現在の狛江三叉路(B)は、世田谷通りを利用する車の運転手には、有名な交差点である。
世田谷通り(D↔C)から、狛江通り(B↔A)が分岐する。
B↔A、B↔C、B↔Dの交差点だ。
ところが、明治図(図1)では、やはり三叉路なのだが、B↔CとB↔Aの道路は、まったく存在しない。
明治図の三叉路は、H↔E、H↔I、H↔Dの三叉路だ。
H↔E、H↔Iの道路名は、品川道と旧津久井往還である。現在も存在する。
すると、現在の狛江三差路は、正確には5差路である。
しかも、数から除かれた2道は、現在も生活道として重要だ。品川道は、駅へのアクセス道、津久井往還は一方通行ながら、車の抜け道に利用されている。
H↔Cは、多摩川を渡る多摩水道橋の新設で新道が造られた。
H↔Iは、津久井往還が多摩川を渡る登戸の渡しに通じた。この交差点を見ていると、さまざまな道の歴史が垣間見えて興味深い。
交差点のピンポイントは、今(B)と明治図(H)で、数メートルずれている。
しかし、H↔Fの品川道旧道の痕跡がはっきりと残っている。HからFを見ると、見事に一直線。
この区間の品川道は、狛江通りの新設で消えた。しかし、H↔Gの建物の並び角度は、旧道に沿って残っている。
△HGBは、広い歩道として残っている。
道が保守的だと言うのは、まさにこのことである。
私たちは、消えた旧道H↔F間を、Fを見ながら(または見返しながら)歩くことが出来るのが、楽しい。
2019.03.21 (お)
- 投稿タグ
- 狛江
Pingback: 【終了しました】「狛江の品川道」を歩く(3/21祝)のご案内 | 風人社の窓