スケッチ紀行2日目/その2
高低差の変化に富んで

みなさん、こんにちは。
今年は本当に天候がわかりません。早い梅雨明けをしたかと思えば、また戻り梅雨のような状態。春先も異常に暖かかったり、急に寒さが戻ったり・・・。
年をとると、いちいちこういう変化に対応しにくくなりますから困ったものです。

今日は、始める前にちょっと耳寄りな情報をひとつ。
前回のスケッチ紀行で登場した「鮮魚 平澤」ですが、毎回読んでくださる瀬田(用賀)在住の知人から、こんなお話しをいただきました。
『昔は「神田」という名前で、桜新町駅近くの寿司の「神田屋」がやっていましたが代替わりで店員だった人が後継しているようです』
そうか、元々は寿司屋だったのですね。それなら仕込みは新鮮、間違いないですね。貴重な情報をありがとうございました。
後日、私も実際に魚買いに行きましたよ。ほんとイキのいい魚はありがたいです!

さて、スケッチ紀行2日目のその2
新町線経由で入った桜新町辺りの続きから「二子の渡し跡」までを参りましょう。

*因みに、各スケッチはクリックすると拡大で見られますよ。

*ウォークマップ大山街道/サザエさん通り-用賀三丁目交差点(地蔵)-用賀追分-鎌田酒店跡-真福寺-田中橋-延命地蔵-瀬田交差点-行善寺-法徳寺-六郷用水-調布橋-多摩川東陸閘-二子の渡し跡

 大山街道04回-1

残したい風景は路地を入って

 コースを進む前に、前回の終わりに次回でご案内しますと言っていた3つの寄り道スポットへ行くことにします。
先ずは世田谷の中でもいくつかある忘れられない、いつまでも残したい景のひとつでもある「駒沢給水塔」から。
前回行った「善養院」参道からひとつめの、ちょっと斜めった小さな交差点を北上します。

大山街道05回-2 

せたがや百景にもなっている「駒沢給水塔」は、豊多摩郡渋谷町の町営水道施設として1924年(大正13)に完成しました。
多摩川の水を浄水して駒沢給水塔に送り、ポンプで押し上げた後、重力で渋谷町へ送水する仕組みだったそうです。鉄筋コンクリートの配水塔としては、なんと日本初!
2基あるので「双子の給水塔」とか、王冠を模した装飾から「丘の上のクラウン」とも呼ばれています。夜間照明が灯ると、大正ロマンを感じさせる独創的な雰囲気が、グッと心に浸みるのです。残念ながら公開は、都民の日に抽選による見学会のみ。特に夏場は生い茂る樹木の葉でその美しい姿がなかなか見えにくいときている!
ですが、周りのどこからか一部でも見られるスポットがいくつかあるので、それを探すのも楽しいかもしれませんよ。

では、桜新町の通りに戻って交差点を逆の方(R246に抜ける)へ行ってみましょう。

渡る前の交差点近くには「田中精米店」。ちょうど定休日でしたが、雰囲気としては長く営業していそうな店構えです。店先にある可愛らしい花たちが、とても印象的でした。

大山街道05回-2a

交差点を渡ると、ちょうど「善養院」の裏手といいますか、横道に抜ける側。このまま進めばR246へ出る細い道ですけれど、ちょっと一風変わったお店が並んでいるのです。
ワインがズラリと並ぶ「ビストロFrogs」やオーガニックな「cafe vegetable ensemble」、閉まっていて正体がわからない所もありますが、意外に楽しいストリートなんです。
まちあるきや街道歩きは、こういう脇道に逸れることが新たな楽しみになります。時代によってもその様子は随分と変わるものでしょうけれど、得てして表通りより脇道の方にそそられるモノがあったりします。

