スケッチ紀行4日目/その1
多摩川越えて、川崎市へ

みなさん、こんにちは。
なんだかんだとやっぱり1年コロナが続いた2022年。
徐々にその勢力はインフル並みになっているのか?! いえいえ、まだまだ油断はできませんね。
最近はもの凄く近い人の感染が普通のようになってきましたが、私は一応高齢者の部類なので(あっ!歳がばれた)・・・感染防止をしながらの暮らしと行動です。
とにかくしつこいコロナですから、みなさんも充分にお気をつけくださいね。

では、今回からスケッチ紀行4日目。
いよいよ多摩川を渡り神奈川県は川崎市へと入ります。

*因みに、各スケッチはクリックすると拡大で見られますよ。

*ウォークマップ大山街道
二子橋ー二子橋親柱ー二子渡し入口-「誇り」ー二子神社ー常夜灯ー亀屋跡ー大和屋ビルー大貫病院跡ー光明寺ー国木田独歩の碑ー六軒町三番館ー田中屋呉服店ーはかり田中屋ー灰吹屋ー大山小径ー大山街道ふるさと館・大山街道道標

川崎側の親柱にご対面

「二子橋」ができて、「二子の渡し」である舟はなくなりました。
最初は鉄道も一緒の橋・・・つまり、人・車・列車が同じ橋を渡っていたことになります。
昔は多摩川も暴れ川、そのせいか多摩川に架かる橋は意外に少ないですよね。
まして人の通行が出来る橋となると、世田谷区にはこの「二子橋」のほかは現在のR246の新二子橋だけ。
あとは自動車専用道路や田園都市線の鉄道橋というわけで、こんなに近い距離ではあるものの人が渡る手段はたったこれだけなのですねぇ。

スケッチは、その新二子橋からの眺めです。
澄みわたった空は広く、頬に当たる風も今はまだ心地よくて気分も晴れ晴れします。
R246の交通量はいつも多い上、ここは瀬田交差点から徐々に下り坂になるため結構なスピードを出していきます。人道は橋の端(シャレではありません)に、なんだか肩身の狭い感じでありますが、
それでもこれだけ車がブンブン通る橋で急ぐ車たちを横目で見ながら歩くのは、なんとなく優雅な感じになります。
ねぇねぇ、そんなに急いでどこへ行く?! って言いながら、気持ちのいい空気を吸うのです!

二子玉川では、首都高高架下にあるはなみずき広場に「親柱」がありましたね。
今日は、「川崎側の親柱」にご対面といきましょう。
こちらは「二子橋」を渡りきった交差点のところに、なにやらひっそりと置かれています。
ちょっと公園に飾ってあるのとは違って素通りしちゃいそうなくらい!
後を振り返ると世田谷区二子玉川のまち、ビル群が見えますが、この「親柱」も時を経て様変わりしてきたまちや人たちを見守っているのでしょうね。

川をはさんで世田谷区と川崎市。
どちらにも高層ビルが建ち同じ空の下なのですけれど、何かが違う・・・んだなぁって感じるのが不思議です。

「二子の渡し」大山街道でも難所のひとつでした。野菜や果物などの農産物や手工芸品を東京で販売し、帰りには下肥を持ち帰ったと言います。
暴れ川でもあった多摩川を舟で行き来するのは、さぞかし苦労だったでしょう。
流通が増え、軍隊などの影響もあって架橋となりましたが、関東大震災時には多くの避難民が橋を渡ったそうです。

二子宿・溝口宿に当時を思う

「親柱」をあとに二子新地駅入り口の信号を右折して直ぐ、右へ折れる(川岸へと下りる)小径があり「二子の渡し場入口」の看板。

今はこの看板のみで、残念ながら面影たるものはなにひとつありません。当時は川まで見通しも良かったでしょう。渡し場で舟を待つ人たち、荷を下ろす人たちなども見え、この道を小走りで行く旅人が想像できます。
また、渡し場傍には茶屋、料理屋、蕎麦屋などの店が並び賑やかだったとか。
前回ご案内した玉川「三業地」と同じように、二子新地にも料理屋・芸者屋・待合茶屋が軒を並べていました。今も裏通りには料亭がいくつかあるようです。
現在は普通にLunch&Beerを楽しめる店など、現代らしい飲食店も並んでいます。

「kitchen ARTISAN MAKOTO」はボリューム満点で気軽にフレンチが頂けるレストラン。特にランチはお財布に優しいプライスで、サラダやスープバー、パンorライス、ドリンクが付きます。
2階なら、窓からの景色が最高!今渡ってきた多摩川がキラキラしていますよ!

