2020年4月23日(お)記
ラウンジへのお便りに、「妄想歩き」がありました(「ホントに歩くラウンジ」№0117)。
そのコメントとして、「地図を読んでイメージウォークをしよう」との勧めを書きました。
地図読みと現地照合の面白さは、私には格別の趣味・魅惑になっています。外出できないときは、これを楽しむチャンスだと思い、地図読みの例とその楽しさをみなさんにお伝えしたいとおもいました。
新型コロナウイルス感染流行が収束して、外出できるようになったときは、地図読みの現地照合(答え合わせ)に行きましょう。
イメージをいっぱいした分、すごく楽しい発見があると思います。
以下の例は、何回かの私の講演でお話ししたことです。紹介する地図読みの例は、弊社発行の全地図の至る所にありますが、講演で取り上げた例のうち、すぐ手許にあるものからアトランダムに、いくつかをお伝えします。
例1 水田の中の神社
地図1は、とても平凡な地図です。美濃路から少し離れたところに神社マークが二つあって、どんな神社かを現地確認に行きました。
もし、行く前にしっかりと地図読みして、現地をイメージで歩いてみると、どんな風景が広がっているでしょうか?
これはじつは、かなり習熟していないとできないものです。こんな単純な地図でさえ、地図読み技術を磨かないと、光景の細部までイメージするのは難しいのです。
地図は、予想以上に光景の情報を記しています。
上の図が、現地の写真です。何か感動しませんか。
中央の木が茂った盛土に小さな神社があります。この地域の産土神。水田のあぜ道を通って写真右側から参拝に行きました。
水田の中に神社がつくられたのではなく、おそらく神社がさきにあって、神社を移動せずに、そこを残して周りを水田にしたのでしょう。ちょっと不思議な光景でした。この未知の土地の風景を、地図読みでどれくらい想像できたでしょうか。
そう思って、地図1を見直します。ちゃんと水田記号が広がっているし、その奥には、駐車場の記号ⓟもあって、写真奥に車が見えて、見事に地図と現地の照合ができます。
これは、『ホントに歩く東海道 別冊美濃路』(垂井〜宮)の№5のmapCです。お持ちの方で、もし興味を抱かれたら、現地照合を楽しんでください。
例2 現地に立って地図を見る
地図2は、地図を読んで、歩く前から気づいていたのではなく、現地調査のときに、現地に立って、そのとき逆に地図を眺め直して、改めて風景を確認した例です。
地図の街道が市街地から出たところ、○印のすぐ北の交差点を左から右へ横断したとき、ふと南を見ると、整然とした街路樹がずっと続いています。何かを思う不思議な風景でした。
地図2には、ちゃんと並木道の地図記号があります。これを眺めていると、以前ここがどんな土地だったかも想像できます。
そして現在、並木道はどのように続いているかが、そこへ確認に行かなくても地図でわかります。
(『ホントに歩く東海道 別冊美濃路』(垂井〜宮)の№2のmapB)
地図読みの熟練者だったら、この交差点に行かなくてもこの光景を先読み出来るのですが、私は現地で「あっ」と思って、後読みになりました。
例3 地図の先読み
地図3は、予めしっかりと地図読みの予習をして、現地調査に出かけました。
街道歩きでは、こんなふうに地図読みをする必要はもちろんありません。これは私の遊び、楽しみ、エクササイズです。
地図3に二つある水色の○で囲っている左側は、記念碑記号です。
何の記念碑か? 地形図の記念碑記号はガイドブックでは紹介されていないものもあり、現地で確かめる楽しみもあります。
(『ホントに歩く東海道 別冊美濃路』(垂井〜宮)の№5のmapC)
ここの場合は、調べると、ガイドブックでも紹介されている有名な記念碑でした。
長束正家邸跡です。豊臣政権時の五奉行の一人で、財政と見地奉行を務めました。関ヶ原の戦いでは石田三成と行動をともにし、敗北後に自害しています。
東海道水口宿にある岡山城主だった頃、徳川家康を落とし穴のワナをしかけたこともある話も伝わります(『ホントに歩く東海道』第14集 №53)。
地図読みでは、街道と記念碑の間に建物などの障害物がないと予想されますので、進行方向左手を見ていれば、記念碑を発見できます。
しかし、もし地図が古いと、このような街道筋に面した土地には、今は高い建物が建てられているかもしれません。すると、現調で見落とす可能性があります。
右側の○囲みは、送電線鉄塔です。これは、目立ちます。
街道からこの鉄塔が真左の位置に来たとき、自分と鉄塔の直線上に記念碑がありますので、その位置をピンポイントで予測できるのです。
下の写真、石碑の奥に送電線鉄塔が写っています。
さて、実際に行ってみると、現地は面白いです。いろんな石塔が並んでいました。
これを出発点に、新たな発見に発展していくかもしれません。