スケッチ紀行1日目/その1
三宅坂からおはよう

みなさん、はじめまして
今日から始まる新シリーズ「大山街道スケッチ紀行」の岡本和泉です。
何を今さら・・・と思われた方も多いでしょうけれど、ちょっと待った!
そうなんです、今回は今までにもたくさんの方が歩かれ、馴染み深い「大山街道」をスケッチしながら、一緒にたどってみようという大それた紀行文を投稿することに。
みなさんに愛され続けている「大山街道」ですが、地図上にある見どころ・立ち寄りどころは千差万別。しかも、それぞれの楽しみ方があって然りが古道の旅です。そこで、想像力をかき立てるスケッチとともに楽しみつつ、従来とは違う視点や視座もあるかと思いますので、ご一緒におつきあいいただければ、大変嬉しい限り・・・です。

私は様々な取材をやっているので大山街道も所々は歩いていますが、起点から通しで踏破するのは初めての体験です。「ホントに歩く大山街道」のマップを基本の道しるべにして、先入観無しに楽しんでいくつもりです。
紀行文内にスケッチ地図がありますが、こちらはかなり端折ったもの。旅の途中立ち寄った箇所や「へぇ〜」な情報なども入れながら描いていますので、簡易版であるのはご了承くださいね。

では、出発!
スケッチ紀行1日目は、三宅坂から三軒茶屋の道標まで歩きました。
先ずはその1として、青山通りから旧大山道へ入るところまで参りましょう。

*ウォークマップ大山街道/三宅坂交差点―永田町駅―赤坂御門跡―弁慶堀と弁慶橋―元赤坂プリンスホテルー清水谷公園―豊川稲荷

大山街道スケッチ紀行1日目 マップ

江戸の桜をおともに

まだ薄ら寒いとはいえ、 背にした櫻田濠土手の満開桜たちに見送られ三宅坂から出発です。この周辺には最高裁判所や国会図書館、国立劇場、国会議事堂、警視庁などがひしめく所。TVドラマやニュースでもお馴染みですね。
三宅坂は江戸城の半蔵門から水と緑の堀に沿って桜田門へと下りますが、都心の坂の中でもその美しさが人気です。名前の由来は、江戸時代三河国田原城主の三宅家屋敷があったことによります。大山街道は、この先の「赤坂御門跡」から始まると解説されていますけれど、せっかくですからこの雄大な湾曲した坂道を堪能してからがおすすめかなぁ。

大山街道スケッチ紀行1日目 赤坂御門 青山通り

 

江戸城の石垣には良質で交通の便が良い伊豆地域が採石地として選ばれたらしい

永田町駅を通り見えてくるのが「赤坂御門跡」
現存しているのは石垣の一部のみ、1991年(H3)の地下鉄工事に伴う発掘調査で地中の石垣が発見されたと説明板にはあります。
それにしても大きな石を積み上げて築く石垣、泥沼の下地にたいそう苦労したようですが、役目を果たした石垣は、高層ビルに囲まれてひっそりと休んでいるようにみえます。都会の喧噪もあって、本当にゆっくりできるものかは・・・わかりませんが。

大名屋敷の跡地は・・・

そのまま進むと、今度は首都高の下に弁慶堀」が見えてきます。
このなんとも邪魔くさい建造物のスキマから眺める景は、よく言えば写真のトリミングのよう。ご存じの通り首都高は1964年(S39)の東京オリンピックにあわせて急ピッチで建設されたのですが、水運の都でもあった江戸、用地を確保する時間と費用、手間を省くために家康によって江戸の繁栄に不可欠だった水路開拓の上に、高速道路をつくりました。家康さんがこの景色を目にしたら、何と思うでしょうね。

平日の日中、ボートでのんびり釣りを楽しむ人達をなんとなく微笑ましく見て「弁慶橋」を渡ると、右側に「紀伊和歌山藩徳川家屋敷跡」と刻まれた碑があります。現在の町名「紀尾井町」は徳川の紀伊家、尾張家、伊井家の頭文字からです。
この紀尾井町、大山マップには私たちの世代では”赤プリ“という呼び方がしっくりくる「元赤坂プリンスホテル」がピックアップされていますが、紀尾井町のホテルとなると・・・やはり東京オリンピックに際し誕生した東洋一の規模を誇る「ホテルニューオオタニ」。国際会議や歴史的な晩餐会、各界著名人の披露宴など華々しい舞台として歴史を刻んでいますけれど、それだけでなく、ここには都会の喧噪をも包み込む400年余りの歴史を有する日本庭園があるのです。

