スケッチ紀行2日目/その1
お腹に刺激

みなさん、こんにちは。
記録的な速さで梅雨明けです!
ってことは、これからたっぷり3カ月間、毎日猛暑・・・になるのでしょうか。
街道歩きも気をつけないといけませんね。

さて、今日はスケッチ紀行2日目のその1。
現地歩きの1日分を3回くらいでご案内していますので、多少スケッチメモがズレたりもしますけれど、それはご了承くださいね。
ここからは、世田谷区内にある新道旧道の2コースに分かれます。まずは後から近道としてでき、のちに本道になった三軒茶屋から桜新町をぬけて二子の渡しへ行く新町線を行きます。

*因みに、各スケッチはクリックすると拡大で見られますよ。

*ウォークマップ大山街道/大山道標ー中里通りー伊勢丸稲荷大明神ー蛇崩川緑道ー小坂ー地蔵尊ー上馬交差点ー宗円寺ー真中交差点(駒沢大学駅前交差点)ー道標(庚申堂)ー新町一丁目交差点ー城南信用金庫ー養善院ー桜神宮

 大山街道04回-1

三軒茶屋の道標を背にして右前には下北沢と三軒茶屋を結ぶ茶沢通り、左には大山街道の旧道となった現世田谷通り、クルリと向きを変えると目の前を忙しげに車の往来が続く玉川通りことR246、そして頭上には首都高3号線が覆い被さります。空が小さい!なんだか息詰まるような交差点、今日はここからスタートです。

旧道改革の魅力にふれて

新町線のコースはここでR246を渡り、中里通りと呼ばれる旧道を行きますが、そこへの道すがら、なんとも魅力的なパンの香りが・・・。朝ごはんはきちんといただきましたけれど、お腹がグゥっとなっちゃいます。ガラス越しに中を覗くと、キツネ色に焼き上がったパンの数々に花をあしらった洒落たデイスプレイ、素敵な小物たちが、こちらを呼んでいます。店名も「JUNIBUN BAKERY」。絶対いっぱい買いものをしてしまいそうなので、それはまた別の日にするとして、グッと我慢。

大山街道04回-2

R246沿いに並ぶビル群のお陰か、一本中に入っただけで意外に静かなのですけれど
なんだか面白そうな店がずっと続いているじゃありませんか!この中里通り、ただの旧道ではありませんねぇ。
ということで、大山街道スケッチ紀行2日目は立ち拠り所満載のスタートとなりました。

大山街道04回-3

中里通りの商店街は大正時代に流行った”看板建築”が、今も残っています。それがまち全体を懐かしい雰囲気にしていて、小さいながらもなかなか味わい深い店がいっぱいです。歩くのも楽しいけれど、本当は実際に食べ歩きをしたいところ。そんな中最初に目についたのが、昔懐かしいかき氷機。ちょうどこのときはまだ4月でしたのでお店は休業中のようでしたが、かき氷専門店の「石ばし」。入口上には氷を切る鋸が看板のようにディスプレイされています。水色のレトロなかき氷機が懐かしい!

大山街道04回-4

雰囲気のある店一軒一軒が気になりながら進むと、中里通り入って割とすぐのところに緑道と神社が見えてきます。これが「蛇崩川緑道」「伊勢丸稲荷大明神」
「蛇崩川緑道」は、玉川通りを渡り駒繁神社を経て下馬一丁目まで続く約3kmの遊歩道です。昔は暴れ川で洪水のときにくねくねと勢いよく流れる川が大蛇のようとか、赤土の地層が崩れて蛇行しているからなどが名前の由来だとか。今は緑や花々に囲まれのどかな散歩道です。
「伊勢丸稲荷大明神」は、社殿正面に赤い鳥居があるのですが、こちらはブロック塀に挾まれていて「あれ?!」。そうしたら左手側に大きな鳥居がある・・・という不思議なつくりになっています。江戸初期頃に旧中馬引沢村の村民持ちだった小祠が起源だと伝えられています。小さいながらも小綺麗に管理されていて、とても落ち着きました。

