(こ)記
中山道垂井宿は、江戸から57番目の宿場です。東海道につながる美濃路が分岐し、交通の要衝でした。
垂井は「たるい」と読みます。
地名の語源となった泉が、玉泉寺にあり、境内に泉がわき出る井戸があります。
かつては、そのすぐ横に樹齢800年の大ケヤキがあったのですが、3年前(平成27年)に枯れてしまったようです。垂井はここだけでなく、町中に水路や清水がいたるところにあります(ケヤキはこの大木にちなみ、町の木になっています)。
上の写真は、その玉泉寺の横にある「裏清水」から出た水路です。
細い路地に誘われるように入っていくと、地元のお母さん二人が洗濯をしていました。
ちゃんと、膝の下に敷く、まな板のようなものも置いてあって、手慣れた感じでお話しながら服?(あまりジロジロ見ては申し訳ないので)を洗っていました。
これぞホントの「井戸端会議」、毎日洗いに来るとおっしゃっていました。
玉泉寺の隣は専精寺という長屋門の山門が立派なお寺ですが、ここに垂井城があったそうです。
垂井城は、関ヶ原合戦の時に西軍で奮闘した平塚為広の居城でした。為広は、病身だった大谷吉継にかわり東軍に寝返った小早川秀秋の軍を防ぎましたが、力及ばず、山内一豊の家臣に討たれました。
関ヶ原の為広布陣地跡に、碑が建てられています。
不破郡垂井町
『ホントに歩く中山道』第3集(高宮〜垂井)に収載予定