開発で失われていく街道のスポット

みなさん、こんにちは。
この5月は気温の変化が激しく、なかなか油断できないですよね。
夏のように暑くなったかと思えば、一気に10度前半になったり・・・着るモノも調整が難しいですけれど、コロナ 少しは落ち着いてきたのでしょうか。
人の動きがずいぶんと活発になってきました。

では、スケッチ紀行 今日からは5日目の行程その1。
宮前平駅から鷺沼を越え「荏田宿」まで進みます。
今回は、その途中のファンタジーな世界まで・・・です。
えっ!大山街道にファンタジー?って、あるんだな これが。

*因みに、各スケッチはクリックすると拡大で見られますよ。

*ウォークマップ大山街道/小台入口ー小台坂ー小台公園ー四等三角点ー八幡坂ー八幡社跡ー植村家ー伯楽アパートー出店跡ー有馬川ー立場跡ー馬頭観音跡ー小高い民家ー旧川崎考古学研究所ー有馬さくら公園ー川崎・横浜市境ー四辻ー皆川園

大山街道スケッチ紀行12-1

“今はない”を想像しつつ・・・

宮前平駅起点・赤坂御門から約20km。実際の行程はいろいろと寄り道が多いためおそらく倍近くになっているかもしれません。当時に比べると現代ではさまざまな誘惑があるもので、史跡以外にも興味そそられるものが多いせいでしょうか。

さてここからは、「小台坂」を目指します。またもや目の前には勾配のある道が広がってきますが、坂の入口となる竹やぶを見てください。これがなかなか見事でしょう、でも個人宅とはね!
坂の途中にイヌツゲの木があったらしいのですが、残念ながら今はありません。
このイヌツゲをはじめとして、今回のコース前半は“今はなし”のポイントが多いので、ちょっと行程に迷うかもしれません。ないないと探していると・・・MAPには“今はなし”の表示。またMAP作成以降になくなってしまったところも。
あら残念!ではありますが、当時の姿を想像して進みましょう。

大山街道スケッチ紀行12-2

ほかの坂もそうでしたが、この「小台坂」も昔はもっと狭くて勾配も急だったようです。土手の両側から湧水が出ていたためためぬかるみ、なかなかの難所でもあったそうです。

『ホントに歩く大山街道本書には、この辺りの解説が詳しく載っています。
今はないイヌツゲの木が植えられていた所には、稲毛領内三十三ヶ所の観音札所第二十六番観音堂があったとあります。幕末に火災で焼失したものの、観音立像は無事で馬絹の泉福寺に移されたそうです。
その観音堂前には「下の店」があって「小台の店」と呼ばれ、街道を旅する人々にお茶やお酒などを売っていたとのこと。私たちにも街道歩きの途中にある店は、とてもありがたいものです。
当時の旅人たちにとっても、しばしの休憩をとりつつ元気を蓄えるオアシスだったでしょうね。

そして歩みを進めて上へ行くと、「上の店」がありお菓子類を売っていたそうです。
今はもちろん、これらの店はありませんがここで私たちも、ちょっと甘いものを頬張ることに。

更に登ると見えてくるのが「小台公園」
さくらの樹がたくさん植わっていましたので、花咲く頃にはいいお花見スポットになるでしょう。
ここから坂は下り旧国道246 「小台坂」の通行が難しい場合に通った大山街道迂回路にぶつかることになります。

そこを進むとちょっと複雑な交差点、右に折れると「鷺沼駅」です。
その途中で香ばしい香りに惹かれ、みつけたのが「ル・マルジャン・ド・ボヌール」

大山街道スケッチ紀行12-3

1Fはバリエーションたっぷりなパンがいろいろ並び、2Fはカフェで買ったパンを食すこともできます。毎週木曜にはスイーツとアミューズのビュッフェを開催しているみたい!

大山街道スケッチ紀行12-4

鷺沼駅前に来ました。
交番前を渡ってみずほ銀行の角を曲がりましょう。
ここからは大きなカーブがある坂道、「八幡坂」です。
途中にあった「八幡社」がその名前の由来ですが、現在その「八幡社」も移動してありません。
近くの「植村家」に移ったらしいのですが、目印の茅葺き民家もなくなってしまい これかなぁとちょっと定かではありませんでした。こうやって、中には『ホントに歩く大山街道』本書とも違っている所があります。それだけ時が流れたっていうことかなぁ。

