2013年1月12・13日、東京・中野区にある「散歩かふぇ ちゃらぽこ」さんの主催で、平塚から矢崎通り大山道を歩いて、大山町の先導師宿坊に一泊し、翌日、山頂の阿夫利神社本社を参詣登山する企画に参加しました。この企画には、風人社も協力しました。

矢崎通り大山道(以下矢崎道)は、旧東海道平塚新宿から大山へ向かう道です。この道を歩く面白さの一つとして、相模平野の微地形を確認することがあります。 ま、かなりマニアックではありますが。

大山街道の本の第2弾『キャーッ! 大山街道!!』の取材調査中に、平塚市博物館が発行したガイドブック『平塚・平野地形』を入手しました。それで、「相模平野の微地形」に興奮して、現地調査をしたことを思い出します。
平塚市博物館では、長年にわたり、このテーマの研究を続けておられ、私たちが手にした本は、その研究成果の一冊でした。私たちは、博物館主任学芸員の森慎一さんをお訪ねして、 直接にお話を伺うという大変幸運な機会を得られたばかりか、本書に特別寄稿してくださったのでした(85-90頁)。

縄文時代後期の約6500-5500年前、現在より1〜2℃気温が高くて、海面は3-5Mも高く、相模湾の海岸線は平塚市北部にありました。これを「縄文海進」といい、その後の気温降下で、海退(海岸線が後退していくこと)によって、相模平野に砂州・砂丘が形成されていきました。現在では、第13列の砂州・砂丘列が、前のガイドブックに示されています(『キャーッ! 大山街道!!』に転載)。 詳しくは本書をご覧ください。

矢崎道で、この微地形を確認できるのは、平塚駅を出発してすぐに、平塚八幡宮に第8列砂丘があります。寄り道して市役所西側の細い道の側壁を見ると、斜めになっていて傾斜がわかります。ボールを転がせば確実にわかります。また、糟屋通り大山道の平塚消防署近くの歩道橋上から、この微地形を目ではっきりと見ることが出来ます。平塚市役所は、堤間凹地(第8列と第9列の間の凹み)にあります。矢崎道のコース上では、平塚郵便局が同じ列の堤間凹地に位置しています。

『キャーッ! 大山街道!!』のコラムに、ここの現地調査のことを記しました。自転車に乗った高齢のご婦人が横浜ゴムのあたりで、なかなかペダルがこげずにまさに静止したような超低速走行でした。よくぞ倒れないなという状況でしたが、郵便局の手前からは、ペダルを踏まずとも、すーっとスピードが上がったのを偶然見たのでした。
「あっ」と、微傾斜のことを私たちが認識した瞬間でした。ここは、目ではなかなかその微傾斜を確認しにくいのです。

矢崎道でもう一つ。地形というより風景です。
矢崎道が新幹線をくぐったところで、鈴川にぶち当たり、しばらく鈴川沿いに北西へ進みますが、この間の広々とした水田地帯から、大山と富士山が並んでいる光景を見ることができます。大山の方が距離的に近いので、富士山より大きく見えるのが不思議で、そして、その堂々とした姿に感動します。

ついでながら、これは矢崎道ではありませんが、本書の90ぺージに大正10年の国土地理院2.5万分の1地形図「伊勢原」が掲載されていて、この地図に色鉛筆で桑畑と水田を塗り分けると、街道がどんな地形を通っていたかが一目瞭然になります。

キャーッ! 大山街道!! 90ページ 大正10年 地形図「伊勢原」
『キャーッ! 大山街道!!』90ページ 大正10年 地形図「伊勢原」
めんどくさくなって、水色で塗っていません。

桑畑は微高地で、水はけがよかったので、人は自然にここを選んで歩いたのでしょう。
昔の道には理由(事情)があって、とても面白いといつも思っています。

2013年01月16日 (Wed)FC2ブログ 風人社OHの編集手帳からの転載

【参考書籍】
中平龍二郎・風人社編集部著『キャーッ! 大山街道!!』

キャーッ! 大山街道!!