川を右に見て進むと変わったフォルムのオブジェが見えてきて、青空に映えるのが「岡本かの子文学碑・誇り」。作者は言わずと知れた岡本太郎で 1962年(昭和37)に建てられました。
岡本かの子は近くの旧家・大貫家に生まれ、多摩川を愛してやまなかったそうです。
また台座と築山は、岡本太郎と親交の深かった丹下健三が設計しました(万博コンビ!)。

この緑地は二子公園で、「二子神社」があります。民家に囲まれた参道を行くと一の鳥居。「大山常夜灯」も立っていますが、“夏山の期間”以外は大事に保管をしているため残念ながら確認することはできません。

ここから「二子宿と溝口宿」が始まります。
日本橋から約20km。花街もあり、当時の旅人にとってはちょうど1泊目として宿を取るにはいい距離。昔の店が残ったり、世代が替わりながら新しい店舗になったり・・・と今でも賑やかな商店街が長く続きます。
当時はいろいろな店が並ぶ中、どこの宿がいいかを考えたかもしれませんね。「二子宿」は川傍から下宿・中宿・上宿と3つに分かれていたのだそうです。
「大山常夜灯」の右横が「亀屋跡」。隣の花屋のおばあちゃんに「亀屋はこの辺でしたか」と伺ったところ「あらぁ、良く亀屋だなんて知っているわね」と。そして「亀屋はね、とっても大きくてあの渡し場入口の前が門で、この辺りまでずっと亀屋だったの」と教えてくださいました。
おそらく、宿場で一番大きかったのでしょうか。元の屋号は玉亀楼でしたが、明治天皇の皇后が鮎漁を楽しんだ際「ここは亀屋か」と尋ねられたのをきっかけに亀屋と改号したのだそうです。
また溝口駅入り口交差点角にも「亀屋」(国木田独歩『忘れえぬ人々』の舞台)がありますが、こちらとは全く別の旅館です。

古い宿場町は、今も活気ある商店街。
「PATISSERIE EDO.HIBINO」には、ひとつひとつが丁寧に手作りされたかわいいケーキがいっぱい。
フワフワやさしい味の小さなケーキ屋は、とても親しみやすくあったかでした。

お洒落なランチショップやスイーツなど、宿場の雰囲気と現代の雰囲気とがコラボしつつ軒先がずっと続いて溝口宿へと移っていくのですが、まだまだ二子宿のご案内も続きますよ。

このまま「二子宿」を進むと、左側に「大貫病院跡」、その斜め右前に「光明寺」です。

「大貫病院跡」は岡本太郎の生家、岡本かの子の実家でした。大きなヒマラヤ杉は当時の名残。
江戸時代、幕府大名の御用商人として巨万の富をなした大貫家(大和屋)が、広大な土地に病院を経営していたそうで、土蔵は市の文化財にもなっていました。残念ながら老朽化で撤去され病院も後継者がなく廃業となったとか。
「光明寺」は、1601年(慶長6)武田の落ち武者が開いたという浄土真宗のお寺で、大貫家の墓があります。本堂では1874年(明治7)から2年間、学校が開かれ“二子学舎”と言われました。

さらに歩みを進めると、大きな大きな釜が姿を現します!
「飯塚商店の大釜」で五右衛門の釜と言われていて、実際にNHK大河「黄金の日々」にて根津甚八扮する石川五右衛門が釜ゆでにされたというそのモノだそうです。
ちょっと、入ってみたい!
余談ですが、父のおばあちゃんちには、本当にこういうお釜のお風呂があり、浮いているすのこを沈めて入った記憶があります!!
ほか、昭和浪漫って感じのスナックとか・・・なかなか懐かしさがいっぱいの店も健在。
ちょっと時代を遡っている雰囲気ですねぇ!

