風人社様 お世話になっております。
ホントに歩く大山街道(中平龍二郎著)が届きました。本書はホントに名著だと思います。地理学への深い造詣、丹念な準備と現地調査、洞察力、愛情等いっぱい詰まっていて、一字一句に感動を得ながら読んでいます。自分は一度通歩いてから読むので感慨もひとしおです。どの頁でも歩いたときの情景が目に浮かびます。本書を読んだ後、再び各所を訪ねることにより、二度美味しいを狙って参ります。

さて、愛甲石田から成瀬別道(江戸道)、忘れた豆腐坂を歩くツアー(^^)をして参りました。11月の快晴日は里を歩くのに最も適した季節だと思います。小学生の夏休み研究みたいで恐縮ですが、下記報告いたします。長文になりますがご容赦ください。

①愛甲石田~JAいせはら成瀬支所
前回気になっていた割地坂(日本ロジシステム)の方を歩いてみようと思いました。246の北側迂回路はある程度近い道を歩け、塚越公園から望む大山は絶景でした。ところが246を渡った南側の尾折越は商業施設、工場、宅地に阻まれ、ほとんど歩くことは不可能でした。それでも何かの痕跡ないかと、しつこく坂を上り下りしてずいぶんと時間を使いました。貴社の方々は日頃こうして作業を積み重ねていらっしゃるのいるのだろうなと思い頭が下がります。

南側の尾折越

お稲荷様 糟屋 大山街道 手折濃


写真のフォークリフトの所で八十歳前後の奥さんが落ち葉掃除されていたので、お稲荷様から向こうは通り抜けできますか? と尋ねたらできないとのことでした。ちょっと奥を覗かせてもらったら看板の裏にお稲荷さんがあり、フォークリフトの向こうは崖斜面、小さな歩行階段がありました。(ちょっと歩いてみたかったけど、そこまで図々しくも言えず…)ご婦人は昭和28年にこの地へ嫁入りされたらしく、この辺りの古い地理にお詳しかったです。確かに旧道はあったようですが、宅地開発等で通れなくなった。この場所に茶屋もあった。自宅に古い図面も残っていると仰っておられました。大山道の旧道探しているんです、と話したら、ずいぶん熱心ですねと感心されてしまいました(^^)

②JAいせはら成瀬支所~寿経寺~不動尊道標~東海大附属病院裏~咳止め地蔵
Mapに二つ道が示されていれば、両方歩いてみたくなる性分です。(その意味では世田谷の市町・行善寺線をまだ歩いていません)心残りを埋めたく今回は江戸道の方を歩きました。途中の庚申塔道標に写真の地図があり大いに参考になりました。帰宅後アド・おおやまみちさんを調べたら、御社と深いお付き合いがあったのですね。

アド・おおやまみちさんの案内板
アド・おおやまみちさんの案内板

東海大病院、新東名ができる前は本当にのどかな田舎道だったのでしょう。ただし糟屋宿から合流する前の道は両側から丘陵地が迫り、少し鬱蒼としていたんじゃなかろうかと思わせる道でした。東側斜面だから日の暮れも早いだろうし。楽しみにしていた道でしたが、あっと言う間に歩いてしまいました。

③咳止め地蔵~豆腐坂~こま参道
前半だいぶ時間使ったし、二回目なので、わき目をふらずさっさと歩きました。前回7月は這子坂でばてましたが、今日はすいすいと歩けました(^^)
豆腐坂、これか、ここにあったのかと思いながらさっと過ぎ、大山まんぢうと1,000円の金剛杖を土産に買って、神奈中バスで帰宅しました。いつ来ても外人さんが多いのですが、厚木基地が近いせいでしょうか?よい文化財はきっと彼らにもわかるのですね。

長文たいへん失礼しました。
また便りいたします。

あつお 22.11.21

(FuOH)お便り、ありがとうございます。またリベンジの落ち穂拾い歩きもお疲れ様でした。豆腐坂、よかったでですね。金剛杖のお土産というのも新鮮です。
大変丁寧なご検証にこちらこそ、頭の下がる思いです。成瀬別街道ほか、伊勢原の各地に説明看板を立てられているアド・おおやまみちさんは、弊社で『相州大山今昔史跡めぐり』を出された宮崎武雄さんが活動されている団体です。丁寧な説明や手作りの案内板は、大変ありがたいですね。
また、このたびは『ホントに歩く大山街道』のご購入、ありがとうございました。著者の故中平龍二郎さんに、この感想をお見せしたかったです。本書は、何度も、季節を変えながら、東、西両方向から、大山街道を歩きつめた中平さんの思いが詰まった一冊です。それをあつおさんが感じてくださり、嬉しく存じます。
またのお便り、お待ちしております。