スケッチ紀行3日目/その1
旧道をじっくり

みなさん、こんにちは。
あり得ない暑さが襲いかかる毎日ですが、お元気でしょうか。
このやりきれない暑さが続く夏の間は、現地取材をお休みさせて貰っています。
でも、まだまだ描きためたスケッチはあるので紀行ブログは更新していきますよ。

また、毎回頂く読者のみなさんからのコメントが大いなる励みでもあります。
私は別名”寄り 道子”さんと言われるほど、コース本道から延びる景をいろいろ訪ね歩くため、なかなか歩みが遅いのですけれど、まつわる諸々を調べたりしながら大山街道初めての踏破を楽しんでいますので、おつきあい頂ければありがたいです。

さて、今回からスケッチ紀行3日目のその1。
世田谷区にあるもう一本、旧道(最初の本道)となったコースを行きましょう。
これで、世田谷区南北のコースを訪ねることになります。

*因みに、各スケッチはクリックすると拡大で見られますよ。

*ウォークマップ大山街道
三軒茶屋ー世田谷通りー若林交差点ー駒留八幡宮ー松陰神社前バス停ー松陰神社ー世田谷城址公園ー豪徳寺ー上町駅ー大吉寺ー圓光院ー世田谷代官屋敷ー天祖神社ー道標(世田谷郷土資料館)

世田谷線に沿って

「大山道標」をあとに世田谷通りを進みますが、東急世田谷線とつかず離れずのコースです。以前は旧玉川線の一部でしたけれど、1969年(昭和44)5月に渋谷〜二子玉川園が廃止されたとき、支線の三軒茶屋〜下高井戸だけが残り名称も世田谷線となりました。 私も若い頃からお世話になっている路線、何度となく車両も変わっていますが、住宅の中を走って行くたった2両編成の電車は、とても親しみのあるものです。
世田谷区は面積と人口、それぞれずば抜けて大きいのに江戸時代は市域に入らず、明治になっても旧市街地には入らない、なぜか都市開発から取り残されてしまった地域で、この大きな区を走るのは小田急線と京王線のみ。東横線と大井町線は世田谷区の淵をなめるように走っているのです。そんな世田谷区で地域の電車として活躍し続けるのが、世田谷線というわけ。駅も本当に小さくて、大きな改札や長い階段があるわけでもなく、ガッタンゴットン・・・の形容がとても似合います。

元々は多摩川の砂利を都心に運ぶために造られました。関東大震災復興事業では大活躍だったとか。ジャリ電とも呼ばれていたくらいで、その使命が終わると住宅地と都心を結ぶ地域の人たちの足となったのです。

玉電の支線として三軒茶屋から北上し、小田急線や京王線を繋ぐ世田谷線。本線は路面電車(R246を車と一緒に走る姿が昔の写真にあります)ですが、こちらは専用軌道を走る市電でした。
今は軽快でカラフル、時にはラッピングを施したりしていますが、実は白でまねきねこ(豪徳寺)の車両に会うと、いいことがある!っていう話なのですよぉ。未だ遭遇していないので残念ですが!! 結構遭遇するのは難しい・・・?!

そしてもうひとつ残念なのは、路面電車だった渋谷〜二子玉川園には乗車経験がないこと。渋谷駅は最近の駅開発ですでにその遺構は何も残っていないようですし、もちろん現在のR246(下に東急田園都市線)上にも面影はありませんね。

世田谷通りから少し中へ入ると、その世田谷線の始発三軒茶屋駅があります。 表通りから離れているのですが、なかなか良い雰囲気の店が軒を並べます。

三軒茶屋は、もう本当に小さなスキマにこれでもかというばかりに店が詰め込まれている印象の商店街ばかりですが、このエリアはちょっと例外かな。Cafeやイタリアンそしてフルーツサンドイッチの専門店! 色とりどりで可愛らしいので、見ているだけでもウキウキしちゃいます。街道歩きの途中、小腹空き用に買っていこうっと。

