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伏見のパナマ運河と呼ばれた伏見港の三栖(みす)閘門。濠川と宇治川の合流点にて昭和初期に建設された。この閘門の先は宇治川。
京街道は伏見から宇治川沿いの堤道を進みます。 |
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京阪淀駅前の水車
淀は、淀川三川(木津、宇治、桂)が合流する交通の要衝で、城が設けられました。
淀城内に、水を汲み上げるための水車が二箇所あり、淀の名物だったそうです。
京阪が高架化され、淀駅は京都競馬場寄りに移動しました。かつて駅があったあたりに三宅安兵衛が建てた安養寺への道標があります。
現在残っている淀城の石垣が京阪線からも見えます。これは江戸時代に整備された城で、豊臣秀吉が茶々(淀君)のために整備した淀城はここではなく、北西にあります。 |
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孫橋。用水沿いの河津桜が満開でした。 |
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淀小橋跡。今は川はありません。 |
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桂川。
川沿いにサイクリングロードが整備されていました。 |
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妙教寺。古淀城跡。本堂には鳥羽伏見の戦いの砲弾の跡が残っているそうです。
淀小橋から妙教寺へは、千本通りを行きます。淀から北上すると京都市北区鷹峯に至ります。家並みや道の緩やかで小刻みなカーブに風情があります。
唐人雁木跡の碑が千本通り沿いにあります。朝鮮通信使の船が着いた場所です。
桂川に架かる宮前橋。 |
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淀宿を出た美豆(みづ)地区。
船運が盛んだった木津川沿いは、川岸に納屋や蔵が多く立ち並んでいたそうです。穀物を貯蔵する「浜納屋(はまなや)」の建物が残っていました。
向かいには味噌工場があり、小売りもしていました。 |
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淀川三川合流地点(実際には一箇所で全ての川が合流しているわけではない)に向けて進んでいきます。国道478号線の下をくぐります。 |
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御幸橋で桂川と木津川を渡ります。江戸時代は橋はなく、堤が八幡と淀の間をつないでいました。
1930年に架けられた橋の跡が八幡市側に残っていました。今の御幸橋は少し上流に架けられています。
親柱は、昔のものを使用しているようです。
宇治川と木津川の間に背割堤。桜並木が整備されています。 |
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背割堤にさくらであい館という観光施設を建設中でした。2017年3月25日にオープンします。展望台からの景色を見てみたいです。
https://www.yodogawa-park.jp/
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現在の御幸橋と木津川。
正面に、石清水八幡宮のある男山が聳えます。 |
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京阪八幡市駅前。
ロータリーに竹のモニュメントがあります。見たことはありませんが、夜は竹の輪の中の電球に明かりが灯ります。脇にエジソンの胸像(前・後)があります。エジソンが発明した白熱電灯の発光体であるフィラメントに、八幡市の竹(マダケ)が使用されました。
石清水八幡宮内にも、エジソン記念碑があります。
石清水八幡宮へ行く途中の走井餅のお店があります。 |
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八幡市の土手には府道13号が通っていますが、その下の道を進みます。
大きなクスノキ。このあたりから、かつて堤が淀方面に延びていたそうです。
クスノキのそばには、日本で初めて飛行原理を発見し、飛行機開発に尽力した二宮忠八の工作所跡があり、説明板が立っています。 |
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京阪橋本駅周辺
あまりお店がない駅周辺で、一軒の食堂。お休みでした。アサヒスタイニーは、小瓶のやつでしょうか。
駅前(南側)に、渡し場への道標があります。
橋本駅の北に柳谷の渡し場道標。対岸の山崎と橋本を結んでいました。 |
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「休憩商談に御利用ください」
お泊まりと休憩が一緒の値段です。
間の宿橋本は、遊郭として賑わっていました。今もその雰囲気が残っています。
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石清水八幡宮付近を流れている放生川が淀川に注ぎ込むあたり。小金川樋門。このあたりが京都府と大阪府の府境、また昔は国境。枚方市に入ります。 |
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樟葉までは、土手沿いの道を進みます。山際にびっしりと家が建っているのが見えますが、石清水八幡宮から続く山稜です。
京阪線も車も人も、狭いところを一緒に通ります。京街道東側に樟葉砲台跡や古代官道の樟葉駅跡があります。
府道のガードレールの消耗具合に、恐怖を感じます。
淀川の対岸、島本町。かっこいいマンションが見えます。 |
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樟葉駅を過ぎ、樋之上交差点。左側に旧道が残ります。 |
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船橋川に架かる楠葉橋。橋を渡った先の堤防沿いに地蔵道標と供養塔があります。またこのあたりに一里塚がありました。
牧野駅手前の穂谷川。
川を渡るとすぐ、京阪牧野駅です。改札は地下です。 |
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牧野駅西側に、「左前島街道(高槻市の西国街道と京街道の牧野を結ぶ)」の道標。
淀川には「前嶋渡し場」がありました。 |
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枚方宿
土手沿いの府道13号の下に「枚方宿問屋浜跡」の説明板があります。
鍵屋資料館(元船宿)の裏には「郵便屋渡し碑跡」があります。
対岸高槻市と枚方を結ぶ、国道170号の枚方大橋が見えます。
