●2001年7月30日(月)
 またまた暑くなってきました。
 本日、「東京造形大学研究報」のポジフィルムスキャニングと最終的なフィルム出力等の見積もりをお願いしに、新宿にある大手出力センターに行きました。今までは営業の方が間に入ってやりとりをしていましたが、今回は窓口でやってみました。初めての取引では通 常のことですが、店の人によると、昨今の不況のため、(出力センター自己防衛のため)物と引き替えに現金かクレジットカードでの支払いのみの取引です。それで、ン十万もかい、という感じです。
  見積もりをお願いするのもけっこう大変で、製版台数計算や面付け指定を正確にしなければならないし、どのサイズのフィルムにするかなどの細かいことがわかっていないと、見積もりの依頼もできませんし、ほんとにそれが安くて合理的なのかどうかの検算もできません。私にとってはなかなか複雑で高度なことでしたが、これからのためにもいい勉強の機会だと思い、やってみた体験に感謝しています。本が出来上がるまで油断がなりません。
 車が来ているのに気を取られて歩いていたら、反対方向から歩いてきた人とぶつかり、韓国で買った安物の眼鏡がこわれました。会社に戻らなければいけないし、眼鏡がないと仕事にもならないので、そのまま眼鏡屋へ直行しました。左側の柄が折れたので右側だけを耳にかけて行きました。眼鏡屋に入ると、私が怪しい眼鏡をしているのと、殺気だった様子を察してすぐに対応してもらえました。その場ですぐに決めなくてはいけないという切迫感もあり、眼鏡を選ぶのがぜんぜん楽しくありませんでしたが、変な物を買っても毎日かけるものなので後悔しないように選びました。そこの店員の人が親切に壊れた眼鏡をアロンアルファでくっつけてくれて、今はそれをかけています。明日まではきっともつでしょう。
 みなさまも不慮の事故にご注意ください。(こ)


●2001年7月27日(金)
 25日に、雷鳴を伴った夕立が あったとき、版元のF女史が雨にあたったことを書きましたが、同じ日、深夜の帰宅時に自宅近くの駅で二度目の夕立にわたしも遭遇し、全身ずぶぬ れとなりました。まさに、絵に描いたような「対岸の火事」の反動でした。わたしの方が濡れ方がひどい。

 課外授業『瀬名秀明 奇石博物館物語』(仮題)は、博物館の資料頁を除き、一応のめどが立ち、著者校閲の段階になりました。今回は、山が二つでき、もう一つの山の博物館資料については、これから集中してがんばらねばなりません。それでも、5回目の原稿整理で、208頁の器のめどが立ちホッとしています。
 この本は、瀬名さんの小説『八月の博物館』と重なっています。諸説のファンタジックな面に関連づけられるよう、デザイナーの人に依頼済みです。
 お盆休みが近く、日程の調整が難しいのが悩みです。 (お)
●2001年7月25日(水)
 昼下がり、雷鳴を伴った夕立が ありました。窓から見た環七を行く車のワイパーが激しく動いていました。猛暑日照りの連日なので、ワイパーさえ、久しぶりの運動で喜んでいるように私には見えました。この激しい夕立にたぶん文句を言う人はいないだろうと思いました。
 ところが、この夕立の中、体をぬらして弊社に『『小林恭二 五七五でいざ勝負』の刷り上がり見本本を版元のF女史が届けてくれました。この人にとっては雨は災難でした。みんなの喜びの雨と思っていたのに、かわいそうに。しかも、しばらく雑談して、帰るときには、雨はすっかり上がっていました。
『小林恭二 五七五でいざ勝負』の出来上がりは、満足です。 F女史は、表紙も周辺の人にたいそう評判が良かったと伝えてくれました。嬉しいです。この本は、1400円。買ってみて下さい。十分に楽しめます。オビに書いたように、俳句を一度もつくったことのない人も、一句作ってみたくなりますよ。ここから申し込めます。ぜひ、どうぞ。 (お)

●2001年7月24日(火)
 瀬名さんの課外授業『奇石博物館物語』(仮題)は、第4次 作業に入っていますが、依然、山は越えていません。2・3日で越えようと思いますが、もちろんそれが最終の到達点ではなく、例によってその後の胸突き八丁があります。
 小学生がつくった「石の物語」はたくさんは収載できませんが、なかなかいい作品がありますよ。
 次の課外は、心臓外科の須磨久善さんで、ビデオ起こしがこちこち進んでいます。 (お)

●2001年7月23日(月)猛烈熱
 先週の火曜日に入稿した「化石研究会会誌」の刷り出しを今日の午前中に印刷所の方が届けてくれました。
 また、本日、「造形大学研究報」の最終著者校了紙を受け取りました。担当の教授は明日から長期海外出張に入るので今日まで寝る間も惜しんでいろいろな仕事を仕上げておられたようです。私に校了紙を渡してすっきりした顔をされていました。こちらはこれから入稿までの作業を頑張らなければいけません。(こ)

