「西丹沢がブームになるかも」(s-okさんの掲示板の書き込み)とか、「西丹沢の自然破壊につながらないか心配」(弊社宛の予約申し込みメール)という声を聞きましたが、どちらも西丹沢を愛してやまない気持ちがすごくよく伝わります。
 誰にも自分だけの西丹沢があり、そしてお互いに「同志」であることを感じているので、そんな自分だけのとっておきの場所がメジャーになるのは、一方で好ましくない気持ちになります。私も同じです。
 「知られたくない気持ちと知ってほしい気持ち」のアンビバレントは、物作りの宿命だと思っています。
 でも私は、心配ないと思っています。西丹沢がブームになってメジャーな登山地域になることもなく、したがって、観光客がどっと押し寄せるような、極端な自然破壊に見舞われることもないと思います。そんないつまでもマイナーな山域であることが、西丹沢の魅力の一つでもあると思います。みなさんもそう思われているでしょう。
 本書はどなたにでも、「西丹沢のこの道を歩いてください」というガイドブックとして作るのではありません。
 s-okさんという静かな山を静かに歩くのが好きな新鮮な岳人が、歩きながら触れる心の風景を、やはり静かに読んで味わえる本にしたいのです。
 山を歩かない人にも(もしかしたらそんな人の方が)、s-okさんの文章からいろんなことを発見してくれるかもしれないと期待しているのです。
 (私自身の本音は、この本で学んで、いつかs-okさんのように実際に歩けるようになりたくて仕方ありませんが。)

 s-okさんの掲示板には、「丹沢のそれも西丹沢の本とのことで嬉しいです」ともありました。
 これはもちろん、私が言い出したことではありませんが、非常に個別的なきわめてローカルな特殊な例であればあるほど、逆説的に誰にでも当てはまるものになっていくと思います。
 例えば、本の読者の対象として、よく「広く一般」といって、誰でもを目指すと、それは結局誰も読まない本になったりします。例えば、「中学生の読者に」と書かれた本は、また高齢者でも読める本になります。だから作る側は、大きなマスとしての読者を想定しないほうがよく、つまり誰でもに合わせるのではない方がよいのだと思っています。
 限定された「特殊な事例」には、その分だけの具体度が高まるのです。本書は、関東の山や神奈川の山ではなく、丹沢の、中でも、西丹沢の本なのです。
 そして、当初の想定読者は、登山家の中でもごく限られた、いわばマニアな世界の少数派です。でも、その人たちは必ず読んでくれます。
 そしてその人たちが本書に共感し、読みとっているものは、ローカルでマニアックな特殊なものではなく、自然を愛したり山を歩いたりすることに心寄せるすべての人に共通なものであることがわかります。
 例えば、(願わくば)本書にマニアックな読者が現れてもらえば、その人は山に行ってもいない子どのたちや高齢者やさまざまな身近な人に、この本の世界を話したくて仕方なくなるかもしれません。(私自身がそうです。)
 逆にもし私が、その聞き手の一人なら、すぐにその本を読んでみたくなり、私とは違う世界のその本に、自分の新たな発見を見つけて、著者と共感していくに違いないと思えるのです。
 理想的には、本書をそのように作りたいのです。西丹沢の「世附源流」は、日本各地、北海道や九州・沖縄や、それぞれの地方の、「ある」地域と同じなのです。

 昨日、初校ゲラ(本文のみ)をs-okさんに発送しました。
 地図集は一応できていたものを、これから改変・修正することにしました。
 「予約者通信」第1号を発信しました。