8/10/06

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国木田独歩(くにきだどっぽ)
1871年(明治4)8月30日 千葉県銚子市生まれ。
本名は哲夫。1908年、肺結核のため36歳で亡くなる。

2006年8月10日(木)

 国木田独歩の文学全集を図書館で借りました。大山街道沿いにある溝口宿の亀屋という旅館が舞台になっている小説『忘れえぬ人々』を読むためです。亀屋さんは、そこのご主人自身がモデルになっていることもあり、とても嬉しかったのか、記念碑まで旅館の前に立てました。現在、亀屋さんは廃業され、この文学全集を借りた高津図書館に石碑は移されています。

川崎市立高津図書館にある国木田独歩の記念碑

 文学全集には田山花袋や正宗白鳥など明治の作家5人の作品が入っていました。国木田独歩は一番最初に収載されていて、しかも冒頭が有名な『武蔵野』です。昔の本ならではの2段組で文字もびっしり詰め込まれた組版ですが、あまりページ数がなかったので、この機会に読んでみたらもしかしたら文学好きになれるかもしれないと、少しずうずうしい期待をしながら読み始めました。
 ところが、私は理解能力というか許容範囲がなさすぎて、早くも2ページ目で「これはだめだ」と挫折しました(他のページもとばし読みはしたのですが)。国木田独歩が武蔵野が大好きだ、ということはわかったのですが、ちょっと熱過ぎる気がしました。1ページ目は、素晴らしいと聞いていた武蔵野に訪れることができた喜び、2ページ目は日記形式で礼賛しているという感じでした。そのあとも詳細な武蔵野の四季や自然の記述が続いていました。

 気を取り直して本命の『忘れえぬ人々』を読みました。こちらは面白く(また読みたいというほどではないが)最後まで読むことが出来ました。

 亀屋に文士の大津という主人公が投宿し、夜、そこにいた秋山という画家と一緒に飲んでいるときに、大津の書きかけの「忘れえぬ人々」という原稿を、「ちょうどここにあるけど、今は自分で話したいから」見せずにわざわざ語る、という設定です。
 その原稿に書かれているのは、大津の印象に残っている何人かの「忘れえぬ人々」のことですが、何人かの説明をして、亀屋での秋山とのやりとりは終わります。そして、小説の最後に「忘れえぬ人々」の一人として亀屋の主人が出てくる、(かなりわかりづらい説明で申し訳ありません)という感じです。
 川崎市の大山街道を紹介しているホームページによると、「当時旅館であった溝口の亀屋に一泊した。このことが独歩の作品『忘れ得ぬ人々』のモデルとなり、この作品によって独歩は明治文壇に不動の地位を築いた」 とのことなので、かなり重要な作品であったことがわかりました。

 何人か出てくる「忘れえぬ人々」のエピソード中で、大津が実家の山口へ帰省するために船に乗っていて、小さな島を通り過ぎて行くのですが、遠くに見えるその浜辺で一人の男が何かをすくっている、これが忘れられないという話があり、私はその男性が何をやっているのかとても気になりました。(独歩が、その男性が何をしていたのか気になって忘れられないのか、自分の帰省する心境と小さな島の男性を船から眺めているという複雑なシチュエーションが忘れられないのかはわかりません)

 実家に、私が生まれる前からだと思うのですが、祖母が毎月定期購読みたいに買っていた文学全集があります(1冊290円という値段に時代を感じます)。祖母はきっと読もうと思っていたはずですが(もっと歳をとってからか? 十分としだったのですが)、残念ながらその前に亡くなってしまいました。
 その文学全集は、家族の誰にも読まれることなく、邪魔扱いされ、二階のトイレに積まれていたこともありました。
 大学生の時、友人にこの文学全集の話をしたら、読書をしたいから何でもいいから貸してほしいと言われ、タイトルが面白かったのでバルザックの『ゴリヨ爺さん』を持っていきました。数日後、本を返しに来た彼女は「こんな話は許せない、ゴリヨじじいめ」と怒り、その後、本を貸してほしいとは言わなくなりました。彼女の読書の芽を摘んでしまったのかもしれないと思うと、くだらない本の選択の仕方を申し訳なく思います(そんなことを言われたので、『ゴリヨ爺さん』は怖くて読めません)。
 今回の国木田独歩は、『ゴリヨ爺さん』のレベルでは全然なかったのですが、ちょっと文学に熱くなるまでにはならず残念ですが、また機会があるでしょう。
 本にかかわる職業についていながら、自分の読書量の少なさはヤバイと思いつつ、文学作品への道のりはまだ遠そうです。