2023年のジョン・フォード没後50年に合わせ、ジョン・フォード関連の話題が多くなってきています。『ジョン・フォードを知らないなんて』(2010年、風人社)の著者、熱海鋼一さんにその魅力を語っていただきました。

今回は、その第14回目です。
※赤字「」は映画作品名

熱海鋼一 ジョン・ウェイン

ジョン・フォード復活14 作家たちの評判2・ヨーロッパから溝口健二・アルフレッド・ヒッチコック

前回、フォードと小津安二郎、黒澤明が接する旅をした。無声映画から活躍するハリウッドの正統派の巨匠と言われたフォードの影響は大きい。

「駅馬車」「怒りの葡萄移動」「無防備都市走る」「自転車泥棒座る」「荒野女

第二次大戦後の映画界に光を投げかけたフェデリコ・フェリーニやルキノ・ヴィスコンティは、映画ベストテンに「駅馬車」(1939)を掲げ、フォードのピュアさを讃辞している。フォードの先進性において、「怒りの葡萄」(1941・日本公開1963)の難民キャンプへ向かう過酷な現実を見据えた移動撮影は、まさに戦後のイタリアに起こるネオリアリズム映画、「無防備都市」(ロッセリーニ監督・フェリーニ脚本 1945)、「自転車泥棒」(デシーカ監督 1948)、「揺れる大地」(ヴィスコンティ監督 1948)などのドキュメンタリーのような、冷徹な現実描写を先取りしている。
にもかかわらず、1948年に映画批評家アンドレ・バザンによる「フォード打倒 ワイラー万歳」の論により、正鵠な表現の内容的古さを指摘するフォード批判は、フランスの有名な映画雑誌“カイエ・デュ・シネマ”で長く続いた。巨匠への批判が目を引く悪しき風習(日本では反黒澤があった)にフォードはさらされた。その間、カイエ・デュ・シネマのベストテン入りは、「馬上の二人」と遺作「荒野の女たち」しかない。フォードは、より優れた映画を何本も作っていたのだから、皮肉な話だ。

「静かなる男」「突然炎」「捜索者」

カイエ・デュ・シネマの映画評論などで育ち、ヌーヴェルバーグの旗手となった二人。ゴダールは、ポストモダンの先駆となったフォードの「捜索者」(1956)を真っ先に認めたが、フォード批判の風潮に影響されたのか、フランソワ・トリフォーはフォードをなかなか認めなかった。しかし「静かなる男」(1952)を後に見直し、そこに描かれた女性像に惹かれてフォード開眼。映画の父と言われるD.W.グリフィスを引き継ぐ正当派と評価した。「ジョン・フォードは『芸術』という言葉を決して使わない芸術家であり、『詩』という言葉を決して使わない詩人だった」(HOTENAブログより)と語っている。
女性を描くことに定評があったトリフォーで、僕が最も好きな、錯綜する繊細な愛の三角関係と友情を、モーツァルトの音楽のように奏でた「突然炎のごとく」(1962)の自転車シーンは、「静かなる男」へのオマージュだろう。

「ミツバチのロング」「雨月のロング」駅馬車皆そろう マリヤの雪

ビクトル・エリセ監督は大のフォード・ファンだ。彼の代表作「ミツバチのささやき」(1973)は、子供のリアルなファンタジーに人生の機微を刻んだ。その大ロングの映像は、静謐で神秘的だ。この表現は、ロングサイズの映像で多様な表現をしてしまうフォードから学んだと語っている。エリセはさらにインタビュー(DVD)で、アメリカ映画から多くを学んだ溝口健二のロングの映像を称え、そこにフォードの影響を感じ取っている。
例として「雨月物語」(1954)の主役の一人、田中絹代が子供を抱きながら盗賊に刺殺される、1分40秒に及ぶロングからの1シーン1カットの移動を掲げ、その卓抜した奥行きの深さを指摘した。この移動表現は本当に凄い。「雨月物語」のカメラマン宮川一夫は、「溝口さんの1シーン1カットは、お芝居の雰囲気が逃げるのを嫌ったのだろう。俳優の感情の流れと映画の流れが一緒になってほしいから」、と語っている(別冊太陽・溝口健二より)。
「駅馬車」のロングに映るモニュメントヴァレーは、その後、フォードの数々の西部劇で描かれ、アメリカ西部開拓、フロンティアの原風景を象徴するようになった(ジョン・フォード復活10参照)。「雨月物語」のロングの長回しには、絵巻や墨絵の一角を切り取った様な日本的幽玄美がある。作家たちは感じることがあれば、どこかでなにかが呼応するという、エリセの指摘は、映画史的にも的を得ていると思う。

