私が所属する山岳会の大山街道歩きで、次回は「鷺沼から青葉台」なので、復習というか予習というか、地形図と弊社刊行本『ホントに歩く大山街道』(中平龍二郎著)を見直してみました。
特に「街道の地形を歩く」をテーマに、この区間では街道の起伏を調べました。

まず、鷺沼の地名の由来は、文字どおり「サギが飛来する沼」と本書にありますが、田園都市線鷺沼駅は、じつは標高が67mと高いのです。
「鷺沼谷戸は湿潤な土地で、小さな沼がいくつかあったらしい(現在の鷺沼小学校あたり)」(本書86ページ)
とありますが、確かに鷺沼小学校、鷺沼公園あたりで標高47mと、20mも低くなっています。
あたりは、公園以外に森林地帯の面影がなく、新興住宅地になっています。

鷺沼駅

ところで、現在の国土地理院1万分の1地形図だけを見て、大山街道の旧ルートを定めることはまず難しいと思います。
特に今回の区間では。
中平さんは、明治時代の迅速測図を現代図に重ねて、旧道を特定されていますが、とても素晴らしい作業だと思います。

なぜこの区間のコース特定が難しいかというと、国道246号線に沿っていないからです。
全く別の道のようで、しかも目で追っていけるような一本のつながりの道になっていません。
旧道がなくなってしまった個所・区間もあります。

この区間の起伏を示す地名には、八幡坂、うとう坂、血流れ坂、牢場谷(ろうばやと)、早渕川、小黒谷などがあります。
鷺沼は標高67mだったのが、八幡坂で国道246号まで15mを下って52m。
登り返して牛久保の高台の稜線上が65m、そしてうとう坂、血流れ坂で43mまで下ります。
さらに坂の名前もなく実感でも坂を感じませんが、荏田宿の246号では標高は20mまで下がっているのです。

血流れ坂

血流れ坂

鷺沼からの道で、旧大山街道の雰囲気が感じられて、しかも風景がとても気持ちがいいのは、皆川園という大きな園芸屋さんあたりで、東側(左)に牛久保の低地が見渡せるところです。
また、そこから少し行ったところで西側(右)の展望もあって、稜線上にいることがわかるのも面白いのです。

皆川園の前の大山街道。横浜市・川崎市市境付近。当時の道幅はこんなものだったという。

皆川園の前の大山街道。横浜市・川崎市市境付近。当時の道幅はこんなものだったという。

荏田宿の常夜燈

荏田宿の常夜燈

国道246号線と交差する手前に荏田宿の常夜燈がありますが、インターネット情報の数本に、「ここが鎌倉みち中道支道」とあって、現在の国道246号線を矢倉沢往還としている部分は、誤りだと思います。
荏田宿の区間が大山街道(矢倉沢往還)と重なっていたのでしょう。

荏田城址付近の大山街道

荏田城址付近の大山街道

国道246号の荏田交差点から前方左に小高い丘が見えますが、これが荏田城趾です。
ここの地形図が面白い。
荏田城は、交通の要衝をおさえる中世(鎌倉時代以前)の小城だそうです。
城趾は立ち入り禁止になっているので、そうなると余計に、ぜひこの小高い丘の城趾に登ってみたいと思うものです。
現地調査では西に回り、東名高速道路脇を登ってみましたが、Bの橋も通行止めでした。

大山街道から荏田城趾方面を望む

大山街道から荏田城趾方面を望む

この原稿の話を編集部にしたら、「東名高速バスを荏田バス停で降りてみたい」「また静岡に行くとき、ここからバスに乗りたい」と言っていました。
なるほど。東名高速道路は荏田城趾のピークで標高50mのところを通る思っていたら、橋がかかつて東名は丘を記し崩した下を走っていました。
A点の大山街道が下をくぐるところが標高5mなので、東名の高架道は10〜15mくらい高い所にあることになります。

ここを通過するときには、ぜひ東名高速道路を見上げてみて下さい。

(OH)記(2013年01月21日初出)