魅力的な飲食店を全部まわったら何日間のランチタイム分でしょう!神社を過ぎてもまだまだ店は続きます。やっぱりいつか別のタイミングで食べ歩きをしなくっちゃ!
それでも我慢できず、途中みつけた和菓子「玉川屋」で、草餅と大福をゲット。女将さんと少しお話しをしましたが、創業75年という老舗でこだわりのあんや餅、四季折々の生菓子を丁寧につくりつづけているそうです。

大山街道04回-S1

あっちもこっちも、興味津々の店だらけ! 中里通り、楽しいですねぇ。

大山街道04回-S2

緩やかな登り「小坂」あたりに来ました。
元々大山街道は三軒茶屋から中里商店街のある中里通りを通って上馬へ抜け、二子玉川へと向かっていました。ここから先は農家が続き、赤坂や青山の大名屋敷が並んでいたのとは様変わりします。
昔はこの道を通って青山方面へ野菜を運び、帰路は肥料として人糞を積んで戻ってきたようです。

中里通り終点近くに「中里通りの地蔵尊」。この旧道に巡りあわせていただいたお礼を言って、おいしい旧道をあとにR246玉川通りへ再び戻ります。
環七と交わるところが「上馬交差点」で、そのちょっと先に「宗円寺」。後日行く旧道にある「駒留八幡神社」の別当寺です(明治維新後の神仏分離令まで)。中では七福神たちが迎えてくれました。

大山街道04回-5

スケッチでは少々前後してしまうのですが、ここでもう一度「上馬交差点」へ戻り環七を北上します。というのも、駒沢二丁目辺りの馬頭観音などへの寄り道をしたいのです。

おぉ!絶景

交差点を渡り、環七が緩やかにカーブするところで左に折れます。
目指すは馬頭観音なのですが、その前に「おぉ!」って思わず叫んだその向こう 美しい姿を現したのが富士山でした。私にとってはかなりのサプライズ。へぇ〜こんな所で・・・それも結構大きくしっかり見えるのです。わが家の周りからも見えるのですが、
おかしいな、わが家の方がもう少し西なのに、ここから見える富士山の方がなんだか大きいんじゃない?!

大山街道04回-S4

このまま富士山に吸い寄せられながら進むと、「駒沢大学駅」へ行く小さな道が混じり合う所に目指す「馬頭観音」がありました。

大山街道04回-7

昔の古道が行き交う雰囲気です。古地図を見ると、やはり上馬引澤村から野沢村、深澤村へ向かう道が通っていました。

大山街道04回-10

馬頭観音からさらに西へ行くと、気持ちよい緑が茂る寄り道のもう一箇所「駒沢緑泉公園」です。R246からは想像できないほどの豊かな自然とせせらぎなどが、心をときほぐします。「せたがや百景」にも選ばれていて、樹林園や噴水広場、小川といった水と緑を意識しただけある名前通りの公園です。ぜひ、ここで一服。広い空と風を楽しみながら、しばし憩のひとときを過ごしてみてください。
こちらも都心にある絶景です。

そしてR246へと戻ると、ちょうど桜新町方面へと別れるY字路(「新町一丁目交差点」)辺りに「品川用水路跡」の碑があります。「品川用水」は江戸時代、武蔵野から品川まで流れた農業用水でした。現在は埋め立てや暗渠で、その姿を見ることはできませんけれど、所々に面影を残す風景がまだあるようです。

見逃さないで

ここで、R246を少し後戻りしましょう。先ほど前後するとお話ししました「庚申堂」(新町庚申講)があります。R246に首都高3号線と、まぁ騒々しい所ですが、立派な堂には大型の庚申塔が2基祀られています。
風化が激しいので詳細はわかりませんが、青面金剛と三猿などがみえます。

