2023年のジョン・フォード没後50年に合わせ、ジョン・フォード関連の話題が多くなってきています。『ジョン・フォードを知らないなんて』(2010年、風人社)の著者、熱海鋼一さんにその魅力を語っていただきました。

今回は、その第24回目、最終回です。
※赤字「」は映画作品名

熱海鋼一 ジョン・ウェイン

僕は夢の中でフォードに会った。1973年8月31日の夜のこと。なんと「駅馬車」を演出中のベレー帽をかぶったジョン・フォードではないか。僕の方に歩み寄り、かすかに微笑んだ。フォード自身との出会いに身震いした。
翌朝、新聞を広げて驚いた。目をこらして、フォードが亡くなった記事を読んだ。この出来事は僕の心に焼き付いた。

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ジョン・フォードは1894年生まれ、僕はその45年後に生まれる。「駅馬車」が作られた1939年だ。第二次世界大戦が始まったその頃、フォードは黄金期と言われ「若き日のリンカーン」「怒りの葡萄」「果てなき船路」「我が谷は緑なりき」などの傑作群を生み出していた。
フォード映画との最初の出会いは、まだ日本がアメリカの占領下にあった小学5年の時、父に連れて行ってもらった「荒野の決闘」(‘46)だ。名保安官ワイアット・アープの話だが、ドンパチがほとんどなく退屈した。この映画が、大戦中ミッドウェイ、アフリカ、Dデイ等の戦線の記録を撮っていたフォードの平和を求める心境が反映された、詩的で静謐な作品であったと気付くのは大学生の頃だ。

日本が独立を果たした中学生の頃、親からジョン・フォードの作品なら観て良いと許されていた。騎兵隊三部作、「アパッチ砦」(‘48)、インディアンとの協定を破る騎兵隊が全滅、インディアンは威厳を示し砂塵を上げて去る。身じろぎできない衝撃を受けた。「黄色いリボン」(‘49)の定年を迎えた将校の悲哀、美しいモニュメント・ヴァレーを堪能。「リオグランデの砦」(‘50)の爽快なアクションに歓喜。僕はすっかりフォードファンになっていた。

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そして「静かなる男」(‘52)、アイルランド移民2世フォードの郷土愛溢れるラブロマンス、アイルランドの古いしきたりの呪縛は、中学生には難しかったが、カラーの美しさとのびやかな情景に見とれた。

フォード黄金期の映画との出会いは、日本が高度成長期に入った高校生以降だ。「駅馬車」(‘39)を観たのは、自由が丘の小さな映画館でのリバイバルだった。ジョン・ウェインの初々しさと激烈なインディアン襲撃に息を飲んだ。
「怒りの葡萄」(‘40)は、アメリカは自国の恥を描いたと日本での上映を禁止、作られてから23年後の1963年に新宿のアートシアターでようやく観ることが出来た。土地を奪われた農民の絶望と怒り、カリフォルニアへ託す一縷の希望、張り詰めたリアルな描写に目を奪われた。
世間での一番人気は「わが谷は緑なりき」(‘41)だが、フォード好みのファミリー描写に魅入っても、炭鉱ストへの詰めが甘く感傷的になった。それより「果てなき船路」(‘40)のまるで欧州映画のような情感、「若き日のリンカーン」(‘39)の詩的で落ち着いた佇まいに惹かれた。

フォードの黄金期以前となると惹かれた作品は少ない。無声映画では大作の二本、「アイアンホース」(‘24)は合衆国を横断する鉄道建設の苦節と西部発展をダイナミックに活写。「三悪人」(‘26)は壮大なランドラッシュと開拓民を牛耳る獰猛な悪との戦いを激写。二本とも活力に溢れている。

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映画に音がついて、「周遊する蒸気船」(‘35)のミシシッピ河での船の競争、主役のオンボロ船は、燃料がなくなると船自体を壊して火にくべて、なんと優勝という笑劇。フォードは堂々と描いた。「男の敵」(‘35)のアイルランド独立運動を裏切る男の切なさ。「ハリケーン」(‘37)の島を飲み込む映画史に残る苛烈な描写。それぞれにフォードがいる。

