shi-0019 16:52 – 2018年5月13日

先日、品川から大森まで池上通りを歩きましたが、今回は池上通りから分岐している「滝王子通り」を歩いてみます。テキストは祖師谷大蔵散歩でもご一緒した荻窪圭先生の『東京古道探訪』。#古道

大井町駅前から、この前も見た大井三つ又の地蔵尊へ。よくある町中のお地蔵さんに見えるが、仏教伝来間もない頃?ともいわれる由緒ある地蔵尊らしい。池上通りを大井五丁目交差点で右折すると滝王子通り。

大井警察署を過ぎると左手に滝王子稲荷。道路の名前になっているのに昭文社の区分地図にも載っていないような小さな神社ですが、富士塚(ちゃんとコノハナサクヤヒメの幟が立っている)もあります。

滝王子というのは王子の滝と関係あるのか?と思いましたが創建等については不明のようです。滝ではなく湧水らしく亀の一家も居住。新編武蔵風土記に「土人瀧氏の稲荷といひしを誤り来れるにや」とあるとか。

横須賀線踏切を過ぎると右手に伊藤博文の墓所。といっても個人宅の敷地内で公開はされていない。隣の緑地公園の塀の隙間から一部写真撮影はできる。近くの「伊藤小学校」は、この維新の元勲にちなんでつけられたそうだ。

しばらく行くと品川区(西大井)と大田区(東馬込)の区境の道になる。第二京浜を超えると品川区側は中延、大田区側は北馬込。品川区側に品川道の説明板。

品川区・大田区の境は古代の尾根道であるという説明どおりの景観が今も残っている。

荏原町商店街の入口に天保二年の道標。南品川で東海道から分かれ中原街道へ合流する品川道と、中原街道を平塚橋から分かれて池上道へつながる道との交差点に置かれた。「西せんぞくおくさわ道・南いけかみ道・北めくろ道・東しながわ道」東西南北すべて記載の道標は珍しいのでは?

右折して商店街を進むと東急線の荏原町駅。昔の江戸の郊外は大雑把にいうと北が豊島郡、南が荏原郡ってことでいいのか。駅までの間にもう一つ、平間道との分岐の道標と庚申塔。こちらは天明三年でさっきのより古い。「右うの木(鵜ノ木)光明寺道・左池かみ道」

東急大井町線線路の北側は旗の台三丁目。東急沿線には亀屋万年堂が多い。駅前の法蓮寺は源氏の一族であった荏原氏居館跡だそうだ。十一代将軍家斉が鷹狩りに来てここの住職と相撲をとったといわれる。

旗岡八幡。旗岡の旗は源氏の白旗で、旗の台の地名もそこから。平安末期、源頼信が下総の平忠常の乱平定に赴く際に八幡を勧請し戦勝祈願した。その後鎌倉時代に荏原義宗が社殿を建立したといわれる。

商店街入口に戻り、さらに区境の尾根道を西へ進む。夫婦坂というのは、この尾根道から環七へ下り、環七を越えて貝塚坂に続く部分が上りになって、環七を挟んでV字形になる形を夫婦に見立てたものだという。

東急池上線の長原駅、昔ながらの趣のある長原商店街を過ぎると中原街道、洗足坂上。洗足坂の説明に広重の「絵本江戸土産」の図が載っている。

本日のゴール洗足池公園。広重は名所江戸百景にも描いている。

宇治川の先陣争いで名を馳せた名馬「池月」像

 

名馬池月にちなんだ池月橋と千束八幡神社。「せんぞく」は「洗足」と「千束」が混在している。池月橋は夜間の和楽コンサートの舞台にもなる。

洗足池公園には西郷どん関連の史跡「留魂祠」や勝海舟夫妻の墓所も。海舟は維新後、洗足池畔に別荘を持ち、西郷と歓談の一時を持っていたが、西南の役で西郷が没した後もその徳を惜しみ、西郷の漢詩の詩碑を建立し慰霊の祠を作った。