先日行われた、第一回目の「ホントに歩く ぐるっと世田谷一周「区境」ウォーク」、当日は10名で歩きました。
あまり天気がよくなさそうな予報でしたが、午後になって晴れ間がさすこともありました。
風も穏やかで、参加者のみなさまと多摩川沿いの風景や狛江市との境界歩きを楽しむことが出来ました。

(こ)記

第1回 ホントに歩く ぐるっと世田谷一周「区境」ウォーク(終了)

日 時:2017年11月11日(土)
集 合:12時 田園都市線二子新地駅東口改札
解 散:17時(予定)小田急線喜多見駅

当日の行程
二子新地駅(集合)→二子神社(二子の渡し場跡)→二子橋→二子の渡し場(世田谷側)→兵庫島→二子玉川緑地→多摩川サイクリングロード→宇奈根の渡し場跡→警視庁交通安全教育センター→砧浄水場→慶元寺→須賀神社→次太夫堀公園・民家園→いかだ道・登戸道→慶元寺→狛江市岩戸南→二の橋(世田谷通り・津久井道)→国本学園→喜多見駅(解散)

第一回目の世田谷区区境

第一回目の世田谷区区境

第二回目以降のお申し込みをお待ちしております。
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「世田谷区境」と謳いながら、集合は川崎市の二子新地駅でした。
二子玉川は人が多すぎるかも知れないという怖れと、風人社の原点でもある大山街道と少しでもリンクさせたいという狙いもあり、二子新地にしました。

二子神社境内

二子神社境内でオリエンテーリング

二子神社でオリエンテーリングを行い、出発しました。
大山街道に面している二子神社の鳥居前には常夜燈を建てる穴があります。常夜燈は大山が夏山(7/26〜8/27)の間だけ建てられるため、この時期は説明板のみです。

二子神社鳥居脇の大山常夜燈の穴

二子神社鳥居脇の大山常夜燈の穴

川崎側の二子の渡し場跡を確認した後、長い二子橋で多摩川を渡り、世田谷区に入りました。
二子橋は、大正14年に架けられた橋で、現役です。以前は玉川電車もこの橋の上を通っていました。

二子渡し場跡

二子渡し場跡

世田谷区側の二子の渡し跡へ行く途中、多摩川旧堤の陸閘(りくこう)を通りました。
この堤は、昭和8(1933)年に完成した22キロの堤防ですが、堤防の川側にも料亭や畑があって、一部を切って通路としたものです。川の水位が上昇した場合は、手動で締め切るそうですが、近くに締め切る用の板みたいなものはありませんでした。

陸閘

陸閘。堤に登ってもよい

陸閘の水が出たときに板を挿すと思われる溝

陸閘の水が出たときに板を挿すと思われる溝

多摩川河川敷の兵庫島に登り、その後、多摩川河川敷を歩いて北上します。
兵庫島は、新田義貞の子、義興ら一行が鎌倉方面へ多摩川を下っている際、江戸遠江守らのだまし討ちにあい、義興の従者である由良兵庫助の遺体がこの中洲に流れ着いたという伝承から、ついた名前だそうです。

兵庫島

兵庫島

兵庫島には若山牧水の碑がある

兵庫島には若山牧水の碑がある

川崎と世田谷の境は川のなかにあったり、河川敷にあったり、蛇行しています。
また、多摩川の河川敷には渋谷区や目黒区などのグラウンドもあり、区境とは違った「渋谷区占用地境界標」もありました。

渋谷区占用地境界標

渋谷区占用地境界標

土手上のサイクリングコースを喜多見まで歩き、東名高速道路をくぐって、やっと陸上の境である狛江市と世田谷区の境に出ます。
サイクリングコースは唐突に終了し、一気に「境」を感じたとともに、電柱の街区表示板に「狛江市」の文字を見つけ、みなさん大興奮。

サイクリングロード終点

サイクリングロード終点

電柱の街区表示板「狛江」

電柱の街区表示板「狛江」

「娘に『初、狛江』ってメールしました」という方もいらっしゃいました。

喜多見と狛江の境界を歩いていて、参加者の方が「こっちは多摩ナンバーだ」と指摘され、新たな境界の感じ方だと感心いたしました。
たしかに、道の両側で品川ナンバーと多摩ナンバーがあるのは、東京23区の「へり」にある世田谷の特徴かもしれません。

