「私の耳は貝の殻 海の響きを懐かしむ」というジャン・コクトーの詩(堀口大学訳)をふと思い出した。沼津・要石神社を郷土史家の仙石規(ただし)さんにご案内していただいて訪れたときのことだ。

県道380号線を車で行ったので、神社を見つける目印がわからず、適当なところで松林の中へ駐車して、探すのに少し手間取った。徒歩で旧東海道の県道163号線からは、一本松バス停から150Mほど原駅のほうへ戻ったところに道があって、JRの線路を越えることができる。380号線に出てちょうど同じく150Mほど西へ行くと、道路沿いの浜辺側に神社の案内板を見つけられる。

東海道 沼津 要石神社案内板
要石神社案内板

高潮、来る事なし

要石神社のことは、「東海道名所図会」(1797年)にも紹介されている。沼津市教育委員会発行の資料には、「要石は駿東郡原町一本松新田の、海浜にあり、傍らに石の祠あり、高潮上ぐる時といえども、此の石より上に陸地に来る事なし、故に呼んで、要石と言う」という「富士登山の栞」を引用している。
東日本大震災後の津波報道でも、ここから先は津波は来ないという要石の話題があったが、この沼津海浜の要石の位置では、あの津波の映像を見た後では、安心できる位置ではないなと思ってしまう。

大鯰(地震)を抑えて

要石は、大潮が達する目印だけでなく、津波の原因である地震を抑える石でもあった。同資料には次のようにある。

「要石は地上に顕われたる部分はわずかであるが、地中に隠れたる部分は実に大である。祠より北三町をへだてたる、大橋源太郎氏宅地井戸端辺の間に広がった一面の巌石で、太古地中に大鯰が居て数々動きて地震を起し人畜を害した、依って此の大岩石を彼の鯰の頭上に載せ以て自由に動く事が出来ないようにした。因ってこれを要石という」

つまり、大鯰が地震を起こすというので、その鯰を押さえ込んでいた石が要石だというのである。

東海道 沼津 要石神社
要石神社

他の要石神社を調べたら、有名なのは茨城県鹿嶋市の鹿島神社と千葉県香取市の香取神宮の要石があった。鹿島神社は大鯰の頭を、香取神社は尾を抑えているという。
そうすると、鯰の頭を抑えた要石神社と大橋源太郎氏宅地井戸端には、尾を押さえるもう一つの要石があるのだろうか。いや、そこまで大岩がつながっているという伝説なのだろうか。
大橋家というのは、一本松新田の開拓者だったそうで、2代目大橋五郎左右衛門が寛永年間(1624〜45要確認)年に神社を創建したとある。祭神は農業の神、天津彦火瓊瓊杵尊(アマツヒコホコノニニギノミコト)。

穴空き石は耳の祈願石

冒頭に記したジャン・コクトーの詩は、なぜ思い出したのだろう。じつは、この神社にはもう一つの伝説の石があった。
穴の空いた石を祠の前に置いて祈願すると、耳の悪い人は必ず治ると言われているのだ。たくさんの穴あき石が置かれていた。

沼津 要石神社の穴空き石
要石神社の穴空き石

この穴は、窄孔貝によるものだ。ジャン・コクトーの貝殻は、耳に当てると海の響きが聞こえる。穴空き石が、耳の悪い人が聞こえるようになるというイメージにつながるからなのだろうか。
そういえばここの案内していただいた仙石さんは、耳鼻咽喉科医院の院長先生である。医院の診察券に穴空き石のイラストを入れたらご利益あるかもなどと冗談を言いながら祠の前で手を合わせた。

2013年06月28日 (Fri)FC2ブログ 風人社OHの編集手帳からの転載

【該当マップ】 『ホントに歩く東海道』第4集