●2001年7月20日(金)海の日
 瀬名さんの課外授業『奇石博物館物語』(仮題)は、第3次原稿整理及び土台形成作業中ですが、昨日一頓挫しました。これはどの本の編集作業でもあることです。先の『奥の細道をゆく』でも、「大丈夫かな」という霧の中の経験をしていますし、課外のシリーズでは、毎回のようにあることです。
 しかし、「この山越えねば」という心境で、ここを越えなければ本が日の目を見ることはありません。ここを抜け出られることが本づくりの楽しみ・妙味であり、一日でも早くそれを得たい気持ちでいっぱいです。
 奇石博物館に取材に行った箇所は、本という「建造物」での新企画の部分で、そのコンテンツは、これから作成しなければなりません。この部分の編集が、博物館の特別 展示室のように、うまくいくように力を注ぎたい。もしうまくいけば、この本の読者は、きっと一度は奇石博物館を訪ねたくなるだろうと期待しています。(お)

●2001年7月18日(水)
 昨夜は久しぶりに雨が降りました。
 17日火曜日は、会社をお休みにして静岡県富士宮市にある奇石博物館へ、課外授業の瀬名さんの本のために取材に行きました。道路状況や天候に恵まれ、何事もなく往復できました。北垣さんという博物館の学芸員の方は、課外授業の際にもその博物館にいて、子どもたちの質問などに答えていた方です。とても親切で、館内とその外にある施設を案内して下さいました。説明を聞きながら展示物を見ると、全部面 白く見えるのがとても不思議でした。奇石博物館の敷地はけっこう広く、なぜかヘリポートまであり、どういう場合に使うのかという疑問が残りました。たぶん富士山がらみではないかと推測しています。
 博物館をあとにして、高速の富士インターに行く道の途中で、富士山の近くは水がおいしくてコーヒーもおいしい、という(お)の意見のもと、とある喫茶店に寄りました。スナックとお好み焼き屋を兼業していて、客は他にいませんでした。オレンジジュースとホットコーヒーしかできない、と店の女性に言われました。中央出版の(ふ)さんはアイスコーヒーのイメージしかなかったらしく、かなりがっかりしていました。コーヒーはまあまあでした。わたしのスジャータみたいなミルクは、分離していました。
 ということで、本日から課外授業瀬名さんをがんばっています。(こ)

●2001年7月14日(土)
 昨日無事『小林恭二 五七五でいざ勝負』の色校・青焼を校了しました。HPページ アップしました。
 次巻の瀬名 さんの課外授業の本は、2回目のビデオ起こしからの原稿整理をほぼ終えました。建築でいえば、まだ、基本設計図と土台作りの段階です。しかし 同時に実際の作業もやっていて、例えば室内の飾りだけが先に作れてしまうこともあります。材料・素材のなかに宝が見つかると、それをどこに飾るかを決めておくのも、この段階です。
 一つの大きな部屋作りのために、17日(火) 、富士宮の奇石博物館へ、一日がかりで取材に出かけます。みんなで出かけるので、当日弊社は休業状態で、電話はつながらないと思います。

 昨夜、帰宅途中の自宅近くで携帯電話が道の中央に落ちていました。手に取った瞬間、「ヤバイ、メンドウ」と、大変な難問の扉の前にいることに気づきました。
 もし拾ったのが千円札なら、黙ってポケットに入れてしまうほどの、私は悪人であり、1万円札なら、交番に届けるかどうか一晩中思い悩み、万札が10枚あれば、すぐさま交番へ走ってしまうほどの、臆病小心、善良な自分であることを考えました。
 携帯電話はそれがどれほど立派なものであろうと、私には無価値です。しかし、落とした人には、お金どころでない重大な心配ごとでしょう。私も一度携帯電話を落としたことがあり、このときは中ぐらいの悪人が拾って、また捨てました。そして遠いところ(原宿)の警察署に 届けられました。
 拾った私は、このときの中悪人に比べるとかなりの善人です。落とした人のことが心配で 「ヤバイ、メンドウ」な状況に陥ります。 見なかったことにしよう。落ちていた場所に戻そう。だが、しかし、次に拾う人は、私より善良である可能性はどれぐらいあるのか、という、普段考えもしない難問を突きつけらました。ひどいじゃないですか。仕事でくたくたの私に、私の人間性に関わるような問題について、その次の瞬間に明確な答を出せというのです。