フォードは無声映画時代から西部劇を多く撮り、豪快なアクション監督と思われがちだが、第二次大戦終焉のころ撮った「コレヒドール戦記」(‘45)は、フォードの戦場体験を反映してか、どこか厭戦気分を漂わせていた。
ハリウッドの生血を吸うプロデューサーシステムと戦い、かずかずの作品をつくり、そうした映画の合間に、脱ハリウッド的な映画で、自らの心情を吐露するのもまたフォードの魅力だ。
「幌馬車」(‘50)の新天地へと夢を紡ぐ叙情詩、フォードは仲間の固い結束にフロンティアの希望を託した。「太陽は光り輝く」(‘53)の小市民のささやかな勇気、娼婦の葬列の静謐な人間の誇りには心の底から揺さぶられる。「月の出の脱走」(‘57)の反骨とユーモア、アイルランド独立運動家の脱走を見て見ぬふりをする警官夫妻の気骨が胸に響く。

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僕の一推し「捜索者」(‘56)を見たのは高校2年の時、緊張感溢れた表現に戸惑った。でも、「もう一度観たい! 観たい」という願望が僕の胸の中にうずいた。その昔、映画は再上映がない限り、その映画とは永遠に会えない、そんな時代だった。
封切りから25年後、仕事で出掛けたニューヨークで立ち寄ったビデオ店で、VHSを見つけた時の興奮。何十回観たことか。インディアンに拉致された少女を捜索する。美しい映像でアメリカそのものを暗喩した、フォードにしか創れない凄い映画だ。
しかし、その後のフォード映画は緩んでゆく。特に大作の「騎兵隊」(‘59)「シャイアン」(‘64)のたるみは悲しかった。

フォードの創作力が衰えてゆく中で、好きな映画が三本ある。僕が大学時代に出会った滋味溢れる「最後の歓呼」(‘58)、市長選挙でベテランが若者に敗退する。老人は去るのみ、切々と憂うフォード自身を描いたようだ。そして60年安保に挫折し社会人となった二年目に、ずば抜けた西部劇に出会う。「リバティ・バランス射った男」(‘62)、西部伝説の真相を哀切こめて描き、フォードが愛した西部への惜別の情が滲み出る。そして1966年、遺作「荒野の女たち」、辺境の女性伝導院が馬賊に襲われる。主人公の女医は修道女たちを逃し、首領を誘い毒酒を交わし、自らの命も絶つ。フォードが尊ぶ犠牲を描き、凄まじい女性像を残した。

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2001年9月11日、ニューヨークの世界貿易センター二棟がテロで崩壊した。当時テレビの編集をしていたが、海外ロケの二本の番組が消えた。仕事がなくなり時間が空いた。僕はパソコンを買った。どうすれば上達出来るか?好きなジョン・フォードのことを書こう。そして9年……。
『ジョン・フォードを知らないなんてーシネマとアメリカと20世紀』を風人社から出版した。若い仕事仲間の殆どがフォードを知らなかったが、私の愛するジョン・フォードへ捧げた篤い本となった。日本図書館協会選定図書となって本屋に並び、アマゾンなどで販売されている。

24回にわたる連載をして下さった風人社、お読み頂いた方々にジョン・フォード大ファンとして、心から感謝致します。

熱海鋼一記

熱海鋼一(あつみ・こういち)

1939年生まれ。慶応義塾大学経済学部卒。映画・テレビのドキュメンタリー編集・フリー。 「The Art of Killing 永遠なる武道」(マイアミ国際映画祭最優秀編集賞)、「矢沢永吉RUN & RUN」「E. YAZAWA ROCK」、「奈緒ちゃん」(文化庁優秀映画賞・毎日映画コンクール賞)、「浩は碧い空を見た」(国際赤十字賞)また「開高健モンゴル・巨大魚シリーズ」(郵政大臣賞、ギャラクシー賞)、「くじらびと」(日本映画批評家大賞)、ネイチャリング、ノンフィクション、BS・HD特集など、民放各局とNHKで数多くの受賞作品を手がける。

X(旧Twitter)(熱海 鋼一) @QxOVOr1ASOynX8n

熱海鋼一著『ジョン・フォードを知らないなんて シネマとアメリカと20世紀』(2010年、風人社、3000円+税)

【もくじ】
https://www.fujinsha.co.jp/hontoni/wp-content/uploads/2017/07/fordmokuji.pdf

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