この話のカテゴリーを「東海道ウォーク」に入れましたけれど、東海道とは関係ない話題です。 ただ、東海道ウォークマップの現調で、大磯の現地調査のとき、エリザベス・サンダースホームに寄ってみました。


ホームの名前だけは、うんと昔から聞き知っていましたけれど、まったく知識はありませんでした。大磯駅前の一等地の小高い丘に聖ステファノ学園小・中学校があって、そこに澤田美喜記念館がありました。三菱財閥創始者の岩崎弥太郎の孫娘である沢田美喜が、戦後、連合国軍兵士と日本人女性の間に生まれた孤児たちのために設立した孤児院でした。その記念碑を見ていて、遠い昔のこと、もう忘れかけていたことを思い出しました。
その彼女の名前も思い出せません。彼女がこのホームの出身者かどうかもわかりませんが、横浜の施設を訪ねたと聞いたので、全くの見当違いでもなさそうです。 このホームの出身者であってもなくても、それはどうでもいいことなのですが、彼女は、日本の戦争孤児でした。
パリの中心街のぜいたくなくらいに広い続き間の部屋に、下宿で間借りをしました。家主は映画に出てきそうな豪傑なマダムで、キセルたばこをいつもくゆらせて、ガラガラ声の聞き取りにくいフランス語で、よくしゃべり続けていました。
パリはどこでもそうですが、家具などは全て揃っていて、引越では何も新しく準備をする必要はありません。嘘か誠か、マダムは「この部屋の家具はルイ王朝時代の家具もあるので、気をつけて使って」と言っていました。一階下のマダムの部屋には、骨董品が所狭しと雑然と置かれていたので、まんざら嘘でもなさそうでした。
私の部屋は、じつは一週間ほど前に、新婚旅行に出かけたマダムの一人娘さんの部屋でした。「空いたばかりの部屋」。「日本人に借りてほしかったので、あなたでちょうどよかった」と、マダムは大喜びで私をとても歓待してくれました。
一階のマダムの部屋の骨董品の半分は、日本の屏風や掛け軸や壺などでした。マダムのご主人は、戦後、大使館付き?商社マンだったそうで、夫婦で日本に滞在していたそうです。帰国時にたくさんの日本の骨董品を買い求めて、フランスに持ち帰ったのだそうです。
私が下宿したときは、マダムは一人暮らしでした。
マダムは私に長い説明をしてくれました。フランスに帰国するとき、戦争孤児だった女の子を引き取ってフランスに連れて帰りました。日本では出自がずっとその人の人生についてまわって、将来、その子は差別を受ける可能性が高い。この女の子もきっとそんな目に遭うだろう。フランスでは、階級や家柄の差別は日本よりも厳しいかもしれないが、出自によって差別はしない。今現在属している家柄と階級が重要なのだと私に言いました。それで、この娘は私たちがフランスで育てた方が幸せになる可能性がより高い、と。でも説明の口調には、なんとなく自分自身にエクスキューズしているようなニュアンスも感じられました。
しばらくして、娘は帰国し、自分の元の部屋、つまり私の借りている部屋に残してあったものを取りに、そして私への挨拶を兼ねてやってきました。
かわいらしいフランス美人。といっても、アメリカ兵と日本人女性の間の子供でした。親の日本趣味に合わせてか、大学で日本語学科を卒業したそうです。
私の部屋のドアに、メモの貼り紙があって、実際の内容は忘れましたが、たぶん「3時から行きます」のような、3時に来るのか、3時にはどこかへ出かけるのか、助詞の使い方がおかしくて、私をいらだたせました。
それで、彼女に会ったときに、私はフランス語で話しかけるのですが、彼女も強情で、フランス語を話さず、たどたどしい日本語で答えてくるのです。彼女の方では、自分の日本語の方が私のフランス語より上手と思っているのです。お互い様で、 この滑稽な二人の会話の光景に、私たち自身も気づいて、一緒に笑ってしまったのでした。笑い声は、国際共通語だったようです。
彼女は「お母さんには内緒です」と言って、自分の新婚旅行のことを教えてくれました。
「横浜へ行ったの。お母さんのことを探しに、いろんなところで調べてもらって、広島や札幌にも旅行したの。それでも全く手がかりさえつかめないで帰ってきた」と 、流暢な日本語だったかどうか。
マダムは、なぜ新婚旅行で娘が日本へ行ったのか、本当の理由は知っていなかったのでしょうか。でも、マダムはカンのいい人で、きっと気づいていたのだろうと思いました。マダムに実の子どもはありませんでした。
一人娘が家から出て行って、そのとき、マダムは寂しかったに違いありません。「サロン」と称して、パリ社交界の知人たちを自宅に呼んで、そして私も一緒に談論するようにといつも誘ってくれました。しかし哀しいかな、私の語学力ではとても文学論や芸術論などについて行けるはずもありませんでした。
彼女は、育ての親に母探しのことを言えずに、けれど、ずっと日本のことや生みの母のことを考えていたのかなと、そのときに私が思ったことと同じことを、エリザベス・サンダーホームの前で思ったのでした。
2013年02月18日 (Mon)FC2ブログ 風人社OHの編集手帳からの転載
【該当マップ】 『ホントに歩く東海道』第3集(大磯〜箱根関所)

