2023年のNHK大河ドラマは「どうする家康」。ドラマで家康はどこにいたか? 出来事の場所は地図上のどこで、どんな地形か? 東海道は家康が定めた五街道の一つ。家康の関連史跡も多くあり、ウォークマップ『ホントに歩く東海道』でその場所を確かめることができます。マップで確認できれば、よりドラマを楽しめ、興味が湧きます。せっかくなのでドラマに沿いながら、マップに出ている範囲ではありますが、参考個所をご紹介していきます。私たちも「あそこがそうだったのか!」と再発見があり、楽しい作業です。マップを持って、ぜひ訪ねてみてください。

どこにいる家康 ロゴ画像

相次ぐ家臣の裏切りで部屋に閉じこもる家康は鳥居忠吉に信じろと諭され、各地の一揆を鎮めます。本證寺と和議を結び、三河一向一揆は終結しました。軍師だった本多正信は三河から永久追放されました。

今回の舞台も前回、前々回同様、というかそれ以上に、場面が限定的で、東海道はほとんど登場せず、「ホントに歩く」マップとしては、岡崎城ぐらいです。しかし、発展編で中山道も登場! 家康のつながり方のダイナミックさを感じます。

もくじ
●第9回「どこにいる家康」▼動静
●第9回「どうする家康」の舞台関連マップ
●第9回「どこにいる家康」発展編(by(し)
  1.家康の父と祖父
  2.望月の駒と甲賀忍者集団
●ギャラリー

第9回「どこにいる家康」▼動静

▼00分 本證寺<安城市野寺町野寺26>
東海道からは遠いがあえて言うなら、新安城駅(「ホントに歩く東海道」第11集 №41 mapAまたは第10集 №40mapD237)の南へ約11キロ。

 回想シーン。本多正信、子どもの頃、幼なじみのお玉が連れ去られる。弥八郎様と呼ばれている。

ホントに歩く東海道 第10集 新安城駅
ホントに歩く東海道 第11集 新安城駅


▼01分 8回目のおさらい。
 三河一向一揆
 夏目広次の裏切り
 軍師は本多正信!

▼02分 ♪音楽「どうする家康 メインテーマ~暁の空~」

▼05分 岡崎城<「ホントに歩く東海道」第10集 №40 mapA12>の台所
 「本證寺の軍師は本多正信」との噂をする女性たち。
 家康、部屋にこもる。

ホントに歩く東海道 第10集 №40 岡崎城
ホントに歩く東海道 岡崎城周辺

▼06分 本證寺<安城市野寺町野寺26>
 松平昌久と吉良義昭が密議。
 謎の女千代に、昌久が「うまくいったら妻にしてやる」「うれしい」千代の会話。

▼07分 岡崎城<「ホントに歩く東海道」第10集 №40 mapA12>
 どんよりしている家康の家臣たち。
 誰も信じることができず、恐くてたまらない家康の部屋に鳥居忠吉が来て、「道は2つに1つ、家臣を信じるほかない」と諭す。
 覚悟を決めた家康。「俺はおまえたちを信じる、ついてこい」と本證寺へ向かう。
 
▼13分 本證寺<安城市野寺町野寺26>
 家臣たち、攻め込む。ナレーション「次々と成果を上げる」
 松平昌久「千代はどこだ〜」置いてかれる。
 本多正信、家康に向かって「御仏の者は止められぬ」と言っていると、鉄砲で撃たれる。

▼16分 本證寺寺内町<安城市野寺町野寺26>
 回想シーン。8年前。本多正信は、大久保忠世と盗賊におとり捜査のようなことをして潜入し、遊女となっていた幼なじみのお玉と再会する。

▼20分 岡崎城<「ホントに歩く東海道」第10集 №40 mapA12>
 家康の叔父、水野信元が来て「信長様は怒っている。寺と和睦しろ」。

▼21分 本證寺<安城市野寺町野寺26>
 家康側が和睦の申し出の手紙を届けるも、本多正信は「罠じゃ」。
 空誓、衆徒に「わしのせいじゃ」と謝る。

▼24分 本證寺<安城市野寺町野寺26> 
 回想シーン。本多正信の幼なじみ お玉が「南無阿弥陀仏」と唱えながら死ぬ。

▼24分 本證寺<安城市野寺町野寺26>三河一向一揆終結
 家康側と本證寺側、和議を結ぶ
 「寺は元通りにいたす」と、空誓の目を見て言う家康。

▼27分 本證寺<安城市野寺町野寺26> 戦後処理
 夏目広次 家臣団からの嘆願多く、謀反の罪を不問とする。
 家康は、本多正信に「過ちを犯したのは殿の方だ」と言われ、「とうに悔いておる」と泣く。
 本多正信に「三河から追放」を言い渡す。
 「寺を元に戻すのは、寺の前の野っ原に戻すでよいのでは」と悪知恵を授け去る。

▼37分 岡崎城<「ホントに歩く東海道」第10集 №40 mapA12>
 戦勝の宴。家臣たち、「海老すくい」を踊る。
 宴の場を離れ、城下を見下ろしながら反省する家康。弱気な夫を励ます瀬名。

