いよいよ小田急線へ、お銀さまの地へも寄る街道歩きは見どころ満載!

みなさん、こんにちは。
新緑が眩しい季節となりました。一年で最も気持のいい5月です。

さて、今回は崋山「游相日記」でもメインコーナーとなる「お銀さまの家跡」へも廻るほかとにかくスポット満載のコース。
相模鉄道本線「さがみ野駅」から綾瀬市海老名市をまたぎながら、終着点は小田急線「海老名駅」までとなる盛りだくさんルートです。
少々長い紀行になりますが、どうぞ最後までおつきあいください。
因みに、綾瀬市は神奈川県では昭和から唯一鉄道の駅がありません。

*因みに、各スケッチはクリックすると拡大で見られますよ。

*ウォークマップ大山街道/さがみ野駅ー大塚本町交差点ーパブコ前バス停ー富士塚・庚申塔ー不動明王・道標ー道標ー渡辺崋山説明板ーお銀さまの道ー旧東海古道入口ー古東海道説明板ーJA(お銀さまの家跡)ーお銀さまの墓ー地蔵堂ー望地ー山王稲荷社ー馬頭観音ー道祖神ー目久尻橋ー石仏ー伊勢山自然公園(伊勢山皇大神宮)ー逆川碑ー嘉永年間の道標ー相模国分寺跡ー国分寺ー大欅ー道祖神ー七重の塔ー海老名駅

さがみ野からは しばし一直線

前回、「さがみ野駅」近くでご紹介した「標柱(大塚宿説明)」にありました「大塚宿」がかつてあったという「大塚本町交差点」が最初のスポット。
「さがみ野駅」からは、しばし前回同様の一直線が続きます。
現在はかつて宿場町であった面影は殆どありませんが、明治・大正時代までは鍛冶屋や豆腐屋など各商店ほか旅籠に木賃宿が並び、江戸末期にはかなりの賑わいをみせていたそうです。

そのまま直線の道を行くと、大きな工場が両側に見えてきます。この辺りに目印の一つであるバス停「パブコ前」があります。
パブコは120年前より大八車の製造から現在のトラック用ボディまで、ずっと輸送機器製造業として歴史を積んだ企業です。市内にはここで働く人たちもたくさんいるのでしょうね。
その先の細道角に動物病院があり、そこを曲がって緩やかな坂を上がっていきましょう。パブコのトラックが駐車しているところを過ぎると、小さな三角形のエリアが現れます。
それが「富士塚・庚申塔」
今や周囲は新興住宅街になってしまい、以前のような雰囲気はなく、富士山の大噴火による火山灰を積み上げて造ったという富士塚も殆どわかりませんが、なんとも言えない不思議な一角がひっそりと周囲の家々を見守っているかのよう。
庚申塔に刻まれた年号には1816年(文化13)とあります!!

更に上へいくと、茂みの中に「馬頭観音」が立っています、ちゃんと花が活けられていて、近隣の方々がお世話をしているのでしょうね。

岡本和泉大山街道スケッチ紀行21 赤坂

この寄り道は、また元の場所まで引き返すことになります。
大山街道へ戻り、右へ進むと「赤坂バス停」。その脇に「石造物群と不動明王(道標)」があります。
バス停のすぐ隣に不動明王がおわすのもなんだか奇妙ですけれど、道標にはこれから目指す国分、通ってきた大塚・鶴間の名前が刻まれています。

そしてもう少し進むと、左側に南方面ヘ行く緩いカーブの坂が見えてきます。
いよいよここからが、今日のメインイベントである「お銀さまの道」へと入り、崋山と梧庵が訪ねた小園村へと向かいます。あらぁ、なんだかいつもとは違うワクワクした気持が湧いてきましたよぉ!