その店の脇を線路沿いに行くと、「目青不動教学院」。江戸五色不動のひとつで関東三十六不動霊場です。 振り返ると高層ビルの「キャロットタワー」がそびえ、ちょっと面白い景に出会えます。三茶のランドマークですが、完成は1996年(平成8)ですから、もう30年弱経つんだなぁ。 26階のスカイキャロット展望ロビーからの眺めは素晴らしいですよ。普段でもお弁当を持ってランチタイムを楽しむ人がたくさんいますが、こんなところも庶民的。

ここから環七へ出て「若林天満宮」に立ち寄りますが、世田谷線に沿ったり渡ったりしながら編み目のような細い住宅街の道を探険してください。こういった複雑な道も世田谷区の特徴。タクシードライバー泣かせの一通や、えっ!こんなに細いのに一通じゃないの?!なんて入り組んだ道が続きます。今はカーナビという便利なお供がいるので、嫌な顔はされませんが、昔は仕事で終電を逃したとき都心からタクシーで世田谷の○○と言うと、大抵行きたくないって感じでした。道案内もするし、帰り道も教えるからとなだめて乗ったものです。

若林と言えば、世田谷線で面白いところをもうひとつご紹介しましょう。
環七を横断する世田谷線は、電車も信号待ちをします。つまり普通踏切前で、車は一旦停止をするのですが、ここでは車も電車も同等!警報も鳴らず、遮断機もない。歩行者も含めみんなが信号機による通行をしているのです。なんかいいよね!

悲しい常盤伝説

環七に面した小さな天満宮をあとに、そのまま南へ。世田谷通りを渡り、以前ご紹介した「蛇崩川緑道」手前に見えてくる木立、それが「駒留八幡宮」です。

ちょうどお祭りの準備中で、まちの人たちがはっぴを着て神輿を蔵から出したりしていました。
コロナ禍もあり、久しぶりの例祭のようです。 とてもキレイな大小ふたつの神輿に巡り会えたのはラッキー!
「上馬の駒留八幡神社」として、せたがや百景に選定されていますが、世田谷の吉良氏との縁も深く、吉良頼康の側室のひとりである常盤が策略によって自害した(常盤伝説)ため境内社として厳島神社に常盤を、死産した子を相殿として祀っているそうです。

そして「駒留八幡神社」裏手から出て世田谷通り方面へ向かう途中に、「常盤塚」があります。

世田谷城主の吉良頼康には13人の側室がいたそうで、なかでも一番常盤を寵愛 していたのですが、それをやっかんだほかの側室たち12人による卑劣な策略に よって、身ごもったまま自害するという事件が起きたのだとか。
13人も側室がいるというのにも驚きですが、いやはやそれらの嫉妬というのも なんとも恐ろしいことです。
常盤が自害した場所が「常盤塚」ということですが、今なお本当に手厚く整えら れているのが、印象深かったです。
悲しい最期ではありましたが、現代の人たちにまで大切に供養されているので すね。

「MAPあ」に足を延ばして

「常盤塚」から世田谷通りに出て西へ行くと「松陰神社前バス停」があり、小さな店が並ぶ松陰神社商店街が手招きをします。この細い商店街は、かつての松陰神社参道。吉田松陰を祀る「松陰神社」は1882年(明治15)に築かれ,敗戦後1950年(昭和25)あたりから参道に店が増え、今に至っています。
当時から続く歴史ある店に、若い世代の店もずいぶんと軒を並べますが、最近は 驚くほどにCafeが多くなりました。
と言うのも、母の代から通う美容室があって、それこそ私だけでも40年くらい行き来が続く馴染みの商店街でもあるため、ずっとその変遷を見つめてきましたから。私としては昔の店が大分少なくなってきて少々残念ですが、多世代が元気に盛り上げている商店街なのかもしれませんね。

商店街を抜けると「松陰神社」の鳥居が迎えてくれます。 安政の大獄により30歳という若さで刑死した吉田松陰の死後、門下生であった高杉晋作や伊藤博文らがこの地に改葬。そして1882年(明治15)に社を築き松蔭の御霊を祀ったのが始まりのようです。

