先日(2013年3月23日)、大津~山科へ歩いた現地調査の記録をメモします。
書きかけで、誤記や思い違いがあるかもしれません。お気づきのところは、お教えください。修正してまいります。
また、この記録は長文で、直接東海道に関係のない私的な思い出のメモをたくさん書いていますので、不要部分は読み飛ばしてください。
数回に分けてアップします。

浜大津へ

京都・蹴上からの三条通は、私の子どものころは、国道1号と言っていました。今は府道で、通称は三条通だそうです。京阪電車は、この三条通(旧国道1号線)に沿って山際を走っていました。「九条山駅」という停車場の風景をよく覚えています。今、母はこの近くの老人施設に入っています。

京都市役所から地下鉄東西線に乗ると、この九条山の下を通って、御陵駅から京阪電車京津線に乗り入れになっていることを知りました。地下鉄山科駅とすぐ隣の京阪山科駅は別経路となって、京阪で降りると別料金がかかりますと何度も車内アナウンスが流れていました。初めての人にはたしかにわかりにくいでしょう。

乗った電車が京阪乗り入れで浜大津行きだったので、そのまま終点まで行くことにしました。
九条山も浜大津も若い日の思い出が多い地名です。父は、三条通で材木店を営んでいました。子どものころ、父の仕事の自動車(そのころ自動車は町内で二軒にしかありませんでした)で、店に連れて行ってもらうとき、そして帰るとき、必ず九条山を通りました。

浜大津は、町内会の「海水浴」へ行くときの経由地でした。そして祖父と父の故郷、奥滋賀の今津へ行く「江若鉄道」の始発駅で、京津線からの乗り換えの町でした。
「海水浴」の「海」とは、琵琶湖のことです。私の子どものときの「海」は、琵琶湖のことでした。「琵琶湖周航の歌」には、「我は湖(うみ)の子白波の」とあって、さすが歌詞には 、「湖」と書いて「うみ」と読ませています。

江若鉄道は、真偽は知りませんが、当時キロメートルあたりの運賃が日本で一番高い鉄道だなんて、子どもの耳にも入っていました。
でも、浜大津は賑やかな町でした。この日は地下鉄から直通の浜大津駅へ行ってよかった。JR大津駅に行ってしまったら、大津港も見なかったかもしれません。大津港は、本当に海に出て行く港のように大きくて立派でした。

港の駐車場にサーカス団のテントがあって、この風景も昔を思い出させました。テントからは若い外国人が出てきたけれど。

大津港サーカス
大津港サーカス
東海道 大津城跡
大津城跡
東海道 大津城石垣
大津城石垣

大津市街

大津市は城下町でした。港に大津城跡碑が、浜町に大津城石垣が残っています。こういう町は、街道歩きで通過するときに。もし史跡などの見所廻りなどを始めたら、立ち寄るところが多すぎて、その日のうちに町から出られなくなるかもしれません。
(大津東部の義仲寺、石場の常夜灯、小舟入の常夜灯などは、草津から大津に入るときにまわしました。)

それでも私は、町中をぐるぐるしてしまいました。この日の現調では岡本永義さんの『東海道五十三次 400年の歴史を歩く』(けやき出版)を主なガイド本として参考にさせていただきました。
その本の中で岡本さんは、大津の町を「もったいない町」と小見出しをつけて、市街の裏道の町屋作りの建物や国宝、重要文化財が市中にはたくさんあるのに、京都・奈良に比べて観光客が少ないと書いています。

大津市立図書館にまず寄って、郷土資料室で市の案内地図をコピーしました。市内については、そのガイドと大津駅前の観光案内所でいただいた「おおつ街あるき」マップを参考にしました。

彦田稲荷神社、石田家住宅、大津別院、華階寺、天孫神社、滋賀県庁、大津地方裁判所などを回って、旧東海道に入りました。大津港には観光客らしい人がいましたが、たしかに町中で観光客の姿はこの日は見かけませんでした。

東海道 大津別院
大津別院

江戸時代の建物ではありませんが、古い町並みに雰囲気があります。「京町通り」という地名があり、道の案内柱には「京都への道筋にあたる通り」とありますが、なるほど町並みも、私には見慣れた京町屋風景ととても似ています。

東海道 大津 町屋風景
町屋風景

旧東海道に、「此附近露国皇太子遭難之地」碑があるのですが、見逃して行き過ぎてしまいました。写真のような何とも味気ない・・・。

東海道 「此附近露国皇太子遭難之地」碑
「此附近露国皇太子遭難之地」碑

大津事件は、大津観光マップのどれにも記載されているほど有名なのに。明治24年(1891)に訪日中のロシア帝国皇太子ニコライが、警備の巡査に斬りつけられました。この皇太子負傷事件は、その事件そのものよりも、裁判に干渉した行政から司法の独立を維持したという、日本法学史上の重大事件として有名なのでした。

大津聖マリア教会、和菓子の鶴里堂を左に見て通り過ぎ、札の辻で左折します。直進すると、三井寺経由山科への小関道です。こちらも有名な道ですが、いつか歩けるでしょうか。観光案内所の人に、「小関道を歩かれますか?」と聞かれました。

先ほど乗ってきた京阪電車の懐かしい路面軌道です。札の辻の交差点名は京町一丁目で、道の角に「大津市道路元標」がありました。左折した東海道の行く手には逢坂山が見えています。

右側すぐに、近松別院の道標がありました。「蓮如上人近松御旧跡 是より半町 京・大阪 江戸・大津」とあります。この道を入ると、正福寺。続いて本長寺があって、そこの石柱に「大津代官小野氏の墓」とあります。旧東海道に戻って、道を渡ったところに明治天皇旧跡の碑と大津宿本陣跡の案内板と説明柱が立っています。

東海道 明治天皇旧跡の碑と大津宿本陣跡
明治天皇旧跡の碑と大津宿本陣跡

ここから先、いよいよ大津宿を出て京へ向かいます。

2013年03月29日 (Fri)FC2ブログ 風人社OHの編集手帳からの転載

【該当マップ】 『ホントに歩く東海道』新訂第15集(南草津〜三条大橋、伏見)

ホントに歩く東海道 新訂 第15集