総合出版・編集プロダクション「ホントに歩く」東海道・中山道

課外授業ようこそ先輩 別冊 綾戸智絵 ジャズレッスン課外授業ようこそ先輩 別冊
綾戸智絵 ジャズレッスン

NHK「課外授業ようこそ先輩」制作グループ+ KTC中央出版 編
編集・制作:風人社
仕様:四六判 上製本208頁
定価:本体1,400円+税
発行:KTC中央出版
装幀:後藤葉子(QUESTO)
2000年10月28日発行

番組名「毛穴で感じるミュージック」
1999年5月21日 NHK総合テレビ放送
授業の場 大阪府大阪市立常盤小学校


小学校でライブ&レッスン
母校小学校での課外授業で、綾戸さんは6時限めいっぱい、 子どもたちとジャズを歌い、ジャズを語った。
テレビ放送には収まり切らないこのレッスンのほぼ全容の模様を、 収録ビデオから本書に再現した。 本で、ライブをお楽しみください。

音楽はね、耳の孔ではなく毛穴で聞くんです。お客さんのアンケートには、信じられないような感想があるんです。演奏に対して「楽しかった」というのはわかるんですが、「昨日まで疼いていた歯が治った」とか。(笑い)「昨日まで主人とけんかしてたのに、アイムソーリーと言えました」とか。音楽を聞いただけでそんなになるって、それはわたしの力じゃなく、聞いたあなたがすごい聞き方をしたんですよって言いたくなる。
昔わたしがニューヨークの教会でゴスペルをやっているときに、こんなおばあさんがいたんです。教会に来るのに杖をついて、数人に両脇を抱えられて(綾戸さん、ピアノから離れておばあさんのまねをする)”Grand Ma, are you OK?” 聞くなよ、ぜんぜんOKちゃうよ。もうやばいよっていう感じの、びっくりするようなおばあさんが来てるんですね。たぶん200歳近いと思うんですけど。(笑い) そして、教会でみんなで歌うんです。「♪アメージンググレイス(すごい迫力で歌う)ハレルヤハレルヤ!」ステッキはポーン(杖を投げるまねをしてスタスタと綾戸さん歩く)あれ、歩ける? ほんまかいや。(笑い)
なんかそこまではいきませんが、それに近い状態じゃないかな、音楽って。自分もその世界のなかに入ってきたんじゃないかと思うと、怖いなと思います。(綾戸智絵・ライブのトークから)


目次

綾戸さんの登校風景

授業1 わたしふうの自己紹介

授業2 ゴスペルを歌う

授業3 ビートルズ「レリピー」

授業4 「大丈夫。あるがままに生きよう」
【給食時間に】子どもたちからの質問
綾戸さんのアルバムから

授業5 足の先から髪の毛の先までの声で

授業6 エンディング レッスン

綾戸智絵 「ジャズ・レッスン」を語る


本書リード文より
綾戸智絵さんは、ジャズ専門家からジャズシンガーとしての高い評価を得て、1998年、40歳のときにCDを出してプロデビューした。その後、CD、ライブ、雑誌記事、テレビ紹介のたびに、ジャズ愛好家の閾を超えた、まさに世代を問わないファンが生まれた。雑誌などで、「今、もっとも注目されているジャズシンガー」との紹介がされている。
その綾戸さんが、NHKテレビ番組「課外授業 ようこそ先輩」で、一日、母校小学校の後輩の子どもたちとジャズを歌った。取材ビデオを見ると、それは、六時限まで目いっぱい長時間の「綾戸智絵ライブ」と言えるものである。
本書には、そのほぼ全容を収載する。この「ジャズレッスン」には、綾戸さんの生き生きとした人生のレッスンが重なっているように思える。綾戸ファンの読者も、あるいは、本書で初めて綾戸さんに出会う読者にも、本書のページのあちこちに溢れている、綾戸さんの音楽を行間から聞きとってもらいたい。