「ホントに歩く東海道」10集№39 徳川家康産湯の井戸
「ホントに歩く東海道」10集№39 徳川家康産湯の井戸
「ホントに歩く東海道」10集№39 龍田公園
「ホントに歩く東海道」10集№39 龍田(かごだ)公園内に東海道の道筋を残してくれている。

▼40分 甲府への道・躑躅ヶ先館(甲府市)
 空誓のそばにいた謎の女、歩き巫女が望月千代と判明。
 武田信玄に三河一向一揆と家康のことを報告。
 「面白いな」と茶を飲む信玄。紀行潤礼へのつながりか。

「紀行潤礼」西尾<岡崎の南西>

 西尾は、家康が狩りでよく訪れていた。

西尾城(西尾市歴史公園、西尾市錦城町)
  吉良氏ゆかりの城

東条城跡(古城公園、西尾市吉良町駮馬城山)
 吉良氏ゆかりの城

稲荷山茶園公園(西尾市上町稲荷山)
 茶畑を一望できる高台の公園

紅樹院(西尾市上町浜屋敷83)
 家康が叔母を弔うために建てた。
 住職が京都宇治から茶の種を持ち帰って栽培したのが、西尾の抹茶産地としての始まり。

西尾は、「どこにいる家康」第7回に記しましたが、再掲します。
西尾城は、東海道からは遠いがあえて言うなら、知立宿(「ホントに歩く東海道」第11集 №41 mapC26付近)から約13㎞ぐらい南。
 
西尾市観光協会HPに「徳川家康ゆかりの地西尾〜西尾歴史散策MAP」が便利。ダウンロード可。
「家康 西尾でどうした?」の関連年表もついている。
西尾市観光協会HP
https://nishiokanko.com/list/season/ieyasumap/

西尾市 徳川家康ゆかりの地マップ
西尾市 徳川家康ゆかりの地マップ


「西尾は抹茶の産地。最近では、抹茶のスイーツなんかもありますよ」。松重豊さんが言うと、おいしそうに聞こえます。

西尾茶協同組合HP
https://nishiomatcha.jp/about.html

(こ)記録

第9回「どうする家康」の舞台関連マップ

今回の特に関連マップ。第8回と同じです。

ホントに歩く東海道 10集 11集

『ホントに歩く東海道』第10集(御油〜岡崎)
『ホントに歩く東海道』第11集(岡崎〜宮・桑名)


どこにいる家康9 発展編(by(し))

1.家康の父と祖父

行き詰まっている家康に、鳥居忠吉が、家康の祖父と父の話をする。共に若くして世を去った松平清康(家康の祖父)と、松平広忠(家康の父)の墓所は、岡崎市の大林寺にある。

清康が若き日に見た「是」という文字の夢から「是之字寺」とも呼ばれる龍海院、家康が父の菩提を弔うために建てた、門前横丁が昭和レトロな松應寺、幼い家康の生活の舞台であった善立寺・誓願寺・諏訪神社、ドラマには登場しなかったが、一揆との和睦を家康に勧めた専福寺、家康が祖父とその妹(家康の大叔母)の菩提を弔うために建てた随念寺など、当然ながら岡崎には、家康の幼少期や父祖に縁の寺社が満載である。

随念寺 『ホントに歩く東海道』第10集 MapNo.39 mapC-30
家康が祖父清康とその妹久子(家康の大叔母)の菩提を弔うために建てた。
久子(法号随念院)は、家康の実母於大が離縁されたのち、家康の養育にあたった。
「どこにいる家康 第7回」で紹介。

善立寺・専福寺 第10集 MapNo.39 mapC-32(善立寺) 
専福寺は善立寺の向かいで、番号なし。

ホントに歩く東海道 第10集№39 田中義政像
ホントに歩く東海道 第10集№39 田中義政像、東僧門跡、誓願寺、専福寺、善立寺、龍海院、

善立寺は、松平氏四代の親忠(安城松平氏の祖)が安城に建てたが、家康の祖父清康が岡崎に移した。家康も乙川での川遊びの際に立ち寄ったといわれ、お手植えの臥龍梅がある。善立寺の多宝堂は、目と痔に霊験あらたかな神様を祀っている。

専福寺は平安初期に最澄の弟子澄円が建立、その後十三代住職善祐が親鸞に帰依して真宗に改宗。三河一向一揆の時の住職、祐欽和尚は、家康に一揆勢との和議を進めたが受け入れられず、家康の怒りを買ってこの地を去ったが、後に石川家成の母妙西尼が嘆願して、天正8年(1580)頃に再興された。

龍海院(是之字寺) 第10集 MapNo.39 mapC 40 写真40
家康の祖父清康が20歳の時、「是」の字を左手に握る夢を見た。模外和尚が「是の字を握るは天下を取ることなり(是=日+下+人)」と占い、清康は和尚のために寺を建て龍海院とした。
於大の後、広忠の後妻となった真喜姫花慶院(田原御前、田原城主戸田弾正康光の娘)の墓もある。