大山街道04回-7C

「新町一丁目交差点」手前にみつけた喫茶は、これまた懐かしい昭和の香りがします。ここから桜新町をぬけて、用賀、二子玉川の渡しとなりますが、ちょっとTea Break。
家族で営む「洋菓子と喫茶ラルー」は、なかなか落ち着きます。ちょうど東京オリンピックの年にこちらに来たようですから、すでに半世紀を超えていますね。
素晴らしいっ!一日でも長く続けて欲しいものです。

「新町一丁目交差点」から右へ折れて、桜新町へと進みます。
桜新町は、1913年(大正2)に東京信託(株)が新町住宅の分譲を始めてできました。Y字型の骨格道路の両側に千余本の桜が植えられて桜新町と呼ばれるようになったそうです。
桜新町と言えば、サザエさんを思い浮かべる人も多いでしょう。原作者の長谷川町子美術館やサザエさん通りなどもありますもんね。実際に長谷川町子氏が暮らしていたし、そこでの体験が作品に反映されているようです。しかし、サザエさんのシリーズ映画(東宝)では、なんとほとんどが成城で撮られているのです! もちろん、映画製作上撮影所に近いロケーションでということもあったとは思いますが、ちょっと不思議ですよね。

大山街道04回-8

「新町一丁目交差点」から桜新町へと入ると、威勢のいい声が聞こえてきます。果たしてその正体は?!と言うと、「鮮魚 平澤」という魚屋。所狭しと並べられたイキのいい魚や貝など海産物が光っています。こんな料理にするといいなどと元気なお兄さんがお客さんにむけてアドバイスをしたり、魚をおろしてくれたりとサービスも満点。旅の途中、鮮魚を持ち歩くわけにはいかないので、これまたグッと我慢をして・・・また別の日に買いに来るとしましょう。う〜ん、今回は我慢が続きます。

その先の店の間に長い参道、「養善院」です。曹洞宗に属し、豪徳寺の末寺として1616年(元和2)に創建されたそうですが、江戸時代と明治の2回火事に遭っています。開基は大場豊前守によるとのことで、世田谷区郷土資料館にある代官屋敷でお馴染みの大場家と繋がりがあるようです。重なる火事にもめげず1875年(明治8)に再建、2008(平成20)には世田谷区登録有形文化財になっています。

この「善養院」を出て向かい側の辻を入ると駒沢給水塔、その反対側には面白い店が並びR246へと続く道、赤い鳥居が並ぶ久富稲荷神社などがありますが、その立ち寄り話は次回にまわし、桜新町駅近くの桜神宮を先にご案内しましょう。
桜神宮は古式神道を受け継ぐ大神の宮、教えの本山として親しまれているそうです。1919年(大正8)に創建された神田から現在の世田谷に移転したこともあり、関東大震災のとき被害から免れることができたといいます。

さぁ、今回はここまで。
お腹に刺激の多い旅で堪えることもしばしばでしたが、江戸時代 大山街道にあった店や宿場がどのようなものだったのかも興味がわきますね。そんなことも調べながら、これからも旅を続けるとしましょう。

さて、次回はスケッチ紀行2日目のその2
桜新町という新しいまちに入り、用賀、二子の渡しへと向かいますよ。お楽しみに!
みなさんのご意見・ご感想もお待ちしています。

 

岡本和泉/Izumi Okamoto

さまざまな「デザイン」を通して、社会や地域、環境、食、観光、ものづくり、文化などをつなぎ 新たな展開をするプロデューサー&クリエイター。 2015年からは”暮らしのデザイン”の一部として、地域に密着し日々の楽しさを広げる 地域独自のイベントや企画、地域活動も手掛け、長年住む世田谷の文化や知的資源、 自然を活かした地域ツーリムなども多く開催している。 http://www.imincosmos.com https://www.facebook.com/Setayui/

【参考図書】

中平龍二郎著『ホントに歩く大山街道』(2007年、風人社)
改訂新版ウォークマップ『ホントに歩く大山街道』(2021年、風人社)
中平龍二郎+編集部著『キャーッ! 大山街道!!』(2011年、風人社)

ウォークマップ ホントに歩く大山街道キャーッ! 大山街道!!