桜新町駅への道に戻り先へ進むと、途中左手に赤い鳥居が見えてきます。
京都の伏見稲荷とまではいきませんが、とにかく赤い鳥居が点々と続いている・・・それが寄り道スポット3番目の「久富稲荷神社」。へぇ〜こんなまち中に!
御由緒をみると『鎮座四百余年。京都の伏見稲荷大社より御霊を賜りこの地に御鎮座され、地域の五穀豊穣・商売繁盛・芸道上達・厄除・交通安全の御神徳を載いています』とあります。やっぱり、京都の伏見稲荷だ!
長い長い参道沿いには普通に民家が並んでいて、なんだかお庭のような、親しみをもったご近所付き合いって感じがいいです。

お魚くわえたどら猫〜

寄り道スポットを抜けるとまもなく桜新町駅
駅は地下にあるので見えませんが、いくつか入口の階段があります。メインストリートとなるのが「サザエさん通り」。至るところにサザエさんにまつわるモノがまちに溶け込んでいます。
馴染みのサザエさん一家がいたり、フラッグやポスター、オリジナルのお菓子などなど、まぁ賑やかなもんです。

大山街道05回-3

桜新町については前回ふれましたね。
東京信託(株)が住宅の分譲を始めたという話ですが、そのモニュメント「信託住宅発祥の地」の碑がY字型骨格道路交差点にある区民集会所に。これもちょっと見つけにくい所にあるので、見落とさないよう。

そして、すぐ近くに見つけた豚肉料理専門店の「ぶたとろ」。脂がおいしいという林SPF豚を一頭買いして全部頂く(調理する)のだそうです。ランチで入店しましたが、ジューシーでとても甘いお肉は絶品でした。ワインや日本酒もかなり種類があるから夜もアラカルトで楽しめそうです。こりゃまた、夜も来てみなくっちゃ!!

さぁ、お腹も満たされたところで「サザエさん通り」を戻り、「用賀三丁目交差点(地蔵)」を通って、「用賀追分」へと緩やかな坂を下っていきますよぉ。

大山街道05回-4

現代と過去がいろいろミックス

 「用賀三丁目交差点」「地蔵堂」は、世田谷新町村の女念仏講中によって1780年(安永9)に造立、中には地蔵菩薩像がいます。
この向かい側には大きなマンションがあるのですが、この辺りは明治の終わり頃から関東大震災までイギリスの銀行家ブライアン・チャールズが住む豪邸があったそうで、なんと!そのブライアンはミッキー・カーチスの叔父だとか。ミッキーは今でこそ仙人のような長い髭の白髪老人ですが、れっきとしたロック・ミュージシャン。あっ! 現在は歌手・俳優・落語家だと言っているそうな。

大山街道05回-5

そして「用賀追分」の手前にあるのが「用賀神社」
ここからはいささか道が複雑で、上町線から来る旧道とぶつかるのですが、新道用賀神社前を抜けてそのまままっすぐにおりるのです。
ただ、旧道と巡り会う「用賀追分」は当時も主要な交差点でした。
そこに建つ道標は、余りの交通事情などもあり現在は世田谷区郷土資料館へ移されています。

大山街道05回-6

用賀駅までのほんの少しの距離ですが、両方に寄り道スポットもあるため行き来しながらひとつひとつ巡っていきましょう。
「用賀神社」からの道をまっすぐ下ってくると、なんの変哲もないところに ある碑が・・・。

みなさんは”玉電”こと東急玉川線をご存じでしょうか。これも世田谷を語るに忘れてはならないモノのひとつで、廃線から半世紀以上が過ぎた今でも、多くの鉄道ファンや地元民の記憶に残り、愛されています。
玉電の話は、世田谷の旧道コースをご紹介した後に取り上げるつもりですので、お楽しみに!