いよいよ、お銀さまを訪ねた道を歩く

本日2枚目のMAPです。今回は距離も長く見どころ満載なため、Mapも2つになりました。

岡本和泉大山街道スケッチ紀行21 

「お銀さまの道」へ入る所に、「道標」「渡辺崋山の説明板」があります。かつては向かい側のマンション公園内にあったらしい「道標」は、手前に移されたようで、現在そのフェンス内には、「妙法観世音」がありました。
*時間が無い場合は、そのまままっすぐに進み「望地」(R40との交差点)に出る。
※R40(県道40号、以下同)

岡本和泉大山街道スケッチ紀行21 お銀さまへの道

この道はアップダウンが続きますが、古い家並みや大山が見えたりするスポットでもありなかなか楽しい感じです。崋山と梧庵もこうやって大山を眺めながら、まもなく会えるであろうお銀さまを懐かしんでいたのではないでしょうか。崋山にとってお銀さまは憧れの人でもあったそうですからね!

岡本和泉大山街道スケッチ紀行21 お銀 古東海道

R40を越え程なく行くと階段があり、そこを下ると奥には鬱蒼とした林、左側の上サイドには植え込みなども整備された公園のようなところに出ます。右側一帯は造成して新しく居住地として開発の手が入っているようで、ひっきりなしにブルドーザーが動いています。その間の小径をドンドン行くのですが、どうもこれが古東海道のよう。

こんな所行けるのか?!と思いつつも、遠慮無く突き進み林の中を通り抜けると舗装された住宅街へと出ました。そして、どんつきの交差点角には「古東海道説明板」。半分消えかかっているのでいささか読みにくいのですが、『伊勢山を斜めに上る道は古東海道と伝えられ、最も往時の面影を残している坂道だ』とあり、『遠く奈良の都から足柄峠を越えてきた役人や旅人たち、また江戸から小園村のお銀さまを訪ねてきた崋山も通ったことでしょう』と続けられています。

岡本和泉大山街道スケッチ紀行21 お銀

だいたいこの辺りからが小園村でしょうか。小さいながらも創建1594年、なんと430年もの歴史を持つ小園子之社もあるようですし、小園団地も。
そのまま道なりに南下していくと、緩いカーブの先に「JAさがみ早園支店」がみえてきます。ここが「お銀さまの家跡」だそうで、なんだか胸がキュン。
その先に表示が出てきて小園広場横に墓地があり、その中に「お銀さまの墓」があります。
一族の方々でしょうか、複数の墓標が並び、「お銀さまの墓」にはお花も飾られていました。
私もちゃんとお参りをして、しばし彼女のことを想像し偲びました。

前々回ご紹介した『厚木と游相日記』に、このお銀さまとの懐かしい再会のあたりも引用されています。ただ25年の年月が経ってからの再会で初めはあまりの変わりように崋山自身が目を疑ったようです。お銀さまも記憶が薄らぎ、なんどか崋山が尋ね以前お銀と呼ばれたことはなかったかと聞いたことから遠い記憶が戻り、それからは懐かしい話に花が咲いたようでした。
夫清蔵は崋山の訪問5年後の1836年(天保7)2月3日に亡くなったが、お銀さまは長男に養われて長生きし、1862年(文久2)8月15日に亡くなった(おそらく七十歳代半ば)とありました。

元の大山街道へ戻る途中(お銀さまの家へ行く前にあったのですが)「地蔵堂」が目を惹きます。
『厚木と游相日記』にも、この地蔵堂のことが載っています。最近改装されてスチール葺きのお堂には意外だが、土地の人たちの信心が生きている証拠・・・と書かれているとおり、とてもきれいで整然としているのです。
「お銀さまの家跡」はこの「地蔵堂」からすぐのところ・・・まさにその通りでした。

それにしても、小園村は江戸からさほどの距離でもないのに、別次元の世界が開けたような僻村で、桃源郷だとも言っています。桃源郷をあてはめて想像するにはちょっと難しいけれど、当時はそのくらい気持ちのいい光景だったのでしょう。