▶編集コラム『綾戸智絵 ジャズレッスン』


課外授業ようこそ先輩 別冊 綾戸智絵 ジャズレッスン

<本書から>
給食時間に子どもから綾戸さんへの質問

▼子どもの名前もイサなの
子どもたち いただきます。
綾戸 いやあ、感動やわー。(給食を食べる)わあー、おいしいなあ、30年ぶりやんか。
給食は、みんないつもこんな感じ? 学校でいちばん楽しいのは給食ですか?
子どもたち 休み時間と体育。
綾戸 体育? あたしはあかんねん。運動があかんかったんや。体育になったら、お腹痛くなったんや。
子ども ジャズシンガーになる前は、何をしていたんですか?
綾戸 おばちゃんしてた。それからお母さん。主婦もしてた。わたしには、九歳の子どもがいるでしょ。で、子どもが1歳のときにね、わたしは残念なことに離婚したんだけどね。でも、子どもといっしょにアメリカから帰ってきた。アメリカで子ども生まれたから、お父さんはアメリカ人だからね。それで、子どもが1歳のときに日本に帰ってきたの。だから子どもはね、うん、ハーフ。
子ども 英語は?
綾戸 うん、今ね、子どもは一生懸命NOVAへ行ってる。笑っちゃうよね、忘れちゃうんだよ。
子ども じゃあ、ジャズシンガーになっていちばん苦労したことは?
綾戸 うーん、ジャズシンガーになったときはね、やっぱり初めて入る社会でしょ。それは、小学校だっていっしょでしょ。その社会でつくる初めての友だちってのが、やっぱり大変だった。
わたしみたいにこんなにあっけらかんってしててもね、どういうふうに先輩にしゃべろうかとかね。
でも、今はね、まわりのみんながやさしいから大丈夫だけど。ジャズ自体よりも、その社会に入ることが難しかった。
子ども ピアノは三歳からって聞いたけど、ジャズを歌ってたのは何歳?
綾戸 もうね、お歌を仕事にしたのはね、高校卒業してからだから、25、6歳を過ぎてたと思うんだ。でも、歌を歌ってたのはね、もうピアノと同じようにやってた。
でも、プロフェッショナルって言われるのはこの二年ね。まだデビューして二年なんだよ。
子ども ピアノとジャズ以外に、他に楽器をやったことはありますか?
綾戸 楽器? 少し、ギターとかトロンボーンとかさわったことがあるけど、やっぱり続かなくて、ピアノがいちばん続いた。すぐにわかっちゃって、できないなあって。なんとなく。だから、ちゃんとできる楽器ってのは、ピアノだけだねえ。あとはみんなのように学校で習った木琴とかをさ、叩くけどね。でも、やっぱりピアノがいちばん自分に合ってると思う。
子ども 好きなタレントは、だれですか?
綾戸 いいこときくわねえ。  やっぱり若い人がいいなあ。あの、V6とか。SPEEDも好きだし、SMAPも好き。SMAPはちょっとおっちゃんになったけどさあ。でも、おばちゃんから見ればまだ若いよね。SMAPは好きだよ。あと、DA PUMPに最近凝ってる!
イッサっているでしょ? わたしの子どもの名前もイサっていうの。偶然いっしょなんだけどね。DA PUMPが好き。

▼太った小学生で、「あやぶー」

子ども 小学生のころのあだ名は?
綾戸 あやぶー。(笑い)「あや・ど・ちえ」とかね。大阪弁で「ど」とかつけるでしょ。「どあほ」とか言うじゃない。だから、「どちえ」って言われてたか、または、「あやぶー」だった。
わたし、ものすごく太ってたの、ほんと。だって、60キロ近く、50何キロあったのよね。小さいのにさ、すごく太ってて、顔がめりこんでた。
子ども 小学生のころの成績は?(笑い)
綾戸 すごいタイミングにきくねえ。見せましょうか?(アルバムは本書収載)これは小学校3年生。ぶーだろ、ぶー、だね、こんなんだったんだけど。
これは三年生のときに、ピアノ弾いてる写真。かわいいねえ。あの、先着一名様サイン付きで。だれもいらんか?
子どもたち いるいるいる!
綾戸 これね、小学校三年生のときで、みんながわたしのこと、太ってたから「あやぶー」って言ってたけど、ピアノが弾けたおかげで楽しくおもしろくすごせました。
質問なんだったっけ? あ、成績だ。もうわかったでしょ。今のぶーで。入ったときはよかったんだけど、出るとき、だいぶ下に落ちてた。でも、中学はね、この近所の「文の里」ってとこへ行ったんだよ。

