2023年のNHK大河ドラマは「どうする家康」。ドラマで家康はどこにいたか? 出来事の場所は地図上のどこで、どんな地形か? 東海道は家康が定めた五街道の一つ。家康の関連史跡も多くあり、ウォークマップ『ホントに歩く東海道』でその場所を確かめることができます。マップで確認できれば、よりドラマを楽しめ、興味が湧きます。せっかくなのでドラマに沿いながら、マップに出ている範囲ではありますが、参考個所をご紹介していきます。私たちも「あそこがそうだったのか!」と再発見があり、楽しい作業です。マップを持って、ぜひ訪ねてみてください。

どこにいる家康 ロゴ画像

織田・徳川連合軍と浅井・朝倉連合軍が争った「姉川の戦い」。
舞台はほぼ滋賀県長浜市で、第14回に続き、「ホントに歩く」マップとの関わりは薄いものでした。
今回は家康の逡巡がめだち、「姉川でどうする」はぴったりのタイトルでした。

もくじ
●第15回「どこにいる家康」▼動静
●第15回「どうする家康」の舞台関連マップ
●第15回「どこにいる家康」発展編(by(し)
  1.幻の見付城
  2.家康の浜松入城
  3.三井記念美術館(続き) 驚きの「大日本五道中図屏風」
●ギャラリー

第15回「姉川でどうする!」▼動静

▼00分 14回のおさらい
永禄13(1570)年4月28日、織田信長の娘婿、浅井長政の裏切りで、信長が率いる幕府軍は金ヶ崎(福井県敦賀市)から撤退。

▼01分 京都 織田信長屋敷
数日後、京都へぼろぼろになって戻ってきた家康と木下藤吉郎。
藤吉郎は、信長が戻ってくると、「一人で(×4回)、浅井を打ち負かした」と自己アピールし、信長は蹴りを入れながらそれを褒めた。
明智光秀が、「将軍様(足利義昭)が浅井征伐に取りかかれと命令された。徳川様もすぐに国に戻って準備を」と促すも、自国が気になる家康。
信長は「自分で考えて決めろ」と、コンフェイト(金平糖)を家康に渡す。

▼05分 ♪音楽「どうする家康メインテーマ~暁の空~」

▼08分 岡崎城<「ホントに歩く東海道」第10集 №40 mapA12>
久しぶりに城に戻った家康は、長男信康、嫁五徳、長女亀に、約束の土産、コンフェイトを渡す。瀬名は「もったいのうございます」と自分の分を譲ると、家康は食べるふりをして瀬名の口に入れ、いちゃいちゃする。しかし、すぐに浅井攻めの準備をし、出陣した。

ホントに歩く東海道 第10集 №40 岡崎城

▼10分 姉川(滋賀県長浜市野村町)<あえていえば、中山道番場宿(「ホントに歩く中山道」第3集  №10 mapA)の約15㎞北>
織田軍は、浅井・朝倉を姉川で待ち構えていた。
作戦会議で、藤吉郎に「遠江支配は大丈夫か?」と聞かれ「見附城が完成するので、守れます」と答える家康。
しかし、信長は「遠江の押さえは見附ではなく引間だ、岡崎は息子に任せろ」と命令される。さらに、浅井・朝倉との戦いの先陣を言いつけられた。

▼13分 北近江・小谷城<浅井氏居城 滋賀県長浜市小谷郡上町、湖北町伊部>
浅井長政は「織田の元へ帰ってよい」とお市を解放し、家康あての書状を忍びに託した。

▼15分 姉川(滋賀県長浜市野村町)
出陣を待ちながら信長に言われたことを思いだし、腹が立ってきた家康。
「朝倉の次はおまえじゃ」
「乱世を終わらせるのは誰じゃ」
「岡崎は息子に任せ、おまえは引間じゃ」
忍びが長政からの書状を届ける。「信長に義はない、ともに信長を討ちとらん」と書かれていた。