その先に見えてくるこんもりとした樹木の奥には高津図書館。手前の広場には「国木田独歩の碑」があります。
先ほど少し触れたもう一つの「亀屋」。ここが国木田独歩の小説「忘れえぬ人々」の舞台となり、その旅館亀屋にあったものが廃業後移されたものです。

そして、この高津図書館から府中街道あたりは昔六軒町と呼ばれ、その名残がマンション名となっています。世田谷の三軒茶屋と同じく、こちらは家が六軒あったということからついたのだそうですよ。

その先、一際(ひときわ)古い商家が未だその姿を留めているのが「田中屋呉服店」
京都や奈良のお寺のように釘を使用せず、鑿(のみ)を入れて組み込む方式で柱や梁を組んでいます。
相当な大店だったのでは?!と、当時を思い浮かべます。

ここから高津の交差点まで直ぐですが、その先からは溝口宿

車の往来も激しい府中街道、高津の交差点角にあるのは「はかり田中屋」。秤のほか、お茶業も一緒にやっています。創業は江戸時代末期の嘉永年間(1848〜54)という老舗。当時は幕府の許可がない限り秤の販売はできませんでしたし、川崎ではこの田中屋が唯一許可の出されていた店とのことです。

その一軒隣には、これまた昔の雰囲気を残す「灰吹屋」。こちらは更に古く明和年間(1764~72)が創業です。大山街道には薬屋が少なかったらしいので、道中の人たちにとっては大変ありがたい存在だったでしょう。壁の塗り替えなどで新しくみえますが蔵自体は当時のまま現存しているというから、これもちょっと驚き! でもこういう建物は旅心をそそりますね。

通りをはさんだ向かい側には「大山小径」が広がります。モザイクの石畳には江戸時代に発行された「新板往来双六」を参考にした大山街道の紹介タイルがあります。一枚一枚結構味わい深く、たどってみるのもおもしろいですよ。

そして前回特集した「大山街道ふるさと館」に到着。
街道や地域に関するいろいろな資料を展示していますから、ちょっとここで一服しながら、「二子宿や溝口宿」の詳細情報を知るのもいいものです。また企画展やイベントなども開催していますので、HPを参考に覗いてみてください。

以前ここには高津町役場があったそうです。館内に当時の町役場建物レプリカが飾られています。
また正面には、府中街道の角にあった「大山街道の道標」があります。

そうそう、大山参りのすごろく手ぬぐいが、なかなか楽しくお土産や記念におすすめですよ!

さて、今回はここまで。

ようやく多摩川を越えて、マップを確認すると起点の赤坂御門から16kmちょっとといったところでしょうか。但し、寄り道が多いのでおそらく倍近くは歩いているでしょうね。 この先からはアップダウンが多い地域へとなります、がんばらなくっちゃ!!

次回スケッチ紀行は4日目のその2
大山街道ふるさと館を出て、宮前平まで行きます。東急田園都市線に沿うような感じですが
さぁ、なにが待っているでしょうか! どうぞお楽しみに。
みなさんのご意見・ご感想もお待ちしています。

岡本和泉/Izumi Okamoto

さまざまな「デザイン」を通して、社会や地域、環境、食、観光、ものづくり、文化などをつなぎ 新たな展開をするプロデューサー&クリエイター。 2015年からは”暮らしのデザイン”の一部として、地域に密着し日々の楽しさを広げる 地域独自のイベントや企画、地域活動も手掛け、長年住む世田谷の文化や知的資源、 自然を活かした地域ツーリムなども多く開催している。
http://www.imincosmos.com https://www.facebook.com/Setayui/

2022年8月、新たに合同会社Produce any Colour TaIZを設立。従来の企画デザインやプロデュース業などに加え、画像技術による画像処理分野に手を広げ、文化財や古い写真の修復・保存、天文写真再現、画像技術開発、講座なども展開する。
https://taiz.jp

【参考図書】

中平龍二郎著『ホントに歩く大山街道』(2007年、風人社)
改訂新版ウォークマップ『ホントに歩く大山街道』(2021年、風人社)
中平龍二郎+編集部著『キャーッ! 大山街道!!』(2011年、風人社)

ウォークマップ ホントに歩く大山街道
キャーッ! 大山街道!!