▼おませでおしゃれだった

子ども 高校は?
綾戸 高校はねえ、1回変わった。お仕事してるのがばれちゃって。もう、ピアノ弾いてたの。夜、クラブで。だからそれは学校のクラブじゃなくってさ、夜のクラブで。お父さんの行くクラブで、ピアノを弾いてたのよ。だからそれがばれちゃって、それで高校を変わったかな。なんか見られちゃって、ばれちゃって。
これは綾戸さんが六年生のとき。かわいいだろ。だってこれ、1970年。これは自分のカメラの写真だから、きっとどっかの学祭に行ったんだよね。おませでさあ、もうこのころボーイフレンドがいたの。おませだね。で、中学か高校かボーイフレンドが行っててね、それで学祭によばれて行ったのよねえ。
子ども 今の彼氏に?
綾戸 今の彼氏にくるまで、150人ぐらい変わったから。うそうそ、これ、カットね。
このころはねえ、まだ6年生だもんね。万博って、知ってる?  大阪でねえ、千里に万国博覧会っていうのがあって、それに行った帰りかなんかで、これ、手編みのセーターを着てね。このころはまだパンタロンなんて珍しかったのにさあ、おしゃれだったからパンタロンをはいてるよ。
友だちと、これほら、友だちふつうの小学生でしょ、ミニスカートで。わたしだけパンタロンはいてさあ。目立つ子どもだったから。
だから、42歳になっても性格ぜんぜん変わってないの。いっしょなの。
子ども あとでサイン付きでほしい。
綾戸 ありがとう、サイン付きだって。他に?
子ども 仕事をしてて、楽しかったこととか、よかったことはありますか?
綾戸 あのね、さっきも言ったんだけどね、それは人に会えたこと。こうして小学校に来て、みんなに会えるなんてさあ、ふつうのお母さんだけだったら、自分の子どもの小学校にしか行けないじゃない。でも、やっぱり、こうやってみんなと会えたっていうのは、音楽をやってたから会えたんでしょ。
だから、仕事をしてることによって、いろんな人に、自分が絶対に行かないジャンルの人に会えることかな、それがいちばん幸せかな。
それと、やっぱりわたしのライブに来て「楽しかった」って拍手をもらったときが、いちばんうれしいよね。「やった!」って思うよね。それがうれしい。

▼なりたかったものになれた

子ども 今、自分がいちばんしたいこと?
綾戸 今? 今、仕事が忙しくなったんでねえ。みんなのご両親の中にも働いてる人がいるかもしれないけど、仕事をしてると、子どもと、もっといっしょにいたいなあと思うね。子どもは九歳なんだからね。
それで、子どもと、もっといっしょにご飯を食べたりすること。夕ご飯を食べることってめったにないから。だから、子どもといっしょにいる時間がもっとほしいなって思う。
子ども 小学生のとき、なりたかったものは?
綾戸 それはね、実は今のこれなの。もうそのときに思ってた。
あのね、六年生のときに、わたし「カプセル」っていうのを書いたんだ。みんなも書くのかな。卒業するときに、自分たちの「タイムカプセル」をつくって、それに自分の思いを書いて、土に埋めるの。わたしね、この常盤小学校でそれをやったんだよ。
それでね、そのときに、カプセルには「アメリカへ行って、音楽家になりたい」って書いたんだ。そしてね、「アメリカ人と結婚してねえ、アメリカに住んで、ピアノを弾いて、ジャズを歌いたい」って書いたの。だからそれが全部かなっちゃった。小学校のときに、すでに思ってたことが。
子ども そのカプセルは、掘り出した?
綾戸 掘り出してない。どっかにあるかもよ。