溝口健二は「駅馬車」について「立派な映画です。新しいロマンと言われるものは、この映画のようなものを云うのだと思います。演出も自分に淫することなく、正確に終始しています。私の興味深かったのは1つの馬車に同乗して大きな危機にさらされた人物が、それぞれの環境によって、様々の陰影をもって、人間の本音を暴露する姿でした」(ハリボッシュのブログより)と語っている。
アクションより人間模様に興味を抱くのは、いかにも溝口らしい。ちなみに、「駅馬車」は、モーパッサンの“脂肪の塊”を下敷きにしているが、その4年前に作られた溝口の「マリヤのお雪」(1935・未見)も同じだという。階級社会の身分に対する偏見と差別への怒り、反骨精神を、フォードも溝口も備えていることが分かる。

西鶴一代女 山椒太夫 旅芸人 ラストエンペラー ストーカー 雨月の船 沈黙の船

溝口健二は、1950年のベネチア国際映画祭で「羅生門」が金獅子賞を得て、若手の黒澤明に抜かれたことに悔しさをたぎらせ、作品作りに情熱を傾けたそうだ。1952年の同国際映画祭に出品された「西鶴一代女・OHARU」で、溝口は国際的な舞台に登場し、フォードの「静かなる男」などと共に国際賞を受賞、53年「雨月物語」、54年には「山椒大夫」が黒澤の「七人の侍」と共に銀獅子賞に輝き、国際的な地位を確立する。しかし、残念なことに。その二年後1956年に享年58歳で、この世を去ってしまう。
日本という異文化の幻惑的魅力、犠牲を受容する力強い女性像、1シーン1カットの長回しとロングショットの表現は、ヨーロッパ映画人に多くの影響を与えた。

ゴダールたち気鋭な映画青年たちは溝口作品の斬新な表現に熱狂し、ちなみに、「雨月物語」「山椒大夫」は、カイエ・デュ・シネマのその年のベストワンに選ばれている。そして、溝口から影響を受けたと語る巨匠たち、ギリシャのテオ・アンゲロプロス(「旅芸人の記録」・1975)、ソ連のアンドレイ・タルコフスキー(「ストーカー」・1979)、イタリアのベルナルド・ベルトリッチ(「ラストエンペラー」・1987)、この顔ぶれには息をのむ。マーティン・スコセッシもまた、残忍なキリシタン弾圧の中で神の存在を問う遠藤周作原作の痛切な「沈黙」(2017)で、「雨月物語」の墨絵のような霧に包まれた船のシーンをそっくり再現し、オマージュを捧げた。
ハリウッドに目を移そう。

ヒッチコック 北北西サイコ鳥 フォード捜索者 リバティ 幌馬車

フォードと共に戦後のハリウッドを牽引したアルフレッド・ヒッチコックは、作風もテーマ選びも全く違う。方や西部劇の神様といわれ、もう一方はサスペンスの神様だ。
ヒッチコックは「ジョン・フォードの映画は視覚的な喜びだった。明快であることと見かけの単純さにおいて、雄弁な彼の撮影技術」(明るい部屋映画についてブログより)とフォードの映像を賛辞している。絶妙な心理的映像の表現で、今も多くの作家たちに影響を与えているヒッチコックは、さすがだ。フォードが、映像で物事を確実に表現していることを看破している。
ヒッチコックはイギリスでサスペンスの名作を作り、名をはせていたが、第二次世界大戦が勃発した1939年、「風と共に去りぬ」の製作で絶対的権勢を誇ったプロデューサー・セルズニックに招かれ、ハリウッドで「レベッカ」を撮った。デュ・モーリアのミステリーロマン小説の映画化だが、セルズニック体制の厳しい管理のもと、実はプロデューサーが映画製作を支配する当時のハリウッドシステムで、監督は工事の現場監督のような扱いで、作家性など無視され、個性を発揮することは並大抵なことではなかったが、ヒッチコックはしっかりと登場人物の内面をサスペンスフルに描き、アカデミー作品賞を獲得した。