多摩ナンバーと品川ナンバーが混在

多摩ナンバーと品川ナンバーが混在

喜多見からはトイレ休憩も兼ねて次太夫堀公園に行き、江戸という名の元となった喜多見氏の菩提寺である慶元寺に寄りました。

次太夫堀公園民家園

次太夫堀公園民家園

山門前の銅像は江戸太郎重長です。
12世紀始初め、喜多見氏は江戸に館を構え江戸氏を名乗っていました。源氏の有力御家人でしたが、15世紀半ばに大田道灌に追われる形で、江戸から喜多見に移り、このあたりの豪族となりました。その後、徳川家康が江戸城に入ることになり、そのお城と同じ「江戸」を名乗ることを遠慮し、本拠地名である「喜多見」に改姓したそうです。
慶元寺の本堂は、世田谷区内の寺院で最古の建築(享保元年=1716)でもあります。
歴女のスタッフ(し)が喜多見氏と慶元寺についての説明をしました。

江戸太郎重長

江戸太郎重長

慶元寺の喜多見氏墓所

慶元寺の喜多見氏墓所

近世の喜多見は、世田谷宿から登戸に向かう登戸道(現在の世田谷通りの旧道)が村を貫き、交通の要衝でした。
筏道(多摩川を筏を組んで六郷・羽田方面へ木材や炭を運んだ筏師たちが、青梅・西多摩方面へ歩いて帰るのに通った)との交差点付近は、特に賑わっていて、今でも交番や郵便局、商店が集まり往時の雰囲気を残し活気が感じられます。 登戸道は、弦巻の大山街道の分岐点から津久井方面(現相模原市)をつなぐ津久井道でもあります。登戸の渡しから弦巻までを特に「登戸道」と呼び、大山道を通って江戸へ行くルートでした。

筏道沿いに念仏車

筏道

この後、登戸道と筏道を通りながら喜多見駅方面へ向かいました。
筏道は細いながらも都道11号線で、けっこう車が通ります。

念仏車を回す

念仏車を回す

丸正浴場近くの念仏車をみんなで回して幸運を祈ります。
念仏車は、1回廻す毎に、お経を一巻読んだのと同じ功徳があるそうです。
ここのもは、女性のみの念仏講中によって建てられたそうです。

世田谷通りを二の橋交差点で渡り、喜多見駅方面へ向かいました。
二の橋交差点の二の橋は、小泉次太夫が開削した六郷用水に架かっていた橋で、西側に一の橋交差点もあります。
二の橋交差点は4つ交差点名表記があるのですが、世田谷通りの交差点名表記は、「二ノ橋」で、駅方面へと交わる二の橋通り側のは「二の橋」と、平仮名と片仮名の違いがあり、不思議でした。

二の橋交差点

二の橋交差点

二ノ橋交差点

二ノ橋交差点

小田急線喜多見駅前の広場で17時前に解散。
まだ日は暮れていませんでしたが、かなり薄暗くなっていました。喜多見駅は、世田谷区最西端の駅ですが、世田谷区と狛江市の区市境上にあります。小田急線は、各駅停車のみが停まります。
次回、第二回目の集合場所は喜多見駅になります。

喜多見駅。駅の下を通る市境

喜多見駅。駅の下を通る市境

ご参加下さいましたみなさまには、感謝申し上げます。
次回ご一緒して下さる方も募集中です!

マンホールでも区境を感じる。
次太夫堀民家園では、屋根の葺き替えを行っていました。資料館に昔の屋根の葺き替えの模型がありましたが、現在の工事はスロープをつけての大がかりなものでした。
狛江のマンホール。「こ」と「狛」
喜多見にはアパートが多かったです。
南側から、シャングリラ、ニューシャングリラ、シャングリラアネックス、シャングリラレジデンス、と4棟シャングリラが並んでいます。

 

 

シャングリラ群の構成は、シャングリラが4世帯、ニューが6世帯、アネックスとレジデンスは8世帯が入居できるようになっています。

多分、南側から北側に向かって建て増ししていったものと思われます。

筏道を挟んで反対側にも似たタイプのアパートがありましたが、「アルカディア」でした。
喜多見は畑も多く、無人の野菜販売所も見かけました。
喜多見駅から続く二の橋通り商店街。狛江市岩戸北に「イワト」の名の床屋さんがありました。「男の髪型」がいろいろ具体的でした。
国本学園近くの区境。右が世田谷側の東京都下水道局のマンホール、左が狛江市のマンホール。

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