▼病気でも、生きてる時間を無駄にしないで

子ども 先生から「抗ガン剤をのんで・・・」って聞いたんだけども、どうしてガンになっても、歌い続ける気になったのですか?
綾戸 あのねえ、病気っていいことだねえ。みんなは病気したりさあ、Z君だって今、足を悪くしていても、がんばって治してるじゃない。ああいうふうに、あと、風邪ひいてもいっしょだよ。風邪も病気だよね。そしてみんないろんな悩みを持ってるよね。病気なんかでもさ。
でも、病気は治るんだよ。治るのに治らないと思って過ごすのと、治ると思って同じ病気のときを過ごすのと、同じ時間なら、時間がもったいなくて。病気だって思うと、ずんずんもっと病気になっていくのよね。
元気だと思えば、気持ちも元気になる。そして、自分のそれだけではいけないから、病院の先生とかと協力して体を治していくんだけど、その間の時間がもったいない。そのときに、下向いているだけの時間がないように。
みんなね、これはお昼の時間にはすごい話なんだけどさ、あたしも42歳で、みんなは10歳そこそこ。それでもね、みんな、わたしと同じことを一つだけ持ってるの。それはね、わたしたちみんな、死ぬの。死なない人は一人もいないの。怖いよね、死なない人はいない。それは、みんな同じなの。
でも、みんなそこでどんな生き方するのかが違うんだよね。同じなのはみんな死ぬことだから、そこまでいくのに、病気したりいろいろきついこともあるけど、それを病院の先生に助けてもらいながらなるべくしたいことをする。一生を無駄に終わらないように努力する。
一回はじけちゃうと楽なんだよ。「病気です」って言えないとつらいんだけど、「病気!」って言っちゃう。「痛い、助けて、助けて、歩けない、助けて」って言いながら、助けるのも勉強だからって思ってね。  だから、病気になったからって、命はやめちゃえない。そして歌えなくなったらさあ、手がある、眼がある、他のことができるよね。歩けるしさ、うん。耳がある。
だから喉を悪くしたときは、「手話」っていうの知ってる? あれをしようかと思った。もし、しゃべれなかったら、耳で聞いて英語がわかるから、アメリカ人の英語を聞いて、それを日本語に手話で訳そうかとかさ。ふつうの手話だけじゃなくて、通訳の手話をしようかとかさ、いろいろ考えた。
だから、みんなにできる可能性がいっぱいあるからさ、あたしも病気の人でも、元気な人でもみんなできることを考えて、生きてる時間をもったいなくしないで、いっぱい生きれる。

▼同級生がコンサートに来てくれた

子ども 小学生のとき、親友っておったんですか?
綾戸 いた。オギノ君っていうの。あのね、オギノコウスケ君っていってねえ、難波に住んでたんだ。その子は宝石屋さんの息子さんでね、男の子なんだけど、わたしが男みたいだから、あまり女の子と遊ばなかった。いつも男の子五、六人をぞろぞろ連れて、「うわー」とか言って遊んでた。ものすごく活発なやんちゃな子どもだったから。いわば、番長やねえ。
でも、どっちかっていうと、強きをくじき弱きを助けるほうの番長だけどさ。正義の味方やってたね。
で、オギノ君っていうのは親友だったのね。この前もね、ずいぶん離れてたんだけど、あなたの質問にクロスオーバーするけどさ、なんていうのかな、音楽やってたおかげで、新聞かなんかであたしのコンサー卜を見つけて、まったく永く離れてたオギノ君が、そのコンサートに来てくれた。彼もお嫁さんをもらっていいおじさんになって、また再会できた。
そやから、友だちとの再会も音楽でできたし、そういう小学校のときの友だちも、いまだにわたしの友だちだよ。

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