公所(ぐじょ)

ホントに歩く甲州道(大山街道と甲州街道をつなぐ道・R412)MapEの「公所」は、源頼朝が鎌倉幕府を開くにあたり相模国各所に置いた「公文所」が由来と言われる。「公所」は平塚市・大和市にもあり、また「久所」が小田原市・相模原市・秦野市などにあるが、いずれも「ぐぞ」で「ぐじょ」は厚木だけ。
「ぐぞ」はIMEで変換されますが、「ぐじょ」は出てこない・・・
写真は「公所」バス停前の養徳寺(臨済宗、円覚寺の末寺)

公所 甲州道

海底(おぞこ)

海の底と書いて「おぞこ」興味をそそる地名である。「小曾郷(おそごう)」が元々だったのではないかという説も。
愛川町の海底集落は和紙の里だった。本マップで「海底道」と名付けた上荻野から下原道標までの道は変化に富んだ面白いコース。

甲州道 海底公民館

愛川町(あいかわまち)

愛川町の地名の由来に関しては、宮ケ瀬湖畔にある神奈川県立あいかわ公園内の郷土資料館に詳しい資料があるそうですが、コロナのためにここも休館中・・・

甲州道 愛川町 宮ヶ瀬湖

三増(みませ)、三ヶ木(みかげ)

武田信玄vs北条の「三増の合戦」の碑(MapG)
「三増」は「みます」ではなく「みませ」と読むのが珍しい。
そういえば半原・相模湖間の中継地点となる「三ヶ木」も「みかぎ」ではなく「みかげ」と読む。
三増峠道は中世のころから、信濃や甲斐から鎌倉へ向かう古街道であったと愛川町観光協会のHPにある。

甲州道 三増古戦場跡

寸沢嵐(すわらし)

「寸沢嵐」で「すわらし」(ちゃんと変換されます!)津久井湖に近いMapN、地名の由来はマップ解説に。
「寸沢嵐の首洗池」は先述の三増合戦で討取った首を洗ったというもの。現在は水量も少なく、池というより湿地帯のような感じです。

甲州道 寸沢嵐

鼠坂(ねんざか)

もうすぐ相模湖、甲州街道との合流点という所に「鼠坂の関跡」がある。ねずみ坂という名の坂は珍しくなく東京都内にも複数あるが、これは「ねんざか」。変換は「捻挫か」になってしまう。説明板は「鼠坂」だが、石碑は「鼡坂」になっている。
鼠坂の関は「口留番所とか穀留番所ともよばれ、米穀の搬出を防ぐことが主な目的だったため、近郷のきこりや耕作人以外の往来はできなかった」と「やまなみ五湖交流の里」HPにある。

甲州道 鼠坂碑

2020年5月13日(し)記

『きよのさんと歩く大江戸道中記』という本に描かれた豪商の妻の旅では、箱根の関所を避けるため、大磯から北上して伊勢原を経て「鼡坂の手前の旅籠にいくらか払って」上野原から吉田、山中、三島に出るという行程が書かれており、「甲州路」はこのような抜け道としても使われていたのかも、ということをツイッターで教えていただきました(@kawa_sanpo
さん)。大磯から北上するのはかなり遠回りですが、それだけ箱根の関所は嫌がられていたんですね。2020年5月23日追記

※ホントに歩く東海道・中山道では、マップ1部ごとにMapAから始まりますが、『ホントに歩く甲州道』ではマップ4部でMapA~MapQの構成となっています。