岡本和泉大山街道スケッチ紀行21 

相模国分寺をめざす

名残惜しい小園村を後に、また大山街道へと戻りましょう。

古東海道説明板まで行き、そのまままっすぐ住宅街を進むとR40と接する「望地交差点」へと出ますがその手前でほぼ180°逆方向へと別の道を行きます。これが大山街道の続き。R40を鍋の縁とすると底のようにコの字に曲がりながら、「目久尻川」を渡る進路です。
先ほどご紹介したとおり「お銀さまの道」を行かずに大山街道を進むと、直接「望地交差点」へ出るのですが、その時にちょっと住宅街の階段を上っていくと「山王稲荷神社」があります。こちらへも寄ってみようと、実際は先に「望地」を抜けて行ってきました。結構急な上り坂が続き新興住宅地で斜面が埋まるその中に「山王稲荷神社」を見つけました。ただ新しく建て直ししたようで、あまりピンとこないといいますか・・・ちょっと複雑な感じでした。
でも高台からの眺めはよかったので、気を取り直してコの字の街道へ!

そのコの字の途中に「馬頭観音」と石垣を背にした「道祖神」があります。

さて、ここから「伊勢山自然公園」の麓を沿うように湾曲した街道です。
そこに切り株の中にひっそりといる石仏がありました。本書『ホントに歩く大山街道』には「伊勢山自然公園」前にあるお地蔵様とありますが、公園前ではみつけられず、それがこれなのかはよくわかりません。*本書内地図には記載が無いが、Mapには石仏とある。また目久尻川フェンス内の「石橋供養塔」も見つからなかった。

岡本和泉大山街道スケッチ紀行21 伊勢山皇大神宮

再びR40方向へと行くと、三角地帯に出て「史跡逆川碑」
説明板によると、なんと「逆川」の歴史は大化の改新まで遡るようです。海老名耕地のかんがい用と運送用に掘らせた川で、目久尻川を堰き止めて分水し、低い地点から高い地点へと逆の流れ方をしたことで「逆川」の名が生まれたといいます。また船着場と呼ばれた所から下流は、日本最古の運河として平安中期まで利用されていたのだとか!遺構は地下にて今もあるそうです。

岡本和泉大山街道スケッチ紀行21 逆川碑

またスケッチ右側にある石は、大山街道の交通の便を図るために「目久尻川」にかけた石橋の石。関東大震災時に川に落ちたものを1977年(昭和52)の河川改修の際に引き上げたものだそうで1757年(宝暦7)に国分の重田七三郎翁が企てた石橋勧進帳の木版が残っていたとも。
大化の改新時代にも驚きましたが、いやいやなんと古からの暮らしを映し出しているのかに、ホントビックリでした。

そしてまたまた古い歴史を遡る「嘉永年間につくられた道標」が、大山街道八王子街道の交差点にあり、続いて驚きの瞬間を迎えます。今は横や前に消防団の建物と火の見櫓がありますが、東西南北毎の地名が刻まれ、道行く人たちはこういうものを目印に、そしてまた新たな元気を貰いながら歩みを進めていたのだろうと、様々な光景が浮かんできます。
また、今はその面影もありませんがこの辺りは国分宿でしたので、 旅籠や茶屋、居酒屋などが並び賑わっていたようです。

ここから先には「相模国分寺跡」や移転した「国分寺」が左右に分かれてありますが、流石に歩きに歩いてお腹も限界です。とりあえず、「相模国分寺跡」方面へと行くと広大な緑の敷地向こうに、イタリア国旗を見つけたので行ってみるとしましょう!

岡本和泉大山街道スケッチ紀行21  海老名国分寺前

温もりのある木製ドアを開けると、こぢんまりとはしていますがなかなか落ち着きのある空間が招いてくれました。美味しい匂いもします。
ここは、イタリアや日本国内から旬や素材にこだわった美味しい食材を伝統的な調理スタイルで手づくりしている「TRATTORIA Legami」。お得なランチメニューのほか、さまざまなアラカルト、ワインなども充実しています。生き返った気持で、ゆったりとランチをいただきました!

