いろいろな街道をまたぎながら、下鶴間宿へ

みなさん、こんにちは。
今年最初のスケッチ紀行で、ご挨拶です。
前回の続き、「南町田グランベリーパーク駅」から出発し一気に、小田急江ノ島線「鶴間駅」まで行くスケッチ紀行 8日目。
実際はちゃんと「鶴間駅」までたどり着きましたけれど。
スケッチ紀行でご案内するにはスポットの数がたくさんあるため、2回に分けることにします。

*因みに、各スケッチはクリックすると拡大で見られますよ。

*ウォークマップ大山街道/南町田グランベリーパーク駅ー町田辻バス停ー横浜水道道路ー大ヶ谷庚申塔ーX状の交差点ー日枝神社ー戸塚道ー圓成寺ー五貫目道祖神ー観音寺ー八王子街道ー大山阿夫利神社御分霊社ー下鶴間ふるさと館ー不動明王ー鶴林寺ー子育て地蔵尊ーまんじゅう屋跡ー下鶴間宿ー坂上厄除け地蔵堂ー巡見使道ー諏訪神社ー伊勢社ー山王(日枝)神社ー山王原公園ー大和歩行者専用道ー大山街道碑ー鶴間駅

大山街道スケッチ紀行18-1 地図

「下鶴間宿」をめざす

今回は大山街道と交差する様々なほかの街道があって、それもなかなか楽しいものです。
この道を曲がれば八王子かぁ・・・とか、鎌倉方面へ行くのか・・・などなど、その道の行方や役割、通行する人たちを想像すると、旅も豊かになるわけですね。

前回乗車した「南町田グランベリーパーク駅」から出発。
「一里塚」は最後に寄りましたので、今日はスルーして・・・R246から一本奥に入った旧道を進みます。

最初に目印になるのが、左右に続く「横浜水道道路」
まさに横浜市に水を送るためにつくられた道で、地下には水道管が埋まっています。道幅もそこそこあるので、ゆっくり散策しながら歩くにはいいですね。

大山街道スケッチ紀行18-2 横浜水道道路

「横浜水道道路」をまたぎ先へ進むと、ちょっと斜めった変形の十字路に出会います。
これが「X状の交差点」で、戸塚道が斜めに走ります。
そしてその斜めの角にあるのが、 正面に<つるま>と彫られている「大ヶ谷庚申塔」です。
後にある供養塔は、天明の大飢饉の際に江戸から来た難民に犠牲者が出、それを村人が供養したときのものだそうです。
なんだか心温まる話じゃないですか!

この辺りはなんとなく古い時代のママという感じで、R246から一本中へ入っただけですがまち全体がのんびりしています。
緩い坂道を下っていくと、今では珍しい火の見櫓が見えてきます。町田市消防団第2分団第1部と書かれた木札がありました。

大山街道スケッチ紀行18-3 日枝神社 大山街道

その隣が「日枝神社」。創建年代は不詳とのこと。
でもこの一帯の人々を優しく見守っているのでしょうね。神社の隣に火の見櫓があるというのもなんだかありがたみが増します。

民家の緑あふれる庭先や花々を見ながら歩いて行くと、「圓成寺」に着きます。

大山街道スケッチ紀行18-4 五貫目道祖神

「圓成寺」は北条氏綱に仕えていた当地の領主山中修理亮が出家して空存となり、当寺を開創したといわれているそうです。
春はさくら、秋にはいちょう・・・と、四季の楽しみも一杯の浄土真宗の寺です。

町田市と横浜市の市境線を通り抜けると、再びR246に出ます。
本来は、このまま斜めに進み八王子道と交差する大山街道でしたが、現在は高架になったR246の下を信号まで迂回して行きます。その手前、大きな倉庫が並ぶ前の歩道みたいな不思議なエリアに「五貫目道祖神」があります。
この辺りは横浜市瀬谷区五貫目町と言いますが、ちょっと面白い名前ですよね。
江戸時代初期に年貢の石高が五貫目と定められていたことから、1974年(昭和49)の町界町名地番整理事業の施行にともない字名を採って名付けられたのだそうです。そして五貫目町は瀬谷町の一部から新設された町でもあります。
道祖神は元々は境川の鶴瀬橋手前にあったようで、交通の激しさからか移動したのでしょう。

その鶴瀬橋を渡った、 ちょうど八王子道と交差する辺りに「観音寺」があります。
この八王子道を少し上がると<鎌倉道標柱>が立っています。
説明を読むと、先ほどの「観音寺」境内を鎌倉街道が通っていたようで、いざ鎌倉へ のひとつだったことになります。

大山街道スケッチ紀行185 旧鎌倉街道

今回はこの標柱を確認するだけで、また先ほどの観音寺前交差点へ戻り交通量の多い八王子街道を渡ります。

ここからひとしお旧道のいい雰囲気が続くことになりますが、道が狭い割にはいつでも車の往来が激しい上に歩道が狭くて少々歩きにくいので注意してくださいね。
ここからは「下鶴間宿」、直ぐ「大山阿夫利神社御分霊社」に着きます。