さてここで更に西へと足を延ばし、「MAPあ」方面へ行くとします。 健脚なら「松陰神社」から駒沢大学を経て先へ進んでもいいですし、たった2駅ですけれど世田谷線に乗り「上町駅」から歩いてもOK。いずれにしても、旧道のコースに戻るには、再び世田谷通りまで引き返すことになります。

足延ばしの寄り道は、最初の三軒茶屋駅のところでも触れたまねきねこで有名な「豪徳寺」ほか「世田谷城址公園」世田谷八幡勝光院と回ります。

「豪徳寺」は、世田谷城主吉良政忠が1840年(文明12)に亡くなった伯母の菩提のために建立したと伝えられる弘徳院を前身とする。その後1633年(寛永10)彦根藩世田谷領の成立後、井伊家の菩提寺に取り立てられ豪徳寺と改称した とあります。
境内の井伊家の広い墓所には、みなさんもよくご存じの桜田門外の変で落命した井伊直弼など歴代藩主とその家族が眠っています。

鷹狩りの帰りに門前にいた猫の手招きから寺で過ごしていると、激しい雷雨が始まりそれを避けられたのと、和尚との話を楽しめた殿様がこれらの幸運に感動し、支援して「豪徳寺」が再興したと言います。それから福を招いた猫を”招福猫児(まねきねこ)”と呼びお祀りしているそうな。この殿様というのが彦根藩主・井伊直孝です。
招福殿には仰け反りかえるほどのまねきねこたちがいますよ。ある意味、圧巻。 でもやっぱり、まねきねこ電車に会いたいなぁ!!

「豪徳寺」を出て西に行くと、ちょうど世田谷線宮の坂駅が見え、大きな鳥居の「世田谷八幡」に着きます。
戦地からの帰途に豪雨にあった源義家が数日滞在した際、戦勝は日頃守神として信仰する八幡大神様のご加護だと感謝し、今居る世田谷に神様をたたえるために神社を祀ることにしたそうです。これを里人にも鎮守神として信仰するように伝え、その際、奉祝相撲を取らせたようで、今でも土俵があり秋季大祭では奉納相撲を行っています。

また宮の坂駅には、先ほどご紹介した世田谷線青虫が展示されていますので、ぜひ立ち寄ってみてください。

宮の坂駅中を通り抜けて宮の坂を南下すると「勝光院」。ここはあまり知られていないのですが、世田谷城主吉良家の菩提寺で美しい竹林と風格のある庭木など、落ち着いた佇まいがとても心に染みいります。
竹林を背に建つ鐘楼、この鐘は1698年(元禄11)に造られ区内では2番目に古く、 太平洋戦争時に軍事物資として供出したものの、無事に戻ってきたという強運の梵鐘だそうです。
もちろん境内には、世田谷区指定史跡の吉良氏墓所があります。井伊家墓所よりはるかに小規模ですが、手入れも良く桜の頃はとてもきれいでしょう。

そうそう、みなさんにとって吉良氏となると、やはり忠臣蔵の吉良氏がイメージ 濃厚ですよね。世田谷の吉良氏は忠臣蔵の吉良氏と同族ですが、忠臣蔵の吉良氏 は三河吉良氏、世田谷吉良氏は室町時代初期に陸奥管領をつとめた奥州吉良氏で、世田谷に本拠を構えていました。

ここまで来たら、世田谷城主である吉良氏の菩提寺までどうぞ訪ねてみてください。

そして豪徳寺前の城山通りに戻って世田谷線を越えると、森が目に入ってきます。これが「世田谷城址公園」。世田谷吉良氏は初め鎌倉公方に仕え、15世紀後半には上杉氏や太田道灌に与力し、16世紀には北条氏と結び婚姻関係をもつも、1590年(天正18)、豊臣氏の小田原攻めによって廃城となったそうです。
いささか人工的な造りになってしまっているけれど、濠や土塁が再現されています。 せたがや百景、都指定旧跡。