1 私より善良な人はこの世にいない
2 私より善良な人は、 いてもせいぜい10人に1〜2人
3 まあ五分五分
4 ほとんどの人は悪人
5 私がこの世でいちばん悪人

 五択問題では、まあ順当に1と5は消去。さあ、私は、2〜3のどれを選んだでしょうか? そうですね。そんなことにみなさんは興味ありませんね。
 悪人に拾われて、あるいは私が悪人になって、この携帯電話からどんな冒険物語ができるか考えてみましたが、それは仕事の影響が頭いっぱいのせいですので、才能ない私は、すぐ止めました。
 携帯電話、どうなったかですって? ご心配なく、無事に落とし主の手に交番を通 して戻りましたよ。たぶん、落として1時間以内に。このときに気にとまったことはあるのですが、それを書いていると仕事になりませんので。(お)


●2001年7月13日(金)
 毎日利用している小田急線の線路枕木が、高温で自然発火して煙を上げたそうです。新聞には「線路も燃える暑さ」というような見出しで出ていました。猛暑、お見舞い申し上げます。
 昨日、課外授業の小林恭二さんの本、色校・青焼が届き、今日校了します。今回は、火事場・戦場にはならない予想です。では、これから、仕事をします。皆様も、今日の暑い一日、元気でいきましょう。(お)

●2001年7月11日(水)
 当地に引っ越ししたとき、近くの銀行に口座開設しようとしたら、「法人は会社登記簿が必要です」と言われ、以前の銀行も遠くなかったので、そのままにしていました。最近、登記簿謄本が必要あって取ったことと、別 の必要もあって同じ銀行に行ってみました。20分も待たされたあげく、登記簿を出して開設を申し込んだのに、「ごく最近になって、登記簿だけでは駄目で、会社実印の 印鑑証明書が必要」と言われました。幽霊会社の口座をつくって、そこに詐欺で送金集金し、閉鎖して逃げる人がいるので、当局から開設の審査を十分にするように指導されているとのことでした。最近、怪しげな人と疑われたり、詐欺会社かもしれなくて通帳一つ作れなかったり、「何?」という些細な出来事が多いです。登記簿だって印紙代1000円もするし、平日日中の忙しいときにさんざん待たして、そのうえまた法務局へ印鑑証明を取りにいくなんてたまりません。(お)
●2001年7月10日(火)
 『奥の細道をゆく』が、嬉しいことに増刷になるかもしれないとの連絡を版元の山サンから受けました。現在、在庫はないそうです。この夏、みちのくに旅される方はぜひ、本書を読んで下さい。那須野はいいですよ。

 昔から、写真や録音テープが何となく嫌いで、避けていました。それを、人は自意識過剰のせいだと言っていました。先日、取材インタビューの録音テープを聞き返してみて、全くの赤面 、自意識過剰くらいならまだかわいいと思います。ひどいぼけですね。自分のふだんしゃべっていることが、こんなにくだらなく、間違いが多く、論理矛盾で、自分のセンスからは許せないあほぶり、まったく嫌になりますね。これを自意識過剰というなら、もっと意識して少しは話している自分に注意しろ、と叱りつけたくなります。いや、実際にとても気にしています。もっと、自分の写 真や鏡や、録音で自分を知った方がいいでしょう。(お)

●2001年7月9日(月)
 『小林恭二 五七五でいざ勝負』(課外授業ようこそ先輩)が、今日午後5時に無事入稿しました。 青焼き出校は12日、校了は13日の予定です。月内に取次納品になります。店頭で見かけたら、ぜひ手にとってご覧ください。
 明日より、「課外」については、 瀬名さんの本で頭がいっぱいになります。17日に奇石博物館来訪の予定が立ちました。富士山の麓だそうで、久しぶりにいい空気をすってきたいと思っていますが、この取材は重要で、仕事の面 では緊張しています。
 綾戸智絵さんの本は、版元の担当女史の会場販売の甲斐あって、8月には3刷り増刷になる見込みだそうです。うれしい。

●2001年7月6日(金)
 「あゆみの箱 」の野田さんの聞き取りのために、デンスケ(今はコンパクトなカセット録音機)を持って事務局にお訪ねしました。今日は80分くらい。
  実業家で成功する人は浮き沈みが激しく、その意味では波瀾万丈の人生ですが、勝ちっ放しというのはありません。よくできているものです。負けっ放しもないに決まっていますが、過日、こんな負けっ放しの人生もあるのかと驚き、 とても関心を抱いたことがありました。きっと、すごい反面のいい話があるはずと直感し、もし、これにモチーフを感じるルポライターがいたら、きっといい本がつくれるのに、という空想で終わりました。
  最近、弊社の注文フォームから『小さな命を救いたい』の注文メールが連日あります。この本のために弊社のこのHPに入ってくださった方々、ありがとうございます。お礼申し上げます。(お)

