(お)記

弁護士の小川正美さんから、岩田たに泉(たにの字は、澗の日が月)さんの訃報のお知らせをいただきました。

岩田さんの道標の美しい写真をご覧ください。山岳写真家・三宅岳さんの撮影です。

三宅岳さん撮影による岩田たに泉さんの道標

告別式は、訃報を聞いた翌日の10月4日で、式場は駿河小山の小山葬祭センターでした。予定を変更して、参列してきました。
裁判が終わり、町長とも和解されてからも、地元トレイルロードの現地調査にしばしば電話でお誘いを受けていましたが、急な電話が多く、お応えできた機会のほうが稀でした。申し訳なく、また残念でもありました。告別式には、岩田さんからの急な電話はありませんでしたが、今回はゆっくりとお会いしてこようと思いました。
駿河小山駅から2.1㎞、ずっと上り坂を歩きました。歩いている人、誰一人とも会いませんでした。駅近くの飲食店「カブト」、いつも岩田さんと打ち上げのお酒はここでした(そうだ、弁護士になると言って、九州に帰った毎日新聞の若い記者のかたが一緒のときもありました。彼が弁護士になりたいと思ったのは、岩田さんと小川さんの影響かな)。

葬儀は午後からなので、カブトに入って昼食をとり、店の人に岩田さんの話を聞こうかと思いましたが、小山町役場に食堂があることを駅前の土産店の方に聞いていたので、ちょうど役場にも用事(行政地図の購入)があるので、そちらにしました。町役場は、葬儀会場を仕切っているのかな、と思いましたが。
 葬儀場に到着したのは、私が1番目でした。喪主の岩田直樹さんが迎えてくださり、「父がホームを脱走しまして」と話され、「認知症の徘徊出所ではなく、確かな意志の確信犯ですね?」と私が言うと、「父はずっと確信犯でした」と言われて、葬儀場なのに、二人で声だして笑いました。

岩田さんは、施設から脱走したあと、ご自宅のお風呂で亡くなったので、発見が遅れたそうです。最後まで、意欲は健康で、もう一度、裁判をしたかったそうです。幸せな死に方だったかも、と、喪主のご挨拶でお聞きしました。
遺影は、いつものあの笑顔でした。いろんな思い出の感謝を岩田さんに申し上げてお別れしてまいりました。参列者控え室は、式が始まるまで、私一人でした。式後、三宅さんと久しぶりにゆっくりと岩田さんのことを話しました。

岩田さんの追悼文を書こうと思いましたが、胸を去来することが多すぎて、いますぐに書けません。ずっと以前、小川弁護士からのご連絡で、御殿場の警察署留置場に面会に行ったときの、岩田さんの私へのお辞儀が、額が膝につくほどだった姿が強く目に浮かびます。そういう方でした。
岩田さんからたくさんのことを学ばせていただきました。楽しい経験もたくさんさせていただきました。とても感謝しています。ご冥福をお祈りしています。

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