読者の方から「大山講」に関するお手紙をいただきました。  その方のお父様が、戦前、講元をなさっておられたそうです。以下、原文の一部抜粋を許可を得て掲載します。

 「参拝日は毎年8月3日と決まっていて、朝7時集合、バス2、3台に60~100人が分乗して大山へ向かいます。御師といわれる人の旅館(猪股旅館)に11時頃到着。大広間で昼食をとって1時頃からケーブルカーで中腹にある阿夫利神社へ向かいます。一部の人たちは、そのまま山頂(奥宮)へ登拝しますが、大方の人は、広殿で祈祷(大々神楽)をしてもらいます。巫女さんの神楽舞いなどがあり、御札を頂いて三々五々旅館へ戻ります。やがて山頂へ登拝した人たちも戻り、夕方6時位から夕食兼宴会が始まります。寄り付き酒などもふるまわれて、余興が披露されて9時頃、お開きとなります。父は宴会が始まるとき、必ず一人一人の前でお酌をして挨拶をします。  その後、大広間に蒲団が並べられて就寝です。子どもも参加していました。

 翌日、朝食をすませ(朝もお酒がつきます)、バスに分乗、大方は江ノ島の岩本楼へ立ち寄り、昼食休憩をして、夕方4時頃帰宅となります。

 初めの頃は毎月、旅費の分割払いの掛け金の集金に講員の家々を回っていましたが、次第に一括払いになりました。最後の頃で1泊4食付きで、2万円くらいでした。」

060727tenuそして、参拝の当日配られていたという手拭いも同封されていました。

 「手拭は当日の朝配られて、首の回りなどにつけておきます。服装は自由ですが、講元は白装束で正装し、一部の人も半纏などを着用します。一つの組織ですから、副講元が2人くらい、世話係みたいな人も決められていたようです。」