大山街道スケッチ紀行18-6 阿夫利神社御分霊社

今回のメインタイトルどおり、「下鶴間宿」大山街道八王子街道が交差する交通の要衝でした。
「大山阿夫利神社御分霊社」前の石碑に“江戸十里 大山七里”とあるように道程のほぼ真ん中で、ホントに歩く大山街道MAPでもちょうど後半の3冊目に入るところです。
八王子街道のほか滝山街道旧鎌倉街道、戸塚道なども走っていて、継立村の指定にもなっていました。
旅籠をはじめ居酒屋、質屋、餅屋、染め物屋、小間物屋などなどが建ち並ぶ賑やかな宿だったようです。

「大山阿夫利神社御分霊社」に着けば、道程も半分来たのだと街道を行く旅人たちも安堵したことでしょう。
残りの道程の無事や健康なども祈ったに違いありません。金運の神様も祀られているので、そちらも改めて浄めたかもしれませんね。

また創建年代や御由緒などの詳細は不明ですが、ここはこの地域の豪族で 新田義貞の流れを汲む 高下家の敷地だとかで、新田義貞の鎌倉進軍図や功績を称える石碑、銅像なども建立され維持しているようです。

さぁ、この先へと歩みを進めると・・・緩い坂を下りきった交差点角にある施設が見えてきます。

大山街道スケッチ紀行18-7 鶴間ふるさと館

それが「下鶴間ふるさと館」です。
どこかで耳にしたような・・・って、覚えていますでしょうか。「溝口宿」にあった「大山街道ふるさと館」です。
あちらは大山街道の全体を様々な角度でとらえていましたが、こちらはこの「下鶴間宿」に特化し、その時代の商家建築や土蔵の復元、宿場の歴史を展示しています。

1856年(安政3)に建築された大変貴重な商家建築(旧小倉家住宅)は、広い土間や入母屋造りの茅葺き屋根など当時の様子が披露され、実際に体験することができます。
薬と雑貨商を営んでいた当時の生活空間や母屋の座敷床板裏側に残されている絵や文字などからも、暮らしと思いなどが伝わってきます。

大山街道スケッチ紀行18-8 鶴間ふるさと館

四季の歳事では、母屋に大きな雛壇飾りや兜などが飾られたりもしますので、ゆったりとした時間を過ごしにぜひ訪れてみてください。縁側に腰掛けると、ほっこりとします!

多めの休憩をとって「下鶴間ふるさと館」を出ると、また上り坂になります。
この辺りは昔ながらの粋な黒塀(手入れが大変!)が残る民家もあり、しばし時代ワープした旅人の気分といったところでしょうか。

大山街道スケッチ紀行18-10 鶴林寺

坂の途中に「下鶴間宿」の写真付き説明板があるので、読んで見てください。

そしてその隣に長くて狭い石段が現れます。
その石段の前には「不動明王像」がありますが、上半身は傷んで崩れているためちょっとわかりにくいかもしれませんね。どうぞ見落とさないように!
「不動明王像」に一礼して、気をつけてこの階段を上がるとしましょう。
ぱぁ~っと視界がひろがり見事ないちょうがそびえ立つ「鶴林寺」です。

「鶴林寺」は浄土宗鎌倉光明寺の末寺で、1569年(永禄12)に創建、貞山覚智が開山したといいます。
一時期、下鶴間学校の校舎が置かれていて その石碑があります。

大山街道スケッチ紀行18-10

さて、ここからは「下鶴間宿」の旅籠・まんじゅう屋に泊まった渡辺崋山を中心に展開するのですが、ちょっとまた長くなるので、後編として「鶴間駅」までの道程と美味しいもののご紹介なども含め次回に持ち越しとさせていただきます。

次回スケッチ紀行は8日目のその2。
「下鶴間宿」の後編と終点の「鶴間駅」までをご案内します。お楽しみに!
みなさんのご意見・ご感想もお待ちしています。

岡本和泉/Izumi Okamoto

さまざまな「デザイン」を通して、社会や地域、環境、食、観光、ものづくり、文化などをつなぎ 新たな展開をするプロデューサー&クリエイター。 2015年からは”暮らしのデザイン”の一部として、地域に密着し日々の楽しさを広げる 地域独自のイベントや企画、地域活動も手掛け、長年住む世田谷の文化や知的資源、 自然を活かした地域ツーリズムなども多く開催している。
http://www.imincosmos.com https://www.facebook.com/Setayui/

2022年8月、新たに合同会社Produce any Colour TaIZを設立。従来の企画デザインやプロデュース業などに加え、画像技術による画像処理分野に手を広げ、文化財や古い写真の修復・保存、天文写真再現、画像技術開発、講座なども展開する。
https://taiz.jp

【参考図書】
中平龍二郎著『ホントに歩く大山街道』(2007年、風人社)
改訂新版ウォークマップ『ホントに歩く大山街道』(2021年、風人社)
中平龍二郎+編集部著『キャーッ! 大山街道!!』(2011年、風人社)

画像に alt 属性が指定されていません。ファイル名: ooyamacv-108x150.jpg
ウォークマップ ホントに歩く大山街道
キャーッ! 大山街道!!