▼17分 姉川(滋賀県長浜市野村町)
元亀元(1570)年6月28日、姉川を挟んで両軍が対峙。
信長「皆殺しじゃ〜」と叫ぶ。藤吉郎には「家康を見張れ」と命令。
書状を見た家康が「浅井について信長を討つ」と言いだし、家臣がもめていると、朝倉軍が攻めてきた。
動かない家康にしびれを切らした信長は、家康の陣に鉄砲を撃ち込む。
石川数正に「信長を討ち取った後どうするのか」と問われ、家康は浅井を攻めることにする。

▼32分 姉川(滋賀県長浜市野村町)
ナレーション「先陣を切った家康の活躍により大勝利となったが、浅井を取り逃がす」
出陣の遅れをなじられる家康。信長には「これからも判断を間違うなよ、白兎」と言われ、耳を噛まれる。

▼33分 北近江・小谷城<浅井氏居城 滋賀県長浜市小谷郡上町、湖北町伊部>
浅井長政が戻ると、お市と茶々が残っていた。お市は長政に「信長を討ち取れ」と言う。

▼35分 躑躅ヶ先館(甲府市)
穴山信君が「信長は浅井を討ち取れなかった」と武田信玄に報告。
信玄は、「家康が不在では、遠江の民は困っているだろう」と、千代に「民を救ってやれ」と金(ゴールド)を渡す。

▼36分 岡崎城<「ホントに歩く東海道」第10集 №40 mapA12>
家康は信長の命令通り、引間(浜松)へ移り、長男信康を岡崎城主とした。
岡崎には、数正と平岩親吉を残すことにした。

▼37分 岡崎 築山の庵<「ホントに歩く東海道」第10集 №39 mapC36 籠田公園南、康生郵便局のあたり>

ホントに歩く東海道 築山の庵
築山の庵「ホントに歩く東海道」第10集 №39 

瀨名は信康と五徳を助けるため岡崎に残ることになり、家康は瀨名から薬湯の作り方を教えてもらう。
寂しくて泣く家康。
信長に縁起が悪いと言われた「引間」に変わる名が決まらないと困っていると、瀬名は「松の木が立ち並ぶ浜が美しく「浜松庄」と呼ばれていたそうな」と「浜松」を提案した。

浜松の名の元となった「ざざんざの松」が、浜松八幡宮(『ホントに歩く東海道』第8集 №31 mapB18(マップ外)>にある。

濱松名称起源颯々之松碑(浜松八幡宮)
濱松名称起源颯々之松碑(浜松八幡宮)

▼38分 浜松城<「ホントに歩く東海道」第8集 №31 mapB26,「ホントに歩く東海道 別冊姫街道」№8 mapB21(大手門跡)付近一帯>
建設中の浜松城に入る家康は、浜松の人々から嫌われてると感じる。
「あれが今川様を裏切った殿様じゃ」「お田鶴様を殺した殿様じゃ」と陰口をたたく険悪な民。
柴田理恵に至っては、石の団子を届けてきた。
村の娘たちが、祝賀の舞いを披露すると城を訪ねてくる。

どこにいる家康 浜松城付近 ホントに歩く東海道

▼41分 躑躅ヶ先館(甲府市)
武田信玄は薬湯を飲みながら「切り取った他国を治めるのは容易ではない」と言う。

▼42分 浜松城<「ホントに歩く東海道」第8集 №31 mapB26,「ホントに歩く東海道 別冊姫街道」№8 mapB21(大手門跡)付近一帯>
踊り子の一人が突然、家康に向かって斬りかかる。女装した井伊虎松(後の井伊直政)だった。

「紀行潤礼」福井県敦賀市

元城町東照宮(弘間城跡 浜松市 中区元城町111-2)
<「ホントに歩く東海道」第8集 №31 mapB26の東(番号なし),「ホントに歩く東海道 別冊姫街道」№8 mapB21(大手門跡)北(番号なし)>

