逢坂の関

大津宿本陣跡の先の上栄町で、京阪電車は国道161号線の路面から右方向に離れます。逢坂山越えの京阪電車については記したいことがあり、「その3」で後述します。
右側に、古めかしい銭湯がありました。

東海道 大津宿 銭湯
大津宿 銭湯

その先で右折して踏切を渡り、山に入っていくと、重要文化財の「長安寺宝塔」があります。一帯には石仏や灯籠などが雑然とあって、階段道はどんどん山の中へ入っていくのですが、私はこのあたりで深入りを終了し、旧東海道に戻ることにしました。

妙光寺に寄りました。京阪電車の踏切にくっついて鳥居があって、ここを電車がすり抜ける光景を写真に撮りたくなりました。

東海道 大津宿 京阪電車
京阪電車

JR東海道線が東海道の橋の下を走りますが、ここに見える煉瓦のトンネルは、大正時代のものだそうです。

大正時代のトンネル
大正時代のトンネル

すぐ先に、関蝉丸神社があります。蝉丸神社は、これから逢坂の関を挟んで下社と上社と2社あって、合計3社あります。
蝉丸といえば、百人一首。子どものころ、百人一首カルタのほうはできないので、「坊主めくり」でよく遊びました。嫌われ者の蝉丸は有名でした。「これやこの ゆくもかえるもわかれつつ しるもしらぬも あふさかのせき」。盲目の琵琶の名手。それで、芸能の神様として祀られています。この神社には、重要文化財の石灯籠(時雨灯籠)があります。岡本さんが記すように、確かに野ざらし状態でした。

重要文化財の石灯籠(時雨灯籠)
重要文化財の石灯籠(時雨灯籠)

京阪電車の踏切の先に安養寺があります。案内板には、「重要文化財・阿弥陀如来座像が安置されている」と記されていました。また、「境内の立聞観音は、古く東海道名所図会に記載されて有名である」ともありました。立聞観音とは、琵琶を弾く蝉丸の背後で立ち聞きしていた僧のことで、じつは安養寺の観音様でした。この観音様は、お寺に事前に連絡すれば拝観できるそうです。

少し行くと、トンネルの入口跡が残されています。明治13年(1880)に日本人だけで作られた最初のトンネルだそうです。

明治13年のトンネル
明治13年のトンネル

この先で道路右側の歩道がなくなります。国道161号と国道1号の合流(分岐)点です。まず161号を渡り、次に1号を渡るのですが、信号待ちが長くて青色に変わらないのではと不安になります。けれど、この激しい交通量で、信号無視では絶対に渡れません。ようやく向かいに渡ると、お寺が見えたので京阪電車の線路を渡って寄ってみました。念仏寺と書かれていました。

しばらく国道1号の左歩道を行くと、「日本一のうなぎ・かねよ」の案内板が見えました。その先で鮮やかな朱色の囲いが見えて、それがすぐに蝉丸神社上社だと分かります。立派ですね。

蝉丸神社上社
蝉丸神社上社

『東海道五十三次 四百年の歴史を歩く』の著者岡本永義さんは、わざわざ「押しボタン信号で国道を渡る」と書いていますが、それは、正確です。たった一人の横断のために両方向の車の激しい流れを止めて渡るので、運転手さんには申し訳ない気持ちもするのですが、そうしない限りここは渡れません。
その次には、弘法大師堂があり、ここには立派な「逢坂常夜燈」がありました。

少し進んだ左側に「逢坂山水車谷不動尊道」という看板があって、気に留まりました。比叡山千日回峰行(『なぜ歩くなぜ祈る 比叡山千日回峰行を撮る!』2005年)の現地取材のときの、悲田谷へ降りる道のことを思い出しました。

そして、「逢坂關跡」の立派な石碑と常夜燈がありました。ここで旧道は二股の右へ入ります。入口に休憩所とトイレがあります。

東海道 中山道 逢坂關跡
逢坂關跡

日本一のうなぎ・かねよ

かねよが「日本一のうなぎ」とは知らなかった。東海道のガイドブックに載るほどに有名だとも知りませんでした。私にはとても懐かしい思い出深い店です。かねよは、江戸時代に峠の茶屋だったそうです。

日本一うなぎ かねよ
日本一うなぎ かねよ

私の子どものころには、家族で外食に出かける習慣は少なくとも私の家ではありませんでした。どういう経緯だったかは母に聞いてみないとわかりません。母はすっかりぼけてしまいましたので、思い出してくれるかどうか。

父を若くして亡くしましたので、たった一度のことだったと思います。父母と姉と私でこのかねよの、庭に面した個室でうなぎをいただいたことがありました。
私は、はしゃいで庭に出て、噴水の蛇口をひねり、水をかぶってびっくりしたことを覚えています。この日私は本店の庭を歩いてみましたが、向かいのレストラン部には数組のお客さんの姿があったのに、ここは私一人きりでした。待合室で注文のうなぎが焼き上がるのを10分ほど待つ間に「桜香湯」を出していただきました。塩味のおいしいこと。

自分の名案に拍手したくなりました。ここで「きんしうなぎ丼」のお弁当を買って、帰りの新幹線で食べようと思いました。これで、いつものように京都駅のお弁当売り場で何かいい弁当はないかと右往左往しなくてもいいのです。 しかも、このうなぎ弁当は、現調の取材にもなりますものね。

和服のお店の女性が、玄関まで見送ってくださって、「6時までに食べてください」と言われたのですが、ちょうど6時くらいになるでしょう。ここから新幹線車中でこの弁当を開くまで、背中のザックが温かく、そしてときどきうなぎの香りがしてくるのでした。

京都へは、母の見舞いなどもあって、頻繁に行かなくてはならない事情があります。このところ2回連続で、ぼんやりと指定席の列車を乗り過ごしてしまって、結局自由席に乗ったことがあり、今回は乗車券の席番号をよく注意して見てみました。
「いいヤツは(のぞみ180号)、良い(4号車)旅、いつもいちばん(11番)イイ席(E席)で」。こんな語呂合わせはいつもやりませんが、故藤田恒夫先生は、弊社本のエッセイ(『鍋のなかの解剖学』)で、忘れものをした新幹線の席を「いちばんいいせき(1番E席)」と覚えていたとの記述を思い出したからです。

新幹線の中でお弁当を開けると、まだご飯はあたたかく、卵焼きも写真のような豪華なものでした。私がいただいた「きんしまむし」(きんしうなぎ重)は、子ども用だったのでしょう。3ミリ幅長さ3センチくらいの薄い卵焼きを短冊に切って、同じ形のうなぎの短冊と半分半分に混ぜ合わせたような記憶があるのですが、違うかな。

かねよのお弁当
かねよのお弁当
「きんしまむし」(きんしうなぎ重)
「きんしまむし」(きんしうなぎ重)

ごくまれに、京都の姉とふたりで昼食を外で食べるとき、「何を食べる?」と言うと、「うなぎ」と、ふたりとも同じことを想っているのでしょうか。姉もかねよの思い出があるのだろうと思います。

ここから先、いよいよ大津宿を出て京へ向かいます。

2013年04月02日 (Tue)FC2ブログ 風人社OHの編集手帳からの転載

【該当マップ】 『ホントに歩く東海道』新訂第15集(南草津〜三条大橋、伏見)

ホントに歩く東海道 新訂 第15集