ちなみに、その年の監督賞は「怒りの葡萄」のフォードだった。ハリウッドのベテラン、フォードと新参者のヒッチコックは、アカデミー作品賞と監督賞で競い合った。

海外特派員名シーン

ヒッチコックの次回作は、「駅馬車」の新鋭プロデューサー、ウオルター・ウェンジャーの「海外特派員」(1941)である。ウェンジャーはヒッチコックを信頼し、極力自由に作らせた。そのおかげか、第二次世界大戦勃発直前の緊迫したヨーロッパを舞台に、ナチスのスパイを暴くスリリングな展開に、その後に作られるヒッチコック映画の要素が随所にみられる、サスペンスとユーモアに満ちた痛快な作品となった。
しかしである。映画のクライマックスで世界大戦が始まり、ラストカットで主人公はラジオ放送で、その時点でいまだ参戦していないアメリカの参戦を声高に訴え、サスペンス映画は唐突に政治プロパガンダ映画へと変貌する。時代を反映したとはいえ、今では違和感を覚えるが、実はこのシーン、追加されたものなのだ。(DVD解説書・IMDbより)

撮影は1940年5月29日に終了し、ヒッチコックは母に会うためイギリスに帰国し、7月3日にドイツ軍がロンドン爆撃を開始するという緊迫した情報を得た。一方、プロデューサーのウェンジャーは、映画のラスト、主人公たちが空爆を受け撃沈されたが、ライフボートで生き残るシーンに弱さを感じていた。ヒッチコックもそれに同意し、自らの体験を通して、アメリカの参戦を訴えるシーンをラストに出来ると確信した。急遽ハリウッドに戻ると、ラジオ局で演説するラストの追加撮影を決定した。
撮影は7月5日、現実のロンドンへのドイツの爆撃は7月10日に始まった。

海外特派員ラスト 果てなき航路 影

その頃、ジョン・フォードは、同じウェンジャー製作のもと「果てなき航路」をセットで撮影中だった。それはフォード調の哀切に満ちた海の男たちの物語だが、戦争の影が色濃く投影されていた。
7月5日、フォードは自分の撮影を中断し、ヒッチコックのセットを訪ね、主役の海外特派員がラジオで演説する、その口調の指導を行ったそうだ。急遽の追加撮影、ウェンジャーの要請だろうと察するが、フォードは応援に向かった。ヒッチコックはその現場に居たと思うが、世界大戦の切迫した状況に目をこらす二人の巨匠、この風景を想像するとゾクゾクする。

「海外特派員」は1941年8月16日に封切りされたが、その年の12月7日に日本から真珠湾奇襲攻撃を受けたアメリカは、第二次大戦へ参戦することになる。 次回は、フォードや小津たちの戦後の呼応に接しよう。

熱海鋼一(あつみ・こういち)

1939年生まれ。慶応義塾大学経済学部卒。映画・テレビのドキュメンタリー編集・フリー。 「The Art of Killing 永遠なる武道」(マイアミ国際映画祭最優秀編集賞)、「矢沢永吉RUN & RUN」「E. YAZAWA ROCK」、「奈緒ちゃん」(文化庁優秀映画賞・毎日映画コンクール賞)、「浩は碧い空を見た」(国際赤十字賞)また「開高健モンゴル・巨大魚シリーズ」(郵政大臣賞、ギャラクシー賞)、「くじらびと」(日本映画批評家大賞)、ネイチャリング、ノンフィクション、BS・HD特集など、民放各局とNHKで数多くの受賞作品を手がける。

twitter(熱海 鋼一) @QxOVOr1ASOynX8n

熱海鋼一著『ジョン・フォードを知らないなんて シネマとアメリカと20世紀』(2010年、風人社、3000円+税)

もくじ
https://www.fujinsha.co.jp/hontoni/wp-content/uploads/2017/07/fordmokuji.pdf

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