曳馬城跡
曳馬城跡

浜松城(浜松市中区元城町)
家康は、浜松城を引間城の西南に拡張して工事を行った。

浜松城
浜松城


<「ホントに歩く東海道」第8集 №31 mapB26,「ホントに歩く東海道 別冊姫街道」№8 mapB21(大手門跡)付近一帯>
どうする家康 浜松 大河ドラマ館が2024年1月14日まで開館。
https://hamamatsu-ieyasu.com/doramakan/
「ホントに歩く東海道」「ホントに歩く東海道 別冊姫街道」では、元城小学校の場所。小学校は2017年に閉校。

遠江分器稲荷神社(浜松市中区田町232-5)
<「ホントに歩く東海道」第8集 №31 mapB23>
神社の近くに、本多忠勝の屋敷があった。社殿の前の狛狐は金色。

遠江分器稲荷神社
遠江分器稲荷神社

関東・関西の中央
浜松は関東と関西の真ん中に位置し、その例を鰻に見ることができる。
浜松といえば、鰻。関東風、関西風両方を楽しめる。関東風は、一度蒸すことにより、ふっくらと仕上げる。関西風は、うなぎを生のまま直火で焼き、パリッと香ばしく仕上げる。
浜松うなぎ料理専門店振興会HPには、浜松のうなぎ料理専門店の加盟店の、関東風、関西風の焼き方が示されている。
https://www.unasen.org/sp/

(こ)記録

第15回「どうする家康」の舞台関連マップ

今回の特に関連マップ。東海道以外の舞台が多く、関連マップと言いづらいが、近くを散策するのには役立つのではないか、役立つといいなと思います。

どこにいる家康 15回 掲載マップ

『ホントに歩く東海道』第8集(袋井〜舞坂)
『ホントに歩く東海道』第10集(御油<小田渕>~岡崎<新安城>)
『ホントに歩く東海道 別冊姫街道(本坂通)』(御油~見付、安間道、浜松道、吉田道)


どこにいる家康15 発展編(by(し))

1.幻の見付城

今川氏真に代わり、三河・遠江両国の統治に乗り出した家康は、その拠点として、見付(現在の磐田市)に居城を築き始めたが、信長の介入により、城は見付でなく引間(曳馬:現在の浜松)に築くことになり、見付の城は幻の城となってしまった。見付は政治的経済的な面からは、遠江支配の拠点とするのにふさわしい場所であったが、天竜川の東という位置では、いざという時に尾張の織田軍との連携がうまくいかないという、軍事的に大きな欠点があったためである。
先日、NHK=BSの歴史番組「英雄たちの選択」で「家康にとって最も忙しく過酷であったが、後からふりかえればここで頑張っておいてよかった元亀元年」を特集しており、大河ドラマの考証担当でもある平山優氏が見付城跡(現在は野球場)を訪れ現地レポを行っていたのがたいへん興味深かった。平山氏の著書『新説家康と三方原合戦』(NHK出版新書)にも、見付築城と放棄の経緯が、図面と共に解説されている。

見付城跡(磐田城山球場) 『ホントに歩く東海道』第8集 MapNo.29 mapC 番号なし

磐田城山球場(見付城跡)
磐田城山球場(見付城跡)

2.家康の浜松入城

今年の大河ドラマで、岡崎と共におおいに盛り上がっている浜松であるが、浜松城というと「家康の天下取りの最初の足がかりとなった出世城」「三方原合戦で信玄に惨敗した家康が、命からがら逃げ戻った城」のイメージが強く、最初に入城したときの状況というのは、あまり意識されてなかったように思う。
家康の浜松入城にあたり、今回のドラマでは、地元民の強い反発があったように描いている。その理由が「家康がお田鶴様を殺したから」。なるほど第11回のお田鶴様の団子購入はこの伏線だったのか?! しかし、お田鶴様が女城主として城を守って死ななければならない結果を招いたのは、もともとは今川氏真がお田鶴様のご亭主を殺害したせいだし、家康は戦でなく和睦を強く望んでおり、それを拒否したのはお田鶴のほうだった。
前回ご紹介した、獄門畷などの史跡の残る堀川城の住民虐殺を恨んで、というならわからないでもないが、堀江城や堀川城の話には全く触れられていなかった。もっとも浜松と気賀はかなり離れているが・・・。
家康の浜松入城については、三方原合戦の舞台となった犀ヶ崖にある資料館にたいへん面白いものがある。入城を見守る浜松の人々など、街の様子がジオラマになっているのだ。