大山街道スケッチ紀行12-5

スケッチには描きませんでしたけれど、坂の途中に「HAKURAKU」と表札のあるマンションは蹄鉄をつくり、馬の医者をやっていた伯楽という店があった所だそうですよ。
辺りは建設中のマンションなどが多く様変わりしているため、ここでもいろいろなポイントが見つけにくくなっています。
坂の下方には「出店」があり、お菓子や薬、草履などを売っていたそうです。

大山街道と言えば頭に浮かぶのが“渡辺崋山”渡辺崋山は幼少から絵画を学び有名な絵画を残していますが、40歳で江戸詰家老になり農学者を招くなど領民の生活安定のために献身的な活動も。
以前、青山の回で登場した高野長英ら多くの蘭学者と交流を深め、西洋文化にも着目し蘭学を研究しましたが1839年(天保10)蛮社の獄で重罰に処せられ、失意のうちに自刃しました。
その崋山が梧庵を引き連れお銀様を訪ねる「游相日記」では大山街道を進むのですが、この「出店」に立ち寄り「荏田宿」までの道を尋ねる様子があります。

そしてこの坂のどんつきはR246ですが、そこを曲がると「阿弥陀堂」・・・があるはずなのですけれど、これもマンション建設のためかありません。
R246をはさんだ向かい側には、大山街道の立場があったとのこと。現在はドミノピザで全く面影はなし説明板もありませんが、馬車や牛車などを引いた人たちがしばしの休憩をとり飲食していたそうです。

鷺沼二丁目の信号を渡り、いちょう並木の緩やかな坂みちへと行きます。
その道に入ってすぐの右側にあるのが「UNDER MOUNTAIN」から店を引き継いだ「まめそら食堂」
店の看板に以前の店名から移ったことがわかる青い矢印が、なにやらユニーク。まさに何から何までの居抜きですね。

大山街道スケッチ紀行12-7

店内の見事なモザイクなどがあまりにも印象的だった以前の「UNDER MOUNTAIN」は手づくりで味のあるブティックと自然栽培で育てた物をつかったカフェをやっていました。

大山街道スケッチ紀行12-9

そこを受け継いだ「まめそら食堂」は、産地直送の有機野菜たっぷりの料理と土鍋で炊いたおいしいごはんなどカラダに優しいメニューがいっぱいです。
こんなところにこんな店が! という雰囲気で、本当にカフェなどが少ないこの辺りでは貴重な存在。
前の店主が手づくりしたモザイクや漆喰の壁などのインテリアもいいので、ぜひ。

大山街道スケッチ紀行12-6

「まめそら食堂」を過ぎて右に「馬頭観音」がありました。そう、こちらも今はありません。
元々はこれから訪れる「十字路」にあったものだそうで道標を兼ねた笠付角だとか。相当痛みが激しいといいます。

そしてその先の小高い地点に民家があり、木道のような階段が見えてきます。ところが今歩いている道に対して、どう見ても斜めに位置していることがわかります。
そうなんです、実は大山街道が当時通っていた向きに沿って建っているからで、なるほど昔の様子が実際に想像できるわけです。辺りを見回しながら角を曲がってみると、この民家だけがほかの家々とは違った方向に建っているのがよくわかります。もちろん土地区画自体は現在の四角で切られていますけれどね。でも、当時のまま家の向き残してくれていることが なんだかちょっぴり嬉しいですよね。

そのまま緩い坂を登り左にカーブするT字路角に、風に揺らぐのぼり旗があります。何かと見てみると「はたけベーカリー」(以前はおなかま保育室)とあり、あたたかくやさしいパンの香りがしてきます!
思わずその匂いに誘われて入ってみました。

大山街道スケッチ紀行12-8

野菜が主役のパンのほか、新鮮野菜を使ってお惣菜やお菓子、ジャムなどにもアレンジしていますし、お米やお茶もあります。
農福連携で「はたらく農園」「はたけベーカリー」「地域と触れあうワークショップ」という3つの事業展開をしているそうで地域活性の活動としても力を発揮し、スタッフのみなさんはじめとても元気です。
途中の小腹空き用と帰ってからゆっくり味わうためにパンとお茶を購入!
さぁ、この先も頑張るぞっと!