誓願寺・諏訪神社 第10集 MapNo.39 mapC 番号なし
誓願寺の東側の一角にある諏訪神社は、大永3年(1523)に当時の岡崎城主松平信貞が諏訪大明神を勧請したもの。境内にある「虎石」は、幼いころ虎童子といわれていた家康が、ここで弓の稽古をした際、腰をおろして休んだ石と伝えられている。境内にある石灯籠は岡崎市内で最も古いものである。

「ホントに歩く東海道」10集№39 岡崎宿 誓願寺と諏訪神社
「ホントに歩く東海道」10集№39 岡崎宿 誓願寺と諏訪神社

松應寺 『ホントに歩く東海道』第10集 MapNo.40 mapA-9
家康が父広忠の菩提を弔うために建てた。門前の松應寺横丁は昭和の雰囲気が色濃く残っている。

大林寺 第10集 MapNo.40 mapA-11
家康の祖父清康・父広忠の墓所のほか、初代岡崎城主西郷頼嗣(三河守護代)の墓もある。西郷頼嗣と争い、岡崎城を手に入れたのは、大草松平氏の松平信光だったが、その後、安城松平氏の清康(家康の祖父)が岡崎城主となり、信光は本拠の大草郷に追いやられた。大草松平が、東条吉良や一向一揆勢力と協力して家康に敵対するのは、この時の遺恨も一因と思われる。

岡崎宿 隨念寺。徳川家康の祖父<清康>の墓
岡崎宿 隨念寺。徳川家康の祖父<清康>の墓

家康の江戸移封後、岡崎城を預かった田中吉政は、「二十七曲」など城下町の整備にあたり、多くの寺社を曲輪外へ移転させた。大林寺も移転予定だったが、吉政の耳が痛くなり、吉政が仏罰を恐れたため、大林寺は移転を免れた。

▼岡崎城東惣門跡に田中吉政の銅像 第10集 MapNo.39 mapC 番号・写真なし

田中吉政は、城下町岡崎を整備した功労者なのに、これまでの大河ドラマでもほとんど登場の記憶もなく、影の薄い?存在であるが、永井路子の『関ヶ原別記』という短編には、近江の百姓から身を起こし、多くの主に仕えながら数々の危機を乗り越え、時には恩ある旧主も陥れて、したたかに生きた田中吉政の姿が描かれていて興味深い。

「ホントに歩く東海道」10集№39 田中吉政像
「ホントに歩く東海道」10集№39 田中吉政像

2.望月の駒と甲賀忍者集団

一揆を扇動していた歩き巫女は、やはり武田信玄の回し者だった(「お見事な推理」と時代考証担当者も視聴者を誉めている)。信濃国滋野氏の末裔で望月城主望月盛時の妻、千代女とWikipediaに書かれているが、最新の学説では、実在が否定されているという。

甲賀流忍術屋敷HP  https://www.kouka-ninjya.com によれば、望月氏は、8月15日望月の日に朝廷へ献じられる馬を育てる信濃御牧を管理していた滋野氏の一族。献馬を朝廷に連れていく途中の休養・調教所として、甲賀に拠点を置くようになった。支流の甲賀望月氏は、この地の近江源氏佐々木六角氏と結びつき、望月家を筆頭とする甲賀五十三家という武士集団が形成された(大河ドラマでは、伊賀忍者を束ねる服部半蔵に対し、甲賀忍者は伴与七郎だが、伴家も五十三家の一つである)。

足利九代将軍義尚が六角高頼討伐のため近江に赴いた、長享元年(1487年)の鈎の陣で、六角氏に助勢した甲賀五十三家のゲリラ戦術・戦闘能力の高さは、佐々木家の衰退後も、その存在感を戦国大名たちに大きく印象づけ、甲賀忍者団として認識されていった。

鈎の陣 『ホントに歩く東海道』第14集 MapNo.54 コラム

上鈎池 足利義尚「鈎の陣」碑 第14集 MapNo.55 mapC-42 写真42

永正寺(足利義尚 鈎の陣本陣)第14集 MapNo.55 mapC-43 写真43

▼駒の里望月 佐久市役所望月支所前の駒の像『ホントに歩く中山道』第11集 MapNo.43 mapC-23 朝廷の直轄牧場「御牧」があり、8月15日の満月の日に朝廷に馬を献上していたことから「望月」の名となった。佐久市のマンホールにも、馬が描かれている。

『ホントに歩く中山道』11集 佐久市望月市所前の望月駒の像
佐久市役所望月支所前の望月駒の像

城光院 『ホントに歩く中山道』第11集 MapNo.43 mapC-38 写真38
望月氏代々の菩提寺、望月氏居館跡。庚申塔や十王像などの石造物が多い。

望月城址 『ホントに歩く中山道』第11集 MapNo.43 mapC-41 写真21(青木坂の正面)

望月氏の城で、土塁や堀跡がある。展望台からの景色がとてもよい。
城光院からの登山道もあるが急登。
望月氏は、16世紀半ばに武田信玄の支配下に入り、武田氏滅亡後は織田信長の支配下となった。

ホントに歩く中山道第11集
「ホントに歩く中山道」第11集(和田峠〜八幡)

どこにいる家康 第9回 ギャラリー