あっ、誤植を発見してしまいました。

「大山街道青山道の鷺沼から」の前回ブログを読んで下さった『ホントに歩く大山街道』の著者中平龍二郎さんから、いろんな補足情報をご親切に送っていただきました。
そのうち、荏田より先、青葉台までの間で、谷本川(鶴見川)を越えますが、その先に「大難の辻」という地名があります。この大難の読みは、「だいなん」でも「たいなん」でもなく、「おおな」だそうです。本書中の102ページには「大難」のルビに「おうな」と記してしまいました。正しくは「おおな」でした。

大難の辻

大難の辻(横浜市青葉区)

この地名の由来が、地形由来というか、災害地名なのでした。そのことに関して、とても興味深いことを中平さんが教えて下さったので、このブログに記録しておきます。

大難の辻は、現在NTTの建物があるあたりです。大山街道はここの二俣を右に入って真っ直ぐ進んで、T字路につきあたると左折し、さらに広い道に出て右折。鍵型に進みます。そして坂を上っていって、医薬神社のところでまた左折します。そこで中平さんからのメールには次のように書かれていました。

<青葉台に向われるそうですが、谷本(柿木)にあります大難の辻は、現在突当って左折していますが、江戸時代後期の前半頃まで、そのま直進して急坂を上り、医薬神社(東光寺)の脇に出ていたようです。迅速測図「荏田」を見ますと、大難の辻の地名の起源になりました崩壊地の跡が残されています。等高線の間隔が広く流れているのが分かります。>

えっ! っと、すぐに迅速測図を見てみました。
下図です。

破線の山道があります。この沢筋が崩壊地なのでしょうか。迅速図にはこんな見方もあるのかとも知りました。
江戸時代は、地図のAからBへの道だったのですね。確かに、この等高線の扇状地のような広がりは不思議です。それにしても「大難の辻」とはいつ誰が命名した地名なのでしょうか。
道はここからたくみに山間を縫っていきますね。賢い道にワクワクです。

追記
迅速図以前、医薬神社あたりからは急坂で、大雨で崖が崩れると土砂が大難の辻付近まで押し寄せたことによる地名だそうです。
大難の辻付近の交差点名は「柿の木台」です。
王禅寺の柿を連想しますが、災害地名「欠き」の崩壊を表していると考えるのもぴったりです。
鶴見川をこの辺で谷本川と呼ぶのも、そうとう深い谷川だったのではないか、と地元の人の推測をインターネットで読みました。

(OH)記(2013年01月23日初出)