著者でもあり、ライフワークだった季刊「ミクロスコピア」誌は、新潟の老舗考古堂書店出版部の発行でしたので、どこの出版社からでもお出しになれたのに、なぜ?

本書は、先生が新潟大学を定年退官される記念出版として、退官記念式典に間に合うように出版いたしました。
刊行後、多くのメディア、また読者から絶賛された本(➡書評はこちらを)で、本書によって、風人社の格が上がりました。翌年の日本解剖学会100周年記念出版書籍(『解剖学者が語る人体の世界』)を弊社に依頼していただけましたのも、直接ではありませんが、この実績があったことによるに違いありません。

たくさん刷った初刷本はすぐに売り切れ、増刷も在庫切れになって久しくなりました(ただ、カバーを外した美本が200冊ぐらい在庫があって、カバーだけ印刷しようかと今考えています)。
その後、小学館、幻冬舎などから文庫本化の打診がありましたが、手放せませんでした。

そのカバーは、昨年まで東京造形大学教授を勤められて、エディトリアルデザインを指導されていた高麗隆彦さんのデザインです。この本の装丁依頼のとき、池袋の東武デパートに撮影用の鍋を買いに行きました。イタリア製のいいデザインの鍋を使おうと高麗教授のご提案で、輸入料理器具のコーナーに行きました。値段をチラッと見た私の顔を高麗さんはチラッと見て、「ああ、やめよう。国産品のほうがいいよ」と、さっさと普通の家庭用品売り場に連れていかれました。私の財布を心配した高麗さんらしい心遣いを思い出しました。

その国産品の鍋も上等品です。共同印刷のスタジオで撮影していただきました。今なら、会社のデジカメ撮影ですけど。

それは、余談でした。その本の出版から10年経った2006年に、『続鍋のなかの解剖学』を出版することが出来ました。その間にも、藤田先生のつながりで、和田静子著『いとしき草花』、仁木一郎著『市場の風景』、植木絢子訳『知られざる科学者 ペッテンコーフェル』、大河原久子著『Color Atlas for Bio-artificial endocrine pancreas』を弊社から次々と出版できました。

続鍋のなかの解剖学 藤田恒夫著
『続鍋のなかの解剖学』2006年7月

藤田先生に助けられてこそ、風人社が生き延びてこられたのだと思います。2012年の年末最終日を前に、戸部良也先生、仁木一郎先生、そして藤田先生、本年に逝去された著者の方々を偲んで、メモを書こうと思いました。
胸に去来するものが多く、この辺でひとまず筆をおくことにします。

※『鍋のなかの解剖学』はカバーを増刷して、現在販売中です(2025年7月追記)

2012年12月30日 (Sun)FC2ブログ 風人社OHの編集手帳からの転載

【関連書籍】

『いとしき草花』(2006年11月)
『市場の風景』(2008年2月)
知られざる科学者 ペッテンコーフェル
『知られざる科学者 ペッテンコーフェル』(2007年2月)
『Color Atlas for Bio-artificial endocrine pancreas』(2008年10月)
『解剖学者が語る人体の世界』(1996年4月)