(こ)記
大垣城の外堀だった水門川。春には川沿いに桜が咲き誇ります。ここ船町港から、「奥の細道」の旅を終えた松尾芭蕉は、船で桑名へ向かいました。
大垣は、美濃路7宿の宿場町であると同時に、この水門川の湊町としても栄えました。宿場の長さは、26町14間(約2862m)で、美濃路でも最長でした。また、戸田氏10万石の城下町でもあり、宿内の美濃路は、城下町特有の曲り角が多い道になっています。
大垣は、松尾芭蕉の「奥の細道」結びの地としても有名です。多くの句碑が建ち、芭蕉ファンも訪れます。
元禄2(1689)年3月、芭蕉は江戸深川を旅立ち、東北・北陸地方を巡って、8月21日に、ここ大垣で終えました。約2400㎞を150日あまりをかけて旅しました。
その後、芭蕉は伊勢へ向かうために、水門川の船町湊から船で桑名に向かいました。船町湊には、大垣の芭蕉の俳友・木因(ぼくいん)と芭蕉の像が立っています。
水門川の東岸には、江戸時代の住吉燈台が残ります。湊の標識であるとともに、夜間の目印になっていました。
JR大垣駅近くの愛宕神社から奥の細道むすびの地までの水門川沿いに、芭蕉の旅立ちの句(千住)から東北、北陸を経てむすびの地(大垣)まで22の句碑が建てられ、外堀を辿りながら「奥の細道を実感できるよい散歩道が整備されています。
大垣は、水都と呼ばれています。
大垣は地下水の自噴帯で、水が豊富なのです。町には多くの自噴水(井戸)があり、水が湧き出しています。豊かな水を利用した「水まんじゅう」は夏の風物詩です。
岐阜県大垣市
『ホントに歩く東海道』別冊 美濃路(垂井〜宮)に収載