前回の中山道マップ完結の記事は多くの方に読んでいただき、ありがとうございます。お読みいただいたことをお知らせくださった方には、とても感謝申し上げます。励まされて、続けてもう一つメモしておきます。

 JR中央本線野尻駅は無人改札の小さな駅で、野尻宿の集落の細いメイン道路は旧山道です。現調(現地調査)のときは、駅にも、旧中山道にも、入った喫茶店にも、店主以外に一人の人影もありませんでした。そこで、ふと店長と交わした会話が、印象深い取材になりました。
 歩いてきた与川道の道標が全てローマ字表記で、英文の案内板もありました。店主によると、道標は村の人たちが立てたそうです。与川道を歩くのはほぼ外国人で、日本人は旧中山道を歩き、与川道を歩く人はまずいません。
 与川道終着の野尻の喫茶店に、外国人の与川歩きの団体がどっと来て満員で入りきれず、どこか飲食品を買えるとことはないか? と訊かれて、新中山道(国道)のコンビニを紹介したとの話には驚きました。

 なぜ外国人が中山道を歩くのかという理由は、別の取材で知りました。その件で面白い話もあるのですが、話が長くなりすぎるのでここでは端折りますが、一言で言うと、中山道を歩くと日本がわかる、日本を味わえるからです。現代日本が誕生する日本近代史の風景が、中山道にあるからです。ヨーロッパの日本旅行代理店が中山道歩きを勧めているそうです。

 与川道とは、中山道の迂回路(公式の中山道)で、「歴史の道(国史跡)」に指定されています。三留野(みどの)・野尻間の木曽川沿い桟道(切りたった山腹、崖の斜面に木材の棚のように張り出して設けた道)はしばしば水害で通行不能となり、与川道はその迂回路として切り拓かれました。
 島崎藤村『夜明け前』に描かれた木曽路の道であり、浅田次郎の『一路』では、迂回路を通らない岨(そば)伝いの冒険突破の場面が圧巻です(木曽路を歩く人には、本書はとても参考になります)。

 与川道は、徳川家重に嫁ぐ比宮(ななのみや)の通行のために尾張藩が拓いた道ですが、大名や『夜明け前』の主人公の通った道で、一部を除き、そのままに残っています。その道は、今も歩けます。木曽山中の自然を楽しめる素晴らしいルートです。
 それなのになぜ、日本人は歩かないのか。昔の桟道が今は障害なく歩けるために、中山道ウォーカーは与川道を歩く必要がないのです。与川道を案内するガイドブックも見当たりません。地図はなおさらですが、『ホントに歩く中山道』第7集に2万5000分の1地形図によるコースマップを収載しましたので、これから歩く人も増えるといいなと願っています。
『ホントに歩く中山道』第7集 https://www.fujinsha.co.jp/books/h/n/9784938643904-2/

ホントに歩く中山道 第7集

 ところで、前回の私の記事を見返すと、推敲もなく荒っぽい文章ですね。ごめんなさい。じつは、書いている途中で、私のFacebookを見る友だちが思い浮かび(この記事はFacebookから転用しています)、山関係の人が多く、中山道と山のことに思いが行って、文章が走ってしまいました。中山道と山は関係が深いです。中山道は、碓氷峠、和田峠、鳥居峠など、中央分水嶺を越える峠があります。
 それらの区間は、山歩きが不慣れた旅人には危険なところもあります。逆に山歩きに慣れた人には、魅力的な区間です。その区間も記録しておきたいなと思っています。

(お)記