(以下の文は、風人社発行のウォークマップ「ホントに歩く東海道」第6集のマップNo.21裏面「コース解説」本文冒頭をそのまま、引用しました。マップ解説の立ち読みとしてご覧いただければ、幸いです。)
江尻と清水港を結ぶ「港国道」
第6集では、江尻宿(清水)から藤枝宿までを歩く。東海道は、江尻宿を出ると、海岸線(駿河湾)から離れて内陸部を行くことになる。北の山岳部と南の日本平の丘陵の間を通る。東静岡までの東海道は、巴川に平行に沿っている沢筋の道であるが、じつは東海道より新しいJR線と国道1号は巴川寄りの低地を行き、旧東海道は(湿地を避けて)日本平寄りの斜面中腹を等高線に沿って通っている。草薙あたりで、道中、左右を見ると、右(北)は低地を見下ろせ、左(南)は高台への傾斜を感じて見ることができる。建物が密集していない時代は、さぞ展望がよかっただろう。
「江尻」とは、巴川下流(河口)入江の端(尻)の意味というが、また、駿河湾のいちばん奥底(尻)でもある。湾沿いに行けば、世界遺産の名勝三保の松原方面に向かい、そのずっと遠くの湾口は、御前崎である。江尻の名は、今では地名としてはあまり使われず、「清水」が一般的で、江尻は東海道五十三次江尻宿を意識したときに使われている。
清水と言えば、何といっても清水港と清水次郎長である。清水港は、交通の要衝であった。第5集で見た富士川水運の甲府から江戸への中継地として重要だった。大坂への海運もあった。江戸時代は駿府の外港として、巴川の水運が利用された。巴川は東海道と並んで流れて、府中につながっている。
「清水港の名物は、お茶の香りと男伊達」、清水港も清水の次郎長のゆかりの史跡(コラム「ホントに歩く清水次郎長」参照)も東海道からは離れるが、「清水」を体験するには寄道したいものだ。美保の松原も東海道からは遠い。
明治時代の地形図(下)を見ると、江尻町と清水町は全く別の集落であり、最短の直線で結ぶ道は、明治初期でもなかった。二つの町をつないでいるのが久能道B❶である。上清水で左折して清水町へ入るが、そこでは追分から来た志みづ道B❷と合流する。久能道の沿道には人家が並んでいる。また、地図上で、清水町は建造物の密集を示していて、明治初期も賑やかだったことがうかがえる。
ところで、JR清水駅は、上図の鉄道のカーブする手前あたりに建設されたが、新しい国道1号線(現在の東海道)は、駅前で右折する。その交差点に、国道149号終点の道路元標がある。
総延長2・6㎞で日本で6番目に短い国道と、説明されている。一番短い国道は、神戸の174号で0・2㎞である。149号は、1号を右折せずに直進し、清水港へ至る。巴川の羽衣橋を渡ったところで150号に引き継ぎ、焼津へと続く。東海道の国道1号線が内陸部を通過するのに対し、150号は駿河湾・遠州灘に沿うように大きく日本平の南に迂回している。
重要港湾・飛行場と主要国道を結ぶ一般国道のことを「港国道」と呼ぶそうだが、149号は、まさに港国道ゆえに清水港を起点としているのだ(神戸の174号も港国道)。
2014年04月24日 (Thu) FC2ブログ 風人社OHの編集手帳からの転載