ということで、ある碑とは「玉電用賀駅跡碑」
いささか淋しい感じでちょこんと建っていますが道行く人たちは気づいてくれていますかねぇ・・・。

大山街道05回-7

 

「玉電用賀駅跡碑」の角を曲がって「用賀追分」の通りへ戻ると、そこはコンビニエンスストアになって全く面影はありませんが、かつて玉電が開通した大正時代創業で栄えていた「鎌田酒店」でした。少し前迄は酒蔵などもあったようですが、残念ですね。調べていたら看板があったので、そちらをスケッチに加えてみました。中平龍二郎著「ホントに歩く大山街道」では、この看板をかかげた店の写真があります。

すぐ右側には「三界萬霊」と記された石塔がある参道、奥に「真福寺」です。
朱塗りの山門が一際目を惹き、古くから通称”赤門寺”と呼ばれています。
境内には、江戸時代後期用賀村大山街道沿いで醤油業を営んでいた商人鈴木六之助が建立した松尾芭蕉の句碑や庚申堂・太子堂などがあります。

大山街道05回-8

ところで用賀という地名は、みなさんもご存じのヨガから来ているそうですよ!ヨガは平安時代から鎌倉時代に既にあったそうで、鎌倉時代初期にヨガの修験道場ができたことから、この地域を用賀と名付けたのだといいます。
「真福寺」の山号・・・瑜伽(ユガ)・・・はヨガ、インドのサンスクリット後で漢字では瑜伽ですね。

賑やかな用賀駅前を過ぎて直進すると、首都高3号線の高架が見えてきます。その下に架かるのが「田中橋」。昔から大山街道に架かる橋ですけれど、名前の通り当時は周りが田んぼだらけだったのでしょう。後には玉電も通っていました。

更に歩みを進めると、新道旧道の分岐点となるY字路に着きます。左がそのまま新道、右が旧道で用賀村と瀬田村の村境です。この分かれ道にあるのが「延命地蔵」
だいたいこういう地蔵堂は木造なのですが、こちらはとても頑丈な造りで地蔵さまも見えにくかった・・・けれど、なんとか優しい丸顔だとわかりました。
1777年(安永6)用賀村の女念仏講中の人々によって建てられたらしいのですが、時々ここを通ると地元のご老人たちが集まっておしゃべりしたり、祀って拝んでいるのを見かけますので、今でも昔の念仏講のようにみなさんが集まる所なのでしょうね。中には小さなベンチもありました。大山街道を行く旅人の安全も願ってくださったに違いありません。

あぁら! またもや、絶景

 さて、いよいよ環八まで来ました。「瀬田交差点」を渡り、交番の左側の道を行きます。ちょっと小腹が空いてきたかなと思っていたら、「甘吉」。自然の恵みに感謝をコンセプトに2018年(平成30)夏にオープンしました。お店は小振りですが、とにかくたくさんのパンが焼きたての良い香りを放っています。食事パンから甘い系までいろいろお腹を幸せにしてくれます。

大山街道05回-9

教会のある三ツ又に来たら、斜めに走る真ん中の道へ。ここは国分寺崖線の上、つまり右側は切り立った崖となる高台、下には東急線が走ります。少し先のマンション敷地に「樹林跡地の碑」をみつけることができます。どんどん住宅開発がされ、大切な樹木と景観を保存しようと、多くの住民からの強い要請で70本の樹木が残りました。
今、都内でも国立競技場界隈の新開発で神宮の森をはじめとする貴重な樹木を伐採するという目茶苦茶な計画が立ち上がっていますが、一体何を考えているのやら!
切るのは簡単ですが、森となるまでにかかる年月や環境破壊を考えれば、実におかしな話だと思うのですが・・・。

この瀬田地域には、崖線による自然のほか先土器、縄文、古墳、古代にわたる瀬田遺跡が広がっています。非常に多くの石器類や8層にわたって遺跡が確認されるなど貴重な発掘だったといいます。
この先には、縄文前期の「瀬田貝塚跡」もあります。案内板はずいぶんと劣化していましたが、7000年前にもなる暮らしの営みがあった証です。

そして右側に姿を現すのが「行善寺」。江戸時代に玉川八景で名が知られた寺です。
境内に入りぐるりと裏手へ回ってみましょう。すると、あぁら!絶景。
これから目指す大山をはじめ、富士山や丹沢系、秩父連山、多摩川など、それは見事な眺望で疲れも一気に吹き飛びます。江戸時代の人たちも、きっと歓声を上げて楽しんだことでしょう。