世田谷通りに戻って

さぁ、旧道コースへ戻りましょう。
宮の坂駅に戻り、世田谷駅まで2駅乗るのもいいですよ。

世田谷駅から世田谷通りへ進み交差点の左にあるのが「大吉寺」「圓光院」。車も人も多い世田谷通り沿いなのですが、中へ入るとそのノイズから遮断されるのが不思議です。 どんな時も寺や神社はキレイに整えられ、心穏やかになりますね。
因みに「大吉寺」は、世田谷吉良氏の祈願所でした。

世田谷駅前交差点から南下した通りは世田谷ボロ市が開催されるところです。コロナ禍でしばしお休みしていますけれど、毎年1月15・16日、12月15・16日は寒い中、大勢の人が訪れ賑わいます。小田原城主北条氏政が開いたのが始まりで、世田谷を代表するこの伝統行事は400年以上の歴史があり、約700の露店が並びます。
ボロ市名物と言えば、”代官餅”。1975年(昭和50)の発売から続く人気商品で、買うのも結構大変!(並んで1時間以上とか・・・!!でも、熱々をその場でも食べられます) そんなボロ市通りを行き、関連あるスポットへ参りましょう。

ボロ市通りの真ん中辺りに見えてくる長屋門が「世田谷代官屋敷」です。中には私もよくお世話になる「世田谷区郷土資料館」や移転された各地の道標や庚申塔が保存されています。都内に残る大名領の代官屋敷として残る唯一のもので、国の重要文化財となっています。

郷土資料館傍に保存されているこれらの道標には説明板があるので、よく見てください。どこにあってどんな状況なのかなどが、いろいろと想像できます。

なかでも立派なのがひとつ独立してあります。これが弦巻五丁目の三叉路にあったものです。現在の様子は、次回ご案内しますので覚えておいてください。

「世田谷代官屋敷」の向かい側には、ボロ市にも大いに関係している「天祖神社」。何が関係しているかというと、あの名物”代官餅”をふかして売っている所にもなっているのです!
創建は不詳のようですが、通りから奥まったところにあって、子ども達の安全な遊び場にもなっています。隣に世田谷信用金庫もありますが、「世田谷代官屋敷」に雰囲気を合わせたか、外観の雰囲気は時代物っぽい。流石、まちに密着した信用金庫だけありますね。

「世田谷代官屋敷」を通り過ぎて一本脇道を越えると、なんだか昭和レトロな雰囲気の「和風レストラン やまぐち」があります。お昼時などは、結構外にも行列ができるほど、近隣の方々にはお馴染みの店かもしれません。懐かしい料理サンプルのウィンドウを見てもわかりますが、昭和の食卓って感じ。

その脇道を南下すると、世田谷代官大場越後守信久以下、歴代代官の墓所がある「浄光寺」に着きます。
この界隈はそれぞれ落ち着きのある寺院が、いくつもありますね。

今回はここまで。
豪徳寺方面まで足を延ばしたので、結構広範囲になりました。それでも元々はこちらが本道だったのですから、見どころもいっぱいでしたね。
弦巻五丁目の三叉路からは、旧道っぽい細い道が続き用賀へと向かいます。

さて、次回はスケッチ紀行は3日目のその2 世田谷旧道の後半で、用賀へと向かいます、どうぞお楽しみに!
みなさんのご意見・ご感想もお待ちしています。

 

岡本和泉/Izumi Okamoto

さまざまな「デザイン」を通して、社会や地域、環境、食、観光、ものづくり、文化などをつなぎ 新たな展開をするプロデューサー&クリエイター。 2015年からは”暮らしのデザイン”の一部として、地域に密着し日々の楽しさを広げる 地域独自のイベントや企画、地域活動も手掛け、長年住む世田谷の文化や知的資源、 自然を活かした地域ツーリムなども多く開催している。 http://www.imincosmos.com https://www.facebook.com/Setayui/

【参考図書】

中平龍二郎著『ホントに歩く大山街道』(2007年、風人社)
改訂新版ウォークマップ『ホントに歩く大山街道』(2021年、風人社)
中平龍二郎+編集部著『キャーッ! 大山街道!!』(2011年、風人社)

ウォークマップ ホントに歩く大山街道キャーッ! 大山街道!!