「消えた旧道 気賀落合橋付近」の編集メモVer.01を第1稿を大きく修正・追記しました。Ver.02

編集メモ

未確認記事で、誤認、誤記もあります。お気づきのことはお教えください。)

下の2図は、姫街道・気賀東、落合橋付近の現代1万分の1地形図と明治時代の地形図です。緑と茶色の線の両方とも、伊能測量図に記された姫街道ですが、この区間は、道が消滅しています。ところが、下の明治図で、四ツ角から都田川までは現在の道しかありませんので、伊能図の重ね調整がうまく行っていないと考えます。しかし、『分間延絵図』にはない四ツ角の枡形が、確かに伊能図には描かれています(図)。都田川から長坂入口までは、こちらは、消滅しています(図)。
気賀宿から以西と長坂から以東は、伊能図、明治図とも現在の姫街道とぴったり合致しています(図)。

東岸の旧道が大きくカーブしているのは、尾根の先端をまわったからですが、明治図では、切り通しで横切っているだけでなく、旧道が水田になってしまっています(図)。

この例では、江戸時代の旧道を明治図からは特定できないことがわかりました。『歴史の道』は、伊能図とあっています。ここでは、『分間延絵図』が役立ちます(図)。神社記号や刑部城跡が旧道の西側にあることが確認できます。そのあと、長坂に入るところや、宗安寺跡などの区間は、2万5千分の1地形図では、正しく辿るのは相当困難でしょう。1万分の1地形図の弊社マップは自慢してよい、本領発揮の区間でしょう。マップができたら、この区間は、マップ片手に道探しを楽しんでください。おまけに、宗安寺跡の地蔵も見つけてください。

この項は、まだ、編集メモにすぎません。十分には理解できておらず、冒頭「編集メモ」の注意書きのとおり、誤認のこともありますので、ご注意ください。ご教示お願いします。

まとめ
いちばん下の図の緑の線が、伊能図。茶色が明治図。赤破線の都田川東岸が、編集中のマップに入れる消滅した旧道ルート。
肝心のマップに記すウォークルート(実際に歩く)マップは、後に書き入れます。(この項、修正Ver.02了)
(oh) 

迅速速図に伊能ルートを重ねたもの

迅速速図に伊能ルートを重ねたもの

現代の1万分の1地形図に伊能ルートを重ねたもの

現代の1万分の1地形図に伊能ルートを重ねたもの

分間延絵図の気賀関所 四ツ角

分間延絵図の気賀関所 四ツ角

分間延絵図の都田川の東

分間延絵図の都田川の東

 

伊能図 気賀四ツ角の枡形

伊能図 気賀四ツ角の枡形

現代地形図に伊能図、明治図と消滅したルートを重ねたもの

現代地形図に伊能図、明治図と消滅したルートを重ねたもの