大山街道05回-10

そこから道は下り、行けば結構急な坂道です。
横に細く、樹木の重なりで陽の光も届きにくい「行火坂」。この坂を登ると、懐にあんかを入れているようにポッポッっとカラダが熱くなることからついたそうな。木洩れ日の雰囲気もよく、なかなか好きな坂のひとつです。

大山街道05回-11

またこの「行火坂」正面にある「belle capri」が素敵なのです。アンティークとコスチュームジュエリーを扱うショップですけれど、風景ともマッチしているんだなぁ。
友人のコスチュームジュエリー作家にも、このショップを教えてあげました。

急な坂を下りきれば「調布橋」。大山街道が「次大夫堀」と交叉するところです。旧道コースにも同じように「次大夫堀」とぶつかるところがあります。

大山街道05回-12

そうそう、先ほどの「行火坂」を登っていくと左手に「法徳寺」があります。1558年(永禄元年)法阿因公和尚により開山、開基は瀬田の旧家白井家の先祖・白井法徳。

橋を渡って丸子川沿いを行くと「馬頭観音道標」がガードレールに守られるように建っています。その前の細い道を行くと視界が開けて新しく開発された二子玉川駅周辺に出ます。よく見ると、路面には「江戸道」が描かれ碑もあります。光に反射して少し見えにくいですが、現代の開発の中にも大山道を意識して取り上げてくれたのですね。
「江戸道」とは、大山から江戸へ向かうときに使われた呼び名です。

ここまで来れば、今回の終点まであと少し。
「江戸道」の向こうに見えるのが「多摩川東陸閘」。春にはこの土手に桜や花大根が咲きのどかな散歩道になります。

大山街道05回-13

目の前には多摩川が・・・と言いたいところですが、もうひとつ堤防土手を越えてから、多摩川と神奈川県の川崎市が見えます。玉川福祉作業所前に「二子の渡し跡」石碑がありますが、渡しの場所は水量によって上流や下流に位置がずれたとか。
始まりははっきりしていないそうですが、元禄元年からあった渡し。大山参りの参拝客などで賑わうほか、相模地方の産物を江戸に送る流通路にも利用されたようです。
1923年(大正12)関東大震災の避難民が大山街道を通ったことで、二子橋の架設活動が勢いを増し、二年後橋の完成とともに二子の渡しは廃止されました。
現在は毎年1回、1日限定で渡しの体験イベントがあるようです。

最後に多摩川の雄大な流れを見て、今回はここまで。
二つのコースがある世田谷区、今回で新道は終了。見どころ満載、寄り道スポットもいっぱいでしたね。「二子の渡し跡」に近づくほど、急坂が多く地形の変化や古代からの文化にもふれました。最後は眺望の素晴らしさに気持も晴れやか! 目指す大山も見たところで、旅の続きを描いていくとしましょう。

さて、次回のスケッチ紀行は3日目のその1
世田谷のもう一つ、旧道である上町・慈眼寺線を行きます。どうぞお楽しみに!
みなさんのご意見・ご感想もお待ちしています。

 

岡本和泉/Izumi Okamoto

さまざまな「デザイン」を通して、社会や地域、環境、食、観光、ものづくり、文化などをつなぎ 新たな展開をするプロデューサー&クリエイター。 2015年からは”暮らしのデザイン”の一部として、地域に密着し日々の楽しさを広げる 地域独自のイベントや企画、地域活動も手掛け、長年住む世田谷の文化や知的資源、 自然を活かした地域ツーリムなども多く開催している。 http://www.imincosmos.com https://www.facebook.com/Setayui/

【参考図書】

中平龍二郎著『ホントに歩く大山街道』(2007年、風人社)
改訂新版ウォークマップ『ホントに歩く大山街道』(2021年、風人社)
中平龍二郎+編集部著『キャーッ! 大山街道!!』(2011年、風人社)

ウォークマップ ホントに歩く大山街道キャーッ! 大山街道!!