2020年4月3日 皇御孫命(すめみま)

日本書紀史注 巻第二

『日本書紀史注 巻第二(神代下)』169ページ「第八段 第一の一書」より

戦前戦中の神話教育から解放された戦後、井上光貞の「神話から歴史へ」が有名になったが、山田古代史はこの言葉を越えて、「歴史から神話へ」を標榜しています。日本書紀の神代は、神の世の物語でなく、7世紀末の現代史であると。倭国神話から日本神話への差し替え作業の痕跡を講義で辿っています。

タカミムスヒとイザナキ・イザナミは、倭国神話。アマテラスとスサノオは日本神話。倭国神話からごちゃごちゃとなり、日本神話の形に変遷していく。持統3(689)年8月の天照誕生で、日本神話の形が成立。天武時代の日本書紀一次本の書き換え跡も示された。弊社発行本へのリンクが示せれば、旧著が蘇るか。

山田講義は、藤沢(神代)も横浜(人代)も10回連続の半分で、コロナ休講となった。この間に、私の受講記録を作成しなければ。人代4回では、天武天皇がなぜ「すめみま(皇御孫命)」なのかの謎が、著者90歳を過ぎてからやっと解けたという話でした。孫のおじいさん皇祖は誰になっているかの系譜でした。

皇御孫命(すめみま)の話は長い。たぶん山田古代史の一つの核心で、この後の講義にも出るだろうと思う。人代第1回の神武天皇の東征で大阪湾に上陸したが、大和へ入れず、紀伊半島を大きく迂回する。このとき立ち寄った港は、泉大津でなく、唯一、茅渟だった。この地名は記憶せよとの講義だった。

天武天皇の祖父のひとりは、茅渟王だ。その妻、吉備姫王には、皇祖母命がついているのに祖父は無冠だ。神武は、蘇我氏の居宅のあった津には寄らず、天武の祖父の村茅渟に立ち寄った。神武は初代天皇だが、7世紀の天武の現代史が、神武天皇の巻に書かれている。では、なぜ祖父は無冠だったのか。

(お)

関連書籍『日本書紀史注 巻第二(神代下)』
日本書紀史注巻第二 神代下