家康の入城を見守る浜松の人々
家康の入城を見守る浜松の人々

「家康公の入城と浜松の民」と題した解説文(磯田道史氏監修)には、「家康公は馬に乗って城下をまわり、こまやかに浜松の民のくらしを見てまわっています。民も『新しい殿様はどんな男か』とじっと見ています。」とある。
もし自分がその当時の浜松の民だったら・・・? よほど前城主に恩を受けていたりすれば別だが、団子を買ってくれたくらいだったら、新しい城主に対して、敵意をあらわにするよりは、やっぱり「様子見」かなあ。

浜松城・浜松城公園 『ホントに歩く東海道』第8集 MapNo.31 mapB26
コラム31「浜松城は出世城」

3.三井記念美術館(続き) 驚きの「大日本五道中図屏風」

この展示で一番のインパクトがあったのが、この道中図屏風である。
8曲2双の江戸~京都屏風と、6曲1双の大坂~長崎屏風に分かれており、なぜか、京都は山科までで終わって中心部は描かれていない。(中心部は洛中洛外屏風がいろいろあるからそれを見ろということか?)
「五街道」ではなく「五道中」となっており、奥州・日光街道は入っていないのは、江戸初期の感じがするし、各地の城が非常に緻密に描かれているのも、戦国期がまだ近かった頃、地図の軍事目的使用が大きかった頃ではないかという気がする。
そもそも、なぜ「五道中」なのかも判然としない。8曲2双のほうは、東海道・中山道・甲州街道の「三道中」だし、それにプラスして6曲1双の大坂~長崎の陸路と海路(瀬戸内海)が「二道中」ということだろうか?
そもそも、地図が屏風に描かれている、というのも初めて見たように思う。

合戦図屏風とか、洛中洛外図屏風などは、画集や解説書がいろいろあり、図書館に行けば詳しいことも調べられるのだが、この道中図に関しては、図書館にも資料がなく、検索しても、作者や作成背景、三井美術館へ来た経緯などが全くわからない。
唯一見つかったのが、玉川台図書館にあった『三井家伝世の至宝―三井記念美術館開館10周年記念特別展』という、2015年の美術展の図録である。
17世紀後半に江戸駿河町の両替商・呉服店「越後屋」として多数の浮世絵にも描かれた大店三井家が、維新後、呉服店は三越、両替商は三井銀行・三井物産・三井鉱山となり、日本最大の三井財閥を形成、財閥解体後も三井グループ各企業として続いているのは、よく知られているところである。
三井家の持つ国宝・重要文化財を含む多数の美術品は、2005年10月、日本橋再開発の一環として設立された三井記念美術館に収蔵された。絵画・屏風・茶道具・刀剣・切手などである。
図録の解説(清水実)によれば、「大日本五道中図屏風」を所蔵していたのは、三井家十一家の中の新町三井家という、初代三井高利の三男高治を祖とする家で、この家の蒐集品は、屏風の名品や古地図・古絵図などに特徴があるらしい。
作者については触れられていないが、箱書によれば掛川城主太田家伝来の品で、寛永年間の徳川家光の上洛の頃の地図だが、屏風に仕立てられたのは江戸後期19世紀になってからと考えられるという。
WEB検索しても、この道中図の制作意図や背景などは探せなかったのだが、三島市郷土資料館や、知立城址など、史跡説明のためにこの道中図を活用している所がいくつかあることがわかった。

https://www.city.mishima.shizuoka.jp/kyoudo/publication/pub_kobako017282.html

どこにいる家康 第15回 ギャラリー