その角を曲がると草木の中に「川崎考古学研究所」の碑。現在は閉所され、所蔵品や資料は全て川崎市市民ミュージアムに寄贈されました。
元々は、なんと宮前区の持田春吉氏が私費を投じ1979年(昭和54)設立したそうで、大規模開発によって失われていく遺跡の保護を目的とし、発掘した遺跡や研究考古資料は2万点を超えたといいます。
古代遺跡の発掘と出土品の研究は、農業を営む傍ら20代から60年以上続けられたもの。昭和40年代まではまだ至るところに遺跡が残っていたそうですが、東急による田園都市化が急速に展開され住宅建設が飛躍的に進んだため、一気に古代の遺跡は姿を消していったとのこと。考古学・友の会の仲間たちと開発前に事前発掘・調査を一生懸命にやって、これだけの成果を積み重ねたことになります。
とにかく素晴らしいっ!!過ぎますね。

先の十字路が、先ほどの案内に出た「馬頭観音」が本来あったところであり、角は「有馬さくら公園」です。
ここまであの「小高い民家」前を通っていた大山街道が続いていました。つまり今のようにジグザクな道ではなくすっきり一本道だったというわけです。

大山街道スケッチ紀行12-10

背後にある鉄塔が印象的ですが、ここが辺り一番の標高で66mになるそうです。名前の通りさくらがいっぱいで、春は人々でにぎわいそうですね。
住宅街を抜けていくと高台のてっぺんに着き前方が明るく開けます。緑がたくさん斜面を覆うその手前が「川崎市と横浜市の市境」になります。

ひととき、空気も変わるファンタジックな世界へ

スケッチの矢印にある細道を行きます。住宅開発で四角四面の道が続きましたが、ここから一転!空気と気配が急に変わるのです。
当時とまではいきませんが、いくらか昔の面影を偲ぶことも出来るでしょう。

大山街道スケッチ紀行12-11

歩みを進めるほどに、カラダ中にちょっとこそばゆいけれどあたたかく楽しい風が吹き、前方に広がる光景に思わず足を止め、彼らと話したくなるのです。
彼らとは・・・!!まるで巨人の国でも来たような、突然“不思議な国のアリス”にでもなったかのような世界へ引き込まれます。

大山街道スケッチ紀行12-12

正体を明かすと、ここは「皆川園」という植木屋なのですが、まぁ!と興奮してしまうキノコ樹のような彼らたちが「やぁやぁ!」と一斉に迎えてくれるのです。
まさにジュール・ベルヌの世界とでも言いましょうか!
大山街道歩きでこぉ〜んな景に遭遇するとは!子どもの頃に読みあさったジュール・ベルヌをすぐさま思い出して、彼らとしばしの会話を楽しんだ次第。

住宅開発がされる十数年前には、うっそうとした雑木林と丘陵に囲まれ点在する農家が美しい里山だったことでしょう。
まだこの植木屋「皆川園」があるからこそ、「うとう坂」「血流れ坂」を含む一帯も多少みどり豊かな斜面が残っているのだと思います。
皆川家がある方まで出れば、これらの坂道を下りながら「荏田宿」へと向かいます。この皆川家には大山街道の立場が置かれていたそうです。昔から大山街道とともに暮らしを繋いできたのですね。

というところで、今回は終わりましょう。
因みに、この辺りは都筑区北部の牛久保周辺で“都築みかん”の産地でもあります。「皆川園」ではみかんも育てているので季節になると、「皆川園」の前でも露地販売があるようですよ。

次回スケッチ紀行は5日目のその2。
「荏田宿」へと向かいます「お江戸日本橋を朝発ちて、夕方たどり着くのが荏田の宿」と言われたほど。
大山街道沿いでは大きな宿場のひとつとして栄えたところですね。どうぞ、お楽しみに!
みなさんのご意見・ご感想もお待ちしています。

岡本和泉/Izumi Okamoto

さまざまな「デザイン」を通して、社会や地域、環境、食、観光、ものづくり、文化などをつなぎ 新たな展開をするプロデューサー&クリエイター。 2015年からは”暮らしのデザイン”の一部として、地域に密着し日々の楽しさを広げる 地域独自のイベントや企画、地域活動も手掛け、長年住む世田谷の文化や知的資源、 自然を活かした地域ツーリズムなども多く開催している。
http://www.imincosmos.com https://www.facebook.com/Setayui/

2022年8月、新たに合同会社Produce any Colour TaIZを設立。従来の企画デザインやプロデュース業などに加え、画像技術による画像処理分野に手を広げ、文化財や古い写真の修復・保存、天文写真再現、画像技術開発、講座なども展開する。
https://taiz.jp

【参考図書】
中平龍二郎著『ホントに歩く大山街道』(2007年、風人社)
改訂新版ウォークマップ『ホントに歩く大山街道』(2021年、風人社)
中平龍二郎+編集部著『キャーッ! 大山街道!!』(2011年、風人社)

ウォークマップ ホントに歩く大山街道
キャーッ! 大山街道!!