お腹も満足になったところで、目の前に広がる「相模国分寺跡」を見て回りましょう。
国の指定史跡になっていますが 地域の人たちが三々五々、自由にのんびりとこの空間と心地よい風を楽しんでいます。
全国に国分寺がつくられる経緯は、741年(天平13)の聖武天皇の詔(みことのり)によります。「相模国分寺」も発掘調査から8世紀中頃には創建されていたと考えられているそうです。通常国分寺は国府近隣に建てられるそうですが(相模国の国府は現平塚市)、何故海老名だったのかは、関東地方の寺院建築に深く関わった壬生氏が高座郡周辺を拠点にしていたためではないかと言われているようです。

岡本和泉大山街道スケッチ紀行21 海老名国分寺跡

先ほどのレストランの並びに、レトロな感じの施設が目立ちます。これが「温故館」
海老名村の役場だったものが1982年(昭和57)から「相模国分寺」などの史料を保存や展示をする郷土資料館となったそうです。中ではミニチュアの国分寺全景模型や各種貴重な史料ほか3Gの国分寺(VR)も体験できますよ!

岡本和泉大山街道スケッチ紀行21 海老名

大山街道をはさんだ向こう側へと移動します。下り坂になっていてR40にぶつかる手前に神奈川県の天然記念物に指定されている「大欅」が見えてきます。樹齢が560年という、これまた驚き!

昔はこの国分下方地域一帯は海だったそうで、舟を繋ぐ杭を漁師が打ち込むとそこから芽が出て枝が茂り大木になったという伝説が残っているそうです。
その脇道を奥へ行くと国分寺が度々の火災で消滅した際に移した「国分寺」があります。

さぁ、ここから今日の終着点「海老名駅」ももう直ぐです。

「大欅」を過ぎてR40と交差するところに結構立派な「道祖神」があり、そこから河原口交差点まで続く直線の道は一大縄と呼ばれる中世条里制の遺構だそうです。方形の水田に整地し、農民に貸し与えたといいます。この辺りが逆川の所でも出てきた“海老名耕地”。小田急線を越えてからは、まだその当時の名残である方形の水田が広がっています。

岡本和泉大山街道スケッチ紀行21 海老名七十の塔

またこの辺から海老名中央公園でビナウォークという巨大なショッピングモールになり、「海老名駅」に直結しています。その広場には縮尺1/3の「相模国分寺七重の塔」が立派な姿をみせます。

さぁ、今日はいつもに増して歩きましたし、たくさんのスポットを巡りました。
「海老名駅」に着いたところで、今日はおしまい。お疲れさまでした!

次回スケッチ紀行は11日目。
「海老名駅」から厚木宿に入ります。大山もずいぶん迫ってきましたよ、お楽しみに!
みなさんのご意見・ご感想もお待ちしています。

岡本和泉/Izumi Okamoto

さまざまな「デザイン」を通して、社会や地域、環境、食、観光、ものづくり、文化などをつなぎ 新たな展開をするプロデューサー&クリエイター。 2015年からは”暮らしのデザイン”の一部として、地域に密着し日々の楽しさを広げる 地域独自のイベントや企画、地域活動も手掛け、長年住む世田谷の文化や知的資源、 自然を活かした地域ツーリズムなども多く開催している。
http://www.imincosmos.com https://www.facebook.com/Setayui/

2022年8月、新たに合同会社Produce any Colour TaIZを設立。従来の企画デザインやプロデュース業などに加え、画像技術による画像処理分野に手を広げ、文化財や古い写真の修復・保存、天文写真再現、画像技術開発、講座なども展開する。
https://taiz.jp

【参考図書】
中平龍二郎著『ホントに歩く大山街道』(2007年、風人社)
改訂新版ウォークマップ『ホントに歩く大山街道』(2021年、風人社)
中平龍二郎+編集部著『キャーッ! 大山街道!!』(2011年、風人社)

画像に alt 属性が指定されていません。ファイル名: ooyamacv-108x150.jpg
ウォークマップ ホントに歩く大山街道
キャーッ! 大山街道!!