編集メモ(未確認記事で、誤認、誤記もあります。お気づきのことはお教えください。)

2017年8月12日

(oh記)

 2017年7月10日の本ページ公開の、「消えた旧道ー板築(ほうづき)駅付近」を再調査した結果、大きな誤認があることが判明しました。お詫びします。以下前回発表文を上書きして修正します。

 姫街道、東からは三ヶ日宿を出て本坂峠へ向かう途中、西からは本坂峠を下りて国道に合流した先に、地図には旧道の痕跡が描かれている。『静岡県歴史の道 姫街道』(静岡県)と『姫街道を歩く』(浜松市)の旧道を示した地図は下の通りだ。

『歴史の道』(上図)では、285から、『姫街道』では156から弓状に湾曲した道が、旧道の痕跡である。「国道から離れて描かれた旧道が現在消滅している」と、前回に記した。
今回、華蔵寺の住職さんに取材できて、大変懇切丁寧な説明を伺う幸運を得て、ここの旧道痕跡についてはほぼ判明した。前文を訂正して、修正メモを記しておきたい。
次の図は、弊社発行予定の『ホントに歩く東海道 別冊姫街道』の現地調査用の1万分の1地形図に、上記2書からルートを入れたものである。現1万分の1地形図の原図をよく見ると、細い実線が確認できる。この図の東側旧道入口が間違っている(後述)。この修正は、本番に明記する。

次の1枚目の写真は、姫街道156の地点から旧道に入ろうと西を見たところ。しかし、じつはこの道は、旧道ではなかった。
以下の写真は、旧道から見た写真。

姫街道。じつはこの道は、旧道ではなかった。

じつはこの道は、旧道ではなかった。

この高い所が旧姫街道。左側は林だったそうだ。

この高い所が旧姫街道。左側は林だったそうだ。

 

下図が、今回判明した旧道の特定と、周囲の情報である。

赤線が、姫街道。青線が、旧道(古道)の痕跡。

赤線が、姫街道。青線が、旧道(古道)の痕跡。

赤線が、姫街道。青線が、旧道(古道)の痕跡。点線は、消滅区間
青破線の旧道を分断している舗装道は,じつは新道だった。午頭観音像は、分岐のところにあった。移転されて現存する。
旧道は、上掲図の舗装道でなく、そのすぐ東側、日比沢分校跡地のすぐ西隣に入り口があった。

下図は、真ん中の未舗装道が旧道。

分断図された個所。

旧道が分断された個所。かつては午頭観音がここにあったそうです。

旧道が分断された個所。かつては午頭観音がここにあったそうです。

分断された個所から先の旧道跡。

分断された個所から先の旧道跡。

板築駅推定地説明板から南に出ている道は、古道と呼ばれ、日比沢川を越えて、本坂入口で上の道と合流するらしいが、道筋は不明。しかし、ここが合流点であったと推定される。
日比沢分校跡地は、地図ではまだ校舎が描かれているが、現在は更地。下図のように、学校にあった金次郎像は、残されていて、ここを通る者は、かつてここに分校があったことを知る。

 

分校にあった二宮金次郎像。かつては銅像だったという。

日比沢分校にあった二宮金次郎像。かつては銅像だったという。

上の地図を見ると、華蔵寺参道が分校に押されて東側にあるが、これは、分校建設時に東に移転させられたと聞いた。
その入口に、下図のような道標がある。板築駅説明板の合流地点にあったものを先代の華蔵寺住職が移転したものだ。すでに、下半分が破損していたらしい。埋まっているように見える。

華蔵寺裏の防空壕跡(数カ所)も見せていただいた。戦時中、各地の混成部隊が駐屯していたと聞いた。
寺の裏には、かつての寺域の石垣が残る。

華蔵寺裏の防空壕跡

華蔵寺裏の防空壕跡

華蔵寺の住職さんに、大変感謝いたします。資料図は、後日、もう少し選別して、さらに追加修正出来るかもしれません。
下図は、道が大きくカーブする地点に板築駅説明板。その左側の小道が古道(ふるみち)の痕跡である。

板築駅推定地

板築駅推定地

 

 

 

板築駅跡説明板

板築駅跡説明板

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