大山街道スケッチ紀行1日目 清水谷公園 ニューオータニ

加藤清正公の下屋敷や井伊家の庭園として長い歴史を持ち、江戸城外堀に囲まれ広さは約4万㎡に及ぶのだとか。そこには清泉池、太鼓橋、枯山水、大滝、灯籠、四季折々の花々などが配置され、心落ち着くひとときに包まれます。
後に伏見宮邸宅となって第二次大戦後、ホテルニューオオタニ創業者である故大谷米太郎が買い取り荒れた庭を改修してできた庭園は、時を経て尚 江戸時代の風情を伝えていますので、ぜひ訪ねてみてはいかがでしょう。

Mr.ジャイアンツこと長嶋茂雄と亜希子さんの式で登場した超Bigなウエディングケーキ!これが入刀用のビッグケーキ元祖

 

まさに都会のオアシス。これから続く長旅の英気を養うにはもってこい!だと思います。

大山道のルート

大山街道の江戸時代ルートは徳川幕府が東海道と甲州街道の開削に力を注いだため脇往還となり、少々活気を失ったそうです。でも、矢倉沢村に関所を設けてからは人馬継ぎ立場が新たに置かれ、その役割を担い、商人たちは武士らが使う東海道よりも、大山街道を物資の輸送路として利用、また大山講とともに町民たちの往来も増えとても賑わったようです。
現青山通りは二子の渡しまで、店舗や企業ビルが並んでいます。江戸時代は諸藩大名屋敷が建ち並び、その敷地が今も活きて現代の商業用地の区割り元になっているのがおもしろいですね。古地図と見比べるとよくわかります。

坂がつくる風情あふれるまち

浸食によって刻まれた低地と台地を結ぶのが坂道、つまり都心ほど坂は多いのです。特に大山道が通る港区は23区内でNO.1。 なんと130本もの坂があるんですって!そして私の地元・世田谷区は7番目で58本、渋谷区が11番目だそうです。いずれにしても大山道、結構な上り下りが待ち受けているってことですね。

大山街道スケッチ紀行1日目 豊川稲荷

更に進むと右側に見えてくるのが赤い旗と提灯が目立つ「豊川稲荷」。その横にあるのが「九郎九坂(くろうぐざか)」です。ここから大通りを渡って旧大山道へと入りますが、この界隈は坂の連続!ぜひ、名前からその由来を想像してみてください。赤坂という地名も、関東ローム層の赤い土がむき出しになっていたことからついたと言われています。

赤坂と言えばもうひとつ、やっぱり和菓子の老舗「とらや」。室町時代後期の京都で創業以来、五世紀に亘る営業です。東京の神田、丸の内、八重洲、銀座を経て今の赤坂へ1895年(M28)に移転したそうです。その長い歴史には敬服しますね。

王道のようかん!

 

店舗はもの凄くお洒落になって、私にはちょっとひけちゃいましたけれど、旅のお供に甘いものは・・・いいよねぇ。

スケッチでたどる大山街道、いかがでしたか?
その1は、このへんでお開きとします。

さて、次回その2では
ここから旧大山道へ入り、渋谷まで進んでいきますよ。どうぞお楽しみに!

 

岡本和泉/Izumi Okamoto

さまざまな「デザイン」を通して、社会や地域、環境、食、観光、ものづくり、文化などをつなぎ 新たな展開をするプロデューサー&クリエイター。 2015年からは”暮らしのデザイン”の一部として、地域に密着し日々の楽しさを広げる 地域独自のイベントや企画、地域活動も手掛け、長年住む世田谷の文化や知的資源、 自然を活かした地域ツーリムなども多く開催している。 http://www.imincosmos.com https://www.facebook.com/Setayui/

【参考図書】

中平龍二郎著『ホントに歩く大山街道』(2007年、風人社)
改訂新版ウォークマップ『ホントに歩く大山街道』(2021年、風人社)
中平龍二郎+編集部著『キャーッ! 大山街道!!』(2011年、風人社)

ウォークマップ ホントに歩く大山街道キャーッ! 大山街道!!