●2001年7月5日(木)もっと暑い
 日中の猛暑のなか、出かけました。駅のホームで電車を待つ人の顔も腕も赤らんで、「ムアー」という暑さでした。「うだうだ」という雰囲気がいっぱいの昼下がりでした。
 課外小林編の本の印刷所入稿の日程が早まり、7月9日(月) となりました。今月末から来月初には店頭配本になりますので、ぜひごらんください。と言っても、今、まさに最後の校正をしています。
『奥の細道』が、新聞広告のおかげさまで、まあまあ売れているようです。とても嬉しいです。(お)

●2001年7月4日(水)また暑い
 冷房を入れたままでコピー機を使うと、ブレーカーが落ちてしまいます。何という会社でしょうか。めげずに何とか配線の違うコンセントを探し、今日は二台の冷房機の同時運転に成功しました。これで何とか夏を過ごせそうです。
  「課外授業ようこそ先輩」の『小林恭二 五七五でいざ勝負』は、入稿間際の作業に入っています。この本は、子どもたちが句会で遊ぶ授業が行われますが、これがなかなか面 白いのです。一等二等などの競争選別をさける傾向のあるなかで、ここでは文芸的な作業にはっきりと点数投票で壮絶に(?)闘い合います。小林さんによると、「俳句は作った瞬間もう自分のものでなく、みんなのものになる」ので、いい作品は選評でそれぞれみんながいただくのだそうです。この点数主義の徹底したゲーム感覚は、なかなか面 白く、はまりそうですよ。それに、初めて作った子どもたちの俳句(全員もれなく掲載)もよくできていて感心します。
 次の瀬名秀明さんの本については、「奇石博物館」の取材を予定していますが、そこでどんな石を調べて来るかのリストが上がりました。小林さんの本が校了すれば、すぐにでも博物館に編集部で訪れたいと思っています。 (お)

 昨夜作業し終わったデータを、今朝出力しようと思ったら、原因不明のデータ消失が起きていてショックを受けました。いちばん手間がかかった部分だけが消えているのは、がっかりです。原因が分からないのは本当に困るのですが、機械相手なので仕方ありません。しかも操作したのは自分だし、自分の意識しないミスで自ら消してしまった可能性も否定できません。今までにも幾度かデータ消失事件を起こし、無言の圧力をうけながら作業しましたが、今回のはそんなに重度ではないので、出力し終わった今、なんだかはればれしています。(こ)
●2001年7月3日(火)今日も暑い
 KAZESAYAGE 62号を今日発行しました。発送は明日。
 2週間ほど、日程に追われない状態でしたが、今日から臨戦態勢。課外授業『小林恭二 五七五でいざ勝負』の関係者校正がいつになくのんびりスケジュール です。いろんな事情が重なりました。「詰めをしっかりしろ」と急に自分に言い聞かせました。来週の初めには入稿予定としました。
「化石研究会誌」は、再校出校しました。こちらは順調で、著者校了をまって入稿します。 (お)

●2001年7月2日(月)暑い
 「あゆみの箱」という募金箱があります。私も最近はあまり見かけません。ご存じでない方も多いかもしれません。この募金活動は、本年で39年目を迎えました。来年の40周年に向けて、今までの歩みとこれからの展望を考える一冊の本を編集する依頼を、今年初めから受けていました。それがなかなか歩み出せず、袋小路にはいったような状態でしたが、今日、事務局長に、もう4、5回目になりますが、あらためて相談に伺いました。事務局長の野田さんのお話には、人生の大変重いものがあり、そこから湧き出た「あゆみの箱」の歴史ならば、きっと読者の心に伝わるものがあるのではないかと感じるところがあり、今日お伺いして、とてもよかったと思いました。
  野田さんからは、「以前に比して先細りの感は否めません。 この39年の間、あゆみの箱のメンバムがあまりにも多くこの世を去っていかれまし た。そして、何よりも時代の激しい変わり方です。 しかし、未だに募金箱は健在です。今でも、しっかりと、各地に根づいています。 来年、40年を迎えるに至って、そのプレとして、遥か40年前に帰って、 故伴淳三郎が始めて「募金箱」を持って有楽町の街頭に立ち、道行く人々に声をからし呼びかけた、ことを思い「あゆみの箱」原点に戻るということで、街頭募金を行う ことを考えました。銀座ソニービルさん のご協力で下記の要項で実施致します。」との案内をいただいています。
 日時は、 平成13年8月3日(金)13時・15時(1時間2回)と8月4日(土)13時・15時(1時間2回)だそうです。「男はつらいよ」のとらやのおばちゃん他、俳優の幾人かの方が募金に立たれるそうです。弊社も取材に参加する予定です。(お)