近くには、明治18年洪水碑もあります。明治18年6月に豪雨で堤防が決壊し、大阪府内で7万戸余が浸水する大洪水がありました。碑には、洪水と復旧の経緯が記されています。
水と歴史のふれあい広場に、淀川につながっていた合同樋門跡があります。 |
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枚方宿の東側にある万年寺山。
今は、意賀見(おかみ)神社があります。この山の上に、豊臣秀吉が、枚方城主本多政康の娘乙御前のために建てた「御茶屋御殿」があったと伝わります。
御茶屋御殿跡の隣に閑院宮載仁親王御観戦跡碑が立ちます。ここで陸軍の演習をご覧になられたことを示していますが、淀川沿いであったのでしょうか。
御茶屋御殿跡から枚方宿と淀川をみると、中央の公園のあたりに枚方宿の本陣がありました。
枚方宿の、淀川と反対側(東側)には、このような高台がぽこぽこあります。 |
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枚方宿を出て、淀川の土手にあがります。枚方市出口。
洪水対策で、石の土台の上に蔵を築いています。
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枚方市と寝屋川市市境付近
木屋揚水機場付近。
堤防下に赤井堤記念碑があります。市境を流れていた赤井川の堤跡で、明治18年に起きた洪水で決壊しました。 |
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寝屋川市太間(たいま)排水機場近くに、茨田堤碑があります。
日本最初の河川堤といわれる茨田堤(まんだつつみ、まむたつつみなど読み方多数)は、『日本書紀』仁徳天皇11年に記述があります。淀川の洪水を防ぐために計画された堤は、難工事の連続で、人柱の話も伝わります(一人は亡くなり、一人は機転を利かせて助かります)。
碑は、明治時代、オランダ人技師、デ・レーケによる淀川改修百年を記念して、昭和49年に建立されました。
土手下に、洪水に備えた段蔵(だんぐら)がある家が見えます。二段、三段とだんだんと高くなっており、壮観です。
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堤道を東へ下りた太間天満宮の祭神は絶間衫子連・菅原道真です。
境内に、衫子絶間跡の石碑。衫子絶間は、茨田堤の人柱になり、機転を利かせて助かったほうです。
近くの絶間橋。淀川左岸幹線水路に架かります。絶間は、堤防の切れたところを指します。
太間も同じ意味で、このあたりの地名になっています。 |
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寝屋川市木屋元町。
蹉跎(さだ)ポンプ場。石のしっかりした土台の上に家を建てています。 |
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太間排水機場
「皆様を浸水から守るポンプ場」
淀川沿いでは、排水機場、揚水機場、浄水場、川関連の施設をいくつも見ます。 |
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点野東交差点
歩道橋と土手が同じ高さです。 |
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茨田樋遺跡水辺公園
淀川からの取水施設で昭和5年まで使われていて、その遺構が公園として整備されています。 |
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淀川、土手沿いの道を進みます。
河川敷は淀川河川公園として整備されていて、多くの市民が訪れています。川で釣りをしたり、散歩をしたり、御弁当を食べたり、野球をしたり、走ったり。
川の近くにも行けます。
土手の斜面に多くの人がむらがり、下を向いて何かを必死に探しては、スーパーの袋に入れていました。土筆をとっていました。 |
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東側に佐太天神宮が見えます。
ここは、菅原道真が太宰府に流されたとき、暫く舟をつないだ所とされ、その後、祠を建てたとされています。
土手下に、「佐太渡船場」の道標があります。「出水十二尺以上暴風渡船中止」とも彫られていました。
土手斜面にネコがいました。 |
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さらに土手道を進みます。
大庭浄水場の施設が東側に見えます。
前方に鳥飼大橋と守口ジャンクション。大阪モノレールの鉄橋も見えます。大阪空港と門真市を結び、
このあたりの最寄り駅は大日駅です。 |
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鳥飼大橋をくぐると、公園があり、レストセンターでは、トイレが借りられ助かります。
土手から離れて、守口宿に向かいます。
京街道は、守口市浄水場の脇を通って曲がると、樋の痕跡があります(正迎寺前) |
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阪神高速をくぐり、どんどん南下します。
府道155沿いには商店が点在、お好み焼き屋さんの前に、E.T.がいました |
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守口宿を過ぎ、大阪市旭区森小路。
阪神高速下の古市橋。城北運河に架かっています。 |
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関目、野江と過ぎ、
京橋交差点近くに道標があります。
「左京、右大和」と彫られ、京街道と野崎・奈良へ向かう道との分岐点です。
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京阪とJRの京橋駅の間の道を通って、少し高い道へ上がります。
人の往来が激しく、一気に都会に来た感覚に襲われます。 |
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京阪線の南側の道を進みます。さらに南の道路より高い所を通っている感じです。低い道路は、鯰江川という川を埋め立てました。 |
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かつて鯰江川に架かっていた野田橋址で左折し、大きな通りを進みます。
寝屋川が大川(旧淀川)に合流する直前に京橋が架かっています。大坂を出て京へ向かう最初の橋です。前方に大坂城が見え、京橋口が近くにあります。
たもとに、京橋川魚市場跡碑があります。 |
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土佐堀通を進み、天満橋、天神橋を過ぎて阪神高速環状1号線の下で曲がります。
東横堀川に架かる高麗橋に着きました。西日本の道路の起点で、里程元標跡碑が立っています。また、高速道路の高麗橋入口も近くです。
現在、大阪市の道路元標は御堂筋と国道1・2号